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傲慢とは何か?⑩

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伝統の世界

伝説の世界伝説というと、皆さんは御伽噺や神話を想像されるのではないでしょうか?
実は、伝説の中には隠された真実があるのです。

何故、真実が隠されたのか?
それは、一般の方々が有する知識の、尺度が違い過ぎた現象が起因しているのです。

例えば、私の行場である〇〇の滝の主は金龍神。と私が言っても皆さんは信じますか?
しかし、私がお連れした方々は、ほぼ全員の方が見られました。

私は、数日後にある方を行場にご案内する予定ですが、滝は生き物。
果たして、機嫌良く御姿を現してくれるかは解りません。

森羅万象の理は、愚僧如きの自由になるほど、甘くはありません!
しかし、その方に御自分の眼で見て、確かめて頂きたい!

何故か?
一人でも多くの方々に、森羅万象の理とは、何かを知って頂き、人間とは、自然とは、霊的真理とは、摂理とはを知って頂き、
一人でも多くの方々に、理解して頂き、理性的に自然と向き合う、一歩にして欲しいのです。

自然と向き合い、自然を愛し、自然を敬う時、自然は、私達人間を受け入れ、様々な恩恵を、人間に与えます。
ともすれば、傲慢になりがちな自分を諌め、謙虚な自分に回帰した時、私達は、子供の頃に見たあの現象を見ることが出来ます。


私だけが特別な力が、ある訳ではありません。
貴方にも、貴女にも、本来ある能力なのです。
ただ忘れているだけなのです。
能力を取り戻す事は、簡単です。
子供の頃の、純粋無垢な心に帰る努力をすれば良いのです。

純粋無垢な眼は、全てを見通します。
真に平和を望むなら、子供の頃の様な、純粋無垢な心を蘇らせる事が、一番ではないでしょうか?

理解と無理解

前回で霊界の事に触れたので、何故、霊界の事を理解せねばならないか?に視点を置いて以下を進めたいと考えます。
理解と無理解とは、穴があるのに無理解に阻まれ、穴に落ちるのと同じ事である。

無理解の人は、確かめもせず、そんなものは無いと否定します。
かたくなと言うより、傲慢である。

今の時代、自身が真剣に學ぼうとすれば、分からない事などほとんどありません。
与えられる事を待って居ては、将来必ず後悔するであろう!


例えば、何故、人は死を恐れるのか?
それは、死を理解して居ないからである。
死は怖い事、全てが終わる、全てが無に成る。と言う妄想と、霊界への無知から発生する根拠の無い間違った思想の影響である!

死を真剣に學び、真摯に受け止める時、科学が理解出来るはずです。
言わば、霊界否定は科学を歪曲して傲慢に論ずる、野蛮思想と同じであります。

私は、霊界を否定する者を信じません。
何故か?
霊界を否定して、供養も出来なければ信仰もままならないからである。

今、私をキチガイ坊主と言う者は、見て居るが良い。
当院には、普通の僧侶が持ち得ない経典群の宝庫がある。

やがて解読班の精鋭によって、原文と現代語に訳された経典が、近いうちに世の中に出ます。
その時、真実が理解出来るはずです。

その時に知っても、出遅れは縮まら無ない事が理解出来るはずです。

不安は何故起こる

不安を感じる事は、誰しもあるだろう。
しかし、漠然とした不安感に捉われ、自身の精神まで不安の渦に包まれては、精神を病むだけで何の解決にもなりません。

むしろ、あなたの不安は何処から来て居るのか、どうして不安なのかを自分自身に問うてみる必要があります。

例えば、金銭的な不安なのか?
人間関係に不安を感じて居るのか?
夫婦間の不和から来る不安なのか?
職場に関する不安なのか?

人によって様々で在ろう。

しかし一言で言うなら、漠然とした不安感なら、忘れて美しい物を鑑賞し、美しい音楽を聴きなさい。
気持ちが癒されます。

そして、対処可能な不安感であれば適切な対応をお勧めします。
難しい事は言いません。
それも出来無いのであれば、ノートに不安要素を書き出し、優先順位を付けて一つ、一つ解決の努力をしていれば必ず無くなります。

但し、自分は貧乏だから苦しむのだ、自分は何々が無いから、とか言う悩みや不安感であれば、自分の傲慢さを反省する事である。
例えば、金が無い、金が欲しいと言う不安感なら、仕事を増やし、増やした分の収入を浪費せず貯金すれば良いだけである。

人間の欲望ほど際限のないものは無い。

私は20歳で親を亡くし、帰る家も無いところから今を築いて来ました。
決して平坦な人生ではなかった。
しかし、嘆いても泣いても、帰って来ないのが過去である。
ならば、前を向き、進むしか無いと考えます。

人生は學びの場。
楽しい事ばかりが続けば、人は學びを忘れて怠惰に生きるで在ろう。
怠惰に生きた者は、他を誹謗中傷する事で己れの存在感を示そうとします。
誠に哀れな生き方である。

これを指して、人生の無駄使いと言うのであります。
あなたの人生を輝かせるか腐らせるかは、あなたの心次第なのです。

それでも、迷い、不安が拭いきれない無い場合は私に相談して下さい。

魂年齢の低下

普通は、様々な事を年齢と外観で判断しようとするが、昨今は、その判断は通用し難い感がある。

自分勝手な人が急増して居ることは、皆さんもご存知では無いでしょうか。
人間は、ある程度の経験と年齢を重ねて来れば、思慮分別が身に着くものと考えがちであるが、それは誤りである。

例え、学問が無くとも、思いやりや愛に満ちた方は、必然的に學びを重ねたと同じ効果を得る事が出来ます。

その反対に、学問は合っても傲慢で自己中心性の強い者は、魂の劣化を引き起こす。
楽しいはずの人生が愚痴と妬みに変化し、イライラを募らせ、自身の中に闇を形成するのである。

例えば、犯罪者で一番反省の無いのが、詐欺行為者である《再犯率が高い》。
昨今の詐欺は巧妙化を極め、弱い者を餌食として居る!
正に許し難い行為である。
何故、反省せずに、再犯に走るか?
簡単な原理である。
多重憑依を繰り返し、自制心が欠如して居るのである。

しかし、憑依を生むのも《波長の法則》自らが選んだのと同じであり、魂の年齢を引き下げたのも自分なのである。
高い波長を得る道は、萬人に許され、用意されて居るのだから。

向き合い、向き合う

折衷すると云う事は、私の中では向き合う事と捉えて居ります。

また、向き合いは、相互の理解が必要と考えます。
私は、長年、護摩行を厳修して参りましたが、本当の意味での折衷を解釈、厳修出来る様になれたのは近年と考えます。

若い頃は、ただひたすらに焚き上げることに必死で、鬼気迫る気迫しか持ち合わせていなかったと回想して居ります。

誰しも、若い頃はがむしゃらであったり、勢いに任せていた経験があると思います。
人間関係も然り。
自身の意見を前面に語り、周りにうとまれた事も有ったでしよう。

しかし、年齢を重ねてしだいに丸く成り、向き合いに心を置く時、今迄に見えなかった事が視えて来ることがあります。

それは、和である。
無限も輪であり、円も輪である。
直線的輪は、原動力が無ければ失速しますが、無限の輪は動き続けるのである。

調和し《理解、理性、智性》折衷する事を理解し、原動力とする時其処には、和《輪》が生じ回り続け様とする力が介在します。
何事も一人の力は、一人と捉えられる時、あなたは、向き合い、向き合う事の幸福を感じる事に成るのです。

