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密教1210 哀しき霊体

霊と言えば皆さんは、怖いと思うかも知れないが怖い霊をこの世に生み出したのは、人間なのである。
今から、その仕組みの一端をお話ししよう。
動物霊には、飼い主に最後まで愛され現界を去った子達は人間を愛し、いつか自分も転生して自分を大切に愛してくれた人に、
恩返しがしたいと思いながら動物の霊界に帰って行きます。
その時の様子を、お見せしたいくらいである。
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その逆に、お金の為や飼い主の都合だけで捨てられた子達は、震えおののき人間を信頼する気持ちを失い、
運良く次の飼い主さんが見つかれば、少しずつ心を開いて行きます。
最悪なのは、餓死させたり、虐待の末に惨殺された子達である。

人間でも同じだが、上記のような仕打ちを受けても尚、その者を許せますか?
怨みの念を、いだくで在ろう。
そして帰幽出来ず、彷徨いやがて悪霊にそそのかされ酷い場合は、自分を死に追いやった者に復讐をします。
復讐を済ませたその後は、悪霊と成り現界を彷徨います。
哀れな事である。

元はと言えば、無計画で理不尽な者の手に渡らなければ、命を全うする事が出来たのである。
正に負のエネルギーを作る者達に、反省を促したい。
反省なくば、自らに起こる事象を受け入れるしか無い事を覚悟するしか無いで在ろう。
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by kongousan-akafudo | 2019-08-31 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教1209 類は友を呼ぶ

良い事を學ぼうとする者には、同じ魂を宿した者が集まる様に、悪を良しとする者の周りには、魂の低い者が集まるのは自明の理である。
何故か?以前にも書いたが魂年齢の高低差である。
魂の低い者はやたらと他を威嚇し、己を誇示し鼓舞しようとするのが特徴である。
魂年齢は、生まれた家や財力、職業、名誉や地位には比例しない事を覚えておいて貰いたい。
ありがとう・すみませんの言葉を理解し、自然に発する事が出来た時、人は成長し魂も磨かれます。

その逆にやらせて当たり前、やって貰って当たり前の心根の者の魂は、低くさの極みである。
感謝の無い人、誤ちを認められ無い人も同じ部類であると言える。
私がどんなに書こうと理解出来ない者には、馬の耳に念仏で在ろう。
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どんなにその人の為を思っても、聞こうとしない者には教える事は出来ません。

そんな時、私は見捨てるのでは無く、手放します。
手放すとは、自分から離れる事である。
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やがて時が来れば、解るからである。
それを手放さずとどめる事は、執着であり相手にも良い影響を与え無いからである。
但し、その人が反省し理解を求め来る時は、私は拒むものではない。

然し乍ら、生半可な事では変わらないのも人間と云う生き物である。
大我で捉えれば皆、仲間であるが人間の寿命には限りがある。
合わぬ事に生力を注ぐ依り、信じる道に力を注ぐが良策であると私は考える。
人間は帰幽する時、持って帰れるものは経験を感動に変え、霊界で待つ仲間と共有する事が最高の土産なのだから。
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by kongousan-akafudo | 2019-08-30 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教1208 想念

人間の持つ想念が善心ならば何の問題も無いが、悪想念であった場合には変わって来るのは必定である。
想念は、個々にも作用するが自然現象にも作用する事は、心霊學では常識的に語られて居る。
これを理解するには、大変だろうが何事も學ばなければ、理解には遠く及ばないで在ろう。
昨今、悪想念が原因で様々な事態が、発生して居る事をご存知だろうか?
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例えば、イジメ、誹謗中傷、煽り運転、上げればきりが無いほどである。
悪想念を自身に向ける者は、皆無である。
皆、他人である
では何故、悪想念を他に向けるのか?
自身が、傲慢だからである。
自分は、間違って居ない。
自分はあいつより上だの心は、皆、増長傲慢が心を支配して居るからである。
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そのくせ孤独を嫌い仲間を募り、自分の意見に同調させようとする。

真に學ぶ者は、孤独を孤高と解釈する。
孤高とは、気高く生き學ぶ事を栄養とする者の在り方である。
全ては自分の中で始まり、自分の中で起きている事に氣づく時、人はわかるで在ろう。
悪想念は、無駄である事に。
また、それに費やした時間の無駄使いに。
分からなければ、カルマ【因縁】を積み重ね最後には自分が積んだカルマに依り、自滅するしか無い。

霊的真理を學ぶ事は、自身のカルマを減らし、しあわせを引き寄せるチャンスなのである。
嫌うも良し、振り向かざるも良しである。
全ては、自己選択であり押し付けられてやっても所詮、机上の空論にしか過ぎないのである。
密教には、悪想念を跳ね返し悪想念を放つ者に返す法がある。
但し返された方は、何倍もの苦を味わう事になるのである。


by kongousan-akafudo | 2019-08-29 06:00 | ◎赤不動明王院通信

呪いに関する密教ブログ③

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密教僧と呪い。
非常に深い関わりのある単語です。

いたずらに怯えることなく。さりとて軽視することなく。
専門家が語る「呪い」の実態について耳を傾けてみてはいただけませんでしょうか。

記事が沢山ありますので、シリーズでお届け致します。

>>呪いに関する密教ブログ①
>>呪いに関する密教ブログ②

生霊


生霊は、人間が放つ念波の一種で必ずしも、良いものでは無い場合があります。
怨みの念が強ければ、強いほど飛ぶと言っても過言ではない。

しかしその全ては、最終的には、自分に跳ね返る事になる。
此処に事例を挙げておきます。

私がA氏に依頼を受け、霊視すると様々な怨みの念が渦巻いている事を知った。

A氏は、会社の重要人物で決定権を持つ地位にある人で、今まで様々な仕事上のトラブルを解決して来られた方だが、その手法は、いささか強引な面も有った。

相手を思う気持ちは、優しいのですが、相手は、そうは、思って居ない。
ただ自分の地位を奪った憎い奴なのである。

A氏は、強引な手法だが、その後は、相手の身が立つように奔走し助けた事は数知れない位あるのですが、怨みの念に凝り固まる者には、馬の耳に念仏である。
A氏を呪い、我が身を鬼に変え、呪う心は生霊と成りA氏に取り憑いて居るのである。

私は、余りにも数が多いので、一人一人を排除呪縛しても、埒があかないと判断し奥の手を使う事にした。
仏母孔雀明王法を使う事を決意し準備を始めた。

孔雀明王法は、悪鬼羅刹を消滅差せるには、最適である。
孔雀は、好んで毒蛇を食う事から密教では、調伏法に使われる事が多い修法である。

私が修法を始めると、段々視えて来た。
相手は、普通の人間だけでは、無かった。

金で呪いを請け負う呪法者が混じって居た。
術勝負である。

私も呪法は心得ている。
呪い返しを相手に掛けて、念を込めた瞬間、手ごたえがあった。

相手はただでは、済まないであろう。
呪い返しは、呪う方依り返す方が強いのである。

但し、素人が生齧りでやった場合、逆に危険を伴うので、勧められない。

よく質問される事だが、呪法師に依頼すれば自分は大丈夫だと思って居る人がいるがそれは、完全な誤りである。
同罪なのである。
呪法が例えば成功しても、後で何倍にも成って、自分に返って来る事を知らない人が多いのも事実である。

