金剛山赤不動明王院 密教

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密教663 祈り

人は祈りの中に身を置く時、安らぎを覚えます。

何故、人間は祈りの中にある時に安らぎを覚えるのか?
其れは、人の中に仏性があるからです。

本来、どんな人であっても仏性を持っていますが、それに氣付かず終わる人も少なくありません。

仏性(ぶっしょう)とは
仏の性質・本性のことで、主に『涅槃経』で説かれる大乗仏教独特の教理である。
覚性(かくしょう)とも訳される。
また『法華経』では、仏種(ぶっしゅ)「仏に成る種」、『勝鬘経』では、如来蔵(にょらいぞう)などと、さまざまな表現がされるが、基本的に仏性と同じ意義である。

仏教では、この仏性を開発(かいほつ)し自由自在に発揮することで、煩悩が残された状態であっても全ての苦しみに煩わされることなく、また他の衆生の苦しみをも救っていける境涯を開くことができるとされる。
この仏性が顕現し有効に活用されている状態を成仏と呼び、仏法修行の究極の目的とされている。


≪三因仏性≫

『大般涅槃経』獅子吼(ししく)菩薩品(ぼさつほん)に説かれるものを智顗が整合し確立した、成仏のための3つの要素を三因仏性という。

正因仏性(しょういんぶっしょう) - 本性としてもとから具わっている仏性のこと
了因仏性(りょういんぶっしょう) - 仏性を照らし出す智慧や、その智慧によって 発露(ほつろ)した仏性のこと
縁因仏性(えんいんぶっしょう) - 智慧として発露するための縁となる善なる行いのこと


Wikipediaより



六道が有るように《六道輪廻》様々な経験を積み重ね、人間として成長します。

祈りは魂を磨き、悪事は魂を穢します。
魂を磨く事に専念して行動を考え、理性に生きる時、人は優しくなれます。

その逆に悪に喜び、悪心に支配される時、人は人でありながら人では無くなります。
騙す事を喜び、奪うことに快感を覚え繰り返すうちに、魂は穢れ、もう後戻りは出来無い。

その原因を作り上げたのは自分であり、他の誰でも無いのである。


六道(ろくどう、りくどう)とは
仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の苦しみに満ちた世界のこと。

・天道
天道は天人が住まう世界である。
天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。
また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。
しかしながら煩悩から解き放たれておらず、仏教に出会うこともないため解脱も出来ない。
天人が死を迎えるときは5つの変化が現れる。これを五衰(天人五衰)と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。

・人間道
人間道は人間が住む世界である。
四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。
また、唯一自力で仏教に出会える世界であり、解脱し仏になりうるという救いもある。

・修羅道
修羅道は阿修羅の住まう世界である。
修羅は終始戦い、争うとされる。
苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。

・畜生道
畜生道は牛馬など畜生の世界である。
ほとんど本能ばかりで生きており、使役されるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。
他から畜養(蓄養)されるもの、すなわち畜生である。

・餓鬼道
餓鬼道は餓鬼の世界である。
餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。
旧暦7月15日の施餓鬼はこの餓鬼を救うために行われる。

・地獄道
地獄道は罪を償わせるための世界である。

Wikipediaより


人間は、肉体のある内は中々悟れ無いが、肉体は仮の姿であり本質は魂である、と悟ることで人生は大きく変化します。

死んでしまえば終わりだとお考えの方は、そのままお通り下さい。

生きるとは何か?
死とは何か?
とお考えの方は、私の友である。

如何に生き、如何に學ぶか。
これが人生の命題なのです。

光陰矢の如し。
長い人生と思った時、後ろを振り返ってみればわかります。
過ぎた過去は短く、未来は誰にもわから無い。

わからないから、寸暇を惜しんで學ぶのです。

解っていることを再度學ぶのは復習。
わからないから、學びを進め深める事が大切なのです。

私達は自由であり、學ぶも學ばざるも自由である。
選択をするのは、あなた自身しかないこれが自由選択である。



南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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by kongousan-akafudo | 2017-09-29 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教662 感覚

