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密教807 天を仰ぐ時、災いを知る

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昔は、よく天を観て《空》明日の天気や様々な事を知る習慣がありました。

私は今でも空を見上げ、様々な事を教えて頂きます。

非科学的と言われれば、私は問います!
科学が万能であるのなら、何故犯罪が撲滅出来無いのか?

疑問であります。

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本当の密教では、全ての愚問にも真理にも答えは揃えられて居る。
だが、その事を知る者は少ない。

葬式だけに必要な教えでは無い事を、ここで断言します。

何故か?

教えこそが根源であり、実践する事が學びなのである。
自身が理解出来るよう学習し、落とし込む學びの根幹である。

中途で投げ出しては、終世の汚点に他なりません。

迷路を途中で諦める事は容易い。
人の一生は迷路では無い!
全てには、答えがあります。

その答えを見いだすのが、あなた自身なのである!

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表題の『天を仰ぐ時、災いを知る』は、誰にでも可能な境地である。

ただ、學ぶか學ば無いかである。

學びの道は、インスタントでは終世到達する事は無い事を知って頂きたい。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



by kongousan-akafudo | 2018-05-29 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教806 聖天尊の威力

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聖天尊の御力は絶大であります。

◎聖天さまのご仏徳

★愛し合う夫婦の間に、諦めて居たお子さんを授かった

★仕事上のトラブルが無くなり、以前より良くなった

★どこで診て貰っても思わしくなかった病が、御導きによって伺った先の医師が名医で回復に向かっている

等など…喜びの連絡は数えきれない程あります。


これは、感応現象なのです。
真剣に祈り、信仰する事で動いて下さったのです。

私も祈って居るのに叶わない。と言う事をたまに耳にする事がありますが、何故叶わないかは心にあるのです。

諺に、『人事を尽くして天命を待つ』と言う言葉があります。

自身が精一杯の努力した後には、お計らいを待つ心が必要です。
こんなにやったのに!という心には、美は感じられません。

蒔かぬ種は生えぬ。
いくら実の成る木を植えても、水もやらずば枯れ木に成ります。

美しい行いをしても、恩に着せれば水泡に帰すのです。
感謝を持って、待つ心に感応されます。

三分で出来る物はインスタント。

一本の木を丹精込めて林と成し、森と成すが正心の極み成り。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝





by kongousan-akafudo | 2018-05-28 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教805 噂や俗説の恐怖

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何故怖いのか?
真実を知ろうとしないからである!

例えば、
「誰だれが言っていた」
「何処其処では、こう言って居る」


どれもこれも、探って行けば信憑性の無い噂話に過ぎません。
人間の心理で、おどろおどろしく表現されたり、そんな事をしたら大変な事に成ると言われると、人は信じ易い心理状態になる。

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例えば、死を怖がるのは何故か?

簡単である!
死とは、何かを知ろうとしない結果である。
他人を恐怖させて信じ込ませる行為は後を絶たない。

しかし、ここで覚えて置いて頂きたい事があります。

他人を恐怖させて信じ込ませる行為には、カルマ《因縁》が働き、後に自身が報いを受ける事に成ると覚悟が必要である。

私は、私塾では全てを論理的に、かつ端的に説明しております。
そして、塾生には自身で検証する事を勧めて居る。

何故か?

流言飛語に惑わせられ無い、智性と理性を身につけて頂く為である。

例えば、ポルターガイスト現象も、科学的に検証して真実を知れば、恐怖する現象では無い事が解るはずです。
科学を理解し、心霊科学にまで昇華してしまえば、恐れる必要も惑わされる事も無いのです。

確かに、検証するには手間暇が必要ですが、解らずじまいで居れば、その後の人生も流言飛語に惑わされる事に成るのである。

私の主義は、解らない事は、例えイギリスでも行って徹底して學び、理解を深める事である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



by kongousan-akafudo | 2018-05-24 06:00 | ◎赤不動明王院通信

因縁(カルマ)に関する密教ブログ⑥

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因縁、あるいはカルマという言葉を聞いたことのある方は多いでしょう。
何か得体の知れない不安や恐怖を感じるという方も少なくありません。
それでは、因縁とは具体的にどういうことなのか?を學んで、不安を解消しませんか?
そして余計なカルマを積まない生き方を目指しませんか?

どうぞご覧ください。

開運祈願

開運は、皆さんの望まれる事と思います。
しかし、本当の意味で、開運を成し遂げるには、まず、自身のルーツを知り、過去、現在を正し、未来に繋げる努力が必要であるのです。

では、ルーツとは何か?
霊的な意味で言えば、自身を霊的観点に置き変え考える時、気づくはずである。

今のあなたが生まれる以前の前世が過去世であり、前世で起きた、起こした事が、カルマであり、因縁なのである。
その因縁を俯瞰し、改めなければ、真の開運には、繋がりません。

今のあなたが生まれるまでには、千人を超える先祖が存在します。《数学的にも明らかです》
私は、分家だから。私は、弟、妹だから関係無い。とか、無神論者だから関係ない。は、開運にも関係無いのである。

私の持論は、嫌なら、信じる必要もない。
嫌なら、拝む必要もない。
嫌なら、眼を背ければ良い。
神社仏閣を穢し、破壊すれば、その後の人生は、悲惨を極めるのである。
嫌なら、見ざる言わざる聞かざる三猿主義で良い。
他人を誹謗中傷する行為も、上記と同じ結果に成る事は、言うまでも無い。

本当の開運を望むのであれば、尊ぶ心、敬う心を養い、理性的に生きる事である。
自分さえ良ければ、自分の周りさえ良ければ、それらは、餓鬼と同じ階層の亡者に等しい。

本当の意味での開運は、神仏を尊び、先祖を敬う時、カルマは消滅し、新たな道が開けるのである。
いとも簡単な道であり、正にシンプルなのが、開運法である。

銭、金に振り回され、右往左往する様子は、餓鬼の始まりと言えよう。
人間に生まれた尊厳を誇りと捉え、自身に恥じない生き方こそ、開運ではないだろうか。

私達は霊的存在

毎日、考えられない事件、事故が発生する。
何故か?皆、死んだら終わり…と考えているからなのです。

先日の新幹線内での事件…全くもって、自分勝手で傲慢な犯行としか、言えない。
様々な人を巻き込み、自分は自爆する…自爆テロと変わりません。

その根底にあるのは、人間死んだら終わりという無知な思想の現れです。

どんな偉い人でも、一般人でも、死に逃げは出来ません。
必ず自分が犯した罪は、カルマ、因縁になり、自分に返ります。

カルマ、因縁とは…自分が犯した罪を反省、完全理解を果たすまで、未来永劫に渡り続きます。
これほど恐ろしい事はありません。
自分で犯した罪を反省する事は出来ますが、完全理解となると、簡単には出来ません。

何故か?答えを教えてくれません。
答えは、何世掛かろうと、自分で見つけなくてはならないのです。
答えを見いだすまで、未来永劫、同じ科目を履修するのである。これがカルマの法則です。

全てに、例外はありません。
ですから私がよく皆さんに申し上げる言葉に、究極の自己責任、蒔いた種は自分で苅る、責任主体、これが霊界の法則です。

この法則から逃れる事は、誰にも出来ません‼️
例え、御仏に仕える身であろうと逃れる事は、出来ません。

全ての法則は、平等に働きます。
現界でいかなる立場であろうと関係ありません。

全ては、大霊の愛なのです。
理解し自分の中に、落とし込む時、答えが見えて来ます。

大霊は、慈悲そのものなのだから。

自分の人生

これ程、自由な事はありません。
全てが責任主体なのですから、大人になっても歳老いた親に、迷惑を掛けても自分勝手に、好き勝手に生きても自己責任。

全ては、プラス、マイナス、ゼロになります。

では、怠けたままで人生が終われるか?
そんな事は、ありません!

必ず、怠けた分、頑張った分8怠けた分2、頑張らなかった人は3足りない事になります。
残りの3を、頑張り通さなければならないのです。

休みなく、だから人生は責任主体であり、自己責任なのです。
ですから怠けたい方は、どうぞお楽になさって下さい。

ギャンブルでご家族を泣かしたい方、どうぞギャンブルを楽しんでお続け下さい。

犯罪を犯し、反省しない方、どうぞそのままで構いません。

ばちは、当たりません。
ばちなど、ありません。
あるのは、法則です。

蒔いた種は、自分が最後迄狩り切るまで続きます。

蒔かぬ種は生えぬです。
これがカルマ、因縁の法則です。

偶然と必然

皆さんも、経験が、お有りになる事だと思いますが、偶然にしては、驚く様な事を様々経験された事と思います。

例えば、男女の出会いですが、貴方は、偶然だと思いますか?
素敵で、可愛い人が、何であんなおやじを、好きになったのか?不思議に思いませんか?

実は、前世からの、縁。
すなわち、因縁なのです。

前世でお互いに好きでも、一緒になれなかったケースが、多いですね~。
この場合は、凄いスピードで、お互いに接近します!