傲慢は破壊を産み、理解は調和をもたらします。

障害は個性

例えば、ダウン症の少女が書家と成り、素晴らしい作品を生み出し私達に感動を与えてくれます。

水泳に至っては、迫力ある泳ぎで感動を与えてくれる少女が、オリンピック《パラリンピック》に向けて素晴らしい泳ぎで私達を魅了してくれます。

様々な世界で活躍する個性派を、皆が応援、交流し優しい心で生きる時、其処には、平和の二文字が生まれます。

本当の意味での個性は、ワガママや怠惰、傲慢の中からは、生まれません。
私達が個性を理解して応援と協力をしなければ、せっかく芽生えた個性を枯らせかねません。
個性派達は、私達に様々な氣づきを教えてくれます。

氣づきとは、真摯に受け止めなければ、生涯、知ること無く、人生を終える事になるでしょう。
謙虚にならなければ、見るに終わり、學びにも繋がりません。

個性派の方々は、霊的に言えば、勇気がある魂なのです。
私達は、互いに助け合い、學び合う時、本当の學びに出会うことが出来るのである。

マニュアル化現象

本来、人間は、思考する事に意義があるが、昨今のマニアル化現象に依り、短略的思考になっている人をよく見かける。

例えば、コンビニでの接客態度、ファミレスの接客など…。
正に、心の無さを感じている人も少なくないと思います。


そして、復興大臣の失言は正に傲慢である。
《氣は、使うものでは、無く、利かすものである》

言葉は心を発するもの。
まずは、心の中で咀嚼し相手の気持ちを考え発する事が肝要である。
考えもせず、思うがままに発するは、如何なものであろうか?

接客とはおもてなしの一歩。
接客態度がおざなりでは、どんな美食であろうと台無しではないだろうか。

人間関係も然り。
まるでマニアルのように接すれば、上手く行く事も台無しであろう。
全ては想いやる心から始まるのが、日本人の美徳ではないだろうか?


久遠の力

正に普遍。
皆さんもご存知の通り、地球が鉱物に依り形成されて居る事は小学生にも理解出来る事です。
しかし、何故鉱物なのかを考えた事がありますか?

それは、正に久遠《普遍》だからである。

久遠の力《くおん》は、誰でも持つ事は可能なのです。
それは、信念を確立する努力から生まれます。

人間は死んだら終わり。と考えること自体が、久遠の力を遠ざけて居る事に氣づくべきである!

ここで、魂の創生の順番をお話しましょう。

まず、人間が全ての始まりと考えるのは傲慢である。
人間がこの世に誕生した時を考えて下さい。

大地があるから、陸地、海上があります。
そして生物の誕生。
それから長い年月を経て人間の誕生。
このくらいの事は誰でも解ります。

しかし、魂の段階で理解して居る方は少ないで在ろう。

魂は全てに存在します。

順番で言えば、鉱物霊、植物霊、動物霊、人間霊。
大別すれば以上になる。

私達の本性は、霊体なのです。

ただ肉体を持った時点で、様々な力は忘却します。
その力を呼び覚まし、現在に活かすのはあなたの努力次第である。

自分が眼を開けず、忘却の中に彷徨えば、終生分からず一生を終えることが通例である。

そして、死後に氣づくのである。
何故、死後に意識があるのか?




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密教821 生気の無い家

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私は仕事柄、日本各地に行きますが、最近よく視るのが、生気の無い家である。
《生気の無い家とは、幽霊屋敷ではありません。勘違いしないように》

生気の無い家とは、力が感じられ無い家である。

例えば、犯罪があった家やアパートを見れば、解る人も居るはずです。

では、何故生気を失ったのか?
その理由は様々であるが、元来、家は住人の生体エネルギーを反映して居ると言えます。

住人が傲慢な場合、家は老朽化を早め、住人が優しく草花を愛する人であれば、華やぎ、快適さをもたらします。
その証拠に、空家にして10年も放置すれば朽ち果て、200年前の家でも、家を愛し住み続ければ立派に立ち続け、風格さえも醸し出します。
その逆に、住人が愛のカケラすら見出せ無い場合、家は生気を失い、老朽化を早めます。
そして、本来あるはずの結界すら失い、悪気を誘い込む結果と成り、様々な障りをも引き寄せてしまう結果にも繋がるのである。

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本来、家はいとなみの場、明るく優しい生気が感じられて当たり前と私は考える。
親から子へ、子から孫へと伝え、補修、修理、改修と様々に手当てし、家をいたわる心こそ、家を生気みなぎる生きた住まいにするのである。

何事も心しだい、悪に染めるも善で包み込むも、心しだいである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
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傲慢とは何か?⑨

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飢餓

私が育った昭和三十年代は、貧富の差がまだ激しい時代で、餓死する人が巷にはおりました。

現在では皆無に等しいのですが、その変わりに皆さんもお気付きだと思いますが、心の病いが蔓延しているのも事実です。

それは、心の飢餓が原因です。
無関心から~利己主義~物質的価値観~傲慢~攻撃的性格の現れ。
正に、心の飢餓状態と言えるのではないでしょうか?

これは、誰にでも発症する可能性があります。
自分には、関係無いと思う心は捨てましょう。
関係無い事象など、存在しないのです‼️

全ては、無関心を助長差せる為の、現象と捉える事が貴女を救います。

無関心が全ての元凶です。
無関心で、いられる事などないのだから。

広義では皆、魂の兄弟なのです。
真理を学び、受け入れる時、貴女は悟ります。
自分が魂の存在であることを。

私達は霊的存在

毎日、考えられない事件、事故が発生する。
何故か?皆、死んだら終わり…と考えているからなのです。

先日の新幹線内での事件…全くもって、自分勝手で傲慢な犯行としか、言えない。
様々な人を巻き込み、自分は自爆する…自爆テロと変わりません。

その根底にあるのは、人間死んだら終わりという無知な思想の現れです。


どんな偉い人でも、一般人でも、死に逃げは出来ません。
必ず自分が犯した罪は、カルマ、因縁になり、自分に返ります。

カルマ、因縁とは…自分が犯した罪を反省、完全理解を果たすまで、未来永劫に渡り続きます。
これほど恐ろしい事はありません。
自分で犯した罪を反省する事は出来ますが、完全理解となると、簡単には出来ません。

何故か?答えを教えてくれません。
答えは、何世掛かろうと、自分で見つけなくてはならないのです。
答えを見いだすまで、未来永劫、同じ科目を履修するのである。これがカルマの法則です。

全てに、例外はありません。
ですから私がよく皆さんに申し上げる言葉に、究極の自己責任、蒔いた種は自分で苅る、責任主体、これが霊界の法則です。

この法則から逃れる事は、誰にも出来ません‼️
例え、御仏に仕える身であろうと逃れる事は、出来ません。

全ての法則は、平等に働きます。
現界でいかなる立場であろうと関係ありません。

全ては、大霊の愛なのです。
理解し自分の中に、落とし込む時、答えが見えて来ます。

大霊は、慈悲そのものなのだから。

低級霊の憑依

昨今、低級霊に憑依されている方々を、視ることが増えているのが現実である。

あまり気持ちの良い物ではない低級霊は、様々なかたちで存在します。
一例をあげれば、自殺者が供養もされず、放置されて低級霊に変化する事もあります。

生前に自分勝手な傲慢な人ほど、低級霊に堕ちるケースが増えているのも事実です。
男女の比率で考えた時、あくまで私観ですが、男性の低級霊化が、増大しているのも事実です。


人間は死んでから、霊体に戻りますが、生きている時に、物質的価値観の強い方は、自分が死んでいる事さえも、認めません。
今、私が抱えている案件の中にも、低級霊に憑依されて、普通の生活もままならない方もいます。

低級霊に憑依された場合除霊だけでは、不十分なのです。
今の低級霊を、私が除霊しても、別の低級霊が空家に入る様に、またすぐに、憑依されてしまいます。
それを、全て除霊するには、準備期間を入れて、一カ月間の大仕事になり、
私も一カ月間、他の仕事が出来きない分、依頼者に掛かる負担は、大変です。

