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カテゴリ:└私たちの暮らし( 53 )

犬に関する密教ブログ特集

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犬は人類の一番古い友人とも申します。
犬を始めとして動物好きな方、犬を飼っていらっしゃる方にとって心に響く特集となっていると存じます。


輪廻転生《ワンちゃん編》

盲導犬の存在を、知らない人は少ないと思います。
今日は、盲導犬の輪廻転生について書いて参ります。

盲導犬クイール、盲導犬サーブ、犬好きの方々で知らない人は居ない名犬です。
私も、犬が大好きです。

我が家にも、フレンチブルドッグの赤ちゃん犬が、家族のムードメーカーとして居ります。
名前は《真海》 可愛い生後一カ月の仔犬です。

盲導犬に成るには、盲導犬としての資質が問われる、厳しい世界です。

訓練に次ぐ訓練。
人間でも、耐えられない様な訓練を重ねて、一人前の盲導犬として役目を果たして、やがて飼い主の元に帰され、一生を終えるのです。
正に、役目を果たした戦士である。

そして、死を迎えた戦士は犬の霊界へと帰幽するのです。
高い霊性を全うした、犬の輪廻転生の先は人間界である。

そこで今度は、人間としての霊性向上を図るのです。
盲導犬以外の犬も、やがて人間界に輪廻転生し、様々な學びを繰り返して行くのである。

犬は人間の友と言われるのは、他の動物よりも従順であり、私達に愛を教える存在でもあるのです。
様々な動物の中で、歴史的に見ても、人間に従順に貢献して来た事実からも、皆さんは納得されるのでは無いでしょうか。

全ての生き物に、生まれて意味の無いものはありません。
私達、人間だけが偉いのではありません。

人間こそ、謙虚にならねばならないと私は考えます。

霊的繋がり

人間に一番繋がりが深いのは、犬猫である。

輪廻の法則で言えば、一番が犬。二番が猫である。
様々な歴史的事象を見ても、其れは明らかです。

何故か?
それは、學びの段階でもあるのです。

犬は人に付き、猫は家に着く。と言われる様に、犬は人間になつき、猫は自我に生きて居る様に、ハッキリした差が現れます。
そして、猫は死後、犬に転生する為の修行をします《猫の霊界にて》

生きとし生けるものには、それぞれの段階に応じた霊界が存在します。
人間も例外ではありません。

死後、犯罪者には犯罪に応じた階層があり、同じ様な罪を犯した者同士が反省し、目覚めるまでお互いに罪を犯し続けるのである。
騙し騙され、傷つけ傷つけられ、殺し殺されるカルマが繰り返されるのである。

これが本当の地獄の意味なのである。

この世で傲慢の限りを尽くせば死後は、虐げられ惨めさを味わい、學ぶのである。
宗教的な解釈は理論上の事であり、現実に霊界を教えるものとは考え難い。
言わば、霊的心理は科学であり、これを否定する事は科学を否定する事と同じであると言えよう。

心霊科学の面から言えば後進国であり、その原因は、明治時代の間違った解釈に起因するものである。
過去に日本には、優れた霊能者が多数存在したが、全て弾圧に依り、その姿を消して居る。
今日の日本は、未だオカルトが蔓延り、真剣に學ぶ者は少ない。

霊能犬

動物には、一般の方々が知らない能力があります。
昆虫にもあります。

例えばカマキリは、来年の積雪量が予知して、卵を産み付ける高さを調整する能力がある事は立証されています。
しかし、科学的解明が追いつけないのが現状です。

では、何故?
未だに、日本では霊能力に対しての正しい認識が無いのか?

探究心の欠如である。
他に教わる事が、当たり前的に生きて来た者には、探究心とは何かが解らなくなっているのである。

厳密に言えば、現界で自然発生的な物も事象も無い。
全ての事象も発生現象も原因があり、結果が存在するのである。

今回紹介するのは、霊能犬についてです。

昔から、犬は人間の良き友でした。
犬には、危険を察知する能力があります。
また、霊体の判別をする能力には凄いものがあります。

私は、様々な犬に霊的訓練を施しましたが、どの犬も立派に霊能犬として活動しております。

例えば、悪霊の進入を防ぐ。
善霊と悪霊の区別など。様々に貢献してくれます。
大切なのは、受け止める人間側の理解能力である。

どんなに優れた道具で有ろうと、道具を使う方の力不足では宝の持ち腐れである
要は、道具を正しく使える様に自らが學び、使いこなせる様になる事が先決なのです。

霊的な友

殺伐とする人間関係の中で、疲弊する心を癒してくれるのが動物です。

何故か?
私達も、人間に転生する前は動物だったのである。
その中でも特に、人間と関わりが深いのが犬であるのです。

また、日本中にある伝説に多く登場するのも犬。
まさに隣人である。

特質すべきは、その能力である。
嗅覚、聴覚に至っては驚くべき能力を有しています。
そして、霊的能力にも秀でた力を持っているのです。

有名な話では、戦争中、日本陸軍が犬を使い、兵器としようとした事実があるのです。

敗戦により闇に消えたが、犬は様々な場面で人間に関わり、癒しの代名詞でもあります。

人間関係で傷つくあなた。
あなたは、一人では無いのです。

霊的友は、人間だけではありません。
あなたが求めれば、霊的友に巡り会うことも出来るのです。
孤立し、人間関係に疲れた時、あなただけの霊的友を見つけては如何でしょうか。