結ばれるのも、早く、相思相愛になり、まるで、失われた時を取り戻すが如く、燃焼します。
魂は、決して忘れることはありません。
過去の因縁を清算する事は、魂の向上には、不可欠な事なのです。

偶然の様な出会いでも、本当は全て、必然なのです。
些細な事でも、偶然は、存在しません。
例えば、道ですれ違う人も、必然と言えます。

この法則を避けて行く事は、何人たりとも出来ません。
法華経に曰く、全ては原因と結果であると。

蒔かぬ種は生えぬ

しあわせを論ずる前に考えねばならない事があります。

まず、棚から牡丹餅は、無いのは、自明の理である。
また幾ら努力しても報われないと思う方は、貯金で言えば、徳の定期預金とお考えください。

定期預金は、満期になれば下ろせるのである。
また、利息も多いのです。

人生の預金は、様々です。
悲観など必要無いのです。
必要なのは、明るく爽やかに生きる事であり、徳の預金を積む努力である。

悪を重ね、得た財産は、幻であり因縁を重ねるコレステロールの様なものである。

善も悪も、蒔かぬ種は生えぬ。
重ねれば、重ねるほど、最後の結果は、己れに帰ります。
正に、善因善果、悪因悪果である。

今は、結果が現れ無いだけなのです。
私は何をやってもダメと諦めずに、今は徳を積む時と俯瞰し、努力すべきと考えます。

御仏は、スーパーコンピュータの数億倍以上の正確さで、私達を見守って下さっています。
簡単に諦めては、いけない事を、我々が実感しなくては、ならないのです。

重ね重ね、申します。
人生に、蒔かぬ種は生えぬと。

追憶

私にも、皆さんと同じように様々な過去があります。
では、何故過去があるのか?
答えは、一生懸命に生きて居るからなのです。

例えば、過去に捉われて生きる時、あなたも私も、生きて居る事が苦痛なって来ます。
何故か?
良い時だけを見つめる時、今の状況に、不満と過去への憐憫が生ずるからである。

人間に生まれてカルマ《因縁》の無い人は、唯の一人も居ません。
何故か。
カルマもなく、悟りと覚醒に満ちた人であれば、生まれる必要も無いのである。

この世は、檻の無い動物園だからである。
良い人も悪人も、全て同じ檻の中に居るのである。

これを否定出来る人が居るのなら、教えて頂きたい。
但し、いい加減な事は許しません。

過去にこんな話がある。

男は肉親の縁薄く、若い時に両親と死別。
日本各地を放浪するが、やっと美しい妻と結ばれ、しあわせの絶頂にあった。

男は一生懸命に働いた。
妻と子供に囲まれ、このしあわせが未来永劫に続くと信じて働いた。

だが、魔の時が突然襲い掛かって来た。
それは、妻と子供の死である。

男は絶望した。
何故自分なのか?
何故こんな目に会わねばならないのか。
考えても答えは出て来ない。

毎日が地獄だった!
妻との日々を追憶する時、男は居ても立っても居られ無い苦痛にのたうち、精神が崩壊して仕舞うかと思ったほどである。

その時、男は考えた。
どんな事にも、答えは存在すると。
しかし、容易には答えを見い出す事は出来無い。

妻との思い出の部屋は埃にまみれ、あの頃の面影は無い。
男の心は荒み、涙に暮れた。

しかし、男の心を支えたのは幼い頃から続けて来た武術であった。
男は、生きるとは何かを題材に選び、文武両道を胸に學んだ《一心不乱に》

そして、紆余曲折の後に教えられたのが、妻と子供からのメッセージだった。

人は生を生き、死を受け入れる時、真の學びに目覚める。
今、苦しみの中に居る人は、絶望してはいけない。
學びの中に居る事を知るべき、と私は考えます。


呪いの末路

私は、長年祈祷専門僧として活動を続けて居るが、どうしても救え無い案件がある。

それは、呪いの因縁《カルマ》である。
これだけは、完全に切る事は難しい。
何故ならば、始まりが一方的な怨みの念だからである。
そもそも、他人を怨むと言う事が因縁に繋がるのである。

世の中には極悪人も存在します。
しかし、呪いに依り解決しようとしても、堂々巡りだと知るべきである!
そんな事は早く忘れ《放念》、新しい人生を歩む事がしあわせの第一歩に繋がるのです。

今回は、稚拙な事は書きません。
私が扱った事例を紹介します《以下事例》

あれは、今から10年前。
ある方が、娘さんの事で相談に来られました。

優しかった娘さんが、三ヵ月前から急に豹変したのです。
まず、菜食主義だった娘さんが肉魚を生で食べ、いきなり攻撃的に成り、部屋はゴミだらけ。
悪臭が漂う中で平然としている!

それに、神社仏閣を嫌って唾を吐き、夜中には奇声を上げる。
とても正常では無い。

心療内科の受診をしたが、何の効果も無いと言う。
私には解って居た。

完全な憑依である。

これを抜くには、並大抵な事では無理である。
何故か。
本人の命が保たないのである!

過去に様々な祈祷僧が挑み、失敗し、自らは裁判、拘留の憂き目に遭った記録を参照すれば明らかである。

私は、お母さんとお父さんの気持ちに打たれました。
娘を助けたい一心で頼む父母の心。

私は、急ぎ準備に取り掛かりました。
各分野の専門家《弟子、友人》の尽力に依り、全てが揃いました。
そして、本人、御家族の前で行いました。

因縁解脱法。

私も命掛けである。

負ければ、私も連れて行かれます。
加持祈祷は長時間に及びました。

しかし、最後に御本尊様の御力に依り降伏出来ました。

些細な怨みの代償にしては、割りに合わないと思いませんか?

その後、娘さんは回復して、現在は私の弟子である。



by kongousan-akafudo | 2018-05-13 12:00 | ├密教の世界

因縁(カルマ)に関する密教ブログ⑤

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因縁、あるいはカルマという言葉を聞いたことのある方は多いでしょう。
何か得体の知れない不安や恐怖を感じるという方も少なくありません。
それでは、因縁とは具体的にどういうことなのか?を學んで、不安を解消しませんか?
そして余計なカルマを積まない生き方を目指しませんか?

どうぞご覧ください。

増大するカルマ《因縁》

犯罪を犯し逮捕、服役し、その後釈放された者には、民事に依る損害賠償が課せられるが、保証人である親も賠償金を払わないケースがほとんどである。
これは、恐ろしいカルマを積む事になる。《反省の無い犯罪者の末路は、哀れである》

この世の罪はこの世で反省し、償う方が、何倍も何十倍も楽なのです。
反省せずに逃げ切れたと思う者は、大馬鹿者である。

実例を挙げて紹介したいが、あまりにも生々しく酷いので、書くことは控えます。
言える事は、自身が犯した罪に数十倍の苦しみと苦痛を味わう事になるからです。

そして、加担した親も仲間も、同じカルマを背負う事になるのである。
人間界の考え方では、理不尽と思うかも知れません。
しかし、霊的真理から検証すれば、当然と言えるのです。

私の車には、ドライブレコーダーを搭載してあります。
先日、仕事で運転中、信号待ちをして進行方向の信号が青になった時、心の声が《行くな》と叫んだ。《見通しの悪い交叉点で》

私が一拍待った時、赤信号で交叉点に進入した車と青信号で進行した車が衝突した。
明らかに、赤信号で交叉点に進入した車が悪いのは当たり前である。

しかし、赤信号で進入した車の運転手は、嘘を言うのが昨今では多いのです。

当たり前が、当たり前に通らない時代。
常識が、常識で認知されない世間。

あなたは、どうしますか?
嘘つきの横行する時代。

カルマを積み重ねる者達が増大している事実を、直視する勇気を持って物事に当たらなくては、何時自分が、被害者になるか解らない時代なのです。

子供のカバンに、ボイスレコーダーを忍ばせるくらいの用心が必要な時代なのです。
教師も教育委員会も、自己保身に走り、本質など見て見ぬ振りである。

愛する者を守るのは、あなたしかいないのです。
悲劇が繰り返される前に、防ぐ事も愛なのです。

言った、言わない。
やった、やらない。
あやふやな状況は、嘘つきを繁殖させます。
悲しい時代ですが、それが物質的価値観を選んだ私達全員のカルマでもあるのです。

行者と式神

行者と式神は、密接な関係が在る。

式神は、行者が作り出した使い神である場合と、イズナ《飯綱》既存の使い神を使役する二つに分かれている。
私の場合は二者を使うが、式神を使う場合、行者の品格と知性が要求されてきます。

知性の欠片も無い行者ががむしゃらな修行に寄って、式神を得る事がある。
それは、因縁霊の場合が非常に高い。
もしくは、低級自然霊が行者をおだてて、式神に成りすます事もある。

その場合、困った弊害を起こす事がある。
それは、行者の命じた事に服従せず、暴走してしまうのです。

そして、行者までも支配します。
支配された行者は、己が力と感違いし様々な悪事を働きます。

まず自身を神と言い、出来ない事は無いと断言し、他を懐柔し病気でも何でも治せると断言します。
正しく、憑依現象の典型的パターンである。

憑依現象は、まず自身が一番であると云う錯覚を与えるのが特徴であり、謙遜などと言う言葉は、当てはまら無いのです。
次に、奇行に走り、自分は神だと言い周りを威圧します。

この様な馬鹿者の側に近づいては、イケマセン!
理性的に物事は、判断して下さい。

病気の時は、医師の診断と治療を受け、静養する事です。
その上で、御仏の御加護を願う事です。

信仰は自由ですが、本分は忘れてはイケマセン。
理性的に物事は、判断して下さい。

話しはそれましたが、私の式神は御本尊赤不動明王尊の眷属神であり、御本尊の命に逆らって使う事は、出来ません。

もう一つの式神は、私の念に依り生み出した物である。
しかし密教僧としての秩序は、護って使います。

使い方や、使役法は、此処では書けませんが、私が主宰を勤める密教塾では、これから教えて参ります。

皆さんも興味のある方は、お問い合わせ下さい。
密教塾の門戸が、誰にでも開いて居ります。


土地の因縁

皆さんは、今、ご自分が、住んでいる所が、元は、どんな土地で有ったか御存知ですか?

会社も同じです。

土地には、様々な出来事があります。
病院の跡地、墓地、沢山の方々が亡くなられた土地、様々です。

人が死んで居ない土地など、日本中ほとんどありません。
だからと言って、関係無いと放置される方々は、構いません。

しかし、挨拶もされなかった時、あなたなら平気ですか?
土地には愛着、未練、執着、といった想念が残りやすいのも事実であります。

例えば、戦中に軍の施設跡は、最悪です。
未だに、怒りのオーラが渦巻いています。

怒りのオーラは、人に悪影響を及ぼし、不幸を楽しみます。
怒りオーラは、払拭しにくいのも確かです。

何時の時代でも、怒りのオーラは、存在します。
このオーラを消し去る方法は、密教の秘術しかありません。

それほど頑固な、オーラを何故、発するか。
それは、人間が持つ感情と云うカルマなのです。

感情を自分が完全な形に、制御する事が出来る様になるまで、まだ幾多の涙を視ることか。

カルマ、宿業因縁

人間には、宿命と運命がそれぞれに絡み合い、人生の学びを形成しています。

私も様々な人生を味わい、学びに変えられるまでのたうち慟哭の涙を流し、死を覚悟し、待ち侘びた時、全ての謎が氷解する様に解らせて頂きました。

今からお話しする事は、カルマに負けて人生を狂わせてしまった方のお話しです。

その方は、前世で辛酸を舐め、今世では、自分のように苦しむ人を救おうと誓い、今世の時代、地域、両親、人生の課題を自身で決めて生まれました。
金持ちの一人息子に生まれ、何不自由の無い生活。
ヨシこれでと決めて、現界に生まれました。

