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仏壇に関する密教ブログ

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今日は、ご先祖さまの礼拝所である仏壇について書かれた記事を特集致します。
どうぞご覧くださいませ。


撥遣作法

仏壇を買い替える時。
古い墓を五輪塔に建て替える時。
密教では、撥遣作法に従い供養法を厳修します。

お仏壇なら、古い仏壇に感謝の念を込めて御供養差せて頂きます。
仏壇は、ご先祖様と私達を結ぶ面会所。
まずご先祖様に、面会所が新しくなる事を伝えて、古い仏壇に引導を渡します。
そして、新しく購入したお仏壇にお移り頂く賜わりの供養法。
開眼供養法を厳修します。

ご先祖様方は、次回からは喜んで面会所としてのお仏壇においでになられます。
古い墓から五輪塔、供養塔にお移りになられる事は最大の喜びであり、子孫が先祖を敬う最高の行為であります。

私も、幾度となく撥遣作法、開眼供養をさせて頂きましたが、墓の新設は心が和みます。
逆に、無縁墓を観る度、心が痛み、世の無情を禁じ得ません。

様々事情があっての事と察しますが、出来得る事なら、子々孫々に至るまでご先祖様の回向をお続けされる事をお勧め申し上げます。

今、生きている貴方…
我が家は分家だから関係ない…
解らないと思っている方々は、もう一度考えて頂きたい。

貴方が生きているという事は、どんなに少なくとも千人以上のご先祖様がおられるのです。
ご先祖様をないがしろにして、我が身は立ちません。

今一度、振りかえり、見つめ直す事により、貴方はご先祖様の御加護を知る事が出来ます。

ご先祖様は、誰より貴方のしあわせを願い、繁栄の手助けをして下さっているのです。

目覚めて下さい…
貴方は護られている事に。

貴方が辛い時、貴方が悲しい時、貴方が苦しみの中にいる時、片時も離れず、貴方を見守っているのは貴方のご先祖様なのです。

そして、貴方がしあわせになった時…
貴方以上に喜び、祝福して下さっているご先祖様がいる事を忘れないで下さい。

貴方は、ご先祖様の代表なのだから。

撥遣作法

撥遣《ハッケン》とは、仏壇や仏像の魂を抜き、お帰り頂く為の作法です。
私が頼まれて行く場合は一般の方が多いですが、その中には悲しい物語もありました。

これは、何処にでも起こり得る実話です。

今回の依頼は、空き家のお祓いと仏壇の撥遣である。

私の寺から近いので、作法前に下見がてら来て見ると、確かに空き家だが住んでいる…
住人がいる…
それも長年住み慣れた方である。

私にはこれで解った。
住人は、この家の元主である。

お婆さんは、この家が大好きだった。

亡くなったご主人と力を合わせて、買ったマイホーム…
お爺さんとの思い出…
子育て時代の思い出…
お爺さんを涙で見送ったあの日…
様々な思い出の籠もった家。

お婆さんは、痴呆症を患い亡くなった。

痴呆症を患い、亡くなった方の中には、ご自分がまだ生きていると錯覚している方々がいるのも事実であります。
お婆さんは、この家で生前と変わらない生活を送っているのです。

私は、強く決意を固めました。
必ず成仏させてみせる…と。

そして撥遣作法の日、ある特殊な密教法具を久々に使う事にした。
この法具は、一般には知られていない法具である。

私は何としても、お爺さんの待つ霊界にお婆さんを届けなくてはならない。

私は、当日、一歩一歩…と帆を進める様に、現場に向かいました。
到着すると、親族と関係者が出迎えてくれました。

早速、仏壇の撥遣作法を始めた。
仏壇はすんなりと進み、仏具店の方々に梱包と搬出作業をお願いして、いよいよ浄霊である。
親族や関係者の方には、知らせず僧侶としての私の独断である。

法具で邪気を祓い、読経と観想で説得…
最後は、優しいお爺さんを召喚した…
二人は全てを受け入れ、仲良く霊界に還って行きました。

人は、理解する者、理解出来る者…
愛の力は永遠に不滅です。

厨子の意味

昔、聖徳太子が一家に一仏の教えを確立され、
一般家庭に仏壇が置かれる様に成った話しは、あまりにも有名な話しです。

聖徳太子の玉虫の厨子は国宝ですが、
今では、信仰の形態も様変わりしたように見受けられます。
今回は厨子についてお話ししたいと思います。

厨子とは祀り所である、其処に大小の決め事は無い

ただひたすらに祈る為にある。
一例を挙げれば、ある貧しい人が自分が静かに祈りを捧げる為に
小さな仏像を手に入れました。

始めは、紙で箱を作り其処に安置しました。
仕事を終え、一人静かに手を合わせて居ました。

そのうち仕事も良くなり、お金も少しは余裕が出て来ました。

其処で考えたのが、このままでは仏様が可哀想だ、しかし自分の家は小さい、
とても仏壇などは置けない…其処で考えたのが御厨子である。

仏壇屋さんに頼み今、自分に出来る最良の御厨子を作って貰い、
其処に仏像を安置しまた毎日、祈りを捧げました。


それから暫くして良縁に恵まれ、今では、家族むつまじく、
朝な夕な、家族で御厨子の中に鎮座する仏様を拝み、
今も平穏な毎日を過ごして御いでに成ります。

撥遣と開眼

撥遣《魂抜き》開眼《入魂》
私は、今迄に、多くの仏像と仏壇の撥遣、開眼供養を手掛けてきました。
今日は、その中の一例を挙げて、心霊世界を皆さんに解って頂きたいと思います。


仏壇と護り本尊

或る御宅から、仏壇を買ったので浄化と開眼供養をして欲しいと頼まれ、御宅に伺い、全ての供養が終って帰ろうとした時の事でした。
表で、或る人に呼び留められた《ご近所の方である》
自分の家でも、最近仏壇を買ったので、開眼供養をして欲しいとの事。

御宅に伺うと、絢爛豪華な仏壇が有りました。
早速、仕度を整え、開眼供養に入ろうとすると、妙な違和感を覚えました。

扉を開けると、一体の仏像が安置されておりました。
家人に聴くと、仏壇が高価だったので、仏像までは買えなかったとの事でした。《仏壇店》

息子さんが、オークションサイトで見栄えの良い仏像を落札したのです。
違和感を覚えた原因は、仏像でした。

その仏像には、前の持ち主の思い入れが強く、とても撥遣を一日で終えられるほど、簡単なものでは無い。
《この仏像の前の持ち主は、既にこの世の人では無く、持ち主の死後売却された物がオークションに出品されて居たのです》

私は取り敢えず、仏像を白和紙と白布にて封印したが、これだけでは不充分な事は承知の上である。
《この仏像を撥遣するには、かなりの日数が必要な事を、家人に説明する事にした。》

この仏像を撥遣するには、寺に持ち帰り、《説得》する事から始め、浄化し、開眼供養をするしかないと説明をしました。

その家人は、『それなら費用がかかるので、このままで良い。』と言われるので、仏壇の供養を済ませて帰路に着きました。

それから三日後、寺に電話が入りました。

息子さんが原因不明の高熱を出し、起きる事も出来ないと言うので、行くことにした《医師の診察済み》
やはりあの仏像である。

家人の了解の上、寺にて懇ろに供養し、その後荼毘に伏した。
それから、間も無く息子さんも回復し、元気である。

いくら安くても、素人が手を出してはいけません。
簡単に出来るものではありません。

便利で安価なものには裏がある事を覚えておくことが、如何に大切か學んで欲しいものです。

厨子

厨子とは、仏壇を指します。
聖徳太子が玉虫の厨子を創建し、日本に広められたのが始まりです。

今日は、仏壇にまつわる私の経験談をお話し致します。

あるお宅で、異変が続くのでお祓いをして欲しいと依頼を受け、そのお宅に行った時の事です。
そのお宅では仏壇が無かったのですが、中古で良い物が安くあったので購入を決めたそうです。

いわゆるサイトで、出どころが解らない品物です。

その仏壇には、前の持ち主の怨霊が宿っていたのです。
私の物を返せ。と訴え、物への執着が剥き出しである。

こうなった場合、説得は不可能です。
私は、霊界に使者を頼み、送り返すしか方法は無く、送り返しました。

この場合、送り返された者は苦しむことになりますが、仕方がありません。

その後、仏壇は専門の炉で荼毘に伏しました。

皆さんには、仏にまつわる物は絶対に中古は避けることをお勧め致します。
いくら安くても、因縁まで買う必要は無いのでしょうか?

仏壇の話し

仏壇は古来、聖徳太子が信仰を広める為に考案した一家一仏思想が始まりである。
現在では仏教神道と分かれて居るが、元は同じなのです。

その証拠に、法隆寺は聖徳宗であり、様相は、教に酷似して居るが、僧侶の服装は白衣に袴の神道色が濃い物に成っている。

仏壇は、聖徳太子伝来の玉蟲の厨子が始まりと言われて居ります。
仏壇は礼拝所、お墓は面会所です。
お墓に忙しくて行けない方々は、仏壇に礼拝する事でご先祖様と意思の疎通を計る事が出来ます。

私のところはお墓も遠方にあり仏壇も無いが、ご先祖様に気持ちを伝えたい、礼拝がしたい方々は念持仏を持たれる事をお勧めします。
念持仏の場合は、仏壇と違う所は礼拝は、もちろん密かな願いを託す事が出来ます。

但し、念持仏だからと言って何でも良い訳ではありません。
素人の方では、到底無理な仏が居る事も事実です。

中には、一度拝んだら一生涯、拝む事を強要するものも存在します。
それから絶対に手を出してはいけないのが、中古の仏像です。

本当の撥遣作法が成されて居ない場合があります。

それと、呪いが目的でひつらえた仏像に手を出して、人生をメチャクチャにされた事例もあります。

仏像は、仏師が精魂を傾けて製作し、僧侶が開眼供養してこその念持仏で御座います。

素人判断は、危険を呼び込む事があります。
呉々も御用心ください。

撥遣と浄霊

昨日は、或るお宅の仏壇を撥遣しました。
いわゆる魂を抜く祈祷ですが、それだけでは終らない結果に成りました。

浄霊供養に発展して、3時の祈祷に成りました。

しかし、嬉しいのが霊体が納得して、霊界からの御使者と帰えられる時に、納得した安心感から見せてくれる表情は、素晴らしい微笑みです。

本来の姿を取り戻し、故郷の霊界に帰幽する彼らはしあわせです。
物質的価値観に翻弄されて自分を見失い、魔界の手先にされて居る事すら氣づいてい無い人は哀れである。

霊体に戻った時に氣づいてくれれば良いのですが、まず97パーセント氣づきません。

3パーセントの方は、法力僧や本物の霊能者の方々の御尽力のおかげで改心し、霊界に帰幽します。
が、後の霊は浮遊したままの状態です。

そして、人に憑依し、悪事を重ねていきます。
その様子は、バクテリアが増殖するのと同じように、次ぎから次ぎと増えて居るのが現状です。

少数の法力僧や本物の霊能者の手に余る数です。

今の日本は、霊的無法地帯です。
霊的真理、霊的真実を学ぶ事は、確かに大変だと思います。
が、あなたが救世主に成らなければ、近い将来、日本は暗黒に包まれる事になり兼ねません。

日本が暗黒に包まれる事は、あなたの身に確実に影響を及ぼすでしょう。
其の時に慌てても、遅いと思いませんか?