私が返した、呪いは、呪法師と依頼人に全て返り、ただでは、済まない。

その実態は、生々しいので書く事を控えますが、どんな事が有っても、呪いだけは手を出してはいけ無い。

罰は、人間が与えるのでは無く、神仏が与える究極の反省です。
ですから、悪事が今世でバレなくても必ず報いは、あります。

死に逃げは、出来ません。


想念と感情

人間は時として、意識と関係無く、他人に悪想念を発している場合がある。
その場合、悪想念が生霊に変化し、相手に危害を及ぼす場合がある。
以下は、その実例を私の経験から記しておきます。

生霊に変化した想念

私はその日、あるお宅に病気平癒の祈祷を頼まれ、訪れた家で家人の異変に氣づいた。
娘さんの後ろに異様な人陰が揺らめいて居る。
私は、娘さんに質問をした。

①最近食べ物の好みに、変化が無いか。
②突然の不安を感じる事が無いか。
③何でもない様な事で、怒りを感じる事が無いか。
④恐ろしい夢や、嫌な夢を最近よく見る。
⑤よく、怪我にみまわれる特に、最近は、多い。
⑥友達や同僚に言われの無い事でイジメに遭う。
⑦最近、何か集中して物事が出来無い。
⑧寝て居るのに、眠くてたまらない。
⑨他人との関わりが、面倒に思われ、一人で居る事が多くなった。
⑩自殺を考えている、または、死にたいと考えて居る。

上記の項目に複数、該当する方は要注意が必要です。
間違い無く、憑き物です。

放置すれば、悪化する事は必定。
信頼出来る法力僧の力を借りて下さい。

本題に戻る。
娘さんは、全ての質問にハイであった。
私は、加持祈祷を勧めた。

そして、寺で加持祈祷をする事に。
母親が見守る中、娘さんの祈祷開始。
不動護摩供である。

開始後、生霊を不動尊の捕縄を以って呪縛、護摩の炎に曝し消滅差せた。
相手は、意識的に飛ばしていたのだ。

祈祷後は、相手もただでは済むまい。
呪い返しである。

この様に、意識的な生霊は逆に始末が仕良いが、無意識的な生霊は、本人が解って居ない分始末が悪い。
そんな場合に私は、或る法をよく使うその法は…・

模倣を避ける為に公開はしませんが、実に効果的に働きます。

人を怨んではいけないと解って居ても、怨んでしまう人間の性。
正に煩悩。
しかし、私の記事を読んだ方々は、人を怨むのは止めましょう。

何故か?
全てはカルマ、いわゆる宿業因縁に成り、自分に全て跳ね返って来るのです!

一番、恐ろしい事である。

このカルマは、自分が氣づき解消するまで、未来永劫引きずる事に成るのです。
氣づけばまだましな方です。

氣づかずにカルマに苦しむ人がどれほど居るか、皆さんはご存知では無いでしょう。
次回は、カルマに苦しむ人の実例を挙げて、書かせていただきます。

呪い返し


人を呪わば穴二つ…のことわざがありますが、今だに呪いを掛けたがる人が居られます。

呪いは、お金を払ってやって貰っても自分に跳ね返ります。

此れは、愚僧が呪い返しをした経験談です。

私の庵に相談者が訪ねて来て、話しを聴くと毎夜、同じ時間に胸に針を刺された様な痛みに苦しんで居る…言うのである。

私は、医師に相談する事を勧めたが、もう医師の診断済みであり、結果は異常なしだそうです。
が、痛み止めの薬を飲んでも、同じ時間に痛みが走ります。

医師に相談すると、心療内科を受診して下さい。と言われたので腹が立ち、愚僧を訪ねて来られたそうである。

其れ程までに信じて頂けたら、愚僧も坊主冥利につきると言う事であります。
早速、壇を整えて八咫の鏡に映して観ると、藁人形による呪詛である。

私は、相談者に訪ねた。
貴方の髪を一本でも根元から抜いて誰かにあげましたか?

相談者も考え込み、一時の間をおいて、白髪があるので抜いてあげると言われ、一度抜いて貰った事がある。と言うのです。

その相手との関係を聞いて、納得。
簡単な呪い返しで済み、相談者には相手の家に出向いて謝罪する事を勧め、一件落着である。

お付き合いは、男女間に限らず誠意を持って行う事が良いのでは無いでしょうか。

殺人者

今迄に数々の殺人事件が発生していますが、救う事が不可能な殺人が存在するのも事実です。

それは、人を殺して見たかった!…犯人の証言。
これは、如何な霊能者も察知して阻止することは難しい。

何故か?
完全憑依…これは除霊も浄霊も難しい。

例えば、私が通りすがりに、憑依されている人を見ても何も出来ません。

本人か家族または、近親者の依頼が必要です。
それを無視して、貴方は、憑依されているから除霊します。
と私が言い、行動することは日本の法律では犯罪行為になり、出来ません。

私が完憑、完全憑依された人を尾行したとします。
それはストーカー行為にあたり、犯罪行為です。

では、何故?
完憑が、起こるのか?

警察発表はありませんが、悪魔崇拝が裏に存在します。
信じるか信じないかは、自由です。

現在、呪い屋なる商売があることも、皆さんご存知の通りです。

光と影…今に始まった事では、ありません。
昔からあります。
昔は、今ほどオープンでは無かっただけです。

お金をもらい呪う最悪な行為ですが、依頼する者も同じです。

神仏を避け、悪魔崇拝に身を委ねることは、魂を穢し、自分を否定する行為です。
しあわせと、安心、安息を、根底から拒否する行為です。

賢明な方々は、お判りですね?
天は、人の下に、人を作らず、人の上に人を作らず…です。

呪術とは何か?