時が過ぎ、彼も年頃。
異性に好意を寄せ、様々な女性遍歴を重ねました。
それでも性格は明朗快活。

その彼が変貌した。
父親の仕事が倒産して、家庭からお金が消えて一般的な状況に成った時、彼は受け入れなかった。
お金の無い生活は、耐えられ無いのである。

私達なら普通の事だが、お金や物に執着する者には、本質がブレて正しい解決策を見いだす事は難しい。
私達は、金や物に毒されてはいけない。

自分の足元を見て理性的認識をする事で、様々なカルマを避ける事が出来るのです。

智を見いだす時、あなたは素晴らしい変貌を遂げるのです。

カルマの存在を学び、熟知する事で、あなたの人生は素晴らしい飛躍を遂げる事は間違いありません。
まずは、学ぶことが先決と考えます。

想念と感情

人間は時として、意識と関係無く、他人に悪想念を発している場合がある。
その場合、悪想念が生霊に変化し、相手に危害を及ぼす場合がある。
以下は、その実例を私の経験から記しておきます。

生霊に変化した想念

私はその日、あるお宅に病気平癒の祈祷を頼まれ、訪れた家で家人の異変に氣づいた。
娘さんの後ろに異様な人陰が揺らめいて居る。
私は、娘さんに質問をした。

①最近食べ物の好みに、変化が無いか。
②突然の不安を感じる事が無いか。
③何でもない様な事で、怒りを感じる事が無いか。
④恐ろしい夢や、嫌な夢を最近よく見る。
⑤よく、怪我にみまわれる特に、最近は、多い。
⑥友達や同僚に言われの無い事でイジメに遭う。
⑦最近、何か集中して物事が出来無い。
⑧寝て居るのに、眠くてたまらない。
⑨他人との関わりが、面倒に思われ、一人で居る事が多くなった。
⑩自殺を考えている、または、死にたいと考えて居る。

上記の項目に複数、該当する方は要注意が必要です。
間違い無く、憑き物です。

放置すれば、悪化する事は必定。
信頼出来る法力僧の力を借りて下さい。

本題に戻る。
娘さんは、全ての質問にハイであった。
私は、加持祈祷を勧めた。

そして、寺で加持祈祷をする事に。
母親が見守る中、娘さんの祈祷開始。
不動護摩供である。

開始後、生霊を不動尊の捕縄を以って呪縛、護摩の炎に曝し消滅差せた。
相手は、意識的に飛ばしていたのだ。

祈祷後は、相手もただでは済むまい。
呪い返しである。

この様に、意識的な生霊は逆に始末が仕良いが、無意識的な生霊は、本人が解って居ない分始末が悪い。
そんな場合に私は、或る法をよく使うその法は…・

模倣を避ける為に公開はしませんが、実に効果的に働きます。

人を怨んではいけないと解って居ても、怨んでしまう人間の性。
正に煩悩。
しかし、私の記事を読んだ方々は、人を怨むのは止めましょう。

何故か?
全てはカルマ、いわゆる宿業因縁に成り、自分に全て跳ね返って来るのです!

一番、恐ろしい事である。

このカルマは、自分が氣づき解消するまで、未来永劫引きずる事に成るのです。
氣づけばまだましな方です。

氣づかずにカルマに苦しむ人がどれほど居るか、皆さんはご存知では無いでしょう。

次回は、カルマに苦しむ人の実例を挙げて、書かせていただきます。

カルマ

因果、因縁の法則は、全てに、例外なく訪れる。
騙せば騙され、盗めば盗まれ、泣かせば泣かされ、イジメればイジメられ、傷つければ傷つけられ、殺せば殺される。
これがカルマである。

此処で間違ってはいけないのは、カルマは、良いカルマも存在する事である。
良きカルマは、しあわせを運び、悪しきカルマは、不幸を運びます。

密教では、古来よりカルマ解消法が存在します。
カルマの存在を最も重要視したのが、朝廷であり武将だったのです。

では、どう捉えていたか?
祟り、怨霊として恐れ、様々な出来事の解消法を密教に求めたのです。
日本各地の神社、仏閣も元は、祟り、怨霊を鎮める為に、建立されたものなのです。

現在は、国家鎮護の名目に、置き換えられていますが、古文書や縁起を調べれば、本当の由来が分かります。
カルマの存在を、真剣に捉えていたのは、私達の御先祖様方の方が、真摯に捉えていたのです。

無用な争いを避け、平和を愛していたのは、現代人より、御先祖様が先に教えて下さっています。
無用なトラブルを避け、平和に暮らし、善行を積んで、弥栄を願うところに、カルマ解消の鍵があるのです。

古戦場跡のマンション

相談依頼のメールが届いたのは、七月の暑い日でした。

買ったばかりマンションの、相談依頼である。

部屋が寒いというので、今は夏…そんな訳が…と思いながら、電話相談に切り替える。
直接話しを聞いていて、私の脳裏にある事例が浮かんだ。

古戦場跡に建てられた、マンションがある…
あの事案は、忘れられない。

電話相談でも解るが、依頼者の物件が近いこともあるが…
何故か氣になる…

調査に、行く事にした。
行ってみてハッキリした…

マンション全体が、古戦場の砦になっている。


私は、依頼者のいる階に…
依頼者と面談後、部屋の中を調査した。

この部屋だ‼️

子供部屋である。
入ってみると、異様に寒いのです。

これは、まずい!

部屋の中には、沢山の人形が飾られている。
その人形は祖父母とその他の方々から、孫の為に贈られた様々な種類の人形である。

その全ての人形に憑依霊が、とり憑いている…
まるで軍隊である。
人形は、あまり家の中に入れては、イケマセン。
私のブログ内で、何度も教えている様に、人形は、人、型、憑代、なのです。

全ての人形をここで、供養する事は出来ない。

ご家族全員が揃っていたので、結果を話して、子供部屋をしばらく封印する事になりました。

全ての調査が終了して、私は結論から話した…

このマンション全体が、憑依霊の砦である事。
未浄化霊が多過ぎて、祓い切れない事。
このマンションに長く居住すれば、子供さん達に悪影響が出る事、全てを話した。

ご夫婦は、愕然としていたが、私も大丈夫とは言えない。

やはり、家、土地、事業を行う時は、その地の産土神と守護神は無視してはならない。

今、素人流の様々な方法があるが、土地の因縁を甘くみてはいけない。
とんでもない事態になってからでは、取り返しが付かない事もあります。

呉々も、御用心下さい。

風潮

他人を嘲る事で、自己を鼓舞する風潮は、昔から恥だと知りつつ、続けられているのが現状です。

特に酷いのが、芸能界である。
私の寺には、何人もの芸能人の方が、悪意に苦しめられ、私の寺に相談にいらっしゃいます。

その中の一例を挙げれば、笑顔の悪意。
私達がテレビで見ているものは、全て虚構であるのです。

芸能界だから仕方がないと言えばそうです。
しかし、それを見ている方は、あれで良いのだと、感違いする視聴者がいる事も事実である。

そして、今、一般社会でも、笑顔の悪意が広がっている。
笑いながら、他人を蹴落とす行為が、世の風潮に成った時。待って居る行き先は?
生き地獄である。嘲笑された人は、怒り、憎しみ、哀しみに襲われるが、それは、一時的現象と、お考え下さい。

何故か?
あなた自身が、學びに目覚め、進むと決めた瞬間から、御仏の御加護と霊的応援を受ける事に成るのです。

その逆に、笑顔の悪意を振り撒く者に、救いは、無い。
続ければ良い。自らが選んだ、笑顔の悪意により、最後と云うべきか、楽しみと云うべきか、必ず報いを受ける事になります。

自らが罪を自覚し、反省と懺悔を迎えるまで、未来永劫、続くのである。

密教には、古来より伝わる、罪業消滅、因縁解脱の秘法が存在します。
人を呪わば穴二つ、例えがありますが、笑顔の悪意も同じ事なのである。

《私には、そんなつもりは無かった。》は、通用しません。
そんなつもりは無かったのなら、最初から、くだらない事は、しない事である。
言い訳をする時間があるのなら、反省し、二度と過ちを繰り返さない様に、學びを深めて行く事が、先決と考えます。



by kongousan-akafudo | 2018-05-12 12:00 | ├密教の世界

因縁(カルマ)に関する密教ブログ④

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因縁、あるいはカルマという言葉を聞いたことのある方は多いでしょう。
何か得体の知れない不安や恐怖を感じるという方も少なくありません。
それでは、因縁とは具体的にどういうことなのか?を學んで、不安を解消しませんか?
そして余計なカルマを積まない生き方を目指しませんか?

どうぞご覧ください。

事故物件

依頼を受けて、ある建物を霊視したことから、この件が始まった。

依頼者に案内されて行った家は、閑静な住宅街にある一軒家である。
敷地面積は百五十坪はある、大きな邸宅である。
依頼者によれば、破格な値段だったので無理をして購入したそうです。

しかし、奇妙な気がして、私に鎮宅除災の加持祈祷を依頼して来たのです。
私には、その異様な氣の正体は解っていた。

それは、一家離散の果てに希望を失い、自ら死を選んだこの家の主人の無念である。
その一家は、会社を経営して居た裕福な一家だった。

しかし、全員が無神論者で、祟りなどと言う事は信じ無い家族でした。
その家族のもとに来た話しがある。

それは、高さ6メートルはゆうにある、石の塔でありました。
その石塔は、持つ者に災いがあると言われて居た石塔なのです。

家族はその石塔を買い、庭の真ん中に据えさせて、毎日見ては笑い、

『 祟りなどを信じるのは、馬鹿か、貧しい人間が、信じる戯言 』

と、言い笑って居たのである。

そして、石塔が来て一年後のある日。
会社は倒産し、家族は離散。

残った主人は、ある場所で自殺したのである。

しかし、自殺しても死を理解できない主人は、自分がまだ死んで無いと思い、家に帰って来て居たのです。
そして、この家を買い、入居する人々をことごとく邪魔にして、追い出して居たのである。

その後、私の依頼者が購入し、鎮宅除災の加持祈祷に成ったのである。
私は、霊視した事を全て話し、依頼者の判断を待った。

依頼者は、家を購入する為に全ての財産を注ぎ込んでいるので、何とか助けて欲しいと願うので、私は決断した。

ある秘法を屈指し、家があるがままで焼祓う事にした。
諸天天神の力を借り、浄化の法を修し、元凶である石塔を粉砕《石屋の専門家の力を借り》

三日間の加持祈祷は、終了した。

一般の方々が、絶対に手を出してはいけないのが、わく因縁がある物である。
それと、古い仏像にはさわらない事が安全です。

テレビで、古い物の鑑定をして一喜一憂して居るが、古い物にはそれなりの来歴がある事を知っておくべきである。
素人考えで、《物質的価値観》欲を剥き出しに買えば、結果は?
古い物が欲しい場合は、自分がその物を好きで愛せるか?
俯瞰することも必要なのです。