今、学ぶ事が自分を救い、あなたの大切な人を救い、やがては地球を救う事に繋がるのです。

密教塾では、此処では、書けない真実を書いて居ます。
何故、此処では、かないか?

それは、過去に私の記事を模倣して犯罪を犯し、罪も無い人々を悲しませた輩が居たからです。

密教塾では、入塾して頂く時に私は霊視します。
其の方が光の系譜である事を祈りながら、密教塾では皆さんの入塾をお待ちして居ります。

一カ月の費用は三千円です。
それ以上は、請求して居りませんから御安心下さい。

供養法

供養法は、様々な方法が語られています。

私が提唱する法は、僧侶としての法と、霊的面から見たことを書いていきます。

①電子線香、電気ロウソクは止めた方が良い。
②仏壇は、奇抜な物はあまり勧められない。
③高い金額の物が良い訳ではありません。
④仏壇に仏像を安置する時には、開眼供養をしてから安置して下さい。
⑤供物は気持ちでお供えする物で、これでなくてはいけないという事はありません。
⑥全ては、貴方の優しい供養心があれば、様々な事にとらわれる事はありません。

人が人を共に養う。
これが供養法であり、供養心なのである。



by kongousan-akafudo | 2020-03-17 12:00 | └私たちの暮らし

先祖供養に関する密教ブログ~後編

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■先祖供養

皆さんは、何故先祖供養が必要か 御存知ですか?

密教の先祖供養は御先祖様が、出来なかった善行を、子孫が代わって行う行為、すなわち追善供養が非常に大切なのです。

善行と言っても現世的な、ボランティアも大切ですが、
密教では護摩法で、餓鬼界の亡者に、皆さんの御先祖様が布施をしたして、御供養申し上げます。

餓鬼界の亡者は、食べ物も、呑み物も、口にする事が出来ません。
それを、不動明王尊の御力を借りて、地獄の亡者である、餓鬼に布施をするわけです。

餓鬼は、その慈悲、すなわち皆さんの御先祖様からの、供物、供養を受け、自分の悪業を反省して、一段上の階層に、解脱するのです。
その徳が、皆さんの御先祖様、引いては、皆さんの徳と成るわけです。

餓鬼は、反省して、解脱するわけですが、その光景は涙を流し、供物を口にし、甘露の法雨を浴びて、正に、天界の慈悲を味わうのです。そして、餓鬼の姿から脱し、元の人間の姿に戻り、輪廻転生の修行に、入ることが出来るのです。

餓鬼界に居る時は、口にする物は、全て炎に変わり、食する事が出来ません。
皆さんの、御先祖を敬う供養が追善供養に成り、餓鬼をも改心させる事になる、誠に有り難い御供養なのです。

よく供養は、何々の日が良いとかいう知ったかぶる方がいますが、そんな事はありません。
皆さんが、先祖供養を想い立たれた時こそ、吉日です。

■先祖供養の大事

私達が忘れがちなのが、先祖供養である。
今、私達が存在して居るのは、親が居て、御先祖様が居たからなのです。

数学的見地から観ても、私達が個々に存在出来るのは、千人以上の先祖が居たからです。
その先祖を忘れ《親も含めて》唯、一人で大人に成れた訳ではありません。

よく、開運を願う人がおられますが、先祖をないがしろにして開運など無い事を知って頂きたい!

例えば、あなたが誠心誠意尽くした人が、あなたを忘れて自分が一番と豪語し、傍若無人に振る舞いました。
やがて運尽きて苦界に彷徨い、怨みの中に喘ぐとき、あなたは救いますか?
本気で反省した者には救いの手を差し伸べるかも知れませんが、生半可な者に差し伸べますか?

その逆に、普段から仏を尊び、先祖を敬う者が窮地に陥った時、あなたが先祖なら黙って居られますか。

■写経

写経は、現在では誰でもご存知の仏教に馴染む方法として深く世に浸透しておりますが、意識を変えて行なえば功徳を積むことにも成るのです。
先祖供養の為に枚数を決めて書き上げたら、寺院に納め供養して頂く方法など様々にあります。

そのほかに、以外と皆さんがご存知無い、写経より功徳を積むことが出来る写仏があります。
例えば、自分の願い事を決めて決めた数を写仏する法や、寺院で開眼供養をして頂き、寺に納める方法もあります。

■灯籠供養

古来依り、神社仏閣に灯籠を奉納する事は、最良の供養と成り現在でも、有名寺院では、灯籠の奉納が行われております。
然るに高額な為、断念せざるを得無い方々もおられるのが現実であります。
そんなご意見を伺い、当院では、誰でも手が届く安価で灯籠の奉納を御受けする事に成りました。

釈迦の教えにもありますが、灯火を捧げる事は、古来より最良な供養とされて居ます。
増してや御本尊様の御前にて焚かれる灯火は、霊験あらたかな炎であり、最良の供養とされて居ます。
先祖供養、開運祈願、病気平癒、諸願成就、水子供養、その他諸々の願いが成就すると言われる。

当院では、一度奉納されますと永代に御供養申し上げます。



by kongousan-akafudo | 2020-03-16 12:00 | └私たちの暮らし

先祖供養に関する密教ブログ~前編

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■霊的真理

今日は、よく聞かれる質問にお答えしたいと思います。

① Q 自分で先祖供養するには如何したら良いか?
A 寺社にお願いするのが最良ですが、事情があり出来ない方は、御自分でされても大丈夫です。

供養はしたい---させて頂く心が大切なのであり、思い立った時に供養は始まっております。
* 先祖供養したいという、貴方の心は、霊界に届いております。御安心下さい。

② Q 何故、僧侶や神官が必要なのか?
A 専門家であり、技術者でもあるのです。
(たまにそうでない方もお見えになりますが)
沙門----即ち、シャーマンなのであります。
*シャーマンとは、超能力のある呪術者の事。
祈祷師、霊媒師などで、古くは、占い、医療、人々の身近な相談役や神との連絡役を務めていました。

私は生涯、一沙門を目指しておりますが、未だ未熟と自覚しております。

持論で御座いますが、完成した者などあり得ません。
何故なら、完成しているのであれば、現界に存在する必要は無いのです。
もし、完成しているのなら、貴方が全てを悟った時点で、即死していなければならない事になるのです。

現界は学びの場、決して楽をする処ではありません。
様々な苦難を乗り越え、傷つき、汚れ、涙した、経験を、最後に、感動に変え、故郷の霊界に還るのです。

還る時は、来る時と同じ様に裸であります。
しかし、来る時と違う事が一点御座います。
それは、肉体を持たなければ成し得ない、経験というものです。

故郷である霊界に還る時---
経験を感動に変え、霊界にいる仲間への最良の土産とする為に、私達は様々な経験をしているのです。

人生に無駄はありません。
無駄な経験も存在しません。
恥ずかしいと思う経験も無駄ではありません。

貴方も、貴女も、傷付く心を癒す為にも学びましょう。

善も悪も、学ばなくては本当の意味での終点はないのです。

■先祖供養の功徳

ご先祖様は、何時もあなたの事を見守って居られます。
子孫を見守り、暖かく応援している姿はまさに子を想う親そのものです。

私は、カウンセリングの中で、相談者の方々の守護霊や先祖霊にお会いする事が多々あります。
皆さん子孫を想い、見守っておいでになられます。

しかし例外もあります。

私の寺に予約も無しにおいでになられて開口一番、仕事も家庭も上手くいかない、原因を霊視して欲しい…といってこられた方がありました。

礼儀を知らない人だな~とは想いながらも、答えようとした時…
その方の先祖霊が放って置いて欲しい…と言うのである。
相談者の先祖霊は、ワガママで努力もせず、遺産を使い、遊んでいる者など、助けないで欲しい…と言うのです。

私は、そのまま伝えました…
相談者は、激怒して帰りました。

それから一度もお会いして居ませんが、結末は知っています。

神仏を敬う方々は、必ずご先祖様を大切にされておられます。
結果、御護りが強固になり、家族円満、家内安全に繋がるのです。

今、私のもとに、何件もお墓についての依頼が御座います。
そのどれも、ご先祖様を敬う方々が、新しくお墓を五輪塔を建立する為の撥遣と、開眼供養の依頼です。
心暖まる御依頼にいつになく、張り切る私です。

今、悩み、苦しむ貴方…
必ずご先祖様が道を御示し下さいます。

今の悩みは貴方の為になる学びと捉え、精進して下さい。
ご先祖様は、貴方を見放したりしません。

今の貴方がやるべき事は、日々是端正。
反省すべきは素直に反省し、努力を怠らず、家族との対話を大切にして下さい。

そうする事により、必ず問題は解決に向けて始動します。

全ては、必然…
奢り、傲慢な所には、解決は生まれません。
それどころか、生まれる物は悪の種なのです。

■先祖供養

御先祖様を供養するのは、自分自身を供養する事と何ら変わりありません。
供養とは、亡くなった方々だけにする事ではないのです。

供養とは感謝、報恩に繋がる道。
過去が無ければ、現在も無い。
現在が無ければ、未来も無い。
先祖が無ければ、自分も存在し無いのです。

今を感謝する事は、未来に向けた貯金。
心の積み立て《貯金》なのです。

そして、御先祖様を彼岸供養させて頂く事は、自分を現界に送り出してくれた方々に感謝を捧げることなのです。

当院では春彼岸供養会にあたり、新しく三界萬霊位牌を安置致しました。
本日、三界萬霊位牌の開眼法要を営み、春彼岸供養会に向けた準備に入ります。

春彼岸供養会には供養護摩供を謹修させて頂き、合わせて密教の秘法を修して施餓鬼供養も厳修致します。
御本尊赤不動明王尊の利剣を用いて修法し、もう一つの秘法では、摩利支天の利剣を用いて修法を致します。