密教、仏教、顕教、陰陽道、神道、呪禁道、チベット密教、その他。
祈祷をする団体、個人に於いて、祈祷と称しているが、本来は、呪術なのである。

呪術とは、呪いという悪いイメージを想像されがちだが、本来は神仏に、加護を願い、行われた仏事、神事が始まりです。

言葉とは異なもので、読み方、書き方により、捉え方も変化しがちですが、
祈祷と書けば、神聖で、呪術と書けば、暗いイメージに感じるのは、
戦後のアメリカ政府の思想統制に、影響を受けていると言っても過言ではない。

日本の明治政府が実施した、廃仏棄釈も、信仰の世界を歪曲させた、悪法の一つであります。
即ち、祈祷とは呪術であり、願望達成へのプロセスであり、僧侶、神官が行えば効くという事ではないと、愚僧は言い続けている。

三位一体こそ、願望達成を成就させる方法論であると、愚僧は信じてやまない。
呪術には様々な術が、存在しますが私利私欲を、満足させる術も、存在するのは事実です。
然るに、その術を厳修するか?しないかは、術者の倫理観と見識が、問われる正念場です。

金儲けに走るも良し、世の為人の為を考え厳修するも良し。
どちらを選ぶかは、術者の理性を問われる時です。

依頼する方に罪はありません!
例えば、依頼者が理不尽な依頼をしても、それを、無碍に断るのではなく
依頼者を正しく理性的な方法論に導き、諭すことこそ、神仏に使える者の務めと心得ます。

一沙門の気概を持って万事にあたる時、必ず神仏の御加護が働きます。
御加護を期待せず、お計らいを待つ心に、神仏は観応して下さります。

欲に走り、欲を追えば、結果は、自明の理。
全てに愛を持って進む時、必ずや閉ざされし門は、開かれます!

敬天愛人…天を敬い、人を愛する時、あなたは、全てを知る事に氣づき、神仏の慈愛を感じ、知る事になるのです。

今を生き、苦しむ方は、呪術にすがっても良いのです。
その後、愛を知っても、遅くはないのです。

今を苦しみ、絶望するよりその苦しみから、まず自分を、解放する事が先決です。
御自分の人生を、大切になさってください。


古い仏像

以前、古い仏像には手を出してはイケマセン…という記事を書きましたが、今日はその核心を書いて参ります。

仏像は、僧侶の依頼を受けて仏師が製作しますが、仏師も生計を立てる為に様々な仏像を製作します。
しかし仏像は、神仏の御姿…従って本懐が発生します。

行者の頼みを聴き、御尽力下さるのも仏像が持つ《神我》です。
正しい目的の為に御尽力下さることが仏像の本懐ですが、その逆もまた存在するのも事実です。

愚僧の記事を読んでいる方々もご存知だと思いますが、呪殺、呪い…に使われた仏像が現存するのも事実です。

先日、フリーマーケットなる会場に行った時、異様な気配を感じて近づいて見ると、仏像がズラリと並べられた露店を発見。
その展示してある一体の仏像から発せられる氣であると氣づき、愕然としました。

その仏像こそ、あらゆる呪いの本尊仏として祀られていた事を確信しました。
それも、持ち主が死亡して処理に困った遺族が、古物商に売却したのです。

この様な仏像を、もし一般の方が買い求めて自宅に飾っても被ります。
愚僧も、依頼者のない仏像を撥遣する事は出来ません。

また、仏像の本懐を遂げ、天界にお還り頂くのも依頼者が居なければ出来ません。

ましてや、売り物として並べられている前などでは不可能です。


私の記事を、読んでいる方々は絶対に、古い仏像を買わない様にして下さいね。

新しい仏像でも、魔が入り込むことがあります。

お好きな方は、力のある人物を探して封印してから、鑑賞物として楽しまれる事をお勧めします。

古い仏像やその他は、家に入れない事です。

呪い返し


私が過去に経験した中で、最も嫌な経験の一例です。


一人の女性が、私の相談室を訪ねて来られ、開口一番。
先生、私は、呪われているようで怖くて夜道も歩けないのです…と言うのです。

まあ、落ち着いて下さい…
どうしてそう思うのですか?と、聞いてみました。

彼女の家に置かれた物が、始まりでした。

それは藁人形ですが、鑑定する為に見ると、素人が見よう見真似で作った稚拙な代物でした。
しかしそれに留まらず、あらゆる物が、彼女の住む家の玄関に置かれる様になったのです。

私は霊視して、誰が置いているのか視ました。

様々な映像の中で察知しました。
彼女の事を一方的に自分の恋人だと思い込み、自分の欲望を果たせない怨みに固まる人間を。

私は彼女に、警察に相談する様に促しました。
その後、呪い返しの法を厳修。

炎が相手に向かった事を確認。

その後、彼女が住む家の隣の住人だった事が警察の捜査で判明しました。

その男は今精神を病み、病院の隔離病棟にいます。

人を呪わば穴二つ…

若い人生を病棟暮らし。

選択も決断も全ては自己責任であり、責任主体です。

愚僧は、今日も皆さんのしあわせを御祈念申し上げます。

呪い

呪いは可能である!

しかし、呪いが相手に作用した時点で同じ事が自分にも起きます。
ただ起こるわけでは無い。
何倍にも成って返って来る事を覚悟せねばならない!


当院には、呪術に関する経典はほとんど揃って居ると言っても過言ではない。
ほとんどが数百年前の経典である。

それらを熟読すれば解るのは、この法を真剣にやれば出来ると言う事である。
言わば捨て身の法である事に気づく。

何故か?
呪いの掛け方は書け無いが、呪いを進めれば、必ず一命を落とすと断言出来る。

まさに、執念の鬼と化さねば成就は無く、徒労に終わるだろう。
徒労だけでは無く、必ず憑依を呼び込みます。
ですから、一命を落とす覚悟が必要なのである。


専門家に頼んだから私は大丈夫。と考え、軽はずみに呪いの世界に足を踏み入れた場合も同じである。

怨めば怨まれ、落とせば落とされ、殺せば殺されるのである。
例外は無い。

一番良いのは、放念する事である。

放念出来ず、どうしても悔しいと言うのであれば、その人より大きな人に成り、見返してやれば良いのです。

そんな事は不可能だと言う方は、自分から逃げて居るのです。
努力もせず、良い結果など無いのです。
必ず出来ます。
但し、並大抵な事では、到達は無い。

しかし、呪いに依り思いを遂げ様とする依り、よほど現実的である。

私は、弟子たちに『進む努力もなしで成就は無い』と説いて居る。

分からない事は學び、出来無い事は努力で解決する。
それでもダメなら、神仏に祈り、努力を重ね続ける事である。
必ずや、光明を知る時が来る。

呪いの末路

私は、長年祈祷専門僧として活動を続けて居るが、どうしても救え無い案件がある。

それは、呪いの因縁《カルマ》である。
これだけは、完全に切る事は難しい。
何故ならば、始まりが一方的な怨みの念だからである。
そもそも、他人を怨むと言う事が因縁に繋がるのである。

世の中には極悪人も存在します。
しかし、呪いに依り解決しようとしても、堂々巡りだと知るべきである!
そんな事は早く忘れ《放念》、新しい人生を歩む事がしあわせの第一歩に繋がるのです。

今回は、稚拙な事は書きません。
私が扱った事例を紹介します《以下事例》

あれは、今から10年前。
ある方が、娘さんの事で相談に来られました。

優しかった娘さんが、三ヵ月前から急に豹変したのです。
まず、菜食主義だった娘さんが肉魚を生で食べ、いきなり攻撃的に成り、部屋はゴミだらけ。
悪臭が漂う中で平然としている!

