金剛山赤不動明王院 密教

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氣の活用

世界中の言語を探しても氣について、これほど多面的に言語の中に表現をした國を私は知らない。

それほど、本来の日本民族は氣を大切に思い、氣の存在を認め、氣を自由に使う事が出来たのです。

現代では、大人も子供も直ぐ《キレる》という言葉を多用するが、氣の存在を知らない証明である。

氣は、使うもの。
使われるものでは、ありません。

氣とは多種多様、また他方面のご意見も多種多様ですが、ここでは簡単な氣の集め方を紹介します。
決して、副作用が起こる心配もありません。

東に向かい、禅を組みます。
手のひらを膝の上に置きます。
手のひらを太陽に向けて五分位太陽を浴びて下さい。

驚くほど、氣が満ちてきます。

一度是非、お試し下さいね。




蓮華合掌
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by kongousan-akafudo | 2015-01-31 20:00 | ◎赤不動明王院通信

氣の活用

世界中の言語を探しても氣について、これほど多面的に言語の中に表現をした國を私は知らない。

それほど、本来の日本民族は氣を大切に思い、氣の存在を認め、氣を自由に使う事が出来たのです。

現代では、大人も子供も直ぐ《キレる》という言葉を多用するが、氣の存在を知らない証明である。

氣は、使うもの。
使われるものでは、ありません。

氣とは多種多様、また他方面のご意見も多種多様ですが、ここでは簡単な氣の集め方を紹介します。
決して、副作用が起こる心配もありません。

東に向かい、禅を組みます。
手のひらを膝の上に置きます。
手のひらを太陽に向けて五分位太陽を浴びて下さい。

驚くほど、氣が満ちてきます。

一度是非、お試し下さいね。




蓮華合掌
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by kongousan-akafudo | 2015-01-31 20:00 | ◎赤不動明王院通信

死者の行進

弟子との会話で、未だ成仏出来ない方々を見た話しを聞いて、私もある事を思い出した。

数年前に招待を受けた、お芝居の舞台上で起きた現象です。

戦争を題材に、演じられた感動の一作でした。
舞台上で、戦士が行進する場面があり、役者さんも総出で行進の場面を演じておられました。

私は舞台には縁が無く、この日は役者さんからの招待なので断わる訳にもいかず、着る物に苦慮しながら出かけて来たのです。
その行進は、いつ果てる間もなく、続きます。

そして、終演。
楽屋に招待のお礼に行って帰るつもりが、打ち上げとやらの宴席に招かれ出席する事にした。

宴席もたけなわになって来た時に、私の元に芝居の座長さんが、挨拶に来られました。
歓談中に、「芝居の中での、戦士の行進の場面を見て感動しました。良くあれだけの人数がおられましたね…」
と言うと、座長は顔を曇らせ一言。

…先生もご覧になられましたか?
あれは、生者ではありません。


以前も、有名な霊能者の先生が指摘されたそうですが、その時はあまり氣に留めなかったそうです。


座長や、出演者の方々は確認しておらず、今回愚僧からの言葉に、驚きました…との事。
私は自坊に戻り、早速、密教に伝わる除霊の護符をしたため、使いの者に持たせました。

あのままにしておけば、舞台上での事故怪我を免れる事は出来ないと思ったからです。

戦後、数十年経た今でも、彼らには戦中なのです。

そして、あの津波の犠牲になられた方々の御冥福を、祈らずにはおられません。




南無大師遍照金剛

蓮華合掌
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by kongousan-akafudo | 2015-01-30 20:00 | ◎赤不動明王院通信

祈祷とおみくじ

神社仏閣で、当たり前のように行われている祈祷とおみくじ!


皆さんは、ご存知だろうか?
全て、密教が発祥だという事を!

おみくじを考え、普及させたのは、天台宗中興の祖、第十ハ代天台座主慈恵大師良源、別名、元三大師である。
まさに、大聖人であり、大霊能者でもある。

私は、宗派こそ違うが、慈恵大師の大ファンである(⌒▽⌒)

書斎には、元三大師のおみくじの原本の写しを所蔵しているほどである。

元三大師のおみくじの凄いところは、一切の迎合一切の妥協が無い!
凶、大凶がふんだんに網羅されていて、おみくじを引く者の心を引き締める事であろう。

おみくじは心の指針、遊び半分で引くものではない。


祈祷も同じ。
本当の祈祷僧は、命懸けで祈祷に臨みます。
そこに在るのは、願主の願いを天に届ける道具の姿だけです。

奢りも、保身も、僧位も全て無であらねばなりません。

私は、その心を誇りに、今日も祈祷に励みます。




南無大師遍照金剛

金剛合掌


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by kongousan-akafudo | 2015-01-29 20:00 | ◎赤不動明王院通信

