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密教688 小さな命

昨日散歩をしていた時、小さな命を見つけて寺に連れて帰りました。

この時期には、産まれるはずの無い小亀。
ほっておけば死するであろう、小さな命。
愛らしく他の亀と仲良く遊び廻って居る姿を見るたび、命の尊さを感じる。

毎日報道される悲惨な事件、何故これほど多いのか?
反省の無い生き方に原因があると考えます。


自分勝手な考え方に依る事件が相次いで居る今、命の尊さをあらためて考える時ではないでしょうか。

生まれた時は誰しも無垢な子供たちですが、歳を重ね様々な生き方の中で成長する者、

怠惰に溺れる者、犯罪者に身を落とす者、と様々な人間模様があります。

反省の無い生き方は、その後の人生を大きく左右すると私は考えます。

まずは自分を振り返り、反省点を考える生き方は、あなたをより高い次元へと誘います。
人格の向上は、あなたにしあわせをもたらす種である。

地球規模で考えれば、私達も小さな命。

助け合い、分かち合う時、其処にあるのは、愛の一文字ではないでしょうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2017-10-31 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教687 憑依の増加

先般、無謀運転で罪も無い人を死に追いやった犯人の映像を見た。

犯人は、幾度となくあくびを繰り返し、果てには笑う始末。
全く罪の意識が無いと言えよう。

では、あの態度、あの意識は何処から来るのか。
普通の人には理解出来ないで有ろう。
正に傍若無人な振る舞いは、一般の方が理解出来ないのが当然である。

二人の尊い命を死に追いやった責任は、万死に値する!
この犯人を普通に刑に服させてはいけない。


徹底的に反省させ教育しなければ、死後、現界を彷徨い悪霊と成り、同じ要素を有する者に憑依し、悪事の限りを尽くすであろう。

霊的見解で言えば、犯人の死後も霊的捕縛が必要と考えます。
そうしなければ、再度同じ様な事件に苦しむ人が増える可能性が大である。

日本は、未だ霊的後進国。
もうそろそろ心霊科学を取り入れ、科学の眼で解明する努力が必要と私は言い続けて居る。

この記事を読まれた方々だけでも、霊的視野を広げて頂きたいと考えます。
不思議に走らず、理性と智慧の眼で観て頂けば誰にでも理解の出来る学問なのです。


当院では密教塾をはじめ、講座での講義も行なって居ります。

學ぶことは自身の宝と成ります。
學ぶ者、學ばざる者の差は、いつの日か顕著になる日が訪れます。

學びを深めて、より良い生涯を送られる事を心より御祈念申し上げます。

密教塾へのお申込みはこちらより

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2017-10-28 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教686 天蓋

密教では天蓋は不可欠な仏具ですが、高価でなかなか入手困難であります。
しかし日本人の叡智は、困難を乗り越えて可能にして来ました。
その結果とは紙天蓋です。

天蓋
天に懸(か)けられた蓋(がい)の意で、仏像や導師の上にかざす装飾的な覆いをいう。古来からインドでは強い日射しを避けるため、貴人の外出にはつねに傘蓋(さんがい)で覆う習慣があり、これが仏教の荘厳具(しょうごんぐ)として用いられるに至ったとみられる。
初期経文には、宝華(ほうげ)や光明(こうみょう)が化して蓋となると説き、仏の白毫(びゃくごう)が七宝の大蓋と化して天を覆ったと記されている。
蓮華(れんげ)をかたどる天蓋は古いものに多く、インドの無仏像時代から中国に至るまで数多く存在するが、のちに、しだいに方形、六角、八角、円形などで表現されてくる。
その多くは蓋の周辺に宝散を垂れ、片隅に幡(ばん)を懸け、華、宝綱、宝珠、瓔珞(ようらく)、鈴などで飾ったものや、天人、霊鳥などを彫刻したものがある。
日本に現存する有名なものに平等院鳳凰堂(ほうおうどう)の阿弥陀仏(あみだぶつ)天蓋、東寺(教王護国寺)の不動明王像の蓮弁(れんべん)木造天蓋(ともに国宝)、法隆寺金堂の釈迦(しゃか)三尊や阿弥陀仏の天蓋などがある。
後世、寺院の礼盤(らいばん)の天井にもこれを懸け、阿闍梨(あじゃり)を覆う人天蓋と、諸尊を覆う仏天蓋とを区別している。[江口正尊]
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