毒と薬

私は、三歳の頃より古武術を習い修行を重ねてきた。
そして、両親の死後、出家するまで古武術を學びました。

古武術をご存知無い方の為に解説をさせて頂けば、古武術は戦さ場に於ける武術である。
組打ち、剣術、手裏剣術、薬学、地学、天文学、弓術、馬術と多彩である。

何故、古武術に薬学があるか?其
れは、戦さ場に於いて怪我が付きものだからである。
又は身体の変調不調があっては、充分な働きが出来無いからである。

薬学の中には、毒、火薬の製法も含まれている。
昔の僧侶は、薬も調合し人々を助けて居りました。

現在は、薬事法で禁止されているので調合は出来ませんが、災害時の人命救助に関しては、必要最小限の医療行為は必要と考えます。

私は接骨の資格も有しているので、災害時は持ち得る力を惜しみなく使います。
全ては、人間が作り、人間が使う。
知識があってもよこしまな者が使えば害と成す。

何時の時代も絶えない問題であるテロ行為も同じである。
罪も無い人々を巻き込み、殺害、傷つけ、口では聖戦とうそぶいて居るが、只の人殺しである。


毒と薬、思想も同じである。
間違った思想は、人々に地獄を与え自らは《指導者》隠れ、命令と云う欺瞞を発するだけである。

薬も火薬も狂人の手に入れば凶器と化す。
が、心正しき者の手に入らば、人命を救う鍵と成ります。

イジメや誹謗中傷を繰り返して居る人間は、自らが毒の池に浸かり喜ぶ大戯けである。
悪口雑言は自ら毒を吐き、その毒に依り自らの命を縮めて居るに過ぎない。

カルマ《因縁》は、必ず返ります。
イジメや誹謗中傷の類いは、卑怯者の一番好きなご馳走なのである。
だから、辞めることをし無いのである。
やがて、カルマが増大し破滅を迎える日が来るまで。

因縁《カルマ》

ニュースを見て、愕然とした。
若者であろうが、動画を投稿する目的で、通行人を車で威嚇し喜んで居るのである。
これは、後に大変なカルマに成って、本人達に返って来ます!

どんなカルマが来るか、私には、解って居るが、書きません。
尋常では無い事だけは、確かである。

本人達は、軽い気持ちで犯した事が、その後の人生を大きく変えるとは、思って居ないであろう。
ただ、車で通行人を脅しただけと。
しかし、これが取り返しの付かない事故に成って居たら殺人である。

時として、イタズラがとんでもない事態を引き起こす事を知って置いて貰いたい。
殺人を犯し、逃げる為に自殺するケースが多発して居るが、罪を逃れようと自殺しても決して逃げる事など出来無いのである。

罪を犯し、自殺に、逃げた犯人の末路を書きたいが、余りにも悲惨過ぎるので、差し控えます。

カルマとは因縁、良いカルマは、徳として預金され、悪のカルマは借金と成る。
此の摂理を學び真剣に捉えて居ればわかるはずである。
罪とは、重ね重ねれば最後に待つものは、哀れな結末である。

因縁解脱法

当院には、その方に合わせた解脱法をお授けする事が出来ます。

当院の所蔵する次第書、古文書、秘伝書の数は大寺院に匹敵する量があります。
そして、秘仏の数も多数を数えます。
寺は小さくとも、中身は濃いのが当院の特徴です。


カルマの法則《因縁》

あなたは、こんな経験をした事がありませんか?

例えば、嫌な事が続く。
お金の苦労が絶え無い。
様々に来る、カルマ。

苦しみ、もがいても、逃げられ無い苦しみ。辛いですね。
しかし、越える方法が、密教には用意されて居ます。

因縁解脱の法である。
カルマは、解消しなければ何度でもやって来ます。
それを解消し、新た道には素晴らしい未来が見えるでしよう。

其処から真の學びを始めても、遅くはありません。
因縁に苦しみ、挫折する前に、因縁解脱の法を試して、新たな未来を築くのはあなた自身の選択にあります。

始めなければ、変わらない。が真実です。

厨子

厨子とは、仏壇を指します。
聖徳太子が玉虫の厨子を創建し、日本に広められたのが始まりです。

今日は、仏壇にまつわる私の経験談をお話し致します。

あるお宅で、異変が続くのでお祓いをして欲しいと依頼を受け、そのお宅に行った時の事です。
そのお宅では仏壇が無かったのですが、中古で良い物が安くあったので購入を決めたそうです。

いわゆるサイトで、出どころが解らない品物です。

その仏壇には、前の持ち主の怨霊が宿っていたのです。
私の物を返せ。と訴え、物への執着が剥き出しである。

こうなった場合、説得は不可能です。
私は、霊界に使者を頼み、送り返すしか方法は無く、送り返しました。

この場合、送り返された者は苦しむことになりますが、仕方がありません。

その後、仏壇は専門の炉で荼毘に伏しました。

皆さんには、仏にまつわる物は絶対に中古は避けることをお勧め致します。
いくら安くても、因縁まで買う必要は無いのでしょうか?

祟り神

関東地方のある城下町の事です。
その地には、古くから続く祭りが盛んですが、開催すれば必ず、良くて怪我人、悪くすれば死人が出るのです。
今回の祭りにも死人が出ました。
そんな町の一画にある会社からの依頼を受け、向かった先は会社の駐車場。

此処では、度重なる事故に会社も困り果て、私に依頼してきたのです。
その駐車場は、一見何処にでもある普通の駐車場であるが、いわく因縁のある土地でありました。

過去には、城下町であった。
その土地には、真面目に生き、集落を護った武家の屋敷があったのである。

全てに平和な日々が続き、皆、しあわせに暮らしていました。
しかし新しい領主に成り、全てが一変した。

年貢《税金》は上がり、暮らしが成り立たない状況が続く中、武士は領民の幸せを祈り、敷地内にある井戸で、毎夜水ごり。すなわち願掛けをしておりました。
古来より、井戸には、龍神が宿っております。

武士は、井戸で毎日、雨の日も雪の降る日も願掛けを続けました。
そして、ある事から、無神論者の領主の怒りを被り、殺されてしまいました。
あろう事か家族まで殺し、領民への見せしめの為に、武士の家の井戸で家族全員の切り落とした首を洗い、井戸の淵に切り落とした首を並べたのです。

それが、私が依頼を受けた会社の駐車場にあたるのです。
普通の人が見れば、綺麗に舗装された駐車場である。

私は、指摘しました。
井戸の合った場所を指差し、あの場所に近よってはいけない。
あの場所には井戸があり、未だ生きている。
と云うと、嘲笑う様に『造成時に、業者が埋めて居ます。もう井戸は解決済みである』と。

私は、それ以上云う事を避けた。

何故かと言えば、信じない人間を説得するほど私は暇ではありません。
しかし、それからあの井戸跡は陥没し、いくら水を汲み上げても止まらない。
会社は、其処にバリケードを張り、再度、私に依頼して来ました。

しかし、私は拒否しました。
以後その場所は完全な柵がされ、パイプが通され使われておりません。

昨今、以上の様な案件が増えている。

祟り神と成った哀れな霊体が、供養もされず放置されている。
現代を象徴する出来事なのだ。と、私は言いたい。

カルマを積む者達

知らない、知ろうとしない者は哀れである。
募金と称して善意の人を欺き、私腹を肥やそうとした者、哀れである。
自身で、取り返しの付かないカルマ《悪因縁》を増やし、積み上げてしまったのである。

しかし、確実に地獄の門を開いてしまったのである。
イジメ、誹謗中傷、詐欺は最もキツイ罪なのです。

何故か?
人間界では、大した事がない様に日常的に行われている上記の事は、全て自分に数倍、数十倍の因縁と成り、帰って来るのである。
こんなに、割りに合わない事は他に無いと言えよう。

では、人殺しは、どうか?
簡単である。
未来永劫、殺され続けるカルマがあるだけである。

イジメ、誹謗中傷、詐欺は、何時罰を受けるのかを、今から具体的に説明致します。

現界である人の一生は、正に走馬灯のように、良い時もあれば良く無い時もあります。
但し、上記の事を行って来た者は、自身が最悪な時に重なるように、やって来るのであるのです。
その苦しみは、例え様のない苦しみである。

私は過去に、沢山の人が、この苦しみから逃れ様とする姿を見て来たが、壮絶なものである。
また、その様な人間は信仰心も希薄なので、御仏の慈悲も届かないのが現実である。

拙僧の言って居る事が、キチガイ坊主の戯言と思う者は続けて下さい。
そんな非科学的な事はない。と、思う者は、本当は科学を知らない蛮人なのです。

上記の事は、世界の心霊科学を知る者には当たり前の法則です。

日本は心霊科学の後進国であり、正に《井の中の蛙、大海を知らず 。》なのです。



by kongousan-akafudo | 2018-05-11 12:00 | ├密教の世界

密教804 動物霊

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動物は可愛いものである。
私も、犬2匹《フレンチブルドック、パグ》と亀14匹と暮らして居ます。

動物は、どの子も愛を學びに現界に来たのである。
やがて死を迎え、次の転生に繋げてゆきます。

しかし、過度のストレスを経験して死んだ動物達は、霊界に帰れず、現界を彷徨う事が多々あります。
そして以前から彷徨う霊体に唆され悪事をはたらくものと成るのである。

では、過度のストレスとは何か?

以下は、その例である。

・人間の身勝手で殺される
・遊び半分で殺す
・じわじわ苦しめて死に至らしめる

これらのことは、人間であっても凄まじい苦しみである。

人間には感情がありますが、動物にも感情はあります。
無意味に虐待や殺害をするものでは無い。
繰り返せば、やがて無差別な憑依を生み出す事に繋がります。

本当は、憑依霊が悪いのでは無く、憑依霊を生み出した事に原因があるのです。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝





by kongousan-akafudo | 2018-05-11 06:00 | ◎赤不動明王院通信

因縁(カルマ)に関する密教ブログ③

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因縁、あるいはカルマという言葉を聞いたことのある方は多いでしょう。
何か得体の知れない不安や恐怖を感じるという方も少なくありません。
それでは、因縁とは具体的にどういうことなのか?を學んで、不安を解消しませんか?
そして余計なカルマを積まない生き方を目指しませんか?