それに、神社仏閣を嫌って唾を吐き、夜中には奇声を上げる。
とても正常では無い。

心療内科の受診をしたが、何の効果も無いと言う。
私には解って居た。

完全な憑依である。

これを抜くには、並大抵な事では無理である。
何故か。
本人の命が保たないのである!

過去に様々な祈祷僧が挑み、失敗し、自らは裁判、拘留の憂き目に遭った記録を参照すれば明らかである。

私は、お母さんとお父さんの気持ちに打たれました。
娘を助けたい一心で頼む父母の心。

私は、急ぎ準備に取り掛かりました。
各分野の専門家《弟子、友人》の尽力に依り、全てが揃いました。
そして、本人、御家族の前で行いました。

因縁解脱法。

私も命掛けである。

負ければ、私も連れて行かれます。
加持祈祷は長時間に及びました。

しかし、最後に御本尊様の御力に依り降伏出来ました。

些細な怨みの代償にしては、割りに合わないと思いませんか?

その後、娘さんは回復して、現在は私の弟子である。



by kongousan-akafudo | 2019-08-28 12:00 | ├密教の世界

密教1207 ピュアな魂

人間は現界に生を決めた時、自身に課題を課して生まれて来ます。
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しかしその課題は、時として重圧をもたらす事が多々あります。

例えばマラソン、自身は完走を目指し練習に練習を重ねて挑んでも、完走出来無い事もあるで在ろう。
始まる前は、この課題を必ずやり遂げて見せると心【魂】に誓い、意気揚々と現界に降りて来ますが現界に降り月日を重ねて行く内に自分は、
なんて難しい課題を課してしまったのかと感じる心が、肉体に影響を及ぼす事が多々あります。
これが無意識の中の恐怖感となり、引きこもりや精神疾患を引き起こす事があります。

そして上記が高ずると、自分自身を見失い自虐的に成ったり、酷い場合は他を憎み自己を正当化しようとする精神構造へと変化する場合がある。
そして上記の様な人が、陥りやすいのが物質的価値観である
物質的価値観とは、自分が得られたか得られ無いかが、先行する考え方である。
そして上記の考え方は、利己主義に移行し被害妄想をも産み出し、変貌して行きます。

それを改善するのは、自分ですが実は簡単なのである。
反省し素直な心に立ち還れば、良いだけなのである。
しかし長年の心の塵を反省し素直になるには、キッカケが必要となる場合があります。
そのキッカケが信仰心であれば尚、良いと考えます。
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御仏は、全ての人に寛大であり、信仰心を得たいとする人には手を差し伸べられ、慈愛の中に包み込んで自然に反省の心、素直な心にお導きくださいます。
先ずは、信仰心とは何かを自身でお考えになっては如何だろうか。


by kongousan-akafudo | 2019-08-28 06:00 | ◎赤不動明王院通信

呪いに関する密教ブログ②

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密教僧と呪い。
非常に深い関わりのある単語です。

いたずらに怯えることなく。さりとて軽視することなく。
専門家が語る「呪い」の実態について耳を傾けてみてはいただけませんでしょうか。

記事が沢山ありますので、シリーズでお届け致します。

>>呪いに関する密教ブログ①

密教僧の体験談~呪詛返し

ある離婚を巡る問題で相談者はお出でに成りました。

見るからにやつれ疲れた姿、そして相談室で話しを伺いました。
お話しを伺って居る間も相談者は辛そうでした。

私には直ぐに解りました《呪を掛けられて居る》

相談内容は個人の秘密なので書け無いが、要は相手方が金目当ての結婚で、資産家のご主人から奪い取りたいだけである。
その執念たるや、凄まじいものがある。

人間がそこまで金に執着する時、人は人では無くなります。
増してや、相手の財産。

本来、自分には関係の無い金。
正に餓鬼の憑依である。

その日、朝から始めた《相談と加持祈祷》が夕方まで掛かったのである。
霊視すると相手はご主人の命を取る為の呪詛を仕掛けて居たのである。
《呪詛は立証が難しく警察では解決出来ない》
本堂で護摩法を修し、相談者に掛かるものを排除し、宝剣加持で呪い返しを厳修した。

相談者は元気を取り戻し、帰宅され、その後は当院の信徒になられました。

現在は元気に仕事に頑張られておられます。

後日談ですが、もと奥さんの置いて行かれた荷物を処分する為に整理して居る時、それは出て来たのである。

模倣を避ける為、詳細には書けませんが、以下に事実を記します。
呪いの符、呪詛の言葉は、ある呪詛師の指導である。
呪詛には様々な形態があるが、忘れて行ったのでは無く置いて行ったのである。

