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密教1273 自殺霊

自殺は、如何なる理由が有ろうとしては、行けません!
何故ならば、霊的に百害あって一利なしだからである。
自殺は、人生の中退。
人生の卒業は、辛くとも苦しくとも天寿を全うする事が大前提であり、己が望み決めた道なのである。
私は、綺麗事を並べる氣は無い。
私とて人間、過去には様々な汚点も数知れ無い。
ある頃は衣食住にも事欠き、乞食坊主と言われた時もある。
しかしその時代を耐え抜いた時、真に魂は磨かれ輝きを増すのである。
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誰で有ろうとも辛く苦しい事は嫌で有ろうが、耐え忍ぶ事こそ修行である。
辛く苦しい時は、泣いても良い。
虚勢を張る必要など、無い。
但し己れを甘やかしては、行けない。
己れを甘やかす事は、害にこそ成り益にはなりません。
私は、辛く苦しい時は、一人きりで誰にも見られ無い墓地の中で、涙が枯れるまで泣きました。
私の中で他人に見せる涙は、未練と考えて居たからであります。
現在は歳を得たせいか涙もろく成りましたが、他の為に流す涙は、心の汗と理解出来る歳になりました。
絶望する前に草原で横になり、何も考えず空を見上げて見ませんか。
悩んで居る自分が、視えて来ます。
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悩み苦しみに己れがある時、魂は磨かれるのである。
そこで、自分を放棄する事の虚しさ知るで有ろう。
人生に無駄は無い。
人生は母の胎内に宿った瞬間から、始まっているのである。
親と早くに別れる【愛別離苦】事を味わった人も居る。
しかし、親の存在が無い者は居ない。
自分の人生を悲観しては、行けない。
今が、試練の時なのである。
辛さ、悲しさ、苦しさは、全て自分を磨いてくれる試練を乗り越えた先には、新しい希望が待って居るのである。
高きを望まず、低きを比べず、自分の人生に誇りを持ち生きる事こそ、最良の人生ではないだろうか。
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南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝

# by kongousan-akafudo | 2019-11-02 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教1272 不成仏霊【未浄化霊】

今の日本は、不成仏霊で満ちて居ると言っても過言では、無いだろう。 
何故か?
怪談、怪奇、オカルト、その他には、興味があるが本当の心霊學を知らない人が増えて居るからである。
心霊學とは、科学的に霊を理解する為の學問である。
もしあなたが霊的理解を全くしておらず、人間は死んだら終わりと考え好き勝手に生き、死を迎えた後に死後も意識がある状態になった時、
あなたは、死を理解出来ますか。
死後の意識覚醒が起きた時、ほとんどの人は戸惑い未だ生きて居ると錯覚し、現界を彷徨い歩くのである。

以下は、私が手掛けた実例である。

その方の身の上に起きた現象は、正に心霊現象であった。
それは、新しいマンションに引っ越して数日後に始まりました。
最初は、ラップ現象【騒霊現象】から始まり、様々な現象に悩まされる様に成りました。
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私の所に来た時には、後一歩で取り返しが付かないところまで追い込まれて、おられました【死】。
彼女が借りたマンションは、事故物件だったのである。
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普通では不動産情報に明記する義務があるが、一度他の住人が借りた場合、前の履歴は明記の義務は無いのである。
私は依頼者と一緒にマンションの中に入り祈祷を行うが、不成仏霊は説得に応じず主張のみを繰り返すばかり、
此のままでは、相談者が危ないと判断し、調伏法に切り替え霊界に送り事なきを得たが、その後相談者は、怖くて住んで居られないので引っ越しを決意、
新居へと移る事に成った。

言うまでも無いが、新居の霊視と鎮宅除災祈祷は私が厳修し、明るい生活に戻られました。
新居を決める場合は、形や利便性だけで決めるのは、早計である。
近所の店で買い物をして、聞いてみるのも一案である。
人の口には戸は立てられぬと言う、ことわざもある様に。
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南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝

# by kongousan-akafudo | 2019-11-01 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教1271 動物の恩返し

今迄に沢山の動物ちゃんの慰霊をさせて頂きましたが、以下は心温まる事例であります。
私の知り合いのTさんが散歩中に車に轢かれ瀕死の状態の犬を発見し、すぐさま病院に連れて行き命を助けたが飼い主は見つからず、
Tさんは自分が面倒を観る事にした。
Tさんは、天涯孤独の独居老人であるが、動物が大好きである。
その日から、犬と二人暮らしを始めました。

傷も癒えたワンちゃんは、お爺さんになつきまるで親子の様に暮らしました。
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お爺さんにシルバー人材センターから仕事が入るとワンちゃんは、静かにお爺さんの帰りを待つおとなしいワンちゃんである。
そんなある日の夜、けたたましく吠える犬の鳴き声を聴いた近所の人がお爺さんの家に行くと、お爺さんが倒れて居る事に気づき救急車を呼び、
発見が早かったおかげで、お爺さんは助かりました。
お爺さんの帰りを待つワンちゃんは 吠えもせず静かに近所の人達が運んでくれるご飯を食べ、待って居ました。
やがてお爺さんは、家に帰ってきました。
お爺さんとワンちゃんは再会を喜び、それからはまるで親子の様で有ったと、近所の人達は言う。