御先祖様を敬い、神仏を尊ぶ生き方は、あなたを必ず護ります。
人は、一人で生きるにあらず。

■功徳

今日は、彼岸御中日で御座います。
私も午前に皆様の御先祖供養を謹修してから、その後に御先祖様の墓参りに行って参ります。
御先祖様の供養をさせて頂くことは、大変な功徳を積むことに成るので御座います。

私達が今日あるのも、全て御先祖様があったればこそ、なのです。
御先祖様に感謝して、皆様も一日過ごしては如何でしょうか。

御先祖様を供養する事は、自分を供養する事に繋がります。
供養は功徳を積み、明日への架け橋にも成ります。

長い人生、一日くらいは御先祖様を想い供養、功徳を積んでは如何でしょうか。

良い人生の節目になることと、存じ上げます。

■先祖供養

昨今の風潮を視て居ると、正にアメリカ式、物質的思想が伺える。
金欲しさの犯罪が日本でも横行して居る。

金属バットで後ろから殴り、金品を奪うだけで無く命までも奪った22歳の犯罪者。
正に外道である。

これは、ひとえに信仰心の欠如が物語る餓鬼、修羅、畜生、の姿である。
金の為なら何でもやる詐欺などは、年寄りを騙し金を奪い盗る畜生。
金の為なら人殺しでもやる餓鬼、修羅。
まるでアメリカの貧民街である。

今迄は余り表面には出て来なかったが、来年は恐ろしい様々なものが噴き出すで在ろう。
それは、信仰心の衰退が招いた結果とも言える。

昔は、年寄りをいたわり敬愛していたが、昨今では位牌に手を合わせる家も少なく成って居る。
これは、日本古来の護りが薄れた結果である。
崇める事無ければ、護られる事も無い。

当たり前のことですが、こちら側が折衷せねば振り返って頂ける訳が無いのである。
神仏も同じである。
こちらの都合ばかりでお願いしても、聴いてくれる訳が無いのである。朝に夕な手を合わせる事が、そんなに難しい事だろうか?
全てを自分の都合で考えるアメリカ思想には、日本の風土は適して居ないと私は考える。

■真剣勝負

密教の加持祈祷は、真剣勝負である。
己が身を削り、ひたすら成就を願う。

自分を他に置き、虚しくして祈る時、成就の道が開かれるのである。

今日私は、先祖供養の為、ある霊園にて供養法を修しました。
最後に、霊園の守護尊に祈りを捧げる為、その霊園の守護尊である観世音菩薩像に読経していた時、それは起こりました。
霊的浮遊現象である。

観世音菩薩像が建っている場所の左横は、崖でした。
私が読経している時に、左の崖に二人の婦人が立ち、私に向かい意識を向けるのである。
《成仏法を実践出来る者を探しているのである》

では、何故この様な事が起こるのか?
それは、全て物質的価値観が最大の原因なのです。

死して死なず。

墓石を管理料未納により撤去され、無縁と成りやがて彷徨う。
正に、現代の象徴の様な現象である。

昔は、墓石を撤去する時には供養の法を修しました。
墓石に宿った仏様の魂を抜き取る際に、必要となってくる供養 でもあります。

しかし現代は、それとて無駄な様です。
業者が撤去し、無縁仏として積み上げる。

正に、物質至上主義そのものである。
全ては、心を無くした結果なのである。


by kongousan-akafudo | 2020-03-15 12:00 | └私たちの暮らし

追善供養に関する密教ブログ

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■供養心

自分がこの現界に生を受けるまでには、計算上、千人以上の御先祖様が居なければ自身の存在は無い事になります。

良きにつけても、不満だらけでも、生を受けた事には意味があるのです。
その意味も解らずに不平不満を抱き続けていれば、良い結果など得られる訳が無いのです。
言わば、自身が負の種を蒔いて居る様なものである。



その逆に、私の知る人達は御先祖様に敬意をはらい、彼岸と聴けば供養を申し込まれる誠に信仰心の厚い方々です。


追善供養は、御先祖が霊界で御受け取りに成られる最良の御供養です。


ある方が相談に来られ、『供養をお願いしたいのですが、お支払いするお金が有りません。
出来れば御寺の掃除をさせて頂き供養に変えることは出来ないでしょうか?』
とお話しされました。


『寺の掃除は、大丈夫です。
そのお気持ちがあれば、毎日、仕事の行き帰りに、道に打ち捨てられたゴミを拾い、

その行いを御先祖様の供養に当てなさい』と私は教えました。

それから3年後、素晴らしい御縁を頂き、今では何不自由無い生活を送って居られますが、相変わらずゴミ拾いを続けて居られます。


正に隠徳を積まれた結果であります。

人は一人で生きるにあらず。
眼に見え無い大勢の先祖に見守られ、この世《現界》を生きて居るのである。
こちらが其れに目覚めた時、様々な護りが働きます。

神仏を尊び、御先祖様を敬う時、私達は護られます。

■施餓鬼会

施餓鬼とは、本来サンスクリット語であります。
古代中国で訳経され、日本には弘法大師空海が渡来し、密教僧の手により修されたのが始まりです。

現在は、真宗を除く各宗派で盂蘭盆会として修されておりますが、本来は、常時修されるのが施餓鬼供養です。
地獄に堕ちた亡者は餓鬼となり、食べようとすれば炎に変わり、また、水を飲もうとすれば溶岩に変わり、何も口にする事は出来ず、あのような浅ましい姿と成り、地獄を這いずり、飢えと渇きに苛まれ苦しみ喘ぐ。

餓鬼に供物を与えて改心させ、再度人間に生まれ変わらせ、修行させる為に行うのが施餓鬼供養会なのです。

当院では、秋彼岸供養会を、9月19日〜25日まで行います。

先祖の回向《追善供養》には、施餓鬼供養が一番良いとされております。
今回の供養にも、施餓鬼供養を行います。
先祖の居ない方は存在しません。

私の家は、分家なので。
仏壇が無いので。
本家が行っているので。
などと、言われる方がおられます。

では、あなたは、誰なのでしょうか?
供養する心に、本家も分家も、仏壇の有無も関係ありません。

大切なのは、心なのです。

感謝の心は、千里の道を瞬時に駆け、彼岸に到ります。
生きる事に、感謝。
生かされている事に、感謝。
今ある事に、感謝。
今日ある事に、感謝。

全てに、感謝が出来る様に成った時、本当の彼岸が実感出来るのです。
あなたも、秋彼岸の一時、感謝を込めては、如何でしようか。

■追善供養

釈迦の弟子の一人が、釈迦に尋ねました。

「昨日の夢に、今は亡き父母が現れ、今、自分達は地獄で毎日昼夜を分かたず、針の山、血の池、鬼による鋸挽き、焼けた鉛を呑まされたり、大きな蜂に刺されたり、様々な責め苦に、苦しんでおります。父母を地獄の苦しみから救うには、如何したら良いのでしょうか?」

釈迦は、言いました。

「100人の僧侶に布施をし、100人の僧侶に、回向をして貰いなさい。そうすれば、必ず救われる。」

人は、知らず知らに罪を犯し、カルマを重ねているので、人には施し、つまり布施、回向とは、祈り…
釈迦は100人の僧侶になぞらえましたが、釈迦の教えは、多くの人に分かち合い、愛に目覚める時…現界も平和を保ち、愛ある世界になるとお説きになられたのです。


追善供養は、生きている者の勤め…
故人の為に、手を合わせ、偲ぶ心に愛あふるる。

■先祖供養

皆さんは、何故先祖供養が必要か 御存知ですか?

密教の先祖供養は御先祖様が、出来なかった善行を、子孫が代わって行う行為、すなわち追善供養が非常に大切なのです。

善行と言っても現世的な、ボランティアも大切ですが、
密教では護摩法で、餓鬼界の亡者に、皆さんの御先祖様が布施をしたして、御供養申し上げます。

餓鬼界の亡者は、食べ物も、呑み物も、口にする事が出来ません。
それを、不動明王尊の御力を借りて、地獄の亡者である、餓鬼に布施をするわけです。

餓鬼は、その慈悲、すなわち皆さんの御先祖様からの、供物、供養を受け、自分の悪業を反省して、一段上の階層に、解脱するのです。
その徳が、皆さんの御先祖様、引いては、皆さんの徳と成るわけです。

餓鬼は、反省して、解脱するわけですが、その光景は涙を流し、供物を口にし、甘露の法雨を浴びて、正に、天界の慈悲を味わうのです。そして、餓鬼の姿から脱し、元の人間の姿に戻り、輪廻転生の修行に、入ることが出来るのです。

餓鬼界に居る時は、口にする物は、全て炎に変わり、食する事が出来ません。
皆さんの、御先祖を敬う供養が追善供養に成り、餓鬼をも改心させる事になる、誠に有り難い御供養なのです。

よく供養は、何々の日が良いとかいう知ったかぶる方がいますが、そんな事はありません。
皆さんが、先祖供養を想い立たれた時こそ、吉日です。

■追善供養

御先祖様の中には、浮かばれない方々もおいでになります。

例えば、生前に全く死後を信じない方々。
肉体だけが人生で、肉体が終われば全てが終わると信じている方々。
お金があれば、何でも思いのまま出来ると思う方々。

…以上の要素を持って亡くなられた方々は、殆ど迷い、彷徨います。

お墓に行けば、解ります。
墓石の中に、入ろうとする方々の多い事。
諦めて、墓石に腰掛けている方々…

実に多いのです。

遺族が墓石にすがって泣いていれば、余計に成仏の妨げになります。
一日も早く、故郷である霊界に、還して上げられる人は貴女です。

貴女が主体です。
僧侶は本来、脇役であり、主体である貴女をサポートするのが本道です。

しかし、サポートしたくとも、主体がなければサポート役の私達にはどうする事も出来ません。
全ての段取りは、私達がサポートできます。

貴女が主体である事に目覚めて、御先祖様を供養される事が一番の回向になります。

それが、本当の意味での追善供養で御座います。



by kongousan-akafudo | 2020-03-14 12:00 | └私たちの暮らし

彼岸に関する密教ブログ特集

お彼岸に寄せて綴られた密教ブログの過去記事を特集致しました。

彼岸に関する密教ブログ特集_d0359990_08275090.jpg


先祖供養

御先祖様を供養するのは、自分自身を供養する事と何ら変わりありません。
供養とは、亡くなった方々だけにする事ではないのです。

供養とは、感謝、報恩を、繋がる道。
過去が無ければ、現在も無い。
現在が無ければ、未来も無い。
先祖が無ければ、自分も存在し無いのです。

今を感謝する事は、未来に向けた貯金。心の積み立て《貯金》なのです。

そして、御先祖様を彼岸供養させて頂く事は、自分を現界に送り出してくれた方々に感謝を捧げることなのです。

当院では春彼岸供養会にあたり、新しく三界萬霊位牌を安置致しました。
本日、三界萬霊位牌の開眼法要を営み、春彼岸供養会に向けた準備に入ります。

春彼岸供養会には供養護摩供を謹修させて頂き、合わせて密教の秘法を修して施餓鬼供養も厳修致します。
御本尊赤不動明王尊の利剣を用いて修法し、もう一つの秘法では、摩利支天の利剣を用いて修法を致します。