憑依される人は、次のような人です。

①傲慢な人

②怠惰な人

③思い遣りのない人

④自分本意な人

⑤残酷な人

⑥人を愛せない人

以上の条件が当てはまる人は要注意が必要です。


憑依を防ぐには、普段からの心掛けが、最も重要なポイントです。
そして、憑依が疑われる様でしたら、先ずは心療内科を受診する事が先決です。

霊能者の出番は、それからでも遅くありません。
先ずは、理性で判断する事が大切です。

波長が呼ぶ

人間には、波長という周波数が存在します。
例えば、ギャンブル狂の人には間違いなく、低級霊が憑依しています!
パチンコ位なら…と、思う方もいらっしゃるかもしれませんが。

今や、パチンコはギャンブルです!
歳老いた母の蓄えまでも奪い、次は、母の保険証書を持ち出し、金を作り、パチンコに興ずる…まさに、狂人です。

しかし、憑依を呼んだのは心の弱さ、傲慢さ、自分勝手、気の弱さ、様々なネガティヴな思いが、低級霊の憑依です。
言わば自業自得ですが、私は、密教僧。
歳老いた母御に頼まれた時、危険な祈祷になりますが敢えて向かいます。こ

れ以上、歳老いた父母に仇成す者を、野放しには出来ません!
自分の意思でギャンブルの誘惑に勝てない者は、憑依と断定出来ます。

ギャンブルは、滅びの道。それを、解って行くのは自由です。
しかし、親、兄弟、家族に依存するギャンブルは破滅。魂の救済もありません。
ギャンブルが好きな方は、おやりなさい。
ただし、人には迷惑を掛けずに、おやりなさい。

例え、病気になり、余命幾ばくも無くなっても人に頼ってはいけない。
それが、ギャンブルを選んだ者の、最後のプライドではないでしょうか?
破滅の道を選ぶには、覚悟を持つ!

治癒力

傷つき、病にかかった時は、医師の治療が必要です。

心の底の傷は、病院では治りません。
様々に変化する人の心は、薬や外的治療では治りません。
放置すれば悪化し、自ら、自爆のスイッチを入れて仕舞うケースが急増しています。

愛の裏返しは、無関心。
例えば好きな彼が貴女の事を無視して自分の事だけを優先させる人なら、貴女は如何しますか?
自分勝手に愛はありません。
自分勝手は、傲慢の証しです。

愛が冷めたという言葉を聞きますが、それは始めから愛ではありません。
愛に名を借りた錯覚です。


人が人を愛する時、献身が芽生え、利他愛に成長します。
利他愛とは、自分を勘定に入れず、ただひたすらに愛する事です。
自分を主張し、相手に押し付ける行為は、愛ではなく、稚拙なワガママに過ぎません。

受け入れる愛、愛し愛されることは、最高な形だと言えるでしょう。
しかし、恵まれた愛だけではない事を学んでください。

最愛の人が逝き、自分が遺る。
遺された貴女なら、どうしますか?

遺る、遺されたのではありません。
貴女には、先に逝った最愛の人がやれなかった、やり残した心のお役目があるのです。
それが、利他愛です‼️

自分を勘定に入れず、他を愛し続ける時、貴女は知るはずです。
究極の愛を知る者を。

いよいよ始動

当院所蔵の経典群が、解読班の精鋭によって現代語訳に解読される時が来ました。
当院所蔵の経典群は全て300年以上前の貴重な資料であり、門外不出の資料ですが、密教の普及の為に全て公にします。
そして、真剣に密教を學びたい人々の為に役立てます。

最早、一部の人間が威張り散らし、有耶無耶な内に煙に巻いて居る時代は終わったのであります。
弘法大師空海が渡来して広めた密教を、誰でも學べる時代なのである。

昔の人は、まず読み書きが出来る人が少なかったので、必然的に経典を解読、理解出来なかっただけであり、古語を現代文と訳を付ければ、誰でも理解可能なのである。

越法だの、馬鹿げた迷信によって他見を免れた時代の遺物では無い、本物の経典を私は世に出します。
当院の資料《経典群》は、博物館の学芸員が見れば本物だと分かるものばかりである!
監修などせずに、原文と現代文をそのまま載せます。

後は、皆さんの向学心の有無だけである。
もちろん、向学心がある方々には、私が直接指導をします。

但し、不思議好みの方や、商売目的の方はご遠慮下さい。

真剣に密教を學びたい人々の為に、今回から始める事にしたのであります。
人間は學ぶ事に依り成長し、學びを実践する事によって解脱も可能になります。

机上の空論を大言壮語する輩は、私の寺には必要無いのであります。

真摯に學びを深めたい方々は、今から私の刎頚の友である。




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密教820 御幣

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その昔、神仏霊を示現《宿す》為に考えられたのが、御幣であり幣串である。御幣、幣串、幣《ヌサ》その他は、神道の宝具として広く流布したが、本来は同一である。

明治政府が発布し、日本を焦土に導いた悪法である、廃仏毀釈、神仏分離令。
その時、儀礼や作法もメチャクチャになっていったのである。

古代密教を學んだ私は、その証拠に、現在でも依代、人型、御幣は当たり前に使用して居る。

古い御幣や人型の切り方を見れば、日本人特有の繊細さが伝わって参ります。

一般には、知られて居ないが御幣の切り方は千差万別。
素晴らしい文化と言えよう。

今も少数の伝承者が弛まぬ努力を重ね、切磋琢磨して腕を磨き、古式の伝統を護って居る。
当院では、無数の古代経典の中から選び出し、弟子達が御幣の研究に取り組んで居る。

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御幣の最大の特徴は、そのもの自体が神仏だということである。
従って、他所、他家、深山幽谷で行法を修する時、御幣あらばそれが御本尊である。
誠に有難い御印と成り、行者を守護給うのである。

誠に有り難きは御幣である。
但し、紙であるから使用も限られます。

正に諸行無常《形あるものは、滅する》である。
皆さんも、この深遠なる世界に触れて観ては如何で有ろうか。

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傲慢とは何か?⑧

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自由と責任

人間は自由であります!
しかし自由には、責任が伴うことを忘れてはなりません。
最後は、その責任によって償いが待っています。

全ての人に例外なく待って居るのが、自由と責任の法則です。
自身が正義と思い、行う行為にも責任は伴います。

あなたの一言が、もしかしたら人を傷つけているかも知れません。
また、あなたの行為が、愛する人に重荷を背負わせているかも知れません。

人間は傲慢になった時、大きな罪を犯します。
人間に必要のない感情は、傲慢であります!
そのとき、人間を人間と見ずに自身を王様に仕立て上げ、傲慢の限りを尽くします。

人間は譲り合い、助け合い、分かち合う時、調和と言う素晴らしい道に辿り着くのです。
啀み合い、そしり合う時、全ての調和は崩れ、争いの渦中に没入します。

夫婦関係

夫婦関係とは、学び合いです。
互いに良いところ、悪いところを学び合い、助け合う関係なのです。

主人が怖い、奥さんが強い…
それは、夫婦関係ではなく、自分を主張したいだけの、小我な関係に過ぎません。
互いに平等な関係であり、互いにいたわり合う関係なのです。

今、私の元に様々な夫婦間トラブルの相談がきます。
私は、考えます。

夫婦とは、何の為に成立した関係なのか?
互いに歪み合う関係に、学びは成立しません。
例えば、夫婦喧嘩を見聞きすると、その原因はほぼ同じです。

自己主張のぶつかり合いです。

私は夫婦とは、互いに認め合い、互いを尊重し互いを愛し、自己の傲慢さを愛により修正する関係と考えます。

自己の傲慢さを知り、穏やかに修正できる関係は夫婦関係しかありません。

他人に自己の傲慢さを、曝け出した時…
他人は、あなたを侮蔑し去って行きます。

しかし、それを支え大我に導く関係こそ、素晴らしい夫婦関係だと、私は考えます

今、縁有って、成立した夫婦関係…
あなたは、奥さんを優しく、愛していますか?
奥さんは、傷だらけになって帰って来たご主人を優しく手当していますか?