その数年後、雪の降る寒い日にお爺さんは、亡くなりました。
その日もワンちゃんは、お爺さんを救おうとけたたましく吠えて、助けを呼んで居たそうである。
しかし異変に気づいた近所の人が、お爺さんの家に入った時には、お爺さんはこときれて居たそうである。
【お爺さんの葬儀は拙僧が担当】
ワンちゃんは、お爺さんの棺の側を離れ様としないのである。
まるで、大切な人を自分が守ると決めた様に。
私は、その姿が今でも忘れられ無い。
お爺さんの遺体を荼毘に伏した後でも、遺骨の側から離れ無いワンちゃんの姿を見たご近所の方々も、涙されておられました。
そしてお爺さんが亡くなった日からワンちゃんは、ご近所の方々がどんなに美味しい物をあげても食べず、お爺さんの初七日の日にお爺さんの後を追う様に、
亡くなりました。
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お爺さんとワンちゃんは、天国できっと楽しく暮らして居る事でしよう。
愛を注いだお爺さん、その愛を受け取ったワンちゃん、魂に上下の区別は有りません。
美しい愛と魂に称賛あれ
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南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝

# by kongousan-akafudo | 2019-10-31 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教1270 動物愛護

歴史から観ても動物は、人間と関わり様々な時代を重ね、現代では家族として一緒に暮らしている方が大多数ではないでしょうか。
かくゆう私も、動物が大好きである。
現在、ミニウサギ、フレンチブルドッグ、パグ、カメ二十一匹が我が家の家族です。

先日、動物愛好者の編集社から依頼され、動物雑誌の表紙と各記事の写真に掲載される事に決まり、本日撮影に行って参りました。
主役のワンちゃんは【我が家の真海、天真】は、堂々とカメラの前に立って居ましたが、拙僧の方が初めての経験であり、終始、緊張を隠せません。
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私は、元来の動物好きで全ての生きとし生けるものが、大好きである。
また、魂には段階があり、動物だから低いとは、限りません。
人間に生まれてもある者は、私怨に駆られ大量殺戮を実行する者や、自分のモヤモヤを晴らす為に他人に危害を加える者と挙げればキリがないほど、
魂の低い者が居るのも周知の事実である。
魂は、磨く努力をすれば向上し光り輝く日が来るが、その逆に己れの幸不幸を他人のせいにし怠惰な生き方を続ける者は、
闇の世界に身を置く事に成るのである。
どちらの世界を選択するかは、自分自身の心次第である。
自身の場所を光明蔵とするか暗黒蔵とするかは、自分が決める事である。

暗い話し以外にも、優しい話しもあります。
当院の後援者の方々から、動物の為の霊園を作ろうと言う気運が高まっております。
恵まれ無かった子達や埋葬もままならない子達の為の霊園を作りたいと云う、構想である。
私も、大いに賛成である。
気持ちを一つにして、実現へ向けて各方面に働きかけて参ります。
二年後、三年後の実現に向けて、私はこれから奔走して参ります。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝

# by kongousan-akafudo | 2019-10-30 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教1269 御供養の必要性

僧侶として他界された方を御供養申し上げるのは、当たり前の事でありますが、いくら僧侶と言えども依頼が無ければ、お受け出来ません。
また僧侶が霊的存在を理解しておらず、御供養申し上げても空經に過ぎず届かないのも現状であります。
私が以前から提唱して居る様に教典とは、実践論と説話が存在しております。
どちらも切り離す事は出来ませんが、上記の二教を知らずして供養の実践も成り立たないと私は思う。

例えば説話だけで故人【愛するもの】が成仏を遂げるのであれば、身近な親族、家族の説得だけで充分であり、高額を掛けて葬儀をする必要も無いと考えます。
葬儀、供養は、単なる儀式【セレモニー】では無いのである。
生前に死を理解して居なかった人をも、納得に導く実践法が必要なのである。
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霊的存在を理解し折衷する時、其処に生まれるのが納得【霊的納得】なのである。
説得と納得無くば、迷うのは当然と考えます。
最良なのは、生前に學びを深め執着を捨てられる自分作りなのである。
死を知らず生前と同じ欲を持ち続ける事が、如何に不幸な事かを知り俯瞰するには、學びは最高の良薬である。
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誰にでも、出来ます。
最初から難しいと決め付け手を出さず、振り向きもせずにはやがて後悔する時が、訪れます。
本当の供養は、先祖に心配を掛け無い生き方をする事である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝

# by kongousan-akafudo | 2019-10-29 06:00 | ◎赤不動明王院通信