御先祖様を敬い、神仏を尊ぶ生き方は、あなたを必ず護ります。
人は、一人で生きるにあらず。

節目 《ふしめ》

今年の春彼岸は、色々な意味で節目と成るでしょう。

捉え方は様々でしょうが、全ては學びなのです。
此処では、何があるか、どう成るか?言及は致しません。

皆さんが、どう捉えるか?で変わります。
変えるのは、皆さん自身なのです。

信仰心を持って生きるも、自我で生きるも、選択は自由なのです。

但し、自由と云う言葉の裏返しを考えて下さい。
自由には責任が伴い、原因は結果を生み出します。

原因の無い結果は存在しません。
結果に満足出来なくとも、全ての事象は自己責任と捉える方と、自分は運が無いという捉え方とでは、必然的に未来の事象に変化をきたします。

全ては、自由と云う選択肢にあるのでは無いでしょうか?

私は、春彼岸供養会に込めます。
皆さんが、明るく爽やかな心で人生を學ばれる事を念じ、御供養させて頂きます。

供養とは

今日から、春季彼岸法要会。
謹んで、御供養申し上げます。

供養とは心でするものであり、形では御座いません。
形にこだわり、本質を忘れる時、それはセレモニーに過ぎないのです。

母が手に、アカギレを作りながらも作ってくれたおにぎり。
父が、泥と汗にまみれて働いて居た姿を思い出す時、私は自然と手が合わさります。

皆さんも、境遇は違えども、たくさんの思いがあるでしょう。
その思いから合わせた手が、本当の供養心なのです。

感謝の念、感謝の心で合わせる手が供養なのです。

今日から彼岸。
御先祖様に感謝を込めて、合掌しては如何でしょうか。

功徳

今日は、彼岸御中日で御座います。
私も午前に皆様の御先祖供養を謹修してから、その後に御先祖様の墓参りに行って参ります。
御先祖様の供養をさせて頂くことは、大変な功徳を積むことに成るので御座います。

私達が今日あるのも、全て御先祖様があったればこそ、なのです。
御先祖様に感謝して、皆様も一日過ごしては如何でしょうか。

御先祖様を供養する事は、自分を供養する事に繋がります。
供養は功徳を積み、明日への架け橋にも成ります。

長い人生、一日くらいは御先祖様を想い供養、功徳を積んでは如何でしょうか。

良い人生の節目になることと、存じ上げます。

彼岸明け

込めに込めた彼岸供養、其処には、新たな出会いが御座いました。

様々な悩みと苦悩を抱え乍らも、拙僧を頼り、日本各地から遥々訪ねて来られた方々は、一様に沈痛な面持ちでした。

しかし、どの方にも素晴らしい霊団がご一緒なのです。
一例を挙げれば、医師《ドクター》には、力強い指導霊様が本人の學びを推奨し、私に教えてやって欲しいと言われました。
また、会社の若き経営者の方には、その方のお母様が寄り添い、身体を気遣う様にと言われておいででした。
私から視ても、素晴らしい霊団です。

では、何故彼らは苦悩するのでしょうか?
それは、學びを深めなさいと言う、霊界からのメッセージなのです。

彼岸の日に私の寺を訪れ、悩みを打ち明け、帰りには晴れ晴れとした姿を見て、私は安堵致しました。

彼らの前途は、學びを深める事により、明るい未来が待って居る事を確信します。
彼岸は霊供養だけでは無く、現界に生きる私達にも、素晴らしい供養を授けてくれたのであります。

私は、これからも込めて参ります。
一人でも多くの方々が學びを深め、本当のしあわせとは何かを実感して頂ける事を祈り、彼岸明けを迎えたいと想います。

供養心

自分がこの現界に生を受けるまでには、計算上、千人以上の御先祖様が居なければ自身の存在は無い事になります。

良きにつけても、不満だらけでも、生を受けた事には意味があるのです。
その意味も解らずに不平不満を抱き続けていれば、良い結果など得られる訳が無いのです。
言わば、自身が負の種を蒔いて居る様なものである。



その逆に、私の知る人達は御先祖様に敬意をはらい、彼岸と聴けば供養を申し込まれる誠に信仰心の厚い方々です。


追善供養は、御先祖が霊界で御受け取りに成られる最良の御供養です。


ある方が相談に来られ、『供養をお願いしたいのですが、お支払いするお金が有りません。
出来れば御寺の掃除をさせて頂き供養に変えることは出来ないでしょうか?』
とお話しされました。


『寺の掃除は、大丈夫です。
そのお気持ちがあれば、毎日、仕事の行き帰りに、道に打ち捨てられたゴミを拾い、

その行いを御先祖様の供養に当てなさい』と私は教えました。

それから3年後、素晴らしい御縁を頂き、今では何不自由無い生活を送って居られますが、相変わらずゴミ拾いを続けて居られます。


正に隠徳を積まれた結果であります。

人は一人で生きるにあらず。
眼に見え無い大勢の先祖に見守られ、この世《現界》を生きて居るのである。
こちらが其れに目覚めた時、様々な護りが働きます。

神仏を尊び、御先祖様を敬う時、私達は護られます。

秋彼岸の季節

暑さ寒さも彼岸までと昔の方々は言われておられました。
今年の秋彼岸は、9月20日〜9月26日で御座います。


今、私達が様々な経験、良い事も良く無い事も経験できるのは素晴らしい事なのです。

御先祖様が居ない人間など存在しません。
居るとしたら悪魔でしょう《笑》

しかし、昨今は御先祖など関係無い《自分は次男、三男、嫁に出たから私に関係無い》と云う方々が多い様である。
御先祖様を関係無いと云う人は、何処から来たのでしょう。
かぐや姫の様に竹から産まれたのでしょうか?
そんな馬鹿な事はありません。
皆等しく親から生まれ、現界に生きて居るのである。

なれば御先祖様を関係無いと云うことは、自分も関係無いのである。

では何故、関係無いと云うのか?

それは、金銭欲から発せられる物質的価値観の現われである。
供養《供えて養う》を知らない無知から来るものである。
父母に感謝、御先祖様に感謝、生きる事に感謝、出来る境涯にある人は先祖供を忘れません。


供養の種類
仏教の経典に説かれているおもな供養の種類

◎二種供養(香華・飲食などの財物を供養する利供養と,教説のごとく修行して衆生を利益する法供養)

◎三種供養(香華・飲食を捧げる利供養

◎讃嘆恭敬(さんだんくぎよう)する敬供養

◎仏法を受けとめて修行する行供養)

◎四事供養(飲食,衣服,臥具,湯薬)

◎密教の五供養(塗香,華,焼香,飲食,灯明)

◎六種供養(閼伽(あか)(水),塗香,華,焼香,飲食,灯明)

◎十種供養(華,香,瓔珞(ようらく),末香,塗香,焼香,繒蓋幢幡(そうがいどうばん),衣服,妓楽,合掌)

また密教では身と口と心の三業供養も説かれる。

世界大百科事典より


その逆に、不平不満を日常の言葉に表す者はしあわせでは無いのです。


しあわせな人は、優しく大らかです。
しあわせな人は怒りません。
しあわせな人はイジメをし無い。
しあわせな人は武力を行使せず。

人間は、御先祖様を敬い神仏を尊ぶ時、必ず変わります。

あなたがあなた自体を変化させてしあわせに成る道が、最高の早道である事を一日も早く氣づく時である。

施餓鬼会

施餓鬼とは、本来サンスクリット語であります。
古代中国で訳経され、日本には弘法大師空海が渡来し、密教僧の手により修されたのが始まりです。

現在は、真宗を除く各宗派で盂蘭盆会として修されておりますが、本来は、常時修されるのが施餓鬼供養です。
地獄に堕ちた亡者は餓鬼となり、食べようとすれば炎に変わり、また、水を飲もうとすれば溶岩に変わり、何も口にする事は出来ず、あのような浅ましい姿と成り、地獄を這いずり、飢えと渇きに苛まれ苦しみ喘ぐ。

餓鬼に供物を与えて改心させ、再度人間に生まれ変わらせ、修行させる為に行うのが施餓鬼供養会なのです。

当院では、秋彼岸供養会を、9月19日〜25日まで行います。

先祖の回向《追善供養》には、施餓鬼供養が一番良いとされております。
今回の供養にも、施餓鬼供養を行います。
先祖の居ない方は存在しません。

私の家は、分家なので。
仏壇が無いので。
本家が行っているので。
などと、言われる方がおられます。

では、あなたは、誰なのでしょうか?
供養する心に、本家も分家も、仏壇の有無も関係ありません。

大切なのは、心なのです。

感謝の心は、千里の道を瞬時に駆け、彼岸に到ります。
生きる事に、感謝。
生かされている事に、感謝。
今ある事に、感謝。
今日ある事に、感謝。

全てに、感謝が出来る様に成った時、本当の彼岸が実感出来るのです。
あなたも、秋彼岸の一時、感謝を込めては、如何でしょうか。

彼岸

当院では、今日から秋彼岸供養会を始めます。
読経、礼拝、護摩、施餓鬼と、7日間御供養申し上げます。

今回は特に、施餓鬼供養には重点を置いて居ります。
昨今の事件、事故を観察すれば誰にでも解ることです。

正に人間の所業では、考えられない状況である。
このまま放置すれば、間違いなく日本もアメリカ並みに治安秩序の無い国に成るでしょう。

しかし、それは見て見ぬふりをした結果なのです。

今一度、考えてください。
何をどうするべきなのか?
このままで良いのか?