人間に元来備わっている感覚は、皆さんもご存知の通り体感が一般的《五感》であるが、

稀に他の感覚を有する場合もあります。


それが俗に云う霊能者である。
世間で騒ぐほど特出した能力では無く、修行や信仰に寄って表れる場合もあります。

簡単に言えば、あなたにも存在する感覚なのです。
例えば、3歳までのお子さんには、必ずと言っても良いほど感覚を持っているのである。

ただ俗世の垢にまみれ、自然消滅的に失った能力であると言えます。
それがなにを示すかお考え下さい。
正に無垢な状態が幼心であり、私達が忘れた感覚なのです。

人間は我欲に支配される時、五感以外の感覚を忘れます。

そして想像力、創造力をも喪う事に繋がるのである。

子供の頃、無垢だった少年少女が時を重ねて行くごとに変貌し、様々な生き方を選択し、

ある者では独裁者に成り下がり、ある者は犯罪者に下落する。

其処には最早、五感を満たす欲望しか存在し無い。

そう成る前に、忘れた感覚を呼び起こし、目覚めても良い。と考える今日この頃である。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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by kongousan-akafudo | 2017-09-28 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教661 祈りと成就

全ての道に完全保証は無い。

昔から、『私は俺は、あんなに拝んだのにあれだけやったのに、御利益が無い』と言って居る人を見て来た。
が、全ては精神的物質欲に固まり、する祈りは通じません。
何故か。

それは、祈りでは無く依存だからである。
依存とは甘えであり、甘えを聞いてはくれません。



甘えを聞いて動くものが居るとしたら、それは下心ありと言うしか無い。

何故ならば、様々な事象、試練は學びである。

駄々っ子の甘えを許す親は、本当の意味で子供が可愛く無いのである。
正しい親なれば、間違えを正し、導くばずである。
導け無いのは、自らも未熟である場合と無能な場合である。

御仏は、耐えられ無い試練は御与えに成りません。

また、本人が反省と感謝を知った時、全ての試練から解放され、真の自由を御授けに成ります。

礼拝供養は自分にして居る事を悟る時、全ての疑問も苦しみからも解放され、真理に近づきます。

お計らいは真理への架け橋であり、精神的物欲を満たすものではありません。

御仏とある暮らしは、あなたの人生を輝かせる為のものであります。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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by kongousan-akafudo | 2017-09-27 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教660 お計らいの力

私は、お計らいの力の凄さを何度と無く知って居る。

事例を挙げれば切りがないほどですが、敢えて書きません。
何故か。
不思議思考に成って欲しく無いからである。

不思議思考は、人間には必要ありません。
必要なのは、素直に受け取り、正心に生きる事である。
《正心に優るもの無し》
欲を制し、感謝と布施の心で生きる時、未知の力が働きあなたに真実を知らしめます。

一例を挙げれば、行方不明の人が家族の御祈願に依って帰郷、帰宅する。
病の宣告を受けた方が、大難は小難、小難は無難にとお計らいが働かれることも多々あります。
仕事が決まらず困って居た方が、決まった。
借金苦で喘いで居た方が、思わぬ形で救いが来た。
などなど、数え挙げれば切りがないほどです。

此れは全てお計らいの力である。

では何故、お計らいの力が動くのか?