あなたの周りに異変がある時、まずは掃除のついでに自分の知らない物があるか?調べて視るのも良い事である。

姑息な者は最後まで姑息である事を忘れてはならない。

呪いの念

本当の意味での呪いは、凄まじい。

私は、今迄に何度も呪い返しを厳修して来たが、一度だけ凄まじい念と対峙した事がある。

以下は、事実のまま書け無いので、一部緩和して書かせて頂く。

今から15年前、医師も原因がわからない症状で、歩く事も自力で食べる事も出来ない女性が居るので視て欲しい。と、親族から依頼を受けた。

その家に到着し、詳しく事情を聴いた。

当人は、優しく明るい性格で誰にでも好かれる性格だと言う。

本人と面会した時、全てが解った。
女性の霊が憑依して居る。
其れも、凄まじい怨みの念を発し、完全憑依である。
これは、尋常な事では離れそうに無い。

私はまず、憑依霊に何故憑依して居るのか?聴いてみることにした。
《生き霊では、無く死霊である》

生前に酷いイジメにあい、自殺した女性の霊である。
死んで怨みを晴らすと決め、自殺したのである。

事情を聴いて全てが解った。
来る日も来る日も、複数人からイジメを受け、呪いを決意しての自殺である。
そして、その原因を作ったのが当人である。

霊体は、涙を流しながらも鬼の形相である。

このケースで最大の問題点は、自殺した人に憑いて居る他の浮遊霊である。
他の浮遊霊は、自殺した人に憑いて、自分達の果たせなかった想いも晴らそうと言うのである。

理不尽だが、そんな生者の理論など通用するものでは無い。
これは、最早、尋常な祈祷では解決は不可能である。

何故か。

劇画では、簡単に祈祷調伏して終わりだが、現実は劇画や漫画ではない。
私は、ある方法を取った。

其れは、説得である。
親族に全てを明かし、自殺者の無念を和らげて浄化祈祷に持って行く事である。

私は、親族に全てを話した。
そして、当人がやって来た事も告げた。

ところが、親族は信用し無いのである。

当人は成績優秀、優しく明るい者がそんな事をする訳が無い、と、頭から否定し、話しに成らない。

私は決断した。
無理に憑依霊を剥がせば、当人の命は、無い。
しかし、親族も認め無い。

現状ではこれ以上関わる事は不可能と判断し、依頼を断わり退室した。

其れからしばらくして、その家では一件の葬儀が行われた。
誰の葬儀か?
言うまでも無い。

除霊は、技術的には簡単だが、また直ぐに新たな憑依が発生する。
其れを防ぐには、浄化、浄霊する他はない。

本当の浄霊とは、理解と調和が不可欠であり、無理矢理祈祷する事では無い。
私達でも同じだが、自身が理解納得し、反省する事が何よりではないだろうか。

其れを無視して、抑え込む事が正しいだろうか?
理解、納得、反省する事は、全ての浄化に繋がるのです。

私達でも、言えることではないだろうか。
善悪だけで、全ての事が解決出来る訳では無い。

これを、読まれた方々も考えて貰いたい。
世の中には、理不尽な事は沢山あります。

しかし、腹を立てる前に、俯瞰して頂きたい。
その行為に、理解、調和があるか?

想いが現実に成る



人間の想いとは人それぞれだが、今日は想いが現実に成った一例を挙げ

皆さんに知って頂きたいと考えます。


私の寺には、毎日様々な相談が寄せられます。

その中から抜粋して、幾つかお話をさせて頂きます。


ある少年の願い

少年の家は母子家庭。

でもお母さんは生活保護も受けずに懸命に働き、少年を育てている。

少年は素直な良い子である。

しかし、少年には悩みがあった。

大学進学の事である。

しかし、女手ひとつで育ててくれた母に、これ以上苦労を掛けたくない

だが、自分は大学に行き、やりたい仕事がある。

アルバイトもして稼いだお金は、全て母に渡していた

《母は、息子に内緒で息子名義の銀行口座を作り、全て息子の将来の為に預金している》

良い親子である。

私は少年にある法を教えた

《「書作法」あるものに願いを込めて書き、それを護摩の炎で天に上げる》

少年は見事に志望大学に合格。

そして、お母さんには頼もしいご主人が僅かな間に出来たのです。


人間が書くという行為には、意外な力が働く場合があります。


例えば、貴女の旦那さんを貴女が死んで欲しいと願い、書いた事により現実に成ることがあります。

此れが言霊現象です。


信じる信じないは、ご自由にどうぞ。

ただ、古来依りある事は、事実であります。


人を呪わば穴二つ!!


呪いたいほど嫌いなら離れれば良いだけである。

嫌な奴なら近くに行かなければ良いだけである。


相手を呪詛しても、いつかは自分に何倍にもなって返ってくるのです。


自身が呪われていると思われる方は、美しい花畑や草原を楽しい歌でも歌いながら歩いてください。

くだらない呪いなど、吹き飛んでいきます。


呪法 呪術

呪いの法は、様々に現存しております。
私が知るだけでもかなりの数になるが、どれもこれも使用可能な法である。

私は、世には出さ無いが、謎を解く為に研究はしております。
呪法の本当の目的は、個人的な怨みに使用されると思って居られる方が多いでしょうが、稚拙な法に至っては個人的使用も可能です。

しかし本物の呪法は、私念で怨みを晴らす程度の者が操れるほど、簡単なものでは無いのです。
熟達した技術が、要求されます。

一例を挙げれば、國対國《藩対國》のレベルで、用いられたのである。

例えば、呪禁道《朝鮮王朝》が敵國調伏に使う様に、国家レベルの呪法は個人的に使えるものでは無い。
その理由は、祭壇、供物の用意から、熟達した導師の存在が必要不可欠なのである。

仙法、天神法、針法は、平安時代以前に存在したましたが、これは厭魅として現在に語り継がれているが、私の研究して居るものとは違います。
其処にある大前提は、民を救い、國を護る為の秘法だったのです。

何時の時代にも、戦乱は尽きません。
私が、呪法、呪術を研究するのは、人を護る為であり、人が安心して生きられる様に防護する為であります。

現代、現在にある危険は、個人レベルでは回避出来無いでしょう。
しかし、指をくわえて甘んじて居ては、テロや様々な無法行為を野放しにさせるだけだと考えます。

皆さんが正しく密教を理解し、捉えた時、秘法は発動され、国家鎮護の為、国民一人一人の為、厳修された法は本当の意味での護法と成るのです。
拙僧も及ばず乍ら、研究研鑽を重ね、これからも精進して参ります。

密教呪術による呪い


当院は、祈祷寺で御座います。
祈祷寺には、様々な秘密があります。

以下は、その秘密を明かして参ります。

当院は、御本尊赤不動明王尊を始め、四天王尊、宇賀神尊、聖天尊、青面金剛尊が、祀られて居ります。
その他にも祈祷本尊が存在しますが、普段はお休み頂いて居ります。

それだけの文化財が、何故安全なのか?
それは、霊的トラップを仕掛けてあるからなのです。

例えば、エジプトのツタンカーメンの呪いは有名ですが、それより恐ろしい呪いが存在します。
それは、密教呪術による呪いです。

私の生まれ故郷、東京は浅草にある大寺院の御本尊様は、純金の観音像ですが盗難に遭った事が御座いません。
それは、強い霊的バリアーの為です。
その他、私の知る財閥家の個人的な聖天尊像はプラチナ製です。

では、何故盗難に合わないか?
霊的トラップ《罠》が仕掛けてあるのです。

私の知る例では、必ず盗んだ者は、本人はおろか家族まで、恐怖の内に死んで居るのです。
霊的トラップは、完全なバリアーであると共に恐ろしい呪いでもあります。

しかし、考えれば自業自得なのです。
殺人、窃盗、詐欺、その他、犯罪に手を染める者は、トラップに掛かりやすいのも当然の理である。

私の寺には、様々な文献《資料》と一緒に宝物も存在します。
その一つに、聖天像は、鉄や真鍮、銅製では御座いません。
昔から、聖天像は、金、銀、プラチナ、のいずれかで製作致します。

宇賀神像も同じです。
其れは、浴油法、浴酒法を行うからなのです。

木彫りの像では、浴油法も浴酒法も、出来ません。
そして、非鉄金属では錆びを呼ぶので不向きと成ったのです。

したがって、聖天浴油法、宇賀神浴酒法を謹修する行者に成るには、莫大な費用が必要になるのです。
その他にも浴法は御座いますが、此処では書くのを控えさせて頂きます。

邪法


古来より、正法と邪法は対峙して参りました。

仏教の世界でも、自宗以外の法を邪法と罵り、《現代の宗教団体では、続いて居る》本質を忘れた低俗な争いが観られます。
が、今日はそんな事はさて置き、私が世界で観て来た黒魔術について考察しようと思います。