考え、行動する事こそ、今日を生き明日を生きる事になる。
そして、未来を変える事に繋がるのです。


何もしなければ、悪化しても、好転はあり得えません。
努力する事こそ、明日を生きる事に繋がるのです。
蒔かぬ種は、生えません。

全ては、其処に到達します。
しあわせも同じ事です。
何もせず、ただ黙していても、しあわせは訪れません。

棚からボタモチは無い。
百歩譲って、棚からボタモチが有ったならば気を付けてください。
それは、次の前兆なのである。


by kongousan-akafudo | 2020-03-13 12:00 | └私たちの暮らし

菩薩行に関する密教ブログ

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感涙

私は今日、感動に涙しました。

以前から仏具師さんにお願いし、現在製作中の宇賀神様と聖天尊様の八角厨子の完成を前に、ある方から、二尊の厨子の製作費用に充てて下さいと多額の寄進を頂戴致しました。

正に、菩薩行。
其の方の事を書きたいのですが、ご迷惑をお掛けしてはいけないので伏せ置きます。
私は、有難さに涙しました。
実は、資金が困窮して居たのです。

誰にも言わず、老骨に鞭打ち働いて居りますが、中々、資金には到達出来ずに居た矢先の出来事。
有難さに、ただ涙です。

私は、確信します。
私の信仰は、正しかったと。

お金だけの事では、ありません。
何故ならば、私は資金が困窮して居る事を誰にも告げて居なかったのです。

私は幼い頃から貧しさを味わい、貧しい事は苦になりません。

しかし、老仏具師さんの温かい心に支えられて製作して頂いて居ります。
仏具師さんも金具にもこだわり、金具も彫金師に注文をして下さったので、必ずや素晴らしい八角厨子に成る事でしょう。

全ては、御仏のお計らいと感涙する毎日で御座います。

菩薩行

私は、東京で生まれ育った浅草の街が大好きで、浅草寺の境内は私も遊び場であった。
昭和三十年代は、未だ貧しさに溢れていた。
戦傷兵《傷痍軍人》が片足で街角に立ちハーモニカを吹き、僅かなお金を貰い、その日を生きていた。
浅草寺の境内には、乞食《ホームレス》が溢れて居りました。

その中でも、端に一人で静かに座って居る老婆が何故か気になりパンを買って老婆に声をかけパンを差し出しました。
老婆は、喜びましたが、食べません。子供だった私は、訳を聴きました、老婆は、ゆっくり話してくれました。

坊ちゃんありがとう、このパンは後で三人で食べるよ《老婆の周りには、誰も居ない》。
おばあちゃん周りには、誰も居ないよ、と言うと、息子とお父さんは、此処に居るよと言い、防空頭巾で作った袋を出して言いました。
その袋の中身は、息子さんとご主人の遺骨が入って居たのです。

おばあちゃんは、語りました。あの戦争は、地獄だった、多くの罪も無い人が虫ケラのように殺され
老婆の息子さんとご主人は、老婆の目の前で、焼夷弾の直撃を受け
息子さんをかばいお父さんも黒焦げに成り、果てました。

お婆さんは、言いました。自分で死ぬのは、簡単な事。
死んだ家族の分まで自分は、一緒に生きると。
どんなに恥ずかしくても、雨に濡れ、泥にまみれて道端で寝ても、何時も三人で居られる。
いつか観音さまが迎えに来てくれるまで、三人で生きて行くとあの日、決めたんだよと言う老婆の眼には、涙が溢れて居りました。


生きるとは、ある意味、過酷ですしかし、生きる事に意味があるのです。
この世に生まれ、滅せぬものは、ありません。
なれば滅するその日まで、精一杯に生きる事こそ、勤めであり、御役目だと私は、信じます。

尊厳

様々に尊厳について語られておりますが、本当の意味で尊厳を考える時、最近の考えかたは自己主張になっては、いないでしょうか?

自己の尊厳だけではなく、相手の尊厳を認め尊重する事によって自分の尊厳をも認められます。

自己主張に固執し、主張する時、其処には傲慢の意思が働き、見失うことになるのです。
自己主張の文化はアメリカ特有の思想であり、日本人の文化にはそぐいません。

日本には、素晴らしい思想文化《謙譲の美徳》があります。
まずは他を尊重し、相手を立てることによって自分も立つのが日本人の思想です。

・・・
島根県益田市久々茂町の国道191号で、集団登校で横断歩道を渡っていた市立豊川小学校の児童の列に飲酒運転の軽トラックが突っ込み、ボランティアで通学を見守っていた近くの三原董充さん(73)が全身を強く打ち、翌日病院で死亡した。
三原さんは33年前、小学2年だった下校中の次女(当時7歳)を交通事故で亡くし、子どもたちの事故を防ぐため見守り活動を続けていた。

事故現場近くの女性は「車に気付いた三原さんが、男の子を突き飛ばしてかばったと聞いた。身をていして男の子を守ったようだ」と話した。
三原さんの長女摩弓さんは「二度と娘と同じ思いをしてほしくないと思い、ずっとボランティアを続けてきたのだろう」と話し、
悔しさをにじませた。

《毎日新聞2017.01.31記事》

・・・

先般、登校中の子供達を護って自らが犠牲になり亡くなられた方がいらしゃいます。
正に尊厳を最後まで護り抜いた英雄であり、菩薩行であります。
この方の様な人が、正に日本人の鏡として賞賛されるべきです。

私はこの英雄の死に敬意を払い、御冥福をお祈り申し上げております。
願わくば、英雄の遺された行為を後世に伝え、自らを犠牲にして他を護り、救う事が日本人の美徳と解釈する人々が増える事を望みます。

意見と學び

私は、四十三年前に両親と死別しました。
20歳の時でした。

今、想うに《親の意見と茄子の花は、千に一つの無駄は無い》人を想い、発する言葉には、どんな厳しい言葉で有っても愛があります。
その逆に、愛の無い言葉には、《誹謗、中傷、妬み、嫉み、憎悪、》物資的価値観を裏付けする利己主義が存在するのである。

時として、言葉は人《他人》を育て成長を促し、激励します。
しかし現代は、揚げ足をとる事がまるで文化の様に成っています。

失言を責める依りも、改めさせる親の愛、《殺す依り、活かす》
正に、愛が無ければ出来無い事である《菩薩行》。

私達の親は、正に菩薩行を教えてくれた恩人であります。
今、私達に与えられた課題は、育てる事である。
育てずに成長は、無い。

私も含めて、人間は、未熟な存在である。
しかし未熟だからこそ、生まれてこられたのです。
全てを達観し、答えを出せる人間なら、生まれて来る必要も無い(解脱)のである。

人は、學びを受け入れる時、其処には、あなただけの愛が存在するのま事実であります。
個性も學び、同じ人生など無い事を知る時、本当の自分が理解出来るのである。
当院は、そんな貴方を待っています。



by kongousan-akafudo | 2020-01-31 12:00 | └私たちの暮らし

障害とは何か?

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■隠蔽と虚偽

今から数年前、ある母子の悲痛な相談を受け、実質的に動かざるを得ない事になり、ある学校《高校》に出向いた。

以下はその時の経緯と結果である。

まだ冬の寒い日のことである。
電話で相談の申し込みを受け、日時を決めてお会いする事に成った。

そして面談。

お母さんが開口一番。
『先生、この子をイジメから助けて下さい』

お母さんは涙。
落ち着いて頂く為に沈黙の後、温かいお茶を飲んで頂き、相談を再開しました。

お子さんはダウン症で、本人は知らなかったが今回の問題で親子で話し会ったとの事である。

以下イジメの内容

登校すると、決まって数人の生徒が『お前の顔、鏡で見た事ある』
するとクラス全体が笑う。
『お前、教科書読める』

様々なイジメが繰り返されて居る事を担任の教師も知って居る。
しかし見て見ぬ振りである。

お母さんは学校側に実情を訴えたが、そんな事実は確認出来無いの一点張りでラチが明かない。

我が子が障害を種にイジメに遭って居る事を知った時、自分を責めた。
《自分が普通に産んで上げられなかったのは自分の罪》

私はお母さんに言いました。
此処で祈祷するのは良いですが、この件は根本的な解決策を考えましょう。

私はお母さんと一緒に学校に行き、校長、教頭、学年主任の先生と会議室で話し合いました。

その時の学校側は事実を認めません。
私は学校関係者しか知らない事実を羅列して追求した。
様々な事を挙げた時、教頭が証拠が無いと言うので、教頭しか知らない事実を暴露し、詰め寄った。
そのとき、校長が一言。申し訳ありませんと謝罪。

学校の問題として解決すると明言して、その場からありとあらゆる手段を提案され、実行に移されました。

そして担任の教師も知って居たことを認めて謝罪し、それからこの学校ではイジメが撲滅された。

今では有名進学校に数えられる様になりました。


障害とは立派な個性であり、なんら恥じる事も何も必要ありません。
また個人が正しく生きる事に他が揶揄する必要も権利も無い。
私は今後も実質的に動かなくてはいけない時は動きます。
全ての人が安心して生きられる様に、今日も御祈念申し上げます。

■障害

私は、障害、障害者と言う事は、間違いだと考えます。
身体が不自由な方が居たら、私達、健康な者が手を貸せば良い。
共に助け合い、分かち合い、共に生きる。

障害は、障害に非ず。
個性なのです。

全ての人が同じ考え、全ての人が同じ身体。
全ての人が、同じである必要は無いのです。

個々に違う顔、違う身体、違う考え方。
それが個性であり、差別も区別も必要無いのです。
そもそも、同じである必要は無い。

全てを同じに考えるのは、ファシズム、ファシストであり、共に相手を尊重する、社会構造が無い事自体が異常としか思え無いのです。


強い人もいれば、弱い人も居る。
優しい人もいれば、意地悪な人も居る。

様々に個々の人生を歩み、最後は、例外無く帰幽するのである、《死んで霊界に帰る事》

どんなお金持ち、政治家、医師、法律家、宗教家。
例外無く、帰るのです。

唯、違うのは一点だけである。

現界で侵した事は、法則に従って受けるのです!

私達は、平等なのです。
身体が不自由な方は帰幽すれば自由に動き周り、傲慢を謳歌した者は…。

■立場を利用した暴力

昨今、パワーハラスメントが後を絶たないのは何故か?
会社の上司のパワハラ!
様々な場所でのパワハラ!