自己主張は、傲慢の産物です。
自己主張などせずとも、ご主人は奥様の意見を聞き、叶えるべく努力し、奥様は常に優しく、美しい存在であり、菩薩なのです。

心の美しさが菩薩の証明なのです。

男、主人は、泰然自若たる自己を目指し、精進潔斎する時…小我は崩壊し、大我に目覚めるのです。

涙眼

自分は貧乏、自分は不美人、自分はスタイルが悪い、自分は頭が悪い、自分は不幸だ。
自分が行きたい学校に行け無い、自分は進学がしたいが家の事情で行け無い、小遣いが少ない。
自分はこんな会社は嫌いだ、自分の遣りたい仕事を遣りたい、上司が理不尽だ、自分の意見が通らない、給料が安い。
以上の事には、共通する事があります。

全て、自分です!
自分が自分がであります。

全て、自分を中心に考える時、人間の感情は自己中心的になり、究極傲慢思想に陥ります。
最終的には自己破壊が始まり、こんな人生ならいらない、リセットする事が美徳に見えて来るのです。

その時の人間の眼は涙で曇ります。
涙眼になるのです。

ガラスに例えれば曇りガラスであり、曇りガラスの向こうを見ることは出来ません。
また、曇りガラス状態を進めれば擦りガラスになり、自己以外、何も見ることが出来ない状態になり、
益々自己中心的な考えに陥り、人生の破滅に自己を追い込みます。

こんな状態を負の状態と言いますが、自己を正しく俯瞰すれば、自己の我欲に負けただけなのです。

人間は、一人では生存する事も出来無い事を知れば、以上の感情などに捉われず、自身の人生に責任を持つ生き方に変化します。

涙眼など綺麗に拭い去り、新しい人生を始める事は、誰にでも出来るのです。
氣づき、學び、俯瞰し、自己の人生を素晴らしい人生に変える事が出来るのは、あなた自身の頑張りであります。

当たり前の毎日

普通に明日が来ると考え、日々を過ごし当たり前に日々を過ごしていること。
此れを普通と考える方は、以下をお読みにならない事をお勧めします。

明日など誰にも保証されて居ません。
究極は、保証、約束、確定がないから今日を生きるのです。

しかし、生きるにも様々にあります。
私は、毎日を込めて生きている。と断言出来る方は少ないのではないでしょうか?

ながら的に生きるも良し、心配の渦中に生きるも良し、依存にまみれ生きる良し、自己主張の中に生きる良し、傲慢に生きるも良し。
最終的には、全て自己責任と結果が伴います。

嫌なら辞める。の選択は誰にでも出来ますが、その後の様々な結果と現象は、自己が受け入れなくてはならない現実です。
しかし、込めて自身の人生を生きる時、結果に捉われず自身の生き様に満足するでしょう。

独立独歩。生きて行く事は、自分で立ち、自分で歩まなくては何も始まらず、何も學ぶ事は出来ない事に一日も早く氣づく事です。

他人に依存して、他人の意見に翻弄される時、あなたの人生はあなたの人生ではなく、依存する相手の人生になります。

他人任せの人生は、あなたが望む人生ではない筈です。
今一度、自分の人生を見定め、生きては如何でしょうか?

尊厳

様々に尊厳について語られておりますが、本当の意味で尊厳を考える時、最近の考えかたは自己主張になってはいないでしょうか?

自己の尊厳だけではなく、相手の尊厳を認め尊重する事によって自分の尊厳をも認められます。

自己主張に固執し、主張する時、其処には傲慢の意思が働き、見失うことになるのです。
自己主張の文化はアメリカ特有の思想であり、日本人の文化にはそぐいません。

日本には、素晴らしい思想文化《謙譲の美徳》があります。
まずは他を尊重し、相手を立てることによって自分も立つのが日本人の思想です。


先般、登校中の子供達を護って自らが犠牲になり亡くなられた方がいらしゃいます。
正に尊厳を最後まで護り抜いた英雄であり、菩薩行であります。
この方の様な人が、正に日本人の鏡として賞賛されるべきです。

私はこの英雄の死に敬意を払い、御冥福をお祈り申し上げております。
願わくば、英雄の遺された行為を後世に伝え、自らを犠牲にして他を護り、救う事が日本人の美徳と解釈する人々が増える事を望みます。

増長傲慢

アメリカでは新しい大統領が就任し、韓国では大統領が失脚し、日本固有領土に少女像を安置すると騒いでおります。
また、北朝鮮では核ミサイル騒ぎ。正に増長傲慢の極みであります。

平和に生きれば安心が得られ、増長傲慢に生きれば、争いの芽が発芽する。
何故、こんな簡単な事が理解出来ないのでしょうか。

それは、国民性と人間性の希薄化が引き起こす魔界帰り現象が起きているからに他なりません。

増長傲慢は、侵略、争い、悲劇を呼び起こし人間界を破壊します。

平和を愛し、融和を実践する時、争いは影を潜め、隣人を愛する事が出来るのであります。
自らが争いを求め、平和を語るは正に、増長傲慢の極み。

日本は嘗て敗戦を味わい、国民は地獄を味わった経験を生かし、静かに生きて来た時代がありました。
然るに、昨今の日本は犯罪者が闊歩し、犯罪は凶悪化しています。

警視庁の発表では、犯罪の総数は減少しているといいますが、犯罪の質は言明を避けているように考えます。
ひと昔前では考えられないような子供が子供を殺し、子供が親を殺し、親が子供を殺し、性的異常者が横行する。
現行の日本は、決して正常とは言いがたいものがあります。

この異常事態を正常に戻して安心を得るには、正真正銘の學びと敬う心、尊ぶ心を呼び起こすことが急がれます。
そして、日本人が日本人の尊厳を心に刻み、厚顔無恥を知って道徳心を養い、自分に恥じ無い生き方を見直すことが肝要なのです。
更に言うならば、宗教と信仰の違いを確実に自身に刻み込むことであります。

日本には、古来より素晴らしい教えが数多く残されております。
葉隠《鍋島論語》修身、文武両道の精神、全て日本固有の思想であります。

外国文化に傾倒するも良し。
しかし、自国の文化も知らずして他国文化に傾倒する時、それは唯の猿真似に過ぎず、他国からは軽薄としか認知されません。

日本人の最低の証しとして、自国の文化を熟知してから、他国の文化に興味を抱いても遅くはないと考えます。
日本人の特性は、恥を知る文化です。




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by kongousan-akafudo | 2018-06-28 12:00 | └私たちの暮らし

密教819 野獣化する犯罪

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私が以前から何度も言って居るように、今年から無機質な事件事故が多発して居る事は、皆さんもご存知の通りである。
最早、未然に防ぐ事は難しい。
何処で誰が起きても、不思議では無い状況である。
これは、誠に憂う状況にあると考えます。
事件事故に巻き込まれてからでは、遅いのである。

私は常に、弟子や信徒の皆さんの安全祈願と、事あるごとに結界の重要性を説いて居る。
しかし、全ての人に浸透して居るかは疑問である。

其処で再度呼びかけます。
あなたの結界は万全ですか?