涙の記憶

私が青春時代を過ごした街、東京は浅草。
今は近代的な街だが、昭和20年代~30年代後半までは、浅草寺の境内は、露店と見世物小屋が並ぶ下町…情緒たっぷりの街だった。
花街も吉原も盛んだった。

三社祭では、ケンカ神輿が有った頃、浅草寺境内には、戦争の傷が癒えずに、彷徨う方々がちらほら居られました。

私がまだ小学生の頃。
浅草寺境内の鳩の餌売り場の前にあるベンチに一人で座る、おばあさんを見て、可哀想になり、持っていたおこずかいでパンを買い、おばあさんにあげると、大粒の涙を流し、「ありがとう…この恩は死んでも忘れない」と言うので、子供の私は「大丈夫だよ、また持ってくるからね~」と言って別れた。

何日かして、あのおばあさんの事を思い出し、浅草寺境内を探したが、おばあさんの姿は見当たらない。
鳩の餌売り場のおじさんに聞くと、寒い日の朝、ベンチに横になり死んでいたそうです。

私は、自分が約束したパンを持って行かなかった事を恥じた。
それから、数年後…私は中学生になり、休みの朝早く、空手の鍛錬の為、浅草寺境内を走っていた。

夜明け前である。
御参りの人もいない時間帯。

一人で黙々と、突き、蹴り、肘打ち、エンピの型を練習している時、優しく手を振る人影を見て、何故か?凄く懐かしい気持ちになり、近くに行くと、おばあさんが一人でにこやかに立っていた。

そして一言、「ありがとう」と言ってくれた。

私は、戸惑い境内に眼を移し、またおばあさんの方を見ると、そこには誰もいない。
私は、変だな~と思いながらも、いつもの事かと自分に言い聞かせ、家に帰り朝食。

その時母が、「今日はごはんがないから、パンを買っておいで」と言うので、近所のパン屋さんで、パンを選んでいた時に思い出したのです。
あの日、あの時も、油で揚げたコッペパンを買い、おばあさんにあげたのだと…
何故か涙が込み上げ、パン屋を飛び出し、浅草寺の境内に向かった。

その時には、御参りの人が、ちらほら…
結局、おばあさんには再会する事は、叶わなかったのです。
私も62歳になり、今では人様の御供養を賜る身になりました。
今の日本は、裕福になりましたが、まだ巷には、戦争で亡くなられた方々の浮かばれない霊を視ることがあります。

今、私達の繁栄は、あの尊い命の礎があったればこそを、忘れてはいけないのではないでしようか。




南無大師遍照金剛

蓮華合掌
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by kongousan-akafudo | 2015-01-28 20:00 | ◎赤不動明王院通信

御供物

今日、鳥取に在住の信徒様から、御本尊様に御供物と御寄進を賜わりました。
信仰心の厚い方で、ご家族もお優しい方々です。

神仏は、御供物を氣で召し上がられます。
宇賀神様は、御酒、大吟醸を好まれ、宇賀神行者である愚僧は日本酒を飲めません。

何故かと言えば、御祭神の御供物を、行者は口にする事が出来無くなるからです。
不味くて、飲めないのです。

聖天様は、二股の大根と清浄歓喜団が御供物として供えられます。
清浄歓喜団は、遠く奈良時代、遣唐使により日本に伝えられた中国菓子の一種で、千年以上の歴史を昔の姿そのままに伝えられている、貴重な歴史遺産でもあります。

このお菓子は、《からくだもの》唐果物と呼ばれ、真言宗、天台宗の密教の御供え物で、一般庶民には口にする事は叶わず、貴族のみに与えられた物です。
中味は、七種の香を入れて、巾着の型に皮を包みます。
形は金袋になぞらえ、八葉の蓮華をあらわし、上質な胡麻油で揚げてあります。

胡麻油は、聖天様の浴油法にも使われる上質な物です。


この様に密教では、諸尊に供える御供物には、古来から氣使いが行われて参りました。




南無大師遍照金剛

蓮華合掌
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by kongousan-akafudo | 2015-01-27 20:00 | ◎赤不動明王院通信

愛の電池切れ

人間は、些細な事からやがては、別離に至ることがあります。

初めて会った時の、あの喜びも、様々な楽しかった出来事も、生活の渦に飲み込まれ、疲れ疲弊するとき…人は、愛の電池切れになりやすく、
私は、これ程努力してるのに。
私が、私が…になります。

我慢も大切ですが、過ぎた我慢は、精神面にダメージを与えます。

仕事も人生も、自己責任であり、仕事で傷つくようであれば、転職を考えて、家庭で傷つくようであれば、孤高に生きる事も選択です。

しかし、甘えてはなりません。
転職も孤高に生きる事も、全ては責任主体だと言う事を、しっかり理解してから選択しましょう。

まず自分を振り返り、愛の電池切れでは、なかったか?
考える事もありではないでしょうか?