紙天蓋とは、一枚の紙に切れ目を入れ制作した逸品のことです。
一枚の紙に切れ目と折りを加え、切り離される事無く一枚で見事な天蓋が出来上がります。
私も天蓋が買え無い時代、長きに渡り紙天蓋を愛用して来ました。



そして、御幣。
精魂込めて刻みあげた御幣は、魂の憑代です《憑代、よりしろ》

その昔、紙は貴重品でしたが、木像、鋳造仏は武家や貴族しか持てない高価で貴重な物でした。

その頃に出現したのが、紙に依る細工であります。
そしていつの日か、御幣、紙天蓋と発展を遂げて来たのです。

現在では、誰でも入手可能な仏像、仏具。
いつの日か、紙天蓋や御幣の需要は無くなり現在に至ります。

当院では、忘れ掛けられた文化に焦点を当て、現在、弟子を中心に指導中です。

日本には、紙を使った芸術文化が各地に伝承されております。
日本人の繊細な感性が育んだ文化と言えましょう。

伝承を護り、受け継がれた紙の芸術は世界に冠たるものであると私は考えます。
私は、今後もこの文化の掘り起こしに尽力して行く所存であります。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2017-10-27 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教685 秘伝書

高野山の書庫は凄い《高野山大学の中にあり一般の方は許可がなければ入れません》

地下一階、地上四階建ての書庫は圧巻です。
書庫の中には、真言宗の全ての資料が保管されております。
秘伝書から曼荼羅、研究資料まで全て揃って居る正に密教の宝庫であります。

当院には、現在数百を数える秘伝書を所蔵しており、その秘伝書を各相談、事案に合わせて使用して居ます。

また、現在、専門家の手に依る研究にも協力して居ます。


私は、幅広く多くの方々に密教を理解し學んで頂きたいと考えております。
当院所蔵の秘伝書が現代語に訳される日も近いと考えます。

現代語に訳され、多くの方々が學べる環境こそ密教の興隆に繋がると信じ、現在地道な作業を進めて居ます。


誰にでも解り、理解出来る密教を、お大師様は望んでいると私は考えます。
その中から、優れた学僧、法力を得た祈祷僧が輩出される事を切に願うものであります。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2017-10-26 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教684 願いを叶える

誰しも、自分の願いを叶えたいと考えるのは当たり前のことですが、中々難しいのが現実ではないでしょうか。


願いは様々。
人によって違うでしょう。
努力して叶えられる願いもあれば、努力だけでは叶わない願いも存在します。
しかし、最初から諦めて居たのでは叶う願いも叶いません。


例えば恋愛。
これは相手が居なくては出来ない。
出会いが必要である。

出会いは求めるだけで実現しますか?
これには縁が必要である。
縁とはどうすれば得られるのか。
引き寄せる心である。

容姿、学歴、金銭に引き寄せられる縁には注意が必要である。

上記は打算であり、結果は見えて居るからである。
本物の縁とは、學び合いである。

富める時も病める時も、互いをいたわり共に生きる。
そこに愛が育まれます。

密教には、古来より様々な秘法が存在します。

願望を達成し、新たな境涯に至る為に用意されて来た。と言っても過言ではありません。
悩み苦しみ、もがく中に安心は得られず、安心の中こそ真理があるのです。

当院では様々な相談を受け、日々活動が活発化しております。
一人で悩み苦しむ前に、相談してみては如何でしょうか。



南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2017-10-25 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教683 供養心

親が子を想う心、子が親を慕う心と同じ様に、私達の御先祖様はお見守り下さって居る事を知らねばなりません。


例えば、子供が窮地に立った時、親は自らを犠牲にしてでも子供を助けたいと考えます。
しかし、その行為が子供にとって良くないと判断した場合。
獅子が我が子を谷に突き落とし、這い上がる子を育てた故事に慣って厳しくするのも親の愛です。
それと同様に、御先祖様方は見守って下さって居るのです。