反省と感謝の念が届いた時に発動されます。

では何故、反省と感謝が必要か。
反省と感謝が足りない場合は必ず繰り返します。

因縁は試練であり、基本的には學びなのです。
學ばず繰り返せば、同じ事が起こるのは当たり前である。

履修し、同じ過ちを犯さ無い為にも反省と感謝が必要であり、其処にお計らいの力が動くのである。

お計らいだけを望んでも、発動はしません。

現代社会が何でも早く出来上がるから、此れもあれも早く出来ると考えるのは、インスタント脳に成っている証拠と言わざるをえ無い。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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by kongousan-akafudo | 2017-09-26 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教659 同調現象

ごく稀に見受けられるのが同調現象である。

これを感受するのは、1万人に1人位の比率である。

事例①母と娘が、同じ所を同じ様な痛みや怪我に襲われたり、別の場所に居るのに、同じ時間に同じものを食べて居たりと、様々に同調する事がある。

事例②これは深刻である。
面識の無い死人の苦しみに身体が反応し同じ痛み、苦しみを共有する現象である。
《上記の場合は然るべき機関に相談が必要である、要注意》

事例③自殺霊に同調して引き込まれ、自殺をしてしまいそうに成る。
此れも要注意《報告例もある》

事例④様々な場所で感受し、気分が一変する。
此れも要注意である。


上記の様な例は1万人に1人位だが、自身に当てはまる場合は注意が必要です。

不思議ちゃんに成らず、科学的知識を養い、理性的に考え學ぶ時、大部分は回避できるので、あまり神経質に成る必要は無い。

美しいものを愛し《花や美術》理性的に思考する事は、自身のしあわせにも繋がります。

その逆に、誹謗中傷やイジメを好むものは、様々な現象を味わう事に成るので覚悟が必要である。


正心に生き、美しいものを愛する人には、今は苦しくとも必ず光明が差して来ます。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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by kongousan-akafudo | 2017-09-25 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教658 快癒

人間は生身。怪我もすれば、病気も患います。


しかし辛いのは御本人、そして家族の心配はいかばかりか。
ましてや癌に冒されたとなれば、抗癌剤投与に癌の除去手術。
大変な心労とお金と看病。
本人と家族は、まさに苦の真っ只中であります。

医師を信じて動くしか無い状況に、人はある種の焦りを感じます。
しかし、何も出来無いのが現実です。

此処でごく最近の実話を紹介しましょう。
《注、御本人の承諾を頂き書いています》

親孝行で信仰心の深いAさんは、お母様と一緒に病院に行きました。
《お母様は以前、肺癌を患い片方の肺を摘出して居るので検診》

そこで衝撃の事実が明らかに。
癌である。
検査を繰り返したが、病巣が大き過ぎて手術不可能と医師から告げられた。

医師は一つだけ方法があると云う。

抗癌剤を4回続けて投与し、癌を縮小出来れば手術は可能。

だが、1回の抗癌剤治療でも大変なのに、4回の抗癌剤治療に耐えられるか?
正に決死の覚悟である。

その日から、癌と親子の闘いが始まった。

抗癌剤の副作用に苦しむ母に、少しでも体力を付けさせる為に奮闘する娘。
彼女は仕事をしながら、寝る間も惜しんで奮闘した。

母と二人暮しの家庭。
母を看病出来るのは彼女しかいない。
彼女は愚痴一つ言わず頑張った。


そして見事に、4回の抗癌剤治療を親子で乗り切ったのです。

実は、彼女には強い信仰心がありました。
多年にわたり信仰を継続しているのです。

彼女は祈った。

『我が身に変えて母を助け給え』

朝な夕な、看病の合間に一心込めて御本尊荼枳尼天尊に祈った。


そして、手術の前夜にお印が降りた。
《何が降りたかはご想像にお任せします》

私は彼女の問いに、お印の意味を教えた。

そして手術、緊迫の刻。
お母様は手術室に入り、娘は祈った。


やがて手術は終了し、医師に手術の結果を聞く《成功です》
手術後の経過を見て退院の日を決めましょう。

2日目から、お母様は食欲を見せた。
驚異的な回復力は継続し、明日退院である。

医師も、高齢者の回復力としては信じがたい速度だと喜んでいる。
正に、お計らいの力が働いたのである。
母を想う娘の心が通じた実例である。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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by kongousan-akafudo | 2017-09-24 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教657 貧と富