様々な修練法は、続ける事に意味を成すのであり、眼に見えて結果が出るものでは無い。
飽きて辞めるも良し、信じざるも良し。
全ては、自己責任である。

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例えば、筋肉を鍛える《筋トレ》であるが、1週間~2週間で目覚ましい変化がありますか?
あるのは、筋肉痛との戦いである。
私にも、経験は山ほどある。
続ける事で筋肉は鍛えられ、鋼の如く成るのである。

行法、鍛錬法、修練、修行、全て同じである。
たゆまぬ努力を重ね、完成に近づくのである。

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昨今流行りのインスタント法は、所詮は付け焼き刃。
いざと云う時には、無力に近いのである。

ゆっくり自分の速度でやっても、確実に力は付いています。
その逆に、目先の力にこだわる者に、到達した者は皆無である。

牛の歩みでも良い、少しづつでも良い、やり続ける事に意味が生じるのです。
全ては同じ土壌にあると知り、コツコツ努力を重ねる事が最高の早道と成るのである。



南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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by kongousan-akafudo | 2018-06-28 06:00 | ◎赤不動明王院通信

傲慢とは何か?⑦

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信仰心

このブログは、私独自のものであるから、誰の制約を受けることも無く、真実を伝えることが出来る場なので書きます。

昨今の犯罪事情は、異常であり異質である事を理解されて居る方々も多いと想うのですが、自身に降りかかる事を想定する方々は少ない!

私は、敢えて提言します。
対岸の火事ではないの事が、来年からは頻繁します。
続いて、自殺者も増大します。

いま、シグナルはイエローではなく、レッド状態であると言わざるを得ません。
いつ、自分に降りかかって来てもおかしく無い状態を認識して下さい。
ハッキリ言います。
異常精神者が増大して居るのであります。

一見、何でも無く見える人が、豹変し襲い掛かって来る様な事態が来年には頻繁します。

一般の人では、防ぎようが無い事態と申し上げます。
犯人に成り得る者の特徴も解って居りますが、書く事は、出来ません。

それは、具体的に言えば察知され、特徴を消される恐れがあるからなのです。
これから起こる事象を解決し、あるいは未然に防ぐ事は、人間には不可能であります。

人知を超えた力を有する方にしか出来ません。
私は、言います。

不動明王尊の力で無くては、解決する事も防ぐ事も出来無い事を。

信仰は、自由です。
誰を信じようと、信じまいと自由であります。

強制される必要も勧誘される必要もありません。
自身の中から生まれる信仰心こそ、真の信仰心です。


信じては、危険な項目

①うちの団体に入れば救われる、と勧誘する者。
②寄付を極度に要求、強制する者。
③うちの神仏以外は邪教、と云う者。
④病気も治せると断言する者。
⑤信じたら、金持ちに成れると云う者。
⑥他を誹謗、中傷し自身を正当化する者。
⑦勧誘に応じなければ、罵詈雑言を口にする者。
⑧経典、聖書、を知りもしないのに、それらを否定する者。
⑨経典、聖書を知って居ても、和文でしか知らず、原文を読め無い、原文の存在を知らない者 。


以上の項目に当てはまる者を、信じては成ら無い。
以上の者の特徴は、傲慢である事です。

見つける事は、簡単です。

態度、口調、普段のそぶりを観察する事で、誰にでも発見出来ます。
男女問わず、心優しき人に、傲慢な人は居ません。

自身の周りを見渡し、傲慢な人には、近づいてはいけません。

触らずに、普通にして、自身は學びを深める事をお勧めします。

不思議は、無い❗️

全ての事象に不思議は存在しません。

それは、あなたが知らないだけの事なのです。
霊的現象も天変地異も全ては、必然なのです。

それを、一般では不思議な出来事だと騒ぎ、慄く不思議だと思えば解明すれば良いのです。

解らなければ研究し、学べば答えは眼の前に用意されているのです。

学ぶ努力を止めた時、不思議な出来事に浸かります。
怠惰に過ごす時、全ての必然が降り掛かり、私達は涙で償う事になります。

分かろうとする力は全てを解き明かし、傲慢は全てを闇に隠します。
あなたは、どちらを選びますか?
全ては、自己責任、責任主体なのです。
傲慢なままで過ごすも良し、謙虚に認め学ぶも自由です。


これから、起こる事が涙で償う事に成らぬ様に、私の仲間は今日も努力を続けて居ます。

私も頑張ります。
まずは、自分の足元から。

可愛い子供達に負の遺産を残さぬ様に、いま真剣に取り組む時ではないでしょうか。
兎角、自分本意に考えて行動しがちですが、想い出して下さい。

子供のころ、野原を駆け回り、トンボやバッタを追いかけて居た頃を。
物事を純粋に捉え、素直に学んで居た時代に私達も居たのです。

何時頃から、変わってしまったのか?

人間は、生きて死ぬだけの存在ではありません。
生きるとは、学ぶ事、學び、経験を経て、経験を感動に転換するのが人生の目的です。

たくさんの感動を土産に、故郷である霊界に帰るのです。
決して、浮遊霊に成る為に現界に来たのではありません。

魂の眼を開けて下さい。必ず解ります。

本当の自分は、肉体では無く霊的存在なのだと。

争いを呼ぶ心

男女に限らず、争いに巻き込まれる人は居るのです。
もし、あなたが争いに巻き込まれた、巻き込まれているとしたら要注意である。
あなたの波長が、争いを呼んでいる可能性が高いのです。

①一人では、時間を過ごす事が出来無い人。
②ギャンブルが好きだと思う人。
③他人の意見と反対意見を考えもせず云う人。
④他の意見を何故か反発してしまう。
⑤強い人には、逆らえ無い。
⑥強い人の意見に同調してしまう。
⑦自分は、愚痴っぽい。
⑧相手を何故かわからないが、怒らせてしまう。
⑨他の迷惑を考えた事が無い。
⑩自分は、特別な人間だと思う。

以上の項目に五個以上、該当する人は要注意です。

あなたは、近日中にトラブルに、巻き込まれる可能性が大です。


何故、そう成るか?
あなたの中にある傲慢さが、あなたを導きます。

人は、変わることが出来ます。
そして、しあわせに向かい前進したら良いのです。
しあわせは、あなたが掴むものなのです。

「妄想」について

私の弟子が書いた、妄想についての、レポートである。


70年前、日本は敗戦国になると共に戦勝国であるアメリカによる占領統治下におかれました。
アメリカが敗戦国である日本を占領統治下していく上で最も恐れていたのは、日本人の精神性ではないだろうか。

古来、日本人は農耕民族であり、自然現象のみならず、ありとあらゆるものに対して畏敬の念、感謝の気持ち、もったいないと思う謙虚さ、身の丈に合った生き方を貫き、生きていく上で最低限のものを互いに譲り合って生きてきた。
それにより、物質に囚われない形のないものである思いを尊び、潔さ、信念、尊敬の念等に重きを置いてきた。

しかし、これら日本人の有する形のないものほど物質主義であるアメリカにしてみれば、恐ろしいものはない。
この形のないものを監視下に置くためには、古来から敗戦に至るまでの日本を否定しなければならない。
否定するためには、どうすべきか。

日本の思想自体が戦争、敗戦に結びつけ、それ自体が平和とは相容れないもののように教育していったのではないだろうか。
戦勝国となったアメリカ的思想こそが平和の象徴であり、物質主義、完璧主義、能力至上主義、競争社会こそが豊かな生活を手に入れる最善の方法であるかのように時間をかけ、日本人に刷り込んでいき、現在に至っている。

私が幼い頃、テレビで放送されていたアメリカのドラマには、当時、日本では高くて手が出せないような物が溢れ、食べたことがないような食べ物が溢れ、お金さえあれば欲しいものが手に入り、豊かな生活ができ、幸せになれるように思え、アメリカの生活が憧れであり、夢であった。

高度経済成長があり、偏差値教育を勝ち抜いて一流企業に入り、競争社会を勝ち抜くことが親孝行であり、幸せへの王道だと教えられた。

しかし、現在、人間が管理下に置き、予報できると傲慢にも思い込んでいた自然の脅威に曝され、安全安心と声高々に唱われた原子力発電により、生命を脅かされている。

未だに福島の原発問題は根本的な解決に至っていないにも関わらず、他の原発が再稼働しようとしている。
原発が一度問題化すると人は責任を擦り付け合うが、原発により地元民も恩恵を受けていたのも事実である。
要は、身の丈に合った生き方をしていれば、余計なものを必要とはしない。

本当の豊かさとは何だろうか。
お金はないよりあった方がいいが、必要以上のお金は人を狂わせる。
満たされ過ぎた生活をしていると、人本来の感性が鈍くなる。

人が生きていく上で、幸せだと思えるためには、何が本当に必要で、何が不必要なのか見極める力が必要とされてきていると思慮する。

傷つく貴女に

昨今、男女問わず精神的に弱体化して居る様に想われますが、私の氣のせいでしょうか?