しかし、上記の事を理性的に解釈する時、本質を理解するでしょう。
見護ることの辛さ、歯痒さは尋常一様な事では無い事に氣づくはずです。

例えば、あなたのお子さんが怪我をした時、あなたはただ黙って我が子がどうするか見護るだけで要られますか。
多分、無理でしょう。
しかし、その子を強くするには、時には黙って見護ることが必要なのであります。

親はいつまでも元気で居るわけでは有りません。

いつかは別れが訪れます。

その時に、一人で立てない子供になって貰いたく無いと願うのは親である証拠です。
昨今はそれすらも判らない親が増えておりますが、変わらないのが御先祖様や守護霊様であります。

子孫を思わない御先祖様、守護霊様はおられません。
そんな優しい御先祖様、守護霊様に感謝の念を表わすのが供養心です。

当院ではあなたのご要望にお応えする為に、様々な供養法をご用意しております。

ご希望の方はご相談下さい。
密教の秘法を持って最良の方法をお加持申し上げます。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2017-10-24 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教682 涙は心の汗

涙。

涙を流した事の無い人は居ない。
悔し涙、喜びの涙、悲しみ、哀しみの涙、そして最後に到達する涙が感動の涙である。

人間には、感動の感情があるから學べるのである。

数式だけに捉われて感情を無視する時、そこには感動は皆無である。
人間は、様々な感情内での紆余曲折を味わい、自身を形勢し、我慢と言う感情を身に着けて行くのである。



我慢は、自分を律する事が出来なければ鬱積した感情に成るので、良い結果は生まれ無い。

その逆に、自分を律して凛として生きる時、自信と誇りに変わり変貌するであろう。



仏教で「慢」は、思い上がりの心をいい、その心理状態を七つに分けたものが「七慢」と言います。七慢とは下記の通りです。

1、慢とは、他と比較しておごり高ぶること。
2、過慢とは、自分と同等の人に対し、自分の方が上だと思うこと。
3、慢過慢とは、自分より優れた者に対し、自分の方がもっと上だと思い誤ること。
4、増上慢とは、悟りの域に達していないのに、既に悟っているという自惚れの心。
5、我慢とは、自分に執着することから起こる慢心のこと。
6、卑慢とは、はるかに優れた者と比較し、自分は少ししか劣っていないと思うこと。
7、邪慢とは、間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張ること。

諂 (てん)とは、「へつらい」の心です。
自分だけの利益や世間の評判を得るがために、他者をだまして迷わそうとして、人に媚びへつらい等など従順を装い、人の心を操縦する心である。


しかし昨今は、我慢を美徳と捉えられない様である。
争い、上回る事にしか興味が無い様に見えるのは私だけであろうか。

殺伐の中からは何も生まれ無い事に早く氣づき、自身の中に感動の涙を受け入れ磨く時、あなたの人生は一変します。



氣づく事に速い遅いはありません。

氣づいた時が始まりなのだから。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2017-10-23 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教681 隠蔽と虚偽