極貧、赤貧と云う言葉を最近よく耳にする。

が、では富に恵まれていればしあわせか?
確かに食べるには心配は無いで有ろう。
しかし、極貧、赤貧と云う人より心配事は多いのでは無いだろうか。

お金は使えば減り、その他にもある。

奪われる恐怖、増やしたい欲望、減る恐怖、転落する恐怖、あらゆる心配事に頭を悩ますで有ろう。

例えば、北朝鮮の独裁者が一番恐れて居るのは失う恐怖で有ろう。
産まれてからなに不自由の無い暮らし。
その暮らしを守る為に、親族はおろか兄弟まで殺害しなくては守れ無い自身の欲。
歯止めが効かず暴走、孤立する政権。

本当は政権などに関わらず、暮らしていればしあわせだったかも知れません。
欲と維持が絡み合う富とは必要なのか。

政治の世界も私は同じだと思う。

最初は青雲の志だった人が変貌して行く事に、本人も気づか無い訳が無い。

しかし、朝起きればその日の予定に追われ、周りから先生を連呼される内、自分は偉いのだと勘違いの連続。
そしてまた次の日を迎え、落選するまで錯覚は続く。
落選する恐怖、全ては失う恐怖の為に動く、誠に哀れな生き方では無いだろうか?

選択は全て自分なのです。

祭り上げられただけの者は、何時か馬脚を現し失脚。
もしくは、敗退と破滅を味わい、失意の底で幕を閉じるのである。

その逆に、感謝の中に生きる人には夢と希望が満ち溢れ、安心の中で學びを深めるで有ろう。

南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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by kongousan-akafudo | 2017-09-23 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教656 母の念

子供を想う母親の念は、ある一定段階を超えた時、凄まじい念を発することがある。

古い文献には、母親の念について様々な事例が書かれて居ります。
一例を挙げれば、子供の頃に囲炉裏で火傷を負い、其れでも一流画家に成った先生とお母さんの話がある《以下仮名》



A先生は幼い頃、囲炉裏に手を入れてしまった為に指が動かない。

しかし、両手で筆を挟み持ち、素晴らしい絵が書かれる画家である。

事故が起きたのは、ハイハイし始めた幼い頃。
お母さんがチョット眼を離した瞬間に、囲炉裏の中に手を入れて居た。

母は急いで病院に走った。
しかし火傷は深く、医師が言うには『大きくなっても指は動かない』

お母さんは誓った。
この子の手に自分が成ろう。と!

やがて小学生に成ったA氏は、お母さんが作った手のひらベルトに鉛筆を挟み勉強し始めたのです。
成績はぐんぐん伸びて、首席を取るところまで成長した。

そして、最もうまかったのが絵である。

美術の先生が、この子は将来、美大に進学する事を勧めます。とお母さんに言いました。

お母さんはその日から、仕事を掛け持ちで働き、預金する事にしたのです《お父さんは戦死》

しかし、まだその時代には女性にまともな仕事などありません。
賃金も最低である。

やがて息子は大学受験、見事に美大に進学し才能を開花させます。
そして卒業前の課題で問題が発生した。
裸婦を描かなくてはいけない状況に成ったのです。

高いモデル料を支払うことが出来ない。
苦労を掛けた母に、これ以上お金の苦労を掛けられない。

A氏は考え、母の暮らす田舎に帰郷する。

母は、なんで卒業前の大事な時に田舎に帰って来たのか。と息子を問いただしました。

お母さん、僕は卒業しなくても良いよ。
これ以上、お母さんに苦労を掛けられない。

と云うと、母は『何を言って居るんだいお母さんだって女だよ、お母さんを書きなさい』

しかし、モデルは何時間も同じ姿勢を保たねばならない。
ましてや真冬、ストーブも無く囲炉裏だけの家。
隙間風が入り、ただでさえ寒いのに裸でモデルなど出来る訳が無い。