最近聴いた言葉で、草食系男子?
つまり弱いと云う事でしょうね。

私の年代にはピンと来ないフレーズですが、私が感じた現代の社会事情では、未だ女性が被害を受けるケースが多い様に想われます。

私の相談室にも、男女間の問題で悩む方が多いのは事実です。

いくら女性が強く成ったと言えども、肉体構造上の筋肉はまだ男性には及びません。
その結果、暴力に苦しむ女性が多いのも事実です。

女性に暴力を振るう男性の90パーセント以上が、間違い無く低級霊の憑依が視えます。

暴力など振るわずとも、話し合えば良いのです。
それも駄目なら離れる事です。

私は、暴力は使いません。話し合います。
男女の区別はしません。

ただし、暴漢には痛い目にあって頂きます(笑)
敵対は相手を選ばなければ、大きな怪我をする時があります(笑)

男女間で自分の主張も大事ですが、過ぎた主張は傲慢です。
妻が家事をするのが当たり前と考える男性も、傲慢で怠惰です。


私は武芸十八版を収め、料理は和洋中全てこなします。
片付け物も、料理をしながら洗い物もします。

私の特技は、一度食べた料理を、家庭で再現する所です。
従って、男だからの言い訳は聴きません。

全ては、ヤル気と実行力です。
ヤル気も実行力も無いなら、望まぬ事です。

望むから、失望するのです。

怠惰では無く、出来無いのであれば、
それを凌ぐ、優しさと想いやりを学びなさい。

両方とも、出来無いと言う人は、
伴侶は、求めず孤高に生きる事です。

少なくとも、摩擦に悩む事は、ありません。
人と関わる事は、自分を磨く修行と解釈しても過言ではありません。

人付き合いが、苦手な貴女、考え直して下さい。

貴女は、学びの中に居るのです。学びは貴女のカルマです。

カルマは、拒否しても、解消するまで、終わりません。
逃げても履修するまで終わりません。

意地とは、ツマラナイ想い癖です。
意地とプライドは、違います。

仕事も同じです、命を削る仕事は仕事ではありません。
自殺です。

お計らいを逃す人

拙僧の元には、多くの方々が様々な悩みを抱え、相談と加持祈祷の依頼にお出でに成ります。

しかし、どんな祈祷をしても無駄な例を挙げて置きます。
拙僧の自論ですが、効かない祈祷は気休めにしかならない。


では、本題に入ります。

ある御婦人が悩みを抱え、寺社を訪れて悩みを打ち明けました。
僧侶、神官は、適切な祈祷法を選択して祈祷に入りました。
お計らいの力が働き、成就。

その後、御婦人は事ある度に祈祷を依頼、そして成就。
だんだんと傲慢に成りました。
想う結果が出ないと、心の中で『想う様な結果が出ないのは弱い神仏に頼ったからだ』と思い、大社、大寺院に依頼をする様になってしまった。

最後は妖しい宗教にのめり込み、全てを失って自殺してしまった。

一見、宗教が悪い様に思われますが、真相は、傲慢と怠惰が招いた結果である。
感謝が無い、お計らいを理解出来ない未熟さ故の結果である。


例えば、あなたが御本尊様にお願い事をした時、御本尊様は、あなたの人生で学びに成る事に対して眷属を動かし、様々なお計らいの力を発揮して下さいます。
それは、御本尊様そのものなのです。

あなたが塾生に成ったのも、あなたの守護霊様のお計らいです。
言い返れば、私達は護られて居るのです。

守護霊様や諸尊の御加護にそれを自覚出来て居ないだけなのです。

これからは学びを一層深め、自分に御役目が降りて来る事を願い乍ら待ちましょう。

そして、準備をしましょう。
相応しい自分に成る為に。
全てに早道は、ありません。

あるとすれば、それは日々の暮らしの中に有る課題を探し出して学ぶ事なのです。




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by kongousan-akafudo | 2018-06-27 12:00 | └私たちの暮らし

密教818 命の重さ

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私は、動物が大好きである。
動物は、もの言えぬ存在と考えている人は多い。
しかしそれは、こちら側が理解しようとしていないだけなのです。

彼らは、様々なメッセージを発しています。
古今東西、詩、俳句、経典、聖書、様々な分野で引用されております。

人間だけが万物の霊長と考え驕り高ぶる時、人間社会は変革を迎えるで有ろう。
それは、昨今の犯罪形態を視て居れば、何かが違うと氣づくのでは無いでしょうか。

怨みも何も無い人を、簡単に殺害する。
自分勝手な欲で殺害する。
抵抗も出来ない弱い者を選んで殺害する。

正に、悪鬼羅刹のなせる技である。
到底、良心など存在して居ない。

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また、一生に一度の思い出の為にお金を払い、晴れ着姿を楽しみにして居た人達を騙した詐欺が、のうのうとアメリカから帰国する。
日本は、どうなってしまうのかと心配されている人も居るでしょう。

昨今では、吹き矢で動物を傷付ける犯罪!
これは、いつか動物から人間に移行します。

何故か?
動物が嫌いなら、見なければ良い。
関わらなければ良いだけである。
動物に吹き矢や様々な虐待を行う人間の心には、身勝手な理由しか無く、稚拙極まり無い性格の者である。

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私達人間は、動物から學ぶ事も多いのです。
彼らは、生きる為の様々な本能《知恵》をたくさん持っております。

學ぶか學ばざるかは全て自由だが、その智慧は、災害をも察知することが出来るのである。

今、人間界は岐路にある、と私は考えます。

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by kongousan-akafudo | 2018-06-27 06:00 | ◎赤不動明王院通信

傲慢とは何か?⑥

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私が本物にこだわる訳

本物があるのに、何故入手する努力をしないのか?
私には、理解する氣はないのが正直な気持ちです。
傲慢と言われようと、私はこの姿勢を貫き通し、弟子に伝えていきます。

密教を志して早四十年を越し、言える事は、本物を探し見極めるには、生半可な事では見つける事も手に入れる事も至難の技です。

しかし、密教の開祖弘法大師空海は、私達に遺産として本物を残してくれているのです。
では、何故出回らないのか?
日本人の権威意識が、邪魔をするのである。
京都の東寺に行けば、お大師様の法具は展示されて居ます。

其れに従い、製作すれば良いのです。
《型を作り復元するには、多額の費用が必要です》

私は、僧侶の仕事の他に工事で働き、工事現場で働き、コツコツ貯めたお金で型を頼み、法具師に依頼し、完成させ入手して参りました。
文献は、御師匠様にお借りして進めた事も御座います。
《今は幸い、密教の次第書、伝書で、所蔵してい無い物から数えた方が早い位にまで増えました。全て本物です》

入手経路は明かしませんが、本物を求める心は本物を引き寄せるのです。
全ては、求め、努力する事が、最後には本物を引き寄せるのです。

とかく、これで使えるから良い。
どうせ、相手には分からない。
高いから、この辺で良い。

そんな、怠けた考え方がある限り、本物と出逢う事など終生訪れる事はありません。
本物に出逢いたいと思い続け、努力を重ね続ける時、必ず天は味方するのです。

私は、何事も同じであると考えます。
真剣に取り組み、謙虚に理性的に、真摯に目的に邁進する時、必ず道は開けます。

どんな事でも、諦めた時、道は遠ざかり、開かれる事はありません。
諦めず思い続け、努力を重ねる事が最高の早道である。

自覚する者

人間には、脳で考える者、心で考える者、二通りに分かれる傾向がある。

例えば、自分は大丈夫。と、考える人は脳、つまり肉の思考である。
肉体は機械と同じで、長期的に活動すれば、各器官は老朽化し、動きも思考も緩慢に成るのは当然です。

しかし、人間は機械と違い、理性がある。

理性とは、何か?
理性とは、心《魂》である。

長年、自分と向き合い、學びを深めれば、当然、理性的な行動を優先するようになり、相手の立場を考えて行動するようになります。
その反対に、自分勝手に生きて来た者は、全てが自分本意な思考パターンに成りやすいのが現実である。