世界には、恐ろしい黒魔術が存在するのも事実です。
韓国にも、中国にも、欧米にも存在します。

特徴は、呪う対象に容赦無いところです。《手段を選びません》
法律に触れなければ全て良し的な思想があります。

その容赦無い思想は、犯罪にも投影されて居る様に皆さんにもお判りの筈です。

死人帰り、ゾンビ。
略奪、悪魔契約。
呪い殺す、毒薬の法、蠱毒。
数え挙げれば、きりが無いほどである。
しかし、未だに続いて居るのも事実です。

この行為の根底にあるのが、全て自己中心主義であり、物質的価値観《物質中心主義》なのである。
現在、日本も例外ではありません。

様々な怨みを晴らす目的で、黒魔術が行われています。

ある人は、怨みの念から体調を崩し、ある人は、家庭崩壊。
ある人は、言われ無き誹謗中傷に苦しめられ、私の寺にお出でに成られます。

私は、それらを一つ一つ紐解き、解決に向けますが、昨今の多さには驚きを隠せません。
正しくは、どんな黒魔術でも言える事ですが、最後には自分に返って来ます。

例え、お金を払って依頼しても、最後は自分に返って来ます‼️
一番、割に合わない行為が黒魔術なのである。
それを承知でするならば、私は止めません。

ご自由にどうぞ、お続け下さい。

必ず、後悔の日が否応なしに訪れます。

黒い穴は二つあります。

それを逃れる事は、出来ないのです。
しかし、密教には、唯一つ救済の道が存在します。
其れは《模倣を避ける為、伏せ置きます》秘法の一つで、贖罪の法《仮名》である。

しかし、確実に許される法は、正しく生きる事が最高の事であり、開運の道でもあるのです。

セキュリティ

昨今、神社仏閣は言うに及ばず、家庭でも防犯意識は高まっていますが
年々犯罪者も増加し、その手口も巧妙に成っています。

犯罪者は狡猾です!!
其処で私の寺では、様々な方法で守りを強化して居ります。

今や、一般家庭でも防犯は大切な時代である。
「自分は大丈夫」だと言う不確かな考え方は危険です!!

以前、二階で寝ていた一家の主人が刃物で殺害された事件の真相も知られて居ない事もあります。
防犯カメラも安価で購入出来る時代です。

自分で出来る防犯を実践するのも大切な事です。
当院では、防犯カメラは言うに及ばず、様々なセキュリティを設けて居ります。
《内容は言えませんが、普通では解ら無い物も設置してあります》
そして、霊的結界も重視して居り要塞の様である《笑》

最も重要なセキュリティは、心のセキュリティである。
安易な気持ちで誰かに呪いを依頼したり、自分で相手を呪う等をすれば全て自身に返ります。

本当の呪い師は、自身に結界を張り、もし呪いを見破られ返された時、依頼者に返る様に成っています。
呪いは掛ける者依り、返す方が遥かに簡単である。
以下は、呪いを掛けられたと思う時に、覚えておかれると便利です。
① 獣臭がよぎる様に成る。
② 各部屋に花や観葉植物を置き、勢いや枯れる速度で判断する。

密教には、様々な防衛法が存在します。
白黒紙判定法、香炉法などは、その一例です。
その他の方法は、密教塾にて公開して居りますので、興味のある方はそちらをご参照下さい。

呪いは「掛けた」と言った時点で、脅迫罪が成立します。
《証明が必要ですが、録音でも書面でも記事でも立証はできます》
呪いとは、誠に愚劣で馬鹿げた行為である。

呪いを怖がる必要はありません。
恐怖を感じる必要もありません。
立証すれば、相手は社会的にも人間的にも破滅します。

霊的落とし穴


私は、霊的落とし穴に堕ちた者を数多く観て来ました。
その経験を元に自身を戒め、生きて来ました。
霊的落とし穴は、何処にでも存在するのです。

ある一人の者が霊的落とし穴に堕ちるまでを、振り返りながら書いて参ります。

彼女は、ごく普通のOLでした。
占いや心霊的な事が好きで、よくパワースポットと呼ばれる所にも行っておりました。

彼女が変わったのは、ある古書店で一冊の本を買ったことがきっかけでした。
それが引き金になり、劇的に変化して行きました。

それから彼女は様々なプロと呼ばれる人の所に通い、怪しげな事を信じ、自身も実践し、のめり込んで行ったのです。

そして、彼女が選んだ道は、金の為に呪い屋に身を落としたのです。
確かに、呪い屋ほど金になる商売は他に無いだろう。

しかし、遣ればやるほど、続ければ続けるほど、魂は穢れ、もう二度と、正常な道に戻る事は出来無いのである。

そして、彼女の訃報を聞いたのは、彼女が呪い屋になって三か月位後のことでした。
金の為に金の奴隷に成り下がる時、人間は人間では無くなります。

私が知った彼女の末路は、余りにも悲惨なので書くことを控えますが、彼女の今は悲惨を極める事に成ったのである。
金は、真面目に働き得ることに意味があり、其処に學びも生じるのである。


by kongousan-akafudo | 2019-08-27 12:00 | ├密教の世界

密教1206 正邪

普通の人は、邪を嫌います。
例えば、煽り運転をする馬鹿者に危険だから辞めなさいと言って、馬鹿が聞き改め行為を止め反省しますか?
日本は、法事国家である。
警察に通報し、証拠を保存し、告訴すれば良いのである。
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犯罪者のカルマ【因縁】は、それだけに止まりません。
全てをその後、失います。
現界の罪は、償った様に見えますが霊的罪は未来永劫消えません【霊的罪を償う方法はある】。

人間は知らず知らずに、罪を重ねる存在である。
しかし、それを贖罪する道も用意されて居る事も事実である。
隠徳を積む事である。
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道端のゴミを拾い、ゴミ箱に入れる事も隠徳になります。
困って居る人を助ける事も、隠徳である。
この様に徳を積む行為は、幾らでもあります。
しかし、いざやる気になっても出来無い。
機会がないと、様々である。
【言うは易し行いは難し】
しかし何もせずば、変わる事も無いが現実である。

密教の行も同じで、やる気はあるが決断と実行が難しい。
なれば今のままでも、仕方がないのである。
自分の課題は、自分で完遂する。
その為のお手伝いをするのが、私の役目である。
千座、万座で在ろうと、一座が終えられなければ結願には至りません。
また一座の積み重ねが、千座・万座なのである。
先を数えるのでは無く、終えた座を数えるのである。
差すれば励みになり、先が楽しみに変わります。
絡み合う糸も根気良く解いて行けば、いつかは一本の糸に戻る様に。
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by kongousan-akafudo | 2019-08-27 06:00 | ◎赤不動明王院通信