どうぞご覧ください。

カルマ《因縁》①

言葉は普通に誰でも発しますが、悪意や騙す為に発する言葉は全てそのまま自身に返って来る事を皆さんはご存知ですか?

因縁を回避する事は出来ません。
必ず倍加され戻って来ます。

但し因縁解脱する道は、残されております。
《悪用、模倣を避ける為》此処では書きません。

悪意の言葉は《言魂》に成って相手を傷つけ、やがて自分に返って来ます。
それも、耐えられない苦痛と成り戻って来ます。

その時は後悔しても遅いのです。

悪意のある言葉は、口から毒を吐いているのと同じです。
吐いた毒が自分に廻って来る事は知らない人が多い。

現在、至る所で言葉の暴力を振るい、他の人を苦しめて居る現状を皆さんもご存知のはずです。
そんな人達が多いのは、しあわせを知らないからである。
しあわせを知らないから、悪意の言葉も平気で発する事が出来るのである。

しあわせな人は意地悪しない。
他に優しい人はしあわせを知って居る優しい人だから。

その逆に、意地悪な人は常に怯えているから他を威嚇し、小さな自分を見られたくない哀れな人達なのです。

そして、最後は自分が積み上げたカルマによって、嫌でも反省の日々が待って居るのだから。

カルマ《因縁》②

犯罪者の因縁は、尋常では消滅しない。

現行の日本では、理解、解明をしようと云う動きは少ない。
だから異常な犯罪《事件、事故》が増加して居るとも言えよう。
正に物質的価値観の浸透である。

物質的価値観は、物を欲しがる、物に傾倒するのでは無い。
心と意識を指すのが物質的価値観である。

例えば、命を軽んじるのも物質的価値観の影響である。
「死ねば終わり」など典型的な例であり、解って居ない証拠と言えよう。

特に犯罪者には分からない論理である。

過去に小学校に押し入って子供達を傷つけ殺害した犯人がいた。
犯人はが一貫して死刑を望んだ事実は有名だが、犯人は大変な誤算をして居る。
死刑に成っても、終わりでは無い事を知らない物質的価値観の人間である。

また昨今では、9人を殺した犯人など典型的な例である。
死ねば許される、死ねば終わり、肉体が無くなれば全てが無くなる、と云う考え方も物質的価値観なのである。

人間は考え方を誤れば、その後の人生を大きく左右させてしまう生き物である。
今、一番大事なのは、理性で考え、知恵《智慧》を養う事である。

本気で身につけた理性や智慧はも何人たりとも奪うことは出来ません。

そしてあなたの宝となるのです。

理性、智慧は、この世の経験を感動に開花させる原動力に繋がります。

學ぶも學ばざるも自由なのが人間界である。


パワースポット

昨今、パワースポットがブームですが、ブームの影にある弊害が発生して居ることを、皆さんはご存知でしょうか?

私の寺には様々な相談が寄せられますが、意外に知られて居無いのが、パワースポットに安易に行き、様々な被害にあって居る方々が急増して居るのです。
パワースポットは確かに存在しますが、カタカナでは優しく柔らかな印象を受けますが、本当は力のある場所にはいわく因縁がある事も事実なのです。

例えば、有名な神社仏閣は、何故其処に建立されて居るかご存知ですか?
ほとんどが、祟りを鎮める為に其処にその場所に建てられたのです。
また、自然のパワースポットは、その場所のエネルギーが強いのは何故か?
考え、調べた事が皆さんはありますか?

敢えて言いませんが、安易に行くことは危険ゾーンに自ら飛び込むのと変わり無い事を、知っておく事が肝要です。
そして、安易に頼り、立ち入ることが如何に危険か、自身で故事来歴を調べれば解ります。

今は、便利な時代です。
携帯電話で調べる事も簡単に出来ます。

御参りの仕方は、安直な本を読めば解りますが、安直な本には、御参りに関する精神までは明記されて居無いのが現状です。

作法は大切ですが、精神の裏付けの無い作法は空法であり、弊害は生んでも益は生みません。

私の理論を、古臭いキチガイ爺いの戯言とお考えの方は、是非ご自身の判断と理論で進まれることをお勧めします。

帰って来た仏像

数十年前にこんな事件があった。


ある寺から仏像が盗まれ、十年後に寺に帰って来たと云う事件である。

この事件には、後日談があります。

その後日談とは、ある古物商から仏像を買った家で起きた怪現象である。


その家の主人は、通りすがりの骨董店で仏像を買い、家の仏壇に安置しました。

良い物が安く買えたと喜んでおりましたが、怪異はその時から始まりました。


最初の年に仏像を買ったご主人が急死、次に長男が急死。

次々と家人が亡くなり、最後に残ったのが信仰心の厚いおばあちゃんだけでした。


一人に成ったおばあちゃんは、全てを処分して養老院に入る決心をしましたが

心に掛かるのが仏像である。


おばあちゃんは、お寺に行き相談しました。

そして話はまとまり仏像を寺に安置して貰う為に、仏像を寺に持って行き包みを解いた時、住職が声を上げました。


この仏像は、十年前に盗まれた寺の本尊仏だったのです。

警察も来て調べましたが確かに寺の仏像である。


このニュースは、当時、新聞にも載りましたが、何か釈然としない思いが残ります。



私は助言します。

出処がわからない仏像を買うのは、やめた方が良い。


新しい物は高額ですが、欲しければこつこつとお金を貯めて買えば良いのです。

古物には因縁が付き易く、素人の方にはお勧め出来ません。

どうしても古物が好きな場合は、力のあるお寺にお願いをして撥遺してから開眼をして貰う事をお勧めします。


お試しの時

人生には、様々な事象が起きるが怖れては、いけない。

様々な事象は魂を成長させる《人間力》向上の試練である。

人生には理不尽な事が起こります。
ただそれを理不尽とだけ捉える時それは、ただの苦痛でしか無い。
そんな時に、人は悲劇の主人公に自身を置いてしまいがちであるが、それはやめたほうが良い。

悲劇の主人公になっても何の解決にも成らず、その逆に悲劇を増大させてしまう。
そして、よけい悩みの淵に自らを追い込む事に成るのです。

私は、還暦を過ぎました。
自身の半生を振り返り思う事は、御仏の御縁があったればこそ、今の自分があるということ。
あの時、あの瞬間に私の中に信仰心が無かったら、私は現界には存在して居ない。

因縁も縁、吾れ事において後悔せず《宮本武蔵の五輪書の一節》。

傷を舐め、傷を舐め合う時、悲劇の主人公は、耐えられず自爆のスィッチを押してしまう場合があります。
悲劇の主人公に成ってはいけない。
そんな時は、何時も以上に理性的に自身の思考回路を制御する努力を怠らない事が肝要です。

次の方法も有効的です。
直面した問題点を、箇条書きにする。
そして、優先順位を決めて、一づつ解決の糸口を探し実行する事が大切である。

密教は科学

密教は、科学である。

計算し尽くされた心霊科学と私は、捉えて居る。
ただ現在の科学では、捉えきれて居ないだけである。

科学にも法則がある様に、密教は科学が成立する前から、法則を解き明かして居るのである。

全ての事象には、因縁があり起きる事象にも因縁があります。
因、縁、果、全て法則なのです。

例えば、川は高きから低きに流れ海に注ぎ込む、此処にも法則があります。
山の中の水が川に成りますが、山がなければ川は、存在しません。
山の地中にある、栄養素が川に溶け栄養素を蓄えた水が海に流れ込み海となります。
そして海の動植物が生まれ育ちます、

此れも全て法則なのです。
誰も真相を知ろうとし無いから、密教は、科学されません。

私は、密教の発展の為と皆さんのしあわせを考える時、一日も早く科学で解き明かして頂きたいと切望して居ります。

御大師様は、優秀な科学者であった事は、歴史的事実であります。
知らない人は、《興味が無い、宗教に科学はいらないと考える不思議ちゃんだと考えます》
科学は、未だ到達を知らず、解ら無い事だらけが、現在の科学である。

真摯に學び。何故、何を解明しようとする時、扉は開き、このまま解明もせず、精神論のみに費やせば、衰退しやがてとも倒れに成り兼ねません。
御大師様が残された密教は、人を導き、このみこのまま幸福へといざなう教えなのです。
私は、生ある限り、密教塾にて密教の教えと実践法を説いて参ります。


土地の因縁

土地には、様々な因縁が存在します。
これは、ごく身近に起こり得る事であるのです。

『 私は、大丈夫 』的な事は、通用しない実例である。

A氏は、所有するマンションを売却し、新たなマンションを購入した事から、不可解な出来事に悩む事になりました。
それは、A氏が新しいマンションに入居した日から起こりました。

誰も居ない台所から鍋が落下。
その音に驚いた奥さんが台所に行って見たが、何も無い!

その後、連続して、毎日同じ時刻に音がするのである。
また、台所以外の場所でも、様々な不可思議な事が頻発しました。

最後には、夫婦の寝室にもそれは起こった。《人影》
たまりかねたA氏が寺や霊能者に依頼して祈祷をして貰ったが、その現象は止む事は無いばかりか、益々激しさを増したのです。

たまりかねたA氏は、友人を介し、私の寺に相談に来られました。
私は事情を聴き、A氏のマンションに行く事にしました。

数日後、A氏が迎えに来られ、私はマンションに向かいました。
マンションに到着した瞬間、強い波動を感じました。

しかし、敢えてA氏には告げて居無い。
A氏所有の〇〇号室に入って霊査するも、予想通りだった。
戦争の犠牲者を荼毘に付した土地だったのである。
《荼毘とは、火葬する事》