息子は、母にせめて火鉢の温もりを。と火鉢を母の側に置いた。
デッサンに入り数時間、母は微動だにしなかった。
そして完成。
その絵を提出しました。

見事に特選を獲得し、首席で卒業。
母に卒業証書を見せたくて、夜汽車で家路につくと、母は病の床に伏せって居ました。

母を気遣って医師を呼ぼうとすると、母が止めた《医者は嫌だ》

その時、手伝いに来て居たおばさんが一言。
『お母さんの布団を上げてご覧』

息子は母の布団をめくって観て驚いた。
太ももが火傷で大変な状態である。

《母はモデルになって居た時に、寒さと疲労で何度も意識を失いかけた時、

火鉢の中にある火箸で自分の太ももを焼いて、意識を保つて居たのです》

其れからしばらくして、母は死にました。

しかし、死ぬ前に息子に言いました。

お母さんは、あんたの立派な姿を見られた事が最高のしあわせ。

母の愛は精神力を極限まで高め、正に念の領域である。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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by kongousan-akafudo | 2017-09-22 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教655 手放す勇気


人生の中には様々な試練があります。

一生懸命にやって来た事が、一瞬で崩壊する事も多々あります。
そうなった時、正常な神経を持ち続ける事は至難の技である。

しかし、しがみ付きもがき苦しんで、自身を崩壊のメロディに乗せる位苦しむのであれば、手放す勇気を持って下さい。

今あなたがやって居る事は、人生の一部に過ぎ無いのです。

自身を崩壊してまで打ち込む必要があるかどうか、冷静に俯瞰して下さい。

人生は有限であり、無限では無い。
限りあるからこそ學べるのです。

怠惰に成らずコツコツと積み重ねて行く時、振り返れば其処にあなたの歴史があります。

正しく真面目に生きた証しは、あなたの中に感動と成って刻まれ、未来永劫生き続けます。
あなたの人生はかけがえの無い學びの足跡なのだから。


南無大日大聖不動明王尊

蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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by kongousan-akafudo | 2017-09-21 06:00 | ◎赤不動明王院通信

密教654 両刃剣《破邪の剣》

両刃剣の存在を知る者は少ない。
何故か。
其れは、殆ど一般に公開も流通もして居ないからである。
両刃剣は刀鍛冶の力量が問われる難しい刀で、左右均等に鍛え上げるには相当の腕前が必要不可欠であります。


古来、両刃剣は神の剣として崇められ、一般の人が触れる事は出来ないのが常識でした。

現存する両刃剣は、奉納刀のせいか?殆んどが錆びが深く浸透し、

研ぎを試みれば見る影も風格をも失うほど痩せて仕舞うのが現状である。

当院の宝物である不動明王剣《両刃剣》には、錆び一つ無い。
そして、全て刀鍛冶が打ち上げた時のまま保存してあります。


其れは何故か?

前の持ち主が古武術家であり、行者だったからである。
《刀の保存、手入れは素人では難しい》

例えば、御刀油を塗ったままで置けば油焼けを起こす。
柄の手入れを怠ればカビを呼び、目釘の点検を怠れば思わぬ事故に繋がります。


当院では、両刃剣《宝物》を特別に使用して行う加持祈祷があります。
この秘法は滅多な事では行いません。
《宝剣加持祈祷法》

真剣の宝剣を使用し、護摩法と合わせて謹修します。

古くは、弘法大師空海が招来した密教の秘法であります。

御大師様の秘法は数多に及びますが、悲しい事に現存し、謹修される事は久しい。

我が密教塾では、当院に伝わる秘伝書を元に履修して行く事に主眼を置いて居る。
《男女問わず》

學びとは、本来平等である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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by kongousan-akafudo | 2017-09-20 06:00 | ◎赤不動明王院通信