私も齢60を越え、身体も老朽化し、肉体的能力は著しく低下しています。
昨今の、高齢者による交通事故が急増しているのは肉体的能力の低下が原因だが、自覚の無さが大きな要因である。

若い時は簡単に飛べたハードルが、高齢者になれば僅かな段差でもつまづく現実を自覚すれば、能力の低下が引き起こす危険を自覚出来るはずです。

では、何故、自覚する者と自覚しない者がいるか?
それは、肉体年齢と魂の年齢の違いです。

人間は、当たり前に誰でも歳を重ねていきますが、それは、単に肉体年齢を重ねただけである。
心を養い學ぶことをせず、精進を怠って自我に生きる時、心の成長は停止して傲慢に成る。
常に自身と向き合い、俯瞰し、自己を客観視する時、肉体の衰えを自覚し、無謀な行動は控え、理性的に行動するのである。

今、自分は、若いから大丈夫。と考える思考も、肉体的思考と自覚するべきである。
魂の成長は、怠惰の中には存在しないのだから。

兄弟家族

魂の世界から言えば、人類は皆兄弟なのですが、それぞれ生き方も考え方も違います。

それは、何故違うのか?
広義《霊的》で言えば、學び合う為なのです。

そして、夫婦はより一層の學びを求めた相手と言えます。
夫婦は、身近で學び合える唯一の存在とも言えます。
良きにつけ悪しきにつけ、學ぶ意思さえ持って居れば、學ぶことは容易い。
ただお互いの存在を癒すだけでは無く學び合う存在と自覚する時、新たな関係が生まれます。

それは、愛の學びです。
夫婦間の肉体関係も學びなのです《オーラの交換》
また、子供を通して《究極のボランティア》
また、お互いが年齢を重ねた時《いたわり合いの心に目覚め最後の愛に到達するのです》
子供から大人へ、大人から老人に最後は、誰も拒む事が出来無い世界に帰るのである。

人間の一生には、無駄はありません。
無駄と決め付ける心が無駄であり、傲慢なのです。
人間に最も必要の無い感情は、傲慢である。
そして最も必要で重要なのが愛なのです。

愛を知らない人は、居ません。
もし愛を否定出来る人が居るとしたら、その人は、人間から生まれて居ない事に成ります。

母は、十月十日、我が子をお腹の中で育て、この世に産み出し育てます。
その行為を男性が変わったとします。
痛みに耐え切れ無い、と産科の医師は言います。

自身の父母を敬い、先祖を敬い、神仏を尊ぶ時、あなたの人生はきっと良い方向に進んで行きます。

怠惰と傲慢の海から脱却するのは簡単である。
自身が深く反省し、學びの道に邁進する時、全ての霧は晴れ新しい道が開かれます。

受験

この時期、様々な場所で色々な受験が行われています。
進学、就職、受験生にとって、正に試練の時です。
しかし、本当はその試練を喜ばなくてはいけません。

皆さんと同じ様に、試練を受けたくとも受ける事すら出来ない人も存在しているのです。

とかく人間は、自分の立場に溺れ、自分を主張する傲慢さに翻弄され、人生を見失う者も少なくないのです。
甘えと傲慢は紙一重であり、自分を律する事が難しくなる時があります。

そんな時、思い起こして貰いたいのです。

誰の為に試練に臨むのか?
何の為に試練に臨むのか?
それを理解し、試練に臨む時、必ず見えてくる結果があります。

怠惰と傲慢の中にいれば、見える事も見えず、理性的に捉える事など、到底出来るものではありません。
感謝と理性を向上させる事に、氣づいた者は幸いです。

その逆に、自分本意な生き方を選び、怠惰と傲慢の海に溺れる者は、人生を無駄に過ごし、最後には死の恐怖に怯え、大切な人生を無駄に過ごす事になるのである。
あなたは、どちらを選びますか?

人間には、寿命があります。
もっと生きたい、もっと遊びたい。
もっと楽しみたい、もっとお金持ちになりたい。
もっと、もっと、と追い求めても、何時の日か確実に死は訪れます。

私は、皆さんに、死を恐れない、楽しい人生を歩んで貰いたいと考えます。

楽しく、自身が満足出来る生き方こそ、最良の人生であり、誰もが望むことではないでしょうか。
それが、御大師様が伝えられた密教には存在します。

學ぶか、學ばざるか?
全ては、自由選択である。

障害とは 何か?

自分と違うから変、おかしい、様々な捉え方がある。
私は、ある集まりで激怒した事がありました。

それは、ある女性教師が発達障害の子供を指して《発達君》と表現したのです。
愛称のつもりだったのであろうが、これでは《 障害君 》と言っても同じ事だと言う事を理解していない。
だから、《 発達君 》という言葉が出るのである。
障害のあるお子さんをお持ちの方が、聞いたら悲しまれます。

想像力の欠除が、今の日本の現状なのです。

私は、常々言っております。
人間に、障害などと言う事は無いと。
あるとしたら、それは上から目線の傲慢さが産む錯覚である。
《障害は、立派な個性である》

個性と認知する時、どんな人間にも、個性は存在し、ことさらに障害などと問題視する必要など無い。
問題視するのは、傲慢である。

自分は、普通だから。
うちの子は、普通だから。

では、何を指して、普通と言い切れるのか?

もし、自分の子がイジメに参加していたら、イジメをする子供が普通ですか?
私は、その子は心が病んでいる。と判断します。

早稲田大に入り、女性に酒を飲ませて強姦に及ぶ若者《馬鹿者》
そんな輩が普通ですか?
これこそ、理性のかけらも無い暴徒である。

様々なデモに参加し、イデオロギーを振りかざし、騒乱を利用して略奪を繰り返す者が五体満足な者ですか?

ダウン症でありながらも、書家と成り活躍している少女は、清い心を書に表し、観る者に感動を与えております。
天才絵師、山下清画伯の絵を再現出来ますか?
批評出来ますか?
本来、全ての人は、兄弟であり、共に學び合い、助け合う仲間なのです。

障害者など存在しません。
障害は個性であり、勇気ある魂なのである。
障害者と思う者こそ、傲慢な心の障害者ではないでしょうか。

分かち合い、助け合う時、調和に包まれた慈愛の世界が生まれるのである。


誕生日

誰しも、誕生日は有ります。
私も昨日が誕生日でした。
沢山の方々から、御心を頂戴致しました。

誠に有難い事です。
心から感謝しております。

その昔、水戸黄門《徳川光圀》は自身の誕生日の日には、朝から終わりまでお粥と梅干で過ごしたと聞き及びます。
何故、水戸黄門さんは、お粥と梅干で、誕生日を過ごしたか?