私の寺には、パワハラに苦しむ人の相談が、後を絶たない。
特に酷いのが、男女問わず、職場でのパワハラである。

生活の為に働かざるを得ないのは皆同等だが、昨今、立場を利用した暴力、パワハラが、異常なほど急増して居る。

一例を挙げさせて頂きます。

私の寺に、一人の女性が相談に訪れました。
話しを聞いてみると、会社の上司に依るパワハラ《イジメ》問題である。

彼女は、母子二人で生きる為に、事務職で朝早くから夜遅くまで働く、真面目な方である。
しかし、会社の支店長に、事あるごとに威圧的な態度を取られ、精神的に参ってしまい、私の寺にやって来たのです。

私は霊視し、事の真意を確かめ、結論を出しました。
引きなさいと《退職》

何故か?
彼女が、その会社にいれば、命の危険があるのです。
それは、会社の支店長が原因で彼女は病いに倒れ、悲惨な結末が私には視えたのである。

私は、強く退職を勧めました。
引くことも、勇気であると。

その後、彼女は良い男性と結ばれ、今は人生を満喫して居る。

世に、某会社の支店長の様な人はたくさん居るが、氣をつけるが良い。
自身が落としめた事象は、己れに三倍から十倍に成り、まるでブーメランのように襲い掛かって来る。

その日が、来るのは、速い。

■傲慢の心

人間に生まれ出た者に、完璧な者はいません。

何故か?

完璧では無いから現界に生を受け、人生と言う學びを与えられ、社会と言う学校で學び、家庭と言う教室があるのです。
そして、様々な環境、様々な容姿、様々な能力が与えられ、人生と言う大きな學びの中に居るのです。

私は、何の能力も無い。
私は、容姿も好く無い。
私は、財力も無い。

そう感じ、想う心は、ある意味傲慢なのです。

あなたには、他に無い力が必ずあります。
言い換えれば、あなたしか無い力に氣づいて居ないだけなのです。

私は今日、ある生徒と会い、再認識をしました。
その生徒には、俗に言う障害があります。

しかし、その障害の陰には、素晴らしい能力が隠されて居たのです。

私が常々言うように、障害は個性であるのです。
その強い個性の裏には、素晴らしい能力が秘められているのです。

私は、再認識しました。
私の残る人生の、御役目はこれだと。

私は、今迄以上に、人間の秘められた能力の開発と発掘に全身全霊を込め、活動する事を此処に宣言します。

■魂の行方

大変な事件が、日本各地で頻発して居る。

正に修羅場。
罪も無い老婆が暴力に依り重症、障害者施設で惨殺事件!
此れは、異常事態と云う他は無い。

犯人はいずれ死刑に成るであろうが、犠牲者は帰りません。
犠牲者の方々の冥福を祈ります。

事件後、必ず犯人の精神状態が云々されるが、異常な犯罪を起こした者が正常な訳が無いのである。
正に異常者。
根底に何があるのかが、重要な点であります。

私は、魂レベルが重要と考える。

魂のレベルは、生き方に重要な作用を起こします。
本人が自覚し、學ぶ時、確実に成長して行きます。

その反対に、學ばず、ただ自己顕示を繰り返せば、魂は汚れ、退化します。
犯罪者が反省せず、刑の執行を受けた時、《死刑》どう成るか?

肉体は滅びるが、魂は野放しに成り、同じような魂レベルの者に憑依し、悪事が繰り返すのである。
此れを、信じようが信じまいが自由ですが、確実に現在進行して居るのです。

その証拠に、近年の異常犯罪の増加が見られる事は、皆さんもご存知のはずです。
そして、その闇は、確実に広がりを見せております。
いつ自分に降り掛かって来ても、おかしく無いのです。

私は、宗教をやりなさいとは言いません。
正しい信仰心を持つ事を、勧めて居るのです。

信仰心は、誰でも持つ事が出来ます。
お金も要りません。
必要なのは、真摯に學ぶ心と、學ぶ為の行動力だけなのです。

では、どうやって學ぶか?
理性的に判断すれば良いのです。
妥協せず、探し求める時、必ず導きの力が働きます。
自身の中に、引きこもって居ては、學びも解決の糸口も現れません。

一歩を踏み出すのは、あなたなのです。

■障害とは 何か?

自分と違うから変、おかしい、様々な捉え方がある。
私は、ある集まりで激怒した事がありました。

それは、ある女性教師が発達障害の子供を指して《発達君》と表現したのです。
愛称のつもりだったのであろうが、これでは《 障害君 》と言っても同じ事だと言う事を理解していない。
だから、《 発達君 》という言葉が出るのである。
障害のあるお子さんをお持ちの方が、聞いたら悲しまれます。

想像力の欠除が、今の日本の現状なのです。

私は、常々言っております。
人間に、障害などと言う事は無いと。
あるとしたら、それは上から目線の傲慢さが産む錯覚である。
《障害は、立派な個性である》

個性と認知する時、どんな人間にも、個性は存在し、ことさらに障害などと問題視する必要など無い。
問題視するのは、傲慢である。

自分は、普通だから。
うちの子は、普通だから。

では、何を指して、普通と言い切れるのか?

もし、自分の子がイジメに参加していたら、イジメをする子供が普通ですか?
私は、その子は心が病んでいる。と判断します。

早稲田大に入り、女性に酒を飲ませて強姦に及ぶ若者《馬鹿者》
そんな輩が普通ですか?
これこそ、理性のかけらも無い暴徒である。

様々なデモに参加し、イデオロギーを振りかざし、騒乱を利用して略奪を繰り返す者が五体満足な者ですか?

ダウン症でありながらも、書家と成り活躍している少女は、清い心を書に表し、観る者に感動を与えております。
天才絵師、山下清画伯の絵を再現出来ますか?
批評出来ますか?
本来、全ての人は、兄弟であり、共に學び合い、助け合う仲間なのです。

障害者など存在しません。
障害は個性であり、勇気ある魂なのである。
障害者と思う者こそ、傲慢な心の障害者ではないでしょうか。

分かち合い、助け合う時、調和に包まれた、慈愛の世界が生まれるのである。


■何故、混迷するのか?

日本が何故、混迷するのか?
全ては、欧米式物質的価値観に由来するのである。

価値、価値に追われ、心を失い、物質的価値観こそ真理と錯覚して来た我々に、最大の問題があるのである。
心を軽視し、物質に生きた時代はありました。

しかし今、餓死する人は皆無と言える日本に於いて必要なのは、古き良き時代の思想であると、私は考えます。
然るに、今の状況は救い難いものがある。

全てが価値で始まり、全てが価値で判断される世の中を、あなたは正常な状態と考えますか?

正常と考える時、あなたは私とは違う世界の住人である。
中国では、懐妊すると、遺伝子検査をする人が多くいます。
それは、障害を持つ子供を産みたくないから、殺すのである。
この根底にあるのが、物質的価値観である。

正常でないものは、不良品であると云う考え方の表れである。

では、何故、魂が宿るとか?
考えて下さい。
それも救い、學びなのです。

我々が學びを拒否し、忘れ去る時、人類は亡びます。

■生き方の改善

前回、開運について触れましたが、今回は、具体的に、開運を考え、語ります。

以下は、実例です。

実業家である〇〇氏は、生まれつき、腰から下の機能障害を抱え、
子供の頃からイジメにあい、決して、しあわせな子供では、ありませんでした。
しかし、優しい性格だった彼は、成人し、美しい女性に恋をした。
彼女は、容姿とは正反対な悪女だった。

そして、彼は、自身が得た金品を、彼女に捧げ続けた。
しかし、そんな事が、長く続くわけもない。
やがて破局。
その時、彼女が言った言葉が、彼を一変させた。

『貴方みたいな醜い男が女にモテるわけが無いでしょ!』

彼は、その言葉にショックを受け、その後の彼の人生は、金の為なら何でもやる。
何をやっても良いに変わり、最後は、悪徳金融のボスに成ります。

そして、金を返せない相手には、臓器売買を迫り、金を返せない女性には、売春を迫り、金の為なら悪事の限りを尽くした。

最後には、訳のわからない、拝金宗教まで作り、金に執着し投獄。

最後は、身体中に悪性の病巣に侵された身体で、金に執着を燃やしたのである。

本来なら、それほどの才能を他に発揮し、精進すれば、素晴らしい偉業を成し遂げていたで有ろう。
才能を、金と云う魔性に、身も心も毒され、人生を誤った方向に向けてしまったのである。

今、彼の霊体は、浄化も出来ずに、現界を彷徨い、同じ様な低俗な魂に憑依を繰り返し、餓鬼の形相で、次の標的を物色している。

もう、彼の魂を救うことは出来ない。
何故か?今の日本には、彼と境遇は違っても、男女問わず、金に執着する者達が満ち溢れて、
彼の様な低俗な魂の憑依を、許しているからである。

金は、便利な道具であり、あれば嬉しい。
しかし、金に振り回され、どちらが道具だか?分からない人生は、人間の尊厳をも破壊する兵器である。

私達の人生は、デコレーションケーキであり、飾り付けも、味も、自分で選び、作り上げるもの。
穢れ、腐臭を放つケーキなど望まない。

人生は、何時でも改善できる。
強い意志と理性を身に着け、神仏を尊び、先祖を敬う時、あなたの人生は、必ず改善できるのです。

■障害は個性

例えば、ダウン症の少女が書家と成り、素晴らしい作品を生み出し私達に感動を与えてくれます。

水泳に至っては、迫力ある泳ぎで感動を与えてくれる少女が
オリンピック《パラリンピック》に向けて素晴らしい泳ぎで私達を魅了してくれます。

様々な世界で活躍する個性派を、皆が応援、交流し優しい心で生きる時、其処には、平和の二文字が生まれます。

本当の意味での個性は、ワガママや怠惰、傲慢の中からは、生まれません。
私達が個性を理解して応援と協力をしなければ、せっかく芽生えた個性を枯らせかねません。
個性派達は、私達に様々な氣づきを教えてくれます。

氣づきとは、真摯に受け止めなければ、生涯、知ること無く、人生を終える事になるでしょう。
謙虚にならなければ、見るに終わり、學びにも繋がりません。

個性派の方々は、霊的に言えば、勇気がある魂なのです。
私達は、互いに助け合い、學び合う時、本当の學びに出会うことが出来るのである。


by kongousan-akafudo | 2020-01-30 12:00 | └私たちの暮らし

詐欺に関する密教ブログ④

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カルマを積む者達

知らない、知ろうとしない者は哀れである。
募金と称して善意の人を欺き、私腹を肥やそうとした者、哀れである。
自身で、取り返しの付かないカルマ《悪因縁》を増やし、積み上げてしまったのである。

しかし、確実に地獄の門を開いてしまったのである。
イジメ、誹謗中傷、詐欺は最もキツイ罪なのです。

何故か?
人間界では、大した事がない様に日常的に行われている上記の事は、全て自分に数倍、数十倍の因縁と成り、帰って来るのである。
こんなに、割りに合わない事は他に無いと言えよう。

では、人殺しは、どうか?
簡単である。
未来永劫、殺され続けるカルマがあるだけである。

イジメ、誹謗中傷、詐欺は、何時罰を受けるのかを、今から具体的に説明致します。

現界である人の一生は、正に走馬灯のように、良い時もあれば良く無い時もあります。
但し、上記の事を行って来た者は、自身が最悪な時に重なるように、やって来るのであるのです。
その苦しみは、例え様のない苦しみである。

私は過去に、沢山の人が、この苦しみから逃れ様とする姿を見て来たが、壮絶なものである。
また、その様な人間は信仰心も希薄なので、御仏の慈悲も届かないのが現実である。

拙僧の言って居る事が、キチガイ坊主の戯言と思う者は続けて下さい。
そんな非科学的な事はない。と、思う者は、本当は科学を知らない蛮人なのです。

上記の事は、世界の心霊科学を知る者には当たり前の法則です。

日本は心霊科学の後進国であり、正に《井の中の蛙、大海を知らず 。》なのです。

末路

私は、祈祷僧…依頼があれば、何処へでも行きます。

その日は、信徒さんからの紹介で、ある企業の不浄祓いと、火伏の祈祷を頼まれていた。
行ってみると大きなビルに、工場と敷地…立派な会社である。
その様な会社が、何故、私に祈祷を依頼して来たのか?