しかし、戦争の混乱の中での荼毘は、《火葬》とは、呼べないほど惨い扱いであり《人間の焚き火》供養などとは程遠いありさまである。

何度も何度も同じ場所で、遺骨を拾うこともせずに、繰り返し続けられたのです。
そして、終戦、混乱。

人々は、自身が食べ生きる事に必死でした。
何時の日か、全ての事実は消えて行ったのである。

戦後七十年が経ち、現在、その事実を知る者は居無い。
荼毘の現実は知っている人も居るが、土地の場所まで克明に覚えて居る人は居無いのである。

その他にも、斬首場、腑分け場、晒し首場、刑場跡を、知る者は居無い?
しかし、確実に言えることは、その土地が存在する事実は曲げられ無いのである。

A氏に、私は言った。
『 一日も早く、このマンションから出なさい。』

そして、この問題はA氏だけでは収まらなかった。
同じマンションの住人にも、起こって居たのです。

マンションは敷地面積も広く、土地の履歴を調べる事が困難です。
そのうえ営利目的の為に、徹底したコスト削減から、ほとんど地鎮祭や浄化祈祷は行われ無いのが現状です。

そして購入者も、利便性と集合住宅である事から、あまり土地については関心が無い様です。

A氏のマンションで起こった霊事では、現在住人のほとんどが退去して居る。
そして、売却したくても、買い手が見つからずに困っております。

しかし、この物件を浄化して因縁霊を成仏させるには、大変な人数の法力僧が必要なのです。
私ひとりの力ではどうしようも無いのが現状である。

では何故、そこまで悪化したか?
まだ更地なら、打つ手は合ったのです。
しかし、建物は集合体。

一部屋一部屋を、同時に祈祷浄化する事は不可能である。

皆さんも、考えて頂きたい。

説得する相手が複数人居て、聞き分けの良い人もいれば、言う事を聞かない人も居る。
中には、凶悪の者も居る。
そんな状況の中で、一人や二人の説得者《法力僧》が法を修しても、効果は望めません。


また、数がいれば良いと言う事ではありません。
本当に力のある法力僧を探すだけでも、至難の技なのです。

それだけ、現在の状況は物質的価値観が蔓延し、本物の法力僧が少なくなってしまったのです。
本山と言われる所では、勢力図と他を認めない風潮があり、在家から出家しても夢破れ去る人が後を絶ちません。

また、昔のように修行に命を懸け、挑むことも無く成りました。
地鎮祭は大切な礼法であり、軽視すれば、結果は上記のように悲惨な状況になるケースが少なくありません。

意識と法則

人は、様々な意識を抱え生きていますが、意識が自身のしあわせを遠ざけて居るとしたら、あなたならどうしますか?

意識とは、想い癖に依り左右される事が多くあります。
癖も同じ意識から発しています、

悪い癖なら意識して直す。意識を左右するのは、理性である。

理性を身に付ける早道は、學びである。
理性も學びも放棄した状態では、しあわせは、遠ざかるだけでは無く、悪い因縁をも引き寄せて居るのです。

街を歩いていますと、未浄化霊を付けて居る方を多く見かける様に成りました。
では、何故、未浄化霊に憑依されるのか?

波長である。低い波長を出しながら、生きていれば当然、波長の低いものが群がります。
意識の中に理性と正しい信仰心を心がけて學ぶ時、知らず知らずに波長は、上昇して居るのである。




by kongousan-akafudo | 2018-05-10 12:00 | ├密教の世界

因縁(カルマ)に関する密教ブログ②

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因縁、あるいはカルマという言葉を聞いたことのある方は多いでしょう。
何か得体の知れない不安や恐怖を感じるという方も少なくありません。
それでは、因縁とは具体的にどういうことなのか?を學んで、不安を解消しませんか?
そして余計なカルマを積まない生き方を目指しませんか?

どうぞご覧ください。

因縁

人間に生まれ、宿業因縁を持たぬ者はいない。
それは、絡み合う糸の様に複雑に関係し合っている。
それを解して行くのが人生であり、苦難苦悩の原因であり、人生の課題なのです。

解っているが、苦難苦悩する時…人は嘆き、逃避したいと考えるのは当然です。
しかし、逃げ場はないと知る時…絶望に近い苦悩に苛まれて行きます。

その時に、人は選択します。
行くか…戻るか…闘うか…負けるか…
何もせず耐えるか…

密教は、その苦難をも、変える法が存在します。
それが、因縁解脱法です。
内容は此処では書けませんが、確実に因縁を変えて行く事が出来ます。

因縁には、良いと感じる因縁もあれば、苦しみのたうつ因縁もあります。
全てを精神論で片付けるのは簡単ですが、今、現実に苦しむ人に、苦しみはいつか癒える…と精神論を唱えてもその人を救う事は出来ません。

今、必要なのは、確実に癒す事が求められているのです。
密教の法には、それが存在します。
後は、貴方が決める事…

全ては決断から始まり、解決が終わりを意味する、人生を送る…
それが究極の満足になる事と信じます。

身勝手な人

昨今、目立つのが自分勝手な人達である。


先日、自転車に子供を二人乗せて走る若い母親が、曲がり角を安全も確かめずに曲がって行ったのを見かけた。
私は思わず危ないと叫びそうに成った。

其処から少し離れた場所で事故が発生して居た。
観ると、さっき安全確認もしないで曲がって行った自転車が倒れていた。
衝突事故である。
直ぐに救急車のサイレンが聞こえた。

子供を抱えて母親が唖然としていたところに救急車が到着し、警察も来た。

私は思う。

子供の為を考えるなら、無某な事は避けねばならない。
これから、同様な事故は増加の一途を辿るであろう。

年々増加する身勝手な人達。
自宅の前の道路に私有地と書き、通る人を妨害して逮捕されても反省すらしない。

高齢者、正に身勝手の典型的な例である。
其処には分別のカケラもない。
近隣の住民は、15年の長き渡り苦しんで来たと云う。
分別は年齢に比例しない。

何故か?
それは、道徳心を學ばず身勝手に生きた証拠である。
本来、子供の頃に卒業せねばならない學びをうやむやにした為である。


また、職業が教育者であるにもかかわらず、不祥事を起こした人達も身勝手に生きた証拠である。


私は此処で教育論を書く気は無いが、皆さんには御判りのはずである。
明らかに今の日本は、どこかおかしいと。

他人の批判に始まり、自分の事は棚上げする人達に私は警鐘を鳴らし教えてあげたい。
このまま行けば必ず泣くことになると。
そんな事は関係ないと言えば、大きな因縁が駆け足でやって来ます。
本心から関係無いと思うのであれば、一言で出来ます。


しあわせを望まない者を私は知らない。
しあわせを望むのであるのなら。
今からでも遅く無いのです、學びなさい。

そして今迄に作ったカルマ《因縁》を、少しでも解消に向けて努力する事をお勧めする。


カルマの増加

政治家から一般人まで、今迄に無いほどのカルマ《因縁》を背負って居る姿が私には視える。
何故これほどカルマを背負って居る人が増えたのか?
それは自己中心的な人が増えた結果である。
このまま増え続ければ、恐ろしい結果を生み出すで有ろう事は、火を見るよりも明らかと考えます。

私の予言文を見て頂けば解ります。
人間は誰しもしあわせを望みますが、カルマを重ねれば重ねるほど、しあわせからは遠去かります!

以下は、一例です。

詐欺、誹謗中傷、クレイマー、偽装、犯罪者。
これは、最高にカルマを増大させます。

馬鹿坊主の戯言と思う方は、続けるが良かろう。

必ず結果は出ます。
氣づいた時は、手遅れである。

凄まじいカルマ《因縁》の返礼を味わう事に成るのです。
これが、因果応報である。

その逆に、貧しくとも先祖を敬い、神仏を尊び、他に優しい人の人生は必ず開華します。
言わば報われるのです。
光と影、陰と陽、貧富に繋がるのである。

自分さえ良ければ良い、は地獄道である。
日本には浅ましいと言う言葉があるが、本当に浅ましいのは上記にかいた行為である。

身勝手

身勝手とは、身を滅ぼす第一段階である!
自分で公言し、自分で破棄する事は全ての信用と信頼を失うだけでは無く、人間失格である。



此処で考え無くてはいけないのが、発言と公言の違いである。

古い言葉に、「武士に二言は無い!」とあるが、有言実行とは容易い事では無い。
反対に不言実行は現在では死語である。

現在、他の人に黙ってついて来いなどと言えば全員に笑われるのが関の山である。

有言を如何に実行、実現するかはその人の人間力である!

人間力を向上させる事は、並大抵の努力では身に付くものでは無いが、諦めた時点で向上は無い。
男女とも同じことが言えよう。

しかし女性でありながら、男性でも成しえない偉業を達成した尼僧を何人か存じ上げて居ります。

一見は優しい菩薩の様だが、心眼鋭く見抜く眼は正に明王である。

その道に進むべく、一人の女性が志願して居る《私の弟子》
いばらの道だが、やり通すで在ろう事は私が一番よく知って居る。

本当の修行にこれで良いと言う事は無い。

あるとすれば句切りである。
言わば段階である。

自分で行くと決めた道を歩んで行くのは、当然であり公言する必要も無いが、この道は裏切りは許され無い道である。


それから考えれば、人間界の自分勝手も公言、発言も児戯に等しい。
だからと言って、上記の行為が許される訳では無い。

必ず報いを骨身にしみる出来事に遭遇する事に成る《確実》

人間正直が正しく、金である。

騙せば、騙され、犯せば犯され、殺せば殺されるが因縁である。


お計らいの力

私は、お計らいの力の凄さを何度と無く知って居る。

事例を挙げれば切りがないほどですが、敢えて書きません。
何故か。
不思議思考に成って欲しく無いからである。

不思議思考は、人間には必要ありません。
必要なのは、素直に受け取り、正心に生きる事である。
《正心に優るもの無し》
欲を制し、感謝と布施の心で生きる時、未知の力が働きあなたに真実を知らしめます。

一例を挙げれば、行方不明の人が家族の御祈願に依って帰郷、帰宅する。
病の宣告を受けた方が、大難は小難、小難は無難にとお計らいが働かれることも多々あります。
仕事が決まらず困って居た方が、決まった。
借金苦で喘いで居た方が、思わぬ形で救いが来た。
などなど、数え挙げれば切りがないほどです。

此れは全てお計らいの力である。

では何故、お計らいの力が動くのか?