それは自身を産んでくれた母親が、産後、お粥と梅干しか食べられない事を知った水戸黄門さんは、自身の誕生日は浮かれて祝うものではなく、母に感謝する日であると考えたのです。
正に、母を敬う心の表れである。
本来の日本人思想は、愛溢れる考え方が根底にある。

自身しか考えない人生と生き方は、正に傲慢そのものである。
母を敬い過ごした誕生日、母が居なければ、自身は無い事を噛み締め、母を想う誕生日に、日本の心を感じた一日でした。




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by kongousan-akafudo | 2018-06-26 12:00 | └私たちの暮らし

傲慢とは何か?⑤

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霊的繋がり

人間に一番繋がりが深いのは、犬猫である。

輪廻の法則で言えば、一番が犬。二番が猫である。
様々な歴史的事象を見ても、其れは明らかです。

何故か?
それは、學びの段階でもあるのです。

犬は人に付き、猫は家に着く。と言われる様に、犬は人間になつき、猫は自我に生きて居る様に、ハッキリした差が現れます。
そして、猫は死後、犬に転生する為の修行をします《猫の霊界にて》

生きとし生けるものには、それぞれの段階に応じた霊界が存在します。
人間も例外ではありません。

死後、犯罪者には犯罪に応じた階層があり、同じ様な罪を犯した者同士が反省し、目覚めるまでお互いに罪を犯し続けるのである。
騙し騙され、傷つけ傷つけられ、殺し殺されるカルマが繰り返されるのである。

これが本当の地獄の意味なのである。

この世で傲慢の限りを尽くせば死後は、虐げられ惨めさを味わい、學ぶのである。
宗教的な解釈は理論上の事であり、現実に霊界を教えるものとは考え難い。
言わば、霊的心理は科学であり、これを否定する事は科学を否定する事と同じであると言えよう。

心霊科学の面から言えば後進国であり、その原因は、明治時代の間違った解釈に起因するものである。
過去に日本には、優れた霊能者が多数存在したが、全て弾圧に依り、その姿を消して居る。
今日の日本は、未だオカルトが蔓延り、真剣に學ぶ者は少ない。

学びとは何か?

最高に自分を輝かせる為の、方法論です。
古来より學びを尊び《精神論》が最初に理解しなくては、先に進められないのが密教です。
その次に方法論《加持祈祷》を學び、実践します。
全てを納めるには、長い年月が必要です。

私とて、40数年経た現在でも學びの途中で御座います。

しかし、學びを忘れた時、人は傲慢を覚え、退化するであろう。
私が尊敬する真言密教の重鎮である〇〇先生は、御年九十を迎えられても護摩法を厳修されて居られます。

人々の幸せを祈り、厳修される師の後ろ姿は神々しくもあります。
私も、師僧の様に成れる日を夢見て今日も學びます。

學びは、自由です。
あなたが學びたいと思った時、學びはあなたの側にある。
あなたは、その學びに触れるだけで良いのです。
密教には、様々な段階が用意されています。

在家の學び。
出家の學び。
阿闍梨の學び。

密教の重鎮の師僧でも、學びをおろそかにはしません。
様々な段階に、學びはあります。

悟りもまた、學び。
そして、學びの跡には何があるか?
それを見つける旅人は、あなたなのです。

報恩謝徳

恩に報いることに依り、様々な謝徳を得ると云う事は、古来依り受け継がれて来た美徳であります。

例えば、自分は、御返しが頂きたくてやった事では無いのに、考えもしなかった出来事で幸せな生活を得る事が出来た。
これは、正に報恩謝徳である。

私達は、ともすれば、見返りを望んでしまいますが、我が子に対して、見返りを求めますか?
そう見返りを求める事は、無いでしょう。
正に無償の愛があるからです。

見返りを求めて行う行為は、傲慢であり、物質的価値観と言わざるを得を得ません。
結果を求めず、結果を追わず、常に感謝し生きる人は、幸いである。
その逆に、こうして、ああして、やったのにと考える時、其処には安心どころか、不幸の種が芽生えて居るのである。

一度、不幸の種が芽生えて仕舞えば、尋常一様な事では、刈り取ることは、出来ないのが現実なのです。
この世《現界》に生を成し學びに意欲を燃やして居た時の自分を思い出すことは、容易です。
自分が詰まらない小我を棄て、本来の自分に戻り、素直な心で、自身を認める時、
報恩謝徳の意味を理解出来るのである。

無機質と傲慢

昨今、無機質な人が、増えて居るのは何故か?
犯罪者を観て頂けば解るように、正に無機質そのものが現れています。

その一例、弟を殺し、遺体をバラバラに切断する。

あなたに出来ますか?
私には、出来ません!

それは、何故か?
まだ、理性が働いているからです。
無機質なものには、それが無いのです。
あるのは、そこにある現実だけで、感性も理性も無い。
傲慢さしか、無いのである。

機械と同じで、其処にある善悪も理性も情愛も無く、ただ処理する機械なのです。
例えば、良い人が機械を使っているから、機械がその人を機械の中に巻き込まないですか?
逆に、悪い人が使っているから巻き込みますか?

機械は、全て同じである。
無機質に作業をするだけである。
無機質な人間は、自分に都合の悪い者を排除したと云う感情しか無いのです。

イジメも同じである。

自分に都合の悪い者を、排除して居る感覚なのです。
その根底にあるのは、傲慢さである。

全て自分の都合で考え、行動し、意に反する者を排除しようとする利己的感情こそ、傲慢であり無機質なのです。
では、何故そんな感情が芽生えるか?

まだ、人間に成って浅い魂だからである。《魂年齢の低さ》

では、どうしたら良いか?
學びである。
學ぶ事は、楽ではありません。
楽な學びなど存在しません。
《楽な學びがあるとするならば、それは、學びではなく、遊びであると知るべきである》

楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。

私が主催する密教塾は、學びは自由である。
しかし、學ぶ者と、そうで無い者の差は歴然と出て来ます。

學びとは、他の人に強要されるものではありません。
自らが、心に落とし込み、俯瞰を繰り返し、成長するのである。

日常の傲慢

昨今の離婚に関する事象を、見て考えて下さい。

当たり前が、当たり前ではない?
私の描いていた事とは違う。
全ては、自身の理想か現実のギャップによる争いである《男女共に》

理想を求めて、結婚してはいけません。
結婚とは男女の學び合いであり、完成形では無いのです。
完成を求めるならば、結婚などせず、一人でひたすら磨くべきです。《最高の早道である》

他に求めても、得られるものではない。
また、求めて、理想ではなくともそれが現界の摂理なのである。

自身が持っていない事を他に求める行為は、依存であり傲慢である。
皆さんに、私が真言宗、天台宗の各老師、大徳より、教えて頂いた事は人間の能力に大差は無い。
あるのは、努力値だけである。と言う事です。

私は、しあわせ者です。
様々な苦難も、私への課題だったと知った時、全ての謎が解け、新たな道が開かれました。

人間が、悲劇のヒロインを演じているうちは、何の道も開かれません。
俯瞰し、學ぶ時、初めて道が開かれます。
不思議や怪奇に、弄ばれてはいけません。
真に學ぶ時、天はあなたに御役目を与えます。

人事を尽くして天命を待つ

人と産まれ、様々な人生を歩んで様々な事象に遭遇し、困難に立ち向かう時、どうしてもダメな時があります。
しかし、絶望してはいけません。
最後まで諦めず、努力を続けなさい。

努力して努力して、やれる事が無くなった時、御仏に委ねなさい。
それが、人事を尽くして天命を待つと言う事です。

そして、結果を待ち受け入れなさい。
必ずや、答えが生まれます。

その時の結果に、振り回されてはいけません。
本当の結果とは、その後に現れます。

私は、様々な事象を経験し、受け入れて来ました。

ある時は、悲しみに慟哭し。
ある時は、放心し。
ある時は、自ら死を覚悟し、現在があるのです。

人間には、絶望の淵から這い上がる力が備わっているのです。
自身を信じ、進む時、必ず道は開かれます。

人生に、無駄は無い。
失敗と思う心は傲慢であり、自身が思う結果ばかりでは、學ぶ事は出来ません。
失敗を重ね、経験に変えていく事こそ學びなのです。

そして、歳老いて帰幽する時、経験を感動に転換し、土産と成すのである。




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by kongousan-akafudo | 2018-06-25 12:00 | └私たちの暮らし