その会社には専門の寺が付いていたおり、様々な怪異現象が発生する度、専門寺が祈祷に来ていた。
が、怪異現象は収まるどころか、火事騒ぎまで起きる始末…。
そして私の元に依頼が入り、行って視ると怒りの念が渦巻いていたのです。

ひとまず依頼された事案に対して、祈祷を開始して驚いた‼️
怒りの念が湧いてくる源は、会社の中。
生きている人間の怒りの念は、死者よりよほど怖いのです。
時により、人間の念は人を死に追いやる場合があります!

そして、執拗に何度でも繰り返し襲って来ます。

今回の場合は、念の発信場所も特定出来ているので大丈夫だと思ったが、思わぬところに落とし穴があった…。
経営者である。
経営者の社長室に招かれ、社長と談笑していたときは、温厚な良い人だなぁ~と、思ったが間違えだった…。
私が帰った後、不満分子を探り始めたのである。

不満分子を探る様な事をせず、不満解消を考え実行すれば、会社には新たな息吹が起こる。
と助言したにも関わらず…

犯人探しをした影響で不満は増幅し、最後は、詐欺師に会社ごと乗っ取られ、経営者の社長は入水自殺をした。
と、後年聞いた時は人の念の怖さを改めて知ったのでした。

詐欺、迷惑メール

昨今、多いのが詐欺と迷惑メールです。
迷惑メールに嫌気がさして、アドレスを変えた方も少なくないと思います。

私の元にも来ます。
霊視すれば全てが分かりますが、そんな輩の霊視をしているほど私は暇ではありません。

しかし、実害が出てはいけないので、近々キツイ祈祷を行います‼︎
まず、イタズラに迷惑メールを配信して居る者に式神を放ち、〇〇になり反省の機会を与えます。

それでも解らない場合は、呪縛を掛け、徹底的に〇〇します。
密教には、式神を作り《練り上げ》使役する法が何通りも存在します。
過去に公害企業が反省せず、被害者に苦しみを与え続けた時、僧侶が呪殺団を結成して公害企業を呪縛し、
呪殺した事はあまりにも有名な実話であります。

密教僧には、いとも簡単な事です。
人を騙し落とし入れる者どもを、私は許さない。
人を騙し得た金は、確実に騙した者に呪縛をもたらし、最後には、肉は腐り、七顛八倒の苦しみのなか命を滅し、
魂は、未来永劫苦しみ続け、浄化する事はありません。

信じない者は続けるが良いでしょう。但し、後悔した時は手遅れであります‼︎
私は警察ではないので逮捕も拘留も出来ませんが、警察や法がやれない事を出来るのです。

この意味を理解出来た者は、一刻も早く悪の道を離れて帰る事です。

魂年齢の低下

普通は、様々な事を年齢と外観で判断しようとするが、昨今は、その判断は、通用し難い感がある。

自分勝手な人が急増して居ることは、皆さんもご存知では、無いでしょうか。
人間は、ある程度の経験と年齢を重ねて来れば、思慮分別が身に着くものと考えがちであるが、それは、誤りである。
例え、学問が無くとも、思いやりや愛に満ちた方は、必然的に學びを重ねたと同じ効果を得る事が出来ます。

その反対に、学問は合っても傲慢で自己中心性の強い者は、
魂の劣化を引き起こし、楽しいはずの人生が、愚痴と妬みに変化し、イライラを募らせ、自身の中に闇を形成するのである。

例えば、犯罪者で一番、反省の無いのが、詐欺行為者である《再犯率が高い》。
昨今の詐欺は、巧妙化を極め、弱い者を餌食として居る!正に許し難い行為である。
何故、反省せずに、再犯に走るか?
簡単な原理である、多重憑依を繰り返し、自制心が欠如して居るのである。

しかし、憑依を生むのも《波長の法則》自らが選んだのと同じであり、魂の年齢を引き下げたのも自分なのである。
高い波長を得る道は、萬人に許され、用意されて居るのだから。


by kongousan-akafudo | 2020-01-19 12:00 | └私たちの暮らし

詐欺に関する密教ブログ③

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つなぐ繋がる

私達は、皆、御仏の魂を宿して生まれて居る。
では、何故、善と悪が存在するのか?
其れはつなぐ繋がる努力を怠ったからと言えよう。

人間には、誰にでも、良心、悪心、仏心があります。
普通の人でも、良心、悪心の存在は、御存知だと思うが、仏心については、明確に答えられる方は、少ないで有ろう。

何故なら、全ての方々が仏心を理解、自身に落とし込んで居れば、犯罪もイジメも誹謗中傷も存在し無いからである。

昨今の犯罪事情は、耳を疑い、眼を背けたく成るほど、陰湿であり正に鬼畜の所業である。
母が父が子を殺し《抵抗も出来無い幼な子》また、詐欺行為は、日常茶飯事である。

責任と言う言葉は、概念すら失われたのでは無いかと疑いたく成るほどである。
これは、ひとえに仏心の欠如を表し、末世末法の世に等しい。

仏心は、自らが望み、繋ぎ繋がら無ければ、得られるものでは、ありません。
全ては、自由と言われ羽ばたく昨今、今一度、立ち止まり考え俯瞰する時では、無いでしょうか。

自由には、責任が伴います。その責任を果たさなければ、
様々な事象と成り、我が身に返って来る事を覚悟せねば成りません。

仏心を纏い、繋ぎ繋がる時、本当の理解があなたを満たします。

詐欺師の横行

平和と便利の影に潜む罠、先日、逮捕された詐欺師は、23歳の若者が三人、
サイト詐欺に落ちた被害者を救済すると見せかけて、お金を騙し摂る手口は、巧妙である。

私は、常々思うが悪い事に頭を使う依りも、これだけの知能が働くのならば、良い事に真剣に取り組めば、凄い成果を上げられたで在ろうに、
魂の劣化か、人間性の欠如か?

これは全て、物質的価値観に身も心も蝕まれた証拠である。
こんな人間は、刑務所を出所してもまた繰り返し悪事を働くで在ろう。

何故か?反省をせず服役中に様々な詐欺の手口を考えて居るからである。
では、何故、断言出来るのか?

金である。
物質的価値観は、全て金の亡者を生み出す思想の固まりだからである。
北朝鮮、アメリカ大統領が良い見本である。

自国の利益イコール、自身の利益主義から発している事は、皆さんもご存知のはずである。
日本も例外では無い。私が語らずとも、皆さんがお分かりのはずである。
但しこの現象が最終的に何を生み出すか誰も考え様としないのが現状である。

私は、微力であるが、せめて學びを求めて来る方々には、真剣に現状を把握し、物質的価値観の愚かさを感じて頂く為にも、
學舎の創設を急がなくては、成らないと考えています。

怒り憎しみ

怒りの感情を持ち続ける時、やがて憎しみに変貌する。
憎しみの感情は、負の感情の最たるものである。

憎しみを持ち続ける者は、やがて憎しみの感情に翻弄され、我を忘れ犯罪に走る傾向があります。

その時には、もはや理性など存在しない魔物と化し重大犯罪を引き起こします。

以上ほどでは、無いが怒りの感情は、自分の周りに作用する事があります。
例えば、電気製品の故障を引き起こす事があります。
家庭内の電気製品が特に影響が出やすく、また顕著に表れ易いので、注意が必要です。

怒りや憎しみの感情は、私達の誰もが持っているある物質に作用し
電気製品などに影響を及ぼす事は世界の心霊科学では、証明されて居ります。

ここでは、模倣や詐欺に使われ兼ねないので、これ以上は、語れませんが、怒り憎しみの感情は、誰もが持ちやすい感情です。
放念するか、忘却し、皆さんが明るい生活を送る事がしあわせへの早道なのです。

負の感情など捨て去り、正の感情を育てることは、魂の向上へと繋がります。

■祈祷寺の秘密

当院は、祈祷寺で御座います。
祈祷寺には、様々な秘密があります。

以下は、その秘密を明かして参ります。

当院は、御本尊赤不動明王尊を始め、四天王尊、宇賀神尊、聖天尊、青面金剛尊が、祀られて居ります。
その他にも祈祷本尊が存在しますが、普段はお休み頂いて居ります。

それだけの文化財が、何故安全なのか?
それは、霊的トラップを仕掛けてあるからなのです。

例えば、エジプトのツタンカーメンの呪いは有名ですが、それより恐ろしい呪いが存在します。
それは、密教呪術による呪いです。

私の生まれ故郷、東京は浅草にある大寺院の御本尊様は、純金の観音像ですが盗難に遭った事が御座いません。
それは、強い霊的バリアーの為です。
その他、私の知る財閥家の個人的な聖天尊像はプラチナ製です。

では、何故盗難に合わないか?
霊的トラップ《罠》が仕掛けてあるのです。

私の知る例では、必ず盗んだ者は、本人はおろか家族まで、恐怖の内に死んで居るのです。
霊的トラップは、完全なバリアーであると共に恐ろしい呪いでもあります。

しかし、考えれば自業自得なのです。
殺人、窃盗、詐欺、その他、犯罪に手を染める者は、トラップに掛かりやすいのも当然の理である。

私の寺には、様々な文献《資料》と一緒に宝物も存在します。
その一つに、聖天像は、鉄や真鍮、銅製では御座いません。
昔から、聖天像は、金、銀、プラチナ、のいずれかで製作致します。