今から数年前、ある母子の悲痛な相談を受け、実質的に動かざるを得ない事になり、ある学校《高校》に出向いた。

以下はその時の経緯と結果である。

まだ冬の寒い日、電話で相談の申し込みを受け、日時を決めてお会いする事に成った。

そして面談。

お母さんが開口一番。
『先生、この子をイジメから助けて下さい』

お母さんは涙。
落ち着いて頂く為に沈黙の後、温かいお茶を飲んで頂き、相談を再開しました。

お子さんはダウン症で、本人は知らなかったが今回の問題で親子で話し会ったとの事である。

以下イジメの内容

登校すると、決まって数人の生徒が『お前の顔、鏡で見た事ある』
するとクラス全体が笑う。
『お前、教科書読める』

様々なイジメが繰り返されて居る事を担任の教師も知って居る。
しかし見て見ぬ振りである。

お母さんは学校側に実情を訴えたが、そんな事実は確認出来無いの一点張りでラチが明かない。

我が子が障害を種にイジメに遭って居る事を知った時、自分を責めた。
《自分が普通に産んで上げられなかったのは自分の罪》

私はお母さんに言いました。
此処で祈祷するのは良いですが、この件は根本的な解決策を考えましょう。

私はお母さんと一緒に学校に行き、校長、教頭、学年主任の先生と会議室で話し合いました。

その時の学校側は事実を認めません。
私は学校関係者しか知らない事実を羅列して追求した。
様々な事を挙げた時、教頭が証拠が無いと言うので、教頭しか知らない事実を暴露し、詰め寄った。
そのとき、校長が一言。申し訳ありませんと謝罪。
学校の問題として解決すると明言して、その場からありとあらゆる手段を提案され、実行に移されました。

そして担任の教師も知って居たことを認めて謝罪し、それからこの学校ではイジメが撲滅され、

今では有名進学校に数えられる様になりました。


障害とは立派な個性であり、なんら恥じる事も何も必要ありません。
また個人が正しく生きる事に他が揶揄する必要も権利も無い。
私は今後も実質的に動かなくてはいけない時は動きます。
全ての人が安心して生きられる様に、今日も御祈念申し上げます。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2017-10-22 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教680 法律は誰の為

犯罪が繰り返されるたびに考えます。
法律は誰の為にあるのか?


詐欺、殺人、その他の犯罪は抑止されるより増加して居る。

私はその時代に合った法律に変えるべきと考えます。


政治家が真剣に国民目線に立って日本の治安を見据えれば解る事である!
現状の治安が良いか?悪いか?それすら判らず、選挙、選挙。
まるで選挙の為の政治家か?

法律は、善良な人々が安心して暮らせる為にある。

被害者が泣く法律なら、改正するのが政治家であり議会では無いだろうか。
事件が発生する度に『法律に照らし合せて』と言うが、では何故犯罪が無くならないのか。

それは、心の教育を無視して来た為である。
昨今は教育者の質も低下して居るのは、何故か。

一例を挙げれば、数年前あるイジメ問題で《高校》私が乗り出した事がある。

それは、ダウン症の生徒を多数の生徒がイジメた事に端を発している。

最初は学校側が事実を全否定した。
私は全ての能力を解放し、学校側と対峙した。

結果、学校側も生徒も全てを認め当事者生徒に謝罪した事実がある。
この顛末は、次回お話しします。


南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2017-10-21 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教679 繰り返された蛮行

車は鎧。
精神の未熟な者が鎧や武器を手にする時、狐が虎に成った気に成る。

車は只の道具であり、車に乗った瞬間に豹変する者の全ては幼稚な精神の現れである。
しかし、幼稚だけでは片付けられ無いのが頻発する事件である。

罪も無い人を死に追いやる事など、誰にも許されない行為である。
しかし発生してしまった。

そしてまた、車に乗る未熟者が事件を起こした。
この事実は重く受け止める必要があり、考えねばならない事である。

車は鎧になり、バイクは馬に乗った気に成る。
正に精神の幼児性の現れである。

肉体年齢を重ねても、精神年齢は向上しない。

例えば60歳で有っても精神年齢は四、五歳児と変わらない者をよく見ることがある。
規則を無視し、自分勝手に振る舞う高齢者のトラブルは多発して居る。

今回の車に乗る馬鹿者事件は、現在の日本を象徴して居る。

まず以上の様な人は、自身の痛みを知らない。
貧困に依る空腹を知らない。
愛別離苦の境涯など知る由も無いで有ろう。

言わば自身の世界に酔った未熟者である。

そうならない為には、智性、理性を磨く事が大切である。

どんな宝石で有ろうと、磨かなければ只の石であり、鉄も鍛え研ぎ上げれば劔と成る。
人間も同じで、怠惰に生きた者は幼児性が拭い去れ無い馬鹿者に成長する。


南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2017-10-19 06:00 | ◎赤不動明王院通信