蓮華合掌

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by kongousan-akafudo | 2015-01-26 20:00 | ◎赤不動明王院通信

被る

皆様が神社仏閣に願をかけ、又は初詣で誓いを立て、神仏に願い、成就した時は必ず御礼参りをして下さい。
神仏は、貴方の願いに応え、成就させたのです。




成就のメカニズム

神仏は、貴方の願いを直接的にはお聴きになりません。
眷属、僧侶、神官を通してお聴きになり、下知されます。
その時に、直接的に成就の為に働かれるのは、眷属であります。


解り易く説明すれば、稲荷神にお願いしますと、眷属である孤霊が稲荷神の命を受け、願主の願いを叶える為に走り廻ります。
そして願いが叶い、皆様は御利益を受ける訳です。
これが成就のメカニズムです。

それが成就をしたのに、御礼参りもせず忘れたとします。
眷属は、自然霊です。
情は、ありません!
あるのは、御本尊様の為に働いた事実のみです。

眷属は働いたのに、願いを掛けた本人が御礼参りもしない?

例えば、皆さんが誰かに頼まれ事を受けて、働いた事が上手く運んだ…
しかし、頼んだ相手は知らん顔?

皆さんは、どう思いますか…?


自然霊は、無機質です。
例え初詣、その他でも、お願い事をして、成就した時は当たり前に御礼参りをして下さい。
また、自分の思い通りの結果にならなくてもお参りをして下さい。


何故、自分に取って、良い結果が出ていないのにお参りをするか?
友達の頼みで動いて、結果が出なくても動いた事実は残ります。

それで、友達が貴方を、ダメな奴と評価したとします。
貴方は、その友達と、今迄のように付き合えますか…?

これが、メカニズムです。




南無大師遍照金剛

金剛合掌
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by kongousan-akafudo | 2015-01-25 20:00 | ◎赤不動明王院通信

経典は教科書

学校で教科書は必須アイテムですが、教科書だけでは余程の人ではない限り学び取る事は難しい。
そこで、エキスパートである教師が存在する訳です。

しかし、学ぶ者がうわの空では、到底学びを深める事は不可能です。
また、教科書は読めるだけ…朗読出来るだけでは、意味を成しません。
理解し、自分の中に落とし込む作業が必要です。

経典においては、以上の作業だけでは不充分です。
そこに、実践が要求されるのです。
頭で理解し、心に落とし込む作業までは当たり前の行動です。

密教僧・祈祷僧になるには実践は勿論、必要なのは、自分を虚しゅうして道具に成りきる事が必要です。

何故か?
それは、経典に如実に表されております。

大日経には大日経住心品、大日経具縁品がある。

何故、二種の経典が、存在するか?

密教においては、心、技、体が要求されます。
お大師様が、お説きに成られた、即身成仏とは、この身このまま仏に成る御教えであります。

この世で成仏出来ずにあの世に還ったとしても、本当の意味での成仏にはなりません。
しかし、人生を全てしあわせだけに包まれて過ごす事だけではありません。

自分を俯瞰して見つめることが出来た時、貴方は今迄に経験した事のない幸福感を味わいます。

大日経は、僧侶の教科書。

大日経住心品を心の教科書とするならば、大日経具縁品は実践する為の教科書…と私は理解します。

南無大師遍照金剛
金剛合掌
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by kongousan-akafudo | 2015-01-24 20:00 | ◎赤不動明王院通信

自己に挑戦

思えば私の半生は、チャレンジの連続でした。

十七歳で単身カナダに入国。
半年間の一人旅に始まり、二十歳で両親が他界。

その後法華行者になり、改宗て、密教僧の道を歩みました。
現在に至るまで、長女の死、長男の死、妻の死…様々な死に直面して、現在に至ります。


現在62歳を数え乍ら、新たなチャレンジに向かっています。


人は様々な人生を歩んで、様々な経験を積んで、様々な経験を感動に変えられた時…
やっと、わかります。
人生に無駄は、無いと!


刺激を欲する方は、まず傷つくことを恐れてはなりません。

傷つくことを恐れて、チャレンジしようとしないのは自己保身ではないでしょうか?

自己保身からは、何も生まれません。
チャレンジして見ませんか?

全ては、チャレンジしてからの事ではないでしょうか?

南無大師遍照金剛
蓮華合掌
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by kongousan-akafudo | 2015-01-23 20:00 | ◎赤不動明王院通信