宇賀神像も同じです。
其れは、浴油法、浴酒法を行うからなのです。

木彫りの像では、浴油法も浴酒法も、出来ません。
そして、非鉄金属では錆びを呼ぶので不向きと成ったのです。

したがって、聖天浴油法、宇賀神浴酒法を謹修する行者に成るには、莫大な費用が必要になるのです。
その他にも浴法は御座いますが、此処では書くのを控えさせて頂きます。


犯罪

昨今、眼を耳を疑う様な犯罪が頻発して居るが、此の現象は、正に魂の劣化としか思えない鬼畜の所業である。

罪もない人が傷付けられ、殺害される。
犯人は捕らえられても、心身耗弱だの責任能力の有無などが取り沙汰され、
被害者の無念さは、余り表面には語られて居ない様に思われる。

それは何故か?
日本では、心霊科学自体が本気で研究されて居ないからである。

それから、詐欺の横行も心霊科学で言えば、餓鬼の仕業である。
人からお金を集め、実現不可能な事をさも出来るが如く語り《旅行を斡旋》出来なくなれば破産する。
許される事ではない。数え上げればきりがないほどの犯罪の横行は、魂の劣化としか思えないほどである。

人間は死んだら終わり。の思想が原因の一つであり、これを指して物質的価値観と云うのである。
真剣に學ぶことは容易ではないかも知れ無いが、現状が続けば近い将来は、推して知るべしと成るであろう。

不運・逆境に勝つ法

人間の真価を問われるのは、不運逆境にある時です。
密教では、たった百日で、不運逆境に勝つ法が存在致します。

全ては、あなたのやる気だけです。
始めから、楽をして得られるものなど、この世には存在しません。
合ったとしたら、幻か詐欺の類いと心得なければなりません。

古来より、楽あれば苦あり。苦あれば楽あり。
の、諺に表される様に、棚から牡丹餅はありません。
苦も代償であり、無駄ではないのです。

皆さんもご存知の通り、当院には密教秘法が御座います。
私は皆さんの素質を測り、乗り越えられる行を与えます。

働きながら、普通の生活をしながら、毎日20分集中する事は誰でも簡単に出来る事です《それも、百日の限定》
そして百日の間《満願》を迎えたその時、その瞬間にあなたは氣付きます。《もっと早くやれば良かったと》

但し、当院の御本尊様と結縁をされた方に限ります。

密教の秘法は、インスタントではありません。
秘法の伝授には、段階があります。
段階をクリアーして居ない場合は、伝授を受けられ無いのが密教であり、法則の一儀である。

三分で出来る物は、三分で衰退します。
百日、千日を重ねたものは、万日を迎えても生き続けるのが密教の秘法であり、法則であるのです。



by kongousan-akafudo | 2020-01-18 12:00 | └私たちの暮らし

詐欺に関する密教ブログ②

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厚顔無恥

厚顔無恥とは、詐欺師の総評である。
他人が苦心惨憺して完成させた物を、自分が創始したかの如く見せかけ、他を欺き、利益のみを飽食する行為は餓鬼道也。

自分は、労せずして奪う。
正に、餓鬼。
畜生の類いである。

人間界《現界》の罪は、免れても、霊界には浄玻璃の鏡が存在します。
スピリチュアリズムの表記ではアカッシックレコードと言い、現界での自身が犯した事は全て記録されています。

その機能は、スーパーコンピュータを遥かに凌ぐ性能です。
この事は、世界の霊能者が認めて居る事実であります。

お疑いの方は、自身で心霊科学書を紐解いて頂けば、私が言う事が事実である事がお解り頂けます。

私は、自信を持って明言します。
厚顔無恥な行為は、身の破滅であると。

降霊法

古来より様々な方法で降霊法が実践されて来たが、未だ科学的にも確立をみないのが降霊法である。
科学的に確立し、科学の眼で立証を、日本が、日本人が行えば、日本國に於いても有益なのです。

今、北朝鮮問題で日本はおろか、世界中の問題へと発展して居るこの問題も、

霊的視線で観る時、様々な事が浮上して参ります。


それを一般の人でも解るように科学的見地で解き明かせば、大幅に改善される事は、云うまでも無い。

科学的に、理性的に、智的に解釈が急務。と私は常々思って居る。
霊的無知は、様々な弊害を起こして居ます。

霊的視点を身につけてこれからの人生を歩む時、あなたの人生は確実に変わります。

その逆に、不思議ちゃんに甘んじる時、変わら無いだけではなく、詐欺師に翻弄される結末を迎えるで在ろう。
どちらを選択するも自由である。

しかし、後者を選択すれば近い将来確実に後悔をする事になり、

その時に霊的視点に駆け込んでも、遅れた分を取り戻すには何倍もの努力が必要に成る。
そのことは当然の結果なのである。



古い諺に転ばぬ先の杖と云う言葉がある通り、學ぶ者は、學びを杖にして行けば必然的に見抜くことが出来るのです。
自身の學びを深める事が急務と成る時代なのです。

自身で霊的無知を解消する事も可能です。
あらゆる論文を読み解き、自身の中で咀嚼、消化する事で可能です。

特に外国の論文は有益である。

霊的學びを深めるのであれば、科学的に分析行動を実践して居る機関を探し、様々な論文を読み解く事をお勧めします。

親交

私の今迄の人生で最高の財産は、各界の人格者である諸先生との親交であります。
人は人に依り教えられ、學ぶ事が出来ますが、優劣で言えば、ながら的な人とお付き合いをして居ては新展は望めません。

ある方の場合など、信じた人《詐欺師》に騙されて多大な借金を作ってしまい、

明日の食事代にも窮する様に成ってから私の寺に相談に来られました。

事情を伺い、全て解りました。
依存がもたらした結果であります。
言わば、棚から牡丹餅を望んだ結果です。
しかし、そのままにしては自殺をしてしまうと感じたので、私は普段はやらない、ある祈祷を試みました。

結果、直ぐに表れました。

今では、明日に繋ぐ勢いで頑張られておられます。
誠に有難いお計らいの力であります。
《詳細は、その方の名誉の為に書きませんが事実です》


御本尊様は、真剣にすがる者をお見捨てには成りません。
その後、彼は劇的な展開に救われて今は立ち直り、一生懸命に生きておられます。

彼は必ず元以上の成長を遂げるでしょう。
そして、二度と同じ過ちを繰り返さ無いと私は信じて居ります。

彼にとって今回の事は、人生の學びであり、宝なのです。


霊能者不要

私の寺には、他の霊能者と云う方に見て貰ったが思わしく無い、と言う方が多いのです。

私は、ハッキリ言います。

頼る前に、何故、自身の能力に頼らないのか?
貴女も貴方も、本来、霊的な存在なのです。
自身が學び、会得すれば、頼る必要はありません。
人間の能力に、本来、大差は無いのです。
有るとすれば、経験と學びの差だけなのです。

これからは、自称霊能者を騙る詐欺師が横行します。
しかし、見分けることは難しいです。

以下に例を幾つか、羅列して置きます。
参考にして下さい。

①不安を煽りたてる様な霊能者は、インチキである。
②祭壇が簡易的な者も注意が必要です。
③殊更に物品の購入を勧める者は、要注意です。
④霊能者は、生死に関して祈祷を勧め、高額な料金を提示する事はありません。
⑤霊能者は、本来御役目。神仏に恥じる行為は自粛して居ります。
⑥あなたが納得して居ない時は、止めて下さい。
⑦自身が考え、選び、進むのも必然であり、選びし事なのです。


手放す勇気

人生には、様々な困難があります。

しかしそのほとんどは、自身から発している事に氣づく人は少ない。

傷つけ、傷つく前に手放す勇気を持って下さい。

手放すことは、執着から離れることにも繋がり、人生をより深く掘り下げる早道と言えます。


手放すことを知らず、怨み辛みの中に身を任せる時、人は人の感情を失い夜叉、魔物の心に支配され

全てを見誤り地獄の中に生きる事に成ります。


報いは、人間が与えるものでは無く、自身が自身に与えるのである。


他人を騙し《詐欺師》他人を誹謗中傷する者達の末路は、哀れである。

それはいずれその者達が味わう事になる。



何故か?全てを知って居るのは自身だからである。


今、悲しみの中に居る方々は、お泣きなさい。

全ての涙が枯れるまで、そして涙が枯れたら立ち上がり空を見て下さい。



自然は、平等にあなたを包み癒しの力を与えてくれます。

その逆に傷つけ喜ぶ者達には、真の自然を終生味わう事はありません。

手放す勇気を持つ人は、幸いである、執着の海は深く暗い。

例えば男女間の争い事も、片方だけに非がある訳では無いはずである。

様々な原因が無ければ結果も無いのです。


そこで憎しみ合うのは愚かな結果しか生みません。



かつては愛し愛された過去があるはず。

それが最後、憎しみ合うだけであれば、過去も現在も未来も憎しみの想いに捉われ、

安心の日々は遠ざかり、不安の渦中に身を任せる事に繋がり、しあわせは訪れません。

憎む気持ちを手放し理性的に対処する人には、理解の海が視える様に成るのです。


死に逃げ

皆さんは、死んだらどうなるか御存知ですか?
大部分の方は、死んだら終わりと考えて居るでしょうが、死んでも終わりは、来ません。

むしろ、肉体が無い分、精神は、研ぎ澄まされ鋭燐に感じます。
そして、何故、死んだのに意識があるのか不思議に思うでしょう。

当然です、肉体の衣に包まれて居た時は、肉体的衝動に左右され、自由では無かったのです。

死んだ瞬間から、肉体的拘束から解放された自分は、自由である。
しかし、其処には、法則があり自らが望み、生きて居た時と同じ道を歩んで行くのである。

悪人は、同じレベルの悪人世界に入り、殺し合い、傷付け合い、未来永劫続けて行くのである。
その世界に居るのは、生前に犯罪を犯したり、誹謗中傷を好み、嘘や詐欺行為を繰り返し死んだ人間が好んで行く世界《本当の地獄》である。

その世界は、殺しても死なない世界である。
何故か?滅する肉体が無いのだから当たり前です。

しかしその世界の住人は、痛みや苦しみだけは、持って居るのである。
何故か?《執着心》欲を捨てられ無いから、生前に罪を平然と犯したのである。

欲は、あらゆる神経に作用し、死しても生き続けます。
その逆に良い事は、血管を通り体内に吸収され良心を育みます。
ですから、人間は、生きた様に死ぬのです《死とは、言わば魂の解放》
だから、死に逃げは、出来無いのです。



by kongousan-akafudo | 2020-01-17 12:00 | └私たちの暮らし