反省と感謝の念が届いた時に発動されます。

では何故、反省と感謝が必要か。
反省と感謝が足りない場合は必ず繰り返します。

因縁は試練であり、基本的には學びなのです。
學ばず繰り返せば、同じ事が起こるのは当たり前である。

履修し、同じ過ちを犯さ無い為にも反省と感謝が必要であり、其処にお計らいの力が動くのである。

お計らいだけを望んでも、発動はしません。

現代社会が何でも早く出来上がるから、此れもあれも早く出来ると考えるのは、インスタント脳に成っている証拠と言わざるをえない。

因縁解脱

密教には、因縁解脱の法が様々に残されて居ります。
それは何故か?
因縁と言うものが、私達が生きて行く中で様々に影響して来るからなのである。



中には、こんな例もあります。

本人は真面目にやって居るのに、様々な苦難に遭遇する。
何をやっても途中まで《中途挫折の因縁》
何度、恋愛をしても上手くいかない。
仕事も、途中までは上手く行くが、他に成功を奪われて自分に残ったのは整理だけ。
様々に絡み合います。

信じて居た者からの裏切り行為。
例を挙げればきりが無いほどあります。

それは、カルマであり因縁の力が作用して居る場合があります。

密教にはその因縁を解き新たな道を開く為の法が用意されて居ります。

では何故、因縁を解かねばならないか?
無垢の状態にし本来、自身が目指す道を進む為に必要だからなのである。

例えば、山を越えるには、大変な体力と知識、装備が必要と成ります。

また目的を果たし、帰るにもまた山を越え無くては成りません。

それがトンネルがあれば、誰でも通行が可能に成ります。
山を登る事が目的では無い場合、山を越える事は苦痛でしかありません。
また、体力の無い人には、最初から無理な話しである。

目的の為には体力が必要ですが、体力を有してい無い人は達成出来ないのか。
違います。

体力が無くても、目的を達成させたいと考えるのが密教である。

だからこそ、ありとあらゆる経典が存在して居るのです。

口伝は、経典の深部を伝える事を真とし、経典はそれに至るまでの教科書である。
密教は、全ての人に平等である。
しあわせも、全ての人に平等であると説くのが密教なのです。



地球規模のカルマ

カルマ《因縁》は、戦争である!
人を虐殺し、様々な生物をも巻き込み破壊する戦争。
一人の独裁者が、己れの感情を満たす為に起こす行為としては最悪な選択です。

歴史に照らしても明白です。

そして、独裁者の最も低俗なところは、己れの意見に賛同しない者には、例え親兄弟でも虐殺する事である。

ましてや一般国民など、塵芥としか思わない性格は悪魔そのものである!
母なる女性の体内から生まれようと、悪魔の魂を宿したのは己れの選択である。

例えば、私の知る例で、口では敬語を使い、心では正反対の行動に出た者を私は知っている。


これを繰り返し行うと、やがて魂は穢れ、自分でも制御不能な状況を自分が作り上げてしまう事が多々出て来ます。
そう成った時は、手遅れで末期状態に陥っていきます。

様々な犯罪者も同じ部類である。

自分さえ良ければの考え方、正に究極の我儘体質である。

普通の人々は、自身の痛みを理解し、他人の痛みを理解する時、その後の人生は実りあるものに変化します。

自己満足に生きるか?
達観した人生を生きるかは、全て自由意思である。


愛と平和

人を愛する事は尊い。
しかし、愛と我欲を混同する時、愛は失せ魂の意味も解らず生涯を過ごすことに成ります。

女性は男性のオモチャでは無い。

男性は女性のスポンサーでは無い。
男女同権とは、互いがいたわり合い初めて成立するのです。

自己の主張を優先したいのであれば、男女共に独身を貫いた方がしあわせである。

しかし日本の現状は、今だ女性が涙する事が多いのが現状である。
私の元に寄せられる相談も、女性が泣いて居る事が大半を占めて居る。
嘆かわしい事である。


しかし、そんな場合でもご安心下さい。

カルマの法則《因縁》からは、逃げられ無いのである。
女性を泣かした男性には、必ず報いが参ります。

また女性も同じで、男性を落としめた場合にもカルマの法則は見逃しません。

泣かせば泣かされ、奪えば奪われ、傷つければ傷つけられ、殺せば殺される、これが法則である。
何人たりともこの法則から逃れる事は、出来ないのである。

但しある事を持ってすれば可能と言えますが、此処では書くことは出来ません《模倣、悪用を避ける為》

従って、泣かし傷つける事は、双方、何の得にもならない事を知るべきである。

一例を挙げれば、過去に美しい女性が居ました。
女性は自己の美貌を武器として様々な男性を騙し、ある男性は失意の内に自殺をしました。

その女性は男性の自殺から一年後に事故を起こし、顔の半面を見るも無惨に失い、その後の人生は惨憺たるものでした。
スーパーの店員にも採用されず、狂乱し強制入院させられその後は…。

正に因縁である。

僅かな徳と虚栄心の為に取った行動が、後でとんでも無い結末を迎え様とは知る由も無い。
これを信じ様が信じまいが自由である。

男女問わず、キチガイ坊主の戯言と笑う方はご自由に。



by kongousan-akafudo | 2018-05-09 12:00 | ├密教の世界

因縁(カルマ)に関する密教ブログ①

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因縁、あるいはカルマという言葉を聞いたことのある方は多いでしょう。
何か得体の知れない不安や恐怖を感じるという方も少なくありません。
それでは、因縁とは具体的にどういうことなのか?を學んで、不安を解消しませんか?
そして余計なカルマを積まない生き方を目指しませんか?

どうぞご覧ください。

瑕疵物件

昨今では、隠れ瑕疵物件が増えて居る。
別名、事故物件。

家は、借りるにしても、かなりのお金が必要になります。
まして購入するとなれば、大変なお金が必要になります。
なるべく安く良い家を取得したいのは当たり前です。

但し気を付けて下さい。
契約する前に必ず、自分の足で調べる事をお勧めします。
何故か?
自殺や事件事故のあった物件は割と分かり易いですが、前に契約成立者が居た場合、履歴は消えます。

以下は、私が経験した実話です。

ある相談者の方が、中古の家を購入された後から夫婦不和が始まりました。
ご主人の性格が一変したのです《奥様談》

以前のご主人は、荒い言葉など一度も使った事が無い、子煩悩な優しいお父さん。
引っ越してから一週間くらい経った頃、ご主人が豹変して日増しに荒く成って行った、と。

子供達は、今迄ほとんど病気などした事が無かったのに、怪我と病気が連続して起きるのです。

これはおかしいと思い、奥様の同級生だった住職に相談したところ、住職は過去帳を広げました。
《住職は、御夫婦が購入された家の近所の寺の住職である》

『あの家から早く出なさい、あの家は、私では祓い清める事は出来無い土地です』

私が霊視した通り、その土地は刑場跡でした。
その土地に家を建てた人は、必ず離散して居たのです。

私はご主人に説得を試みましたが、聴く耳を持たない無神論者でした。
そして在ろう事か、そんな因縁の有る家なら、見世物で金が稼げて大いに結構だと言うのです。

万事休す。

それから一週間後、ご主人の暴力と様々な事柄によって家族は離散しました。
まず家を選ぶ時は、出来る限り慎重に選び、様々な観点から調べる事をお勧めします。

密教法具の真偽

最近の密教ブームに便乗して、偽物が多く出回っております。

密教僧なら真偽が解るのですが、素人の方には見分けが難しい、精巧な物もあるのです。

コレクションで楽しむなら問題はありませんが、使用には耐えません。
それよりも、古い出処の不明な物には手を出しては危険です。

左道に使用した法具もあります。
左道に使用した物を所持しただけでも、被ります。
因縁に手を出せば、因縁を被ります。

絶対に、お止めになる事をお勧め致します。
密教法具には、それだけの力が秘められているので御座います。

如何しても欲しいと思われる方は、密教寺院にお尋ねする方が良いと思います。
変な癖が付いていない、無垢な法具で楽しまれる事をお勧め致します。

尚、私の寺で宜しければお尋ね下さい。

法具は、正しく選び、正しく使用する事で、法具の持つ力を引き出すことが出来るのです。

特別な物には、割五鈷杵、スベ五鈷杵【都五鈷杵】には、舎利もしくは、宝石を使用する法具もあります。
法具を知る事も、密教を学ぶ事に繋がります。




このほど当院に、特別な意味を持った龍神が御出でに成られました。
当院の様な貧乏寺では、これほど見事な木彫りの龍神を購入する事は不可能ですが、様々な事柄が重なり合い、当院でお祀りする事に至りました。

当院の西側には、巨大な池があります。
その池には因縁があり、予々心を寄せて居りましたが、この度池の主である龍神が当院に縁付かれました。

それは御本尊、赤不動明王尊の御力なので御座います。
龍神は、重なる人間の理不尽に耐え兼ね、爆発する寸前に、私が赤不動院をこの地に開いた時にさかのぼります。

赤不動院を開くと決めた時から、不思議な現象が度々起こりました。

①貧乏な僧侶である愚僧が、家を買える訳がありません。
②当時の私は、仕事の傍らに僧侶の仕事をして生計を立てて居りました。
③霊能者としても、表舞台に出る事を嫌い、隠遁生活をして居りました。
④自分の人生は、このまま朽ち果て様と悔いは無いと想う毎日でした。
⑤其処に表れたのが、ある人物であります。
⑥あの出会いが、私の僧侶としての運命を大きく飛躍させてくれました。
⑦寺として相応しい家探しの始まりであります。
⑧その日に見つかり、その日に決断、購入。驚きの連続であります。
⑨内部の改造、そこで大変な事態に成ったのです。

内部の改造を専門家に頼み、私は引越しの準備に入りました。
工事は順調に運び、引き渡しの日に喜んで家に向かいました。

そして、説明を聞いて居る時、声が聞こえて来たのです。
当然、私にしか聞こえない声であります。

受け取っては、いけない!
この工事は手抜きだらけで、受け取って仕舞えば万事休す。
取り返しがつかない。受け取るな!