呪いに関する密教ブログ①

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密教僧と呪い。
非常に深い関わりのある単語です。

いたずらに怯えることなく。さりとて軽視することなく。
専門家が語る「呪い」の実態について耳を傾けてみてはいただけませんでしょうか。

記事が沢山ありますので、シリーズでお届け致します。

救われた殺人犯

ニュースで、殺した妻が毎夜枕元に現れ、仕事も手につかず自首した犯人が居るが、彼は救われたのです。
これから、長い時間をかけて反省する事が出来るのであります。

犯罪者が反省せずに死んだ場合、どうなるか?
それはそれは、悲惨であるのです。

何故か?
未来永劫、浄化は出来ません。

魔界に入り、憑依を繰り返し乍ら魂を穢し続け、最後は〇〇に成り、未来永劫、苦しみ続けるのであります。
当然、輪廻はありません。
悪事は大小に関わらず、贖罪の方が多く、決して割に合わ無い事を知るべきなのです。

私が、今迄に解決した案件でも、妻が夫の財産目当てに起こした呪い法で、夫は病や怪我に見舞われて知人の紹介で私のところに来ました。
その時は、後少し遅ければ妻の想い通りに成っておりました。

それほど強い呪い法では無かったので、まだ救う事が出来ました。
が、本物の呪い法が掛かって居れば難しかったかも知れません。

私は、呪いに関わった者全員に強い呪い返しを厳修しました。
唯では、済みません。

しかし、それで相手が真から反省し、二度と過ちを犯さなければ救われるのです。
天部の仏は、本来、慈悲深き存在なのです。

呪い返し

密教には、強力な呪い返しの法が存在致します。

例えば、あなたを誹謗中傷する者が居たとして、それが原因であなたが体調を崩したとしたら、それは最早、呪いと同じであるのです。
そんな時、私は相手に呪い返しの法を修します。

昨今の誹謗中傷は、呪いと同じであると私は思います。
正に、悪意の塊であり、断じて許される事ではありません。

誹謗中傷に依る、自殺や様々な事は現代の呪いであります。
私は、これら悪意を呪いと受け留め、呪い返しの法を厳修します。

方法は様々に存在しますが、昔から呪い返しは三倍返しと言われ、効果は絶大です。
また、呪い返しの法は呪いと違い、カルマ《因縁》は、残りません。

ただ必要なのは、強い御本尊様で無くては叶いません。
観音様のように優しい御本尊様では、達成され無い様であります。

当院は、御本尊赤不動明王尊に加え、四天王尊、歓喜自在天《聖天尊》龍王尊、宇賀神尊と最強な、顔ぶれで御座います。
それに加え、当院は祈祷寺で御座います。
全ての法具、経典、次第書も揃って居ります。

今、悪意に寄って傷つく貴方、もう大丈夫です。
何時でもご相談下さい。

呪詛と呪術


呪詛と呪術は同一視されがちですが、根本的に違います。

簡単に言えば、呪詛は呪いを掛ける相手に危害が及ぶように行います。
呪術とは、人智では解決出来無い事を、御仏の力をお借りして解決に導くものです。

呪詛は、掛ける者も依頼した者にもカルマは増加します。

当たり前の事ですが、依頼する者が居るから受ける者が出現し、受ける者が居るから依頼するのです。
どちらも同類であると言わざるを得ません。

怨む前に、嫌な相手から離れ、絶縁すれば良いのです。
仕事場でも同じです。
次の職場を決めて、嫌な事にこだわらず手放せば良いのです。

私は呪術の専門僧ですが、呪詛の理論も方法論、実践法も心得ていますが呪詛の依頼は受けません。

また、呪詛の方法も教えません。
呪術だけで充分だからです。

呪詛は人間の怨みの産物。
カルマを承知の上で行うならやれば良い。

しかし人を呪わば穴二つの言葉通り、割りに合わないのが呪詛です。
例えば、十回呪詛しても一回の正法に負けるのです。

増してや、金銭の授受で請け負っても悪銭身に付かず、福銭には遠くならないのです。
正しく理性と智慧を育む者には、必ずや御仏の慈悲が訪れます。

怨む心を放念し、愛を學び氣づきに目覚める時、真実を知ることになります。

悪意の代償①

人間に一番不必要なのは、悪意である。
悪意はやがて、周り回って自分に返って来るのである。

それも、自分が抱いた悪意が何倍にも増幅され返って来るのである。

イジメも誹謗中傷も、悪意が働くから生じるのである。
其処には、どす黒い感情しか無い。

それが呪いに成った時、その人間の《呪いを掛けた本人、依頼した者も同じである》人生は暗いものに変わる。


何故か。
因果応報と言って、やればやられ、盗れば盗とられ、殺せば殺されるカルマ《因縁》を自分で好んで作り上げた結果である。

最初は軽い気持ちでやった事が、最悪な結末を迎えるとは知らなかったので在ろう。
しかし、知って居ようがいまいが、そんな事は関係無い。
悪意を持つ事自体がカルマを呼び、やがて悪意の代償と成って返って来たに過ぎないのである。

悪意の代償②では実例を挙げて紹介するが、悪意の代償③では解き方の例を挙げて説明します。

しかし、勘違いしないで貰いたい。

解き方があるから大丈夫。などと決して想ってはいけない。
其処には、人間界の常識など通用しない法則が存在するのだから。

悪意の代償②

今回は、その一列である。

私が奉職する寺に、一人の女性が相談に来られた。
相談者は疲弊し切っていた。

内容は公表出来無いが、見るからに不幸を全部背負った様に力の無さが見て取れる。

私には解っていた。

何故ならば、相談者には憑いているのである。
涙を流し、悔しさを前面に出して怨みの念をほとばしらせて居る男性が。

私は一瞬でわかった。
自殺された方である。

私は自殺する事を否定するが、悪意の中で自殺に追い込まれたら、あなたなら耐えられますか?