私は、その声に従い欠陥点を指摘しました。
当然、出来上がっていて解るはずも無いのですが、私は声に従って全てを指摘。
相手の業者が、全ての瑕疵を認めました。
その他の瑕疵も、自分から全て暴露して全面改装に成りました。

その後は現場監督も常駐し、職人さんは一流の腕を持った人が担当する事に成りました。
それから一カ月後、ついに完成。
見違えるほどの出来映えでした。

始めは、お金が無いので一部改装の予定が、何と全面改装に発展してしまったのです。
その原因に成ったのは、私が工事の無事を願い、仏様を工事不要な部屋に安置した事でした。

何と事もあろうに、その部屋に立ち入り禁止を告げて有ったにも関わらず入室し、ゴミ置場にして居たのです。
当然怒りを買い、工事は、瑕疵だらけに成り、70万円位の工事が、300万円以上の大工事に変わってしまったのです。

不思議な声の主は仏様だったのです。
全ては、仏様にはお見通しで、いい加減な工事をした者は会社から追求され、全てを認めました。

正に、観てござる。です。

不思議な事は、まだまだ続きました。

全ての工事が終わり、工事会社の重役さんがお詫びに来られました。
全ての工事代金は、自社で教訓として残す為に会社が負担すると。
更には、引越しが一カ月遅れたお詫びに、全ての引越し費用を負担して下さいました。

有り難いお申し出を頂戴致しました。

それから家も落ち着き、散歩をして居る時に大きな池の存在を知りました。
その池は、つい数十年前は今の何倍もの大きな池で、この辺りの水源地だったのです。

水門を完備して、地域の田畑を潤し、豊かな恵みをもたらす大切な命の池だったのです。
しかし、高度成長期に宅地化の波が押し寄せ、徐々に池は埋め立てられ、今の大きさに縮小されていったのです。

池の主の龍神様は怒りもせず、今の池に夫婦主としてひっそりと暮らして居られました。

しかし、人間の欲望は止まるところを知りません!
今の池も埋め立てて、土地を売却する事にしたのです。

前回の埋め立て話しは談合発覚に依り取りやめに成りましたが、今回は2月に再入札をし、売却する事に成りました。

龍神様は哀しみ、御本尊 赤不動明王尊に相談され、御本尊様も快諾され、今は御本尊様の前護りの位置におわせられます。

愚僧は、想います。
人間の欲望に依り自然が破壊され、其処に棲む様々な生き物が行き場を失い死滅する。
それを止める事が出来無い無力さに、申し訳なさを感じて居ります。

愚僧が地主に掛け合っても、金欲しさのキチガイ坊主と一蹴されます。

今の私に出来る事は、せめて龍神様の為に御社を埋め立て地の一画に建立される事を願って祈祷すること。

日本人は、古来依り神仏を尊び、神仏と共に暮らして来た民族です。
アメリカかぶれの合理主義は、日本人を堕落させ、壊滅に追いやると愚僧は心得ます。

本来の日本人は自然を愛し、自然を敬い、神仏を尊び、隣人を愛した民族です。
私の記事を読んで頂いて居る方々だけでも、本来の日本人とは。を考えて頂ければ幸いです。


家選びに必要な事

新しく、家や部屋を探して居る方々が多くなる時期ですね。

機能性で選ぶ方が多いのではありませんか?
機能性も大切ですが、意外と知られていないのが、家の履歴です。
家の履歴は、本当は非常に大切な事なのです。
一般的な言い方をすれば、事故物件に手を出してはいけません。

以前、私の寺に相談に来られた方が、事故物件を買い、悲惨な目に遭われました。
祈祷の依頼にお見えになり、お話を聞いた時の事で御座います。
その方のご主人が、無神論者を自負する方で、事故物件、事件物件と知りつつも、購入を決めてしまいました。

それ以降、様々な不幸に見舞われて、最後に私の寺に相談に来られた時は、奥様は憔悴仕切って居られました。
その家は、家族全員が自殺された家だったのです。

私が霊視すると、自殺された家族は全員が憑依され、自殺に追い込まれて居たのです。
過去にも、その土地では多くの血が流され空き地と成り、前回、自殺された家族が土地を購入し家を建て、その後に一家で自殺されたのです。

その家族も無神論者であり、地鎮祭も家相も一切信じ無い方でした。
その後の近所への聞き取り調査で、私の言っている事が事実と立証されました。

その家は、祓い切れない穢れに覆われて居るので、最早、人が住める状態ではありません。
私は、その家を諦めて家を出る事を勧めましたが、最後までご主人は言う事を聴きません。

私も諦めて、ご自由にどうぞと言い、手を引きました。
その後、ご夫婦は離婚し、あの家には誰も住んでは居ません。

仲の良い夫婦、家族で有っても、悪因縁には勝てません。

新しく家を探して居る方々は、くれぐれも、急がず、履歴を確認してから引越しをする事をお勧め致します。


魂の年齢の低下

昨今、魂の低い者が起こす事件事故が、相次いで見受けられるのは何故でしょうか?
それは、怠惰が原因と考えます。

遣って貰ってあたり前の考え方は、正に怠惰の極みです。
中には痴呆を装い、記憶に無いとうそぶく輩までいます。

人間は誰でも學ぶ自由がありますが、最初から學びを拒否して居てはどうにも成りません。
老若男女に関わらず、學びの無い《学歴や知能の問題では無い》常識が欠除して居る者が、増えて居るのです。
最早、文明人では無い様に思います。

常識、秩序、礼儀作法をも無視する事が良いと考える風潮社会は、文明人ではありません。

そのくせ、自分が被害を受ければ、法律だのをひけらかし、自分を正当化しょうとする者に、法律は無力に等しい。

正に、厚顔無知としか言い様が無いです。

自分のやりたい様にやる。
他の迷惑も考え無い遣り方は、非常に大きなカルマに成長し、最後は、本人に何倍にも成って降りかかる事に成るのです。

カルマとは《因縁》

この法則から逃れることは出来ません。

因果応報、蒔いた種は、最終的には自分で刈るしか無いのが因縁の法則なのです。
老人だから、許される事も御座いません。

むしろ老人なら、長い人生経験を生かし、學んで居るはずなのであります。
しかし、現実はそうでも無い事が分かりました。

老若男女問わず、ダメなものはダメなのだと、學ぶべきと私は考えます。

悪意と善意

悪意と善意は、表裏一体で御座います。

何故、悪意が拡大して居るのかは、誰も疑問はおろか、議論にもならないのです。
現状は、憂うものが御座います。

私の知るブロガーさんや、他のブロガーの記事に、誹謗、中傷を繰り返す人間も悪意に満ちているのです。
自分の身分を隠し、他を誹謗中傷する者は、卑怯者と言わざるを得ません。

私も以前、誹謗中傷されましたが、私は密教僧であり、祈祷のプロ。
断じて許しません。
必ず、調伏致します。

隠れた者でも、簡単です。
卑怯者は隠れますが、逃がしません。

法律からは逃れられても、密教の秘法からは逃れられません。
話しは、脱線しましたが、悪意を持つ者の殆んどが解らないでしょう。

法律に違反して居ないから大丈夫、と考えて居ると思うが、とんでもない誤りです。
カルマ《悪因縁》は、必ずついて周ります。
私の祈祷法は、やがて来るカルマを早める為の秘法で御座います。

悪意に依って、不幸な事に巻き込まれた人を救うには、最早、法律や、警察権では無力と知りました。
私は、これからカルマ速返法《仮称》を使います。

法律ても、警察権力でも、世論も届かない相手には、自らのカルマで反省する様に仕向けます。
その反対に、涙する人の為に、如意宝珠秘法《仮称》を厳修し施し続けます。

これが私の信じる法であり、本来の密教僧の務めと言わざるを得ない時代なのであります。
悪意が蔓延し、善意が滅びるなら、法律も警察権力も無用の長物では無いだろうか?


因縁解消

私は今回、大変な依頼を引き受ける事になりました。
地方の、名家に纏わる話しであります。

その家では、代々長男が怪死、変死し、家は婿養子を取って存続してきたそうです。
今回、その因縁を断ち切りたいとの依頼で御座いました。

如何して、私の元に依頼が来たか?
それは、町の神主や僧侶に依頼したが全て断られ、周り巡って私の元に来た依頼でありました。

私は、慎重を期す為に町に調査に行く事にしたのです。
後々この調査が、私を救うことになる…

私は、町の長老、神主、住職に昔の話を聞いて廻った…
すると、私の霊査と同じく、ある事件が判明しました。
それは、江戸時代に行われていた人柱や人身御供であり、生贄儀式であります。

生贄儀式とは、村が疫病や凶作に見舞われた時、荒神に若い娘を人身御供として、池や湖に生きたまま沈める生贄儀式の事である。
酷い時には、年間に何人も、生贄を捧げる事がありました。

私が調べて解った事は、人身御供として白羽の矢が依頼主の家に立ったにも関わらず、自分の家からは人身御供を出さず、貧乏農家の娘を身代わりに出させ、嫌がる娘を無理矢理に沈めた事でした。

以下は、私の霊査結果であります。

娘には結婚を誓いあった男がおり、結婚直前の事でした。
娘は、愛する男と引き裂かれ、怨みを持ったまま沈められました。

男は、悲嘆に暮れ、病死…
女は、今も怨みをその家に向けております。

私は全ての調査を終えて一旦帰宅し、慰霊の準備をする事にしました。
帰宅し、21日間行に入り、調査から一か月後、現地で祈祷開始である。
護摩壇を設え、法会であります。

風もなく穏やかな日和に天に感謝して開始すると、新事実が浮かび上がって来た。
実は男性は、依頼主の先祖に職を奪われ、悲嘆の内に餓死していたのです。
私は、慰霊と結縁を同時に行なうことにしました。

前回の調査が無ければ、用意不足で法会も失敗するところでありました。

やはり、今回の様な事例は、事前の調査が重要だとつくづく思った瞬間でした。
もし、事前の調査なしに決行していれば、間違いなく失敗。
失敗すれば、間違いなく私も被り、今こうしてブログを書いてはいられない状況になっている事だろう。

その後、二人は夫婦になり、今世に於いてやり残した事を霊界で履修する為に、再生に向けて順番を待っている。
願わくば、来世の二人に、慈愛のお計らいがある事を。

名家の方は私の申し出を護り、持仏堂を建立して、今は若き長男が元気に育っております。

人は皆平等であり、本来は上も下もないのです。
天は、人の下に人を作らず、人の上に人を作らず…

皆、御仏の前では平等なのです。

呪い返し

密教には、強力な呪い返しの法が存在致します。

例えば、あなたを誹謗中傷する者が居たとして、それが原因であなたが体調を崩したとしたら、それは最早、呪いと同じであるのです。
そんな時、私は相手に呪い返しの法を修します。

昨今の誹謗中傷は、呪いと同じであると私は思います。
正に、悪意の塊であり、断じて許される事ではありません。

誹謗中傷に依る、自殺や様々な事は現代の呪いであります。
私は、これら悪意を呪いと受け留め、呪い返しの法を厳修します。

方法は様々に存在しますが、昔から呪い返しは三倍返しと言われ、効果は絶大です。
また、呪い返しの法は呪いと違い、カルマ《因縁》は、残りません。

ただ必要なのは、強い御本尊様で無くては叶いません。
観音様のように優しい御本尊様では、達成され無い様であります。

当院は、御本尊赤不動明王尊に加え、四天王尊、歓喜自在天《聖天尊》龍王尊、宇賀神尊と最強な、顔ぶれで御座います。
それに加え、当院は祈祷寺で御座います。
全ての法具、経典、次第書も揃って居ります。

今、悪意に寄って傷つく貴方、もう大丈夫です。
何時でもご相談下さい。



by kongousan-akafudo | 2018-05-08 12:00 | ├密教の世界