私は、自殺された霊と交霊を試みることにした。


以下は、その時の模様である。
私が審神者に成り、霊媒師に自殺霊を降ろして交霊を始めた。

全てを知った時、私の心も傷んだ。
私は彼を諭し、彼も納得して霊界に送りました。


但し、相談者のやった事が帳消しに成った訳では無い。
相談者が反省し、慰霊と信仰心を持ち続けるしか無いで在ろう。

悪意の代償③

人間の口や態度で人を失意の底に落とし入れる事がある事は、皆さんもご存知で在ろう。

それを悪意と言う。
悪意は必ず返って来ます。
場合によっては、凄い質量に成る事もあります。

因果応報と言う言葉がありますが、正にその通りである。
それを知っていればやらなかった。と言っても遅いのである。

必ず返って来ます。


では、どうしたら良いのか?
因縁解脱の法がありますが、模倣を避ける為に此処では書きません。
が、存在する事は確かである。

密教には、古来より伝わる法がある。
その他には、完全な反省が有効であるが、中々、自力で行うのは難しいで在ろう。

何故なら、人の心は移ろいやすく、その時は出来ても、継続が難しいのである、。
従って、法の力が必要なのである。

悪意など持たず、大らかに生きる方には必要無い事柄である。

しかし、身に覚えのある方は御用心下さい。
来る年には、吹き出さない保証は無い。

笑顔の似合う自分に成る事が一番である。
他を誹謗中傷する事は、自身を地獄に誘う早道である。

反省も無く、続けたい方は続けるが良かろう。

私は止めません。

この法則に例外はありません。

悪意の代償 2016

現代の悪意は、昔の呪いに匹敵すると言っても過言ではありません。
誹謗中傷に依る被害者は、年々、増加の一途を辿っております。

私の元にも連日、悪意に依る誹謗中傷に悩む相談が寄せられて居ります。

密教には、言われ無き誹謗中傷を根底から断ち切る為の法が存在します。
仮に名称を《呪い返し》とします。

今、苦しむ方に大丈夫、頑張りなさい。と、言った所で、何の解決にもなら無いばかりで無く、言われた方は、まだ頑張らなくてはならないと苦しむだけが現状であるのです。

私は、そんな人々に一言。

頑張ら無くても良いですよ。
安心して下さい。
言われ無き誹謗中傷する人間に、三倍返しの法を実践致します。

最早、綺麗事では済まない状態を、皆さんもご存知のはずです。
言われ無き、誹謗中傷に依り、仕事を追われ、学校を追われ、近所から追われ、もう帰る場所さえ無い方が急増しております。

現状を打破出来るのは、密教だけと考えます。
私は、いくら誹謗中傷を受けても意に反しませんが、普通の方々には耐えられ無い苦痛なのであります。

悪意は、呪いと同じなのであります。
私は、そんな卑怯者を許さない。
法で対処出来無い事象に、法で対処出来無い法で返します。
それが、悪意の果てに帰る報いと知った時は手遅れであります。

泣いた人々の思いは、重く辛い闇。
言われ無き誹謗中傷を繰り返した者は、今のうちに笑って置くことである。

因果は、巡る回り灯籠なのだから

悪意の代償 2017

心霊スポットで肝試しのつもりか慰霊の為に供えられていた千羽鶴を踏みにじり、

中にあった茶碗や斎器を面白半分に壊して、警察に逮捕された数名の若者達。

私は、彼らが釈放された後が心配である。

何故か。
この中で、恐怖に身よじりながら死んで逝った人達が、死後もこんな目にあわされて黙って見て居るだろうか?
警察では簡単に済んでも、その後の彼らの運命は…。


一例を挙げれば、私がまだ寺に奉職して居た頃、ある若者が上記の若者達と同じ様な事をして、

警察から釈放され一カ月位たった頃から、言動、行為に異常さが現れ、

怖れたご両親が祈祷を頼みにお出でに成りました。


しかし、その時は手遅れでした。
奇声をあげて暴れる息子を、ご両親と親類の方が抑えたが無理でした。
それから、入院《精神科病院》

一人息子を入院させたご両親は、その後離婚し、家は衰退して没落。
その後の事は分かりませんが、哀れな結果でした。

他にも同類の事がありました。

其れは野球のバットで、村にある地蔵尊の首を一体残らず頭を叩き壊し逮捕された事件です。
釈放後、錯乱して強制入院に成った若者。

日本中で数えればまだあるでしょうが、決してやってはいけない。

人間界の罪は償えても、償え無い罪もあるのです。

ましてや遊び半分、またイライラして居たからなど理由に成りません。
眼に見え無い力は確実に働きます。
神社仏閣に油や液体で穢した者も同じである。

国籍や宗教が違っても、結果は必ず訪れます。
嫌いなら、近づかなければ良いだけ。
見たくなければ見なければ良いだけである。
敵対する必要も、壊す必要も無いのです。

人間は、言葉や武力で敵対する者に反撃を解るようにします。

しかし、一番恐いのは眼に見え無いものの無言の反撃である。


by kongousan-akafudo | 2019-08-26 12:00 | ├密教の世界

密教1205 坊主拳法

義を見てせざるは、勇無きなり。
昨今は、魔物の皮を被りしムジナが闊歩し何の罪も無い人を苦しめて居る現状を視る時、私は憤りを禁じ得ない。
私は、武力を好まないが魔物の皮を被ったムジナは、退治するしかない。
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警察に逮捕されれば、身をかがめ善人をきどる姑息さは、正に虎の威を借る狐である。
情け無い姿であるが、これが現代社会が抱える縮図である
叩きのめすのは、簡単だが虎の威を借る狐は、姑息そのものなので始末が悪い。

一番大切な事は、悪を許さない私達の心の改革である。
心の改革とは、自らを律し悪に立ち向かう信念が無ければ、不可能である。
自らを顧みず、他を糾弾する時あの惨劇【戦争】をまた引き起こす種になるのである。
冷静に考えムジナを許さない姿勢が、必要であり奴らの計略にはまってはいけない。
智慧と理性を持って、ムジナを許さない姿勢が最も重要である。
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ムジナは、人間の姿を呈して居るが、心は魔物に魂を売り渡した物なのである。
善は、悪をいさめ魂の浄化を主眼に生きるが、魔物は、欲に生き欲こそ真理と人間を先導し現界を地獄に変えるのが、魔物の目的である。
選び選択し実行するのは、私達に他ないのです。


by kongousan-akafudo | 2019-08-26 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教1204 自爆のスイッチ

昨今、自殺について語られる事が少なく成ったと思うのは、私だけだろうか?
【統計、政府の対応】
私は思う。
関心と無関心を。

人間の心は、脆い。
悲しみ・苦しみの限界を超えた時、人は自爆のスイッチを押してしまう場合が、あります。
何処までがその人の限界点なのかは、私にも測る事は難しいが、絶対に押してはいけないのが、自爆のスイッチである。
自殺行為は、リセットでは無い。
人生の中退である。
やり直しは、生きているからこそできる事である。
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人生は、ゲームでは無い。
人生は、究極の學びである。
自分を生き魂の友に繋ぐ、経験を感動に転化する為の大切な旅なのである。
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真実を知らず自爆すれば、のちに大変な後悔をする事になる。

何故ならば自爆を考えて居る人は、死んだら全てが終わると考えて居るからであり、死んでからも意識がある事を無視して居るからである。
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人間は、死後、自分の意識がある事に驚き戸惑います。
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さらに、生前より意識が鮮明である事に、さらに驚き戸惑います。
だから學びが必要であり、自覚が大切なのである。
密教経典には、死後の事が鮮明に解き明かされている。
また一般の方々の學びに適しているのは、浅野和三郎先生が遺された心霊學講座書がお勧めである。

南無大日大聖不動明王尊

by kongousan-akafudo | 2019-08-25 06:00 | ◎赤不動明王院通信