仔犬の恩返し

その家族は大の動物好きでしたが、貧困で動物を飼う余裕など有りません。

唯一の趣味が家族でのジョギング。
健康的で素晴らしい事である。

何時もの様に早朝ジョギングをして居た時、草むらに箱が捨てられて居るのを娘さんが発見した。
娘さんが恐る恐る側を行くと、箱の中からガサガサと音が聞こえるので、お父さんとお母さんを呼びます。

そしてお父さんが箱を開けると、中に仔犬が一匹、弱った状態でおりました。


娘さんは、ご両親に頼みました。

この仔犬が元気になるまでで良いから、家で面倒を観たい。
自分の給食を半分残して、この仔犬に食べさせるから、お願い。

家族はジョギングを途中で切り上げて仔犬を家に連れて帰り、自分達が出来る限りの事をしました。

娘さんは学校帰りに私の寺に来て、仔犬の無事を祈りました。
娘さんの何時もより長い学校帰りの祈りが気になり、尋ねました。
全ての事を知り、私は仔犬の無事を本堂で祈りました。

幼い娘さんの合掌する姿がいじらしく、私は氣を込めて祈りました。

それから二、三日目経った休みの日、親子は仔犬を抱いてお詣りにお出でくださいました。

仔犬もすっかり元気になって、可愛い声を上げて居ました。

それからしばらくして、あの事件が有ったのである。
家族が何時ものように団欒を楽しんで居た時、仔犬がいきなり家を飛び出してしまったのである。

家族は驚き仔犬を探しに行きました。
すると以前、仔犬が捨てられて居た草むらに居たのである。
安心した家族が家路につくと、アパートが燃えて居たのである。

警察の調べで放火と判明。

しかし、何もかも失った家族は路頭に迷いました。

そこで、私の寺で暫く避難生活をして頂きました。
そして不幸中の幸いとは正にこの事。
保険に入って居たのである。

家族はあの出来事を思い出しました。
仔犬が逃げてくれなかったら家族はどう成って居たか。

家族は仔犬に感謝して、その後は末永く家族の一員として育てておられます。

正に仔犬の恩返しであると私は確信しております。



by kongousan-akafudo | 2019-04-05 12:00 | └私たちの暮らし

稼ぐことに関する密教ブログ特集

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赤不動明王院「密教」ブログの特集。
今日は、稼ぐことをテーマに書かれた記事をご紹介致します。

稼ぐこと、お金を儲けることに対する罪悪感や理由のわからないモヤモヤを抱えている方に、ぜひご一読いただきたいと思います。

評論家大国日本

テレビをつければ批評番組の嵐。
醜い限りである。
文化程度が疑われる。
日本は文化の国であったはず。

これでは、北朝鮮と何ら変わりが無いと思う。
視聴率を稼ぐ為なら何でもありなのか?
文化を重んじて居た日本は、何処に行ってしまったのか。
嘆かわしい限りである。

テレビが普及して行った昭和30年から40年代に、諸外国から日本人は「エコノミックアニマル」と揶揄されながらも頑張って耐え、現在の日本を支えた。
その諸先輩方があって、現在の日本は大国と呼ばれるまでに成長した。

しかし、曖昧さは増える一方である。
マスコミと言われる者達の批評合戦。
本当に批評すべき事とは、何か考えるべきである!

例えば年金問題である。
年金とは、積立制度だったはずである。
受給者は、何十年も積立た結果、受給資格を得ているのである。
そして、受給年齢になる前に死亡した方々も多い。

現在は、60過ぎ無ければ受給資格は無い。
それを考えれば、積立金は莫大な金額に成って居るはずである。
それにも関わらず、現在の受給者を支えるのは現在働いて居る人達だと嘯く国や役人。

その矛盾をつけないマスコミと批評、評論家。
本来取り上げ無ければならない事柄は、いくらでもある。
それさえ気づかないメディアとは何か?
正に本末転倒である。
くだらない批評に躍起になるなら、小学生でも分かる計算をする方が先決ではないだろうか。

政治の矛盾を正し、消えた税金を暴き、知らしめる事こそメディアでは無いだろうか?
税金大国日本はいつまで続くので在ろう。

開運の嘘

開運とは、お金持ちに成る事では、御座いません。

開運とは、様々な學びを繰り返し、最後に、経験を感動に転換できる人生を送る事を出来る様にする事なのです。

お金は、人間界を円滑に送る為の道具であり、道具に振り回される人生など、開運では無いのです。
今、現界では開運流行りですが、これは正に、アメリカ流の物質的価値観の末期的症状としか捉えられ無いのです。

開運の意味を履き違えれば詐欺にあい、大事にしてきたお金を奪い取られてから、詐欺に気づく事に成るのです。

お金を稼ぐ事は良い事です。
沢山稼いで、美しく使う事が、お金を活かす事に繋がります。

お金は道具であり、全てではありません。
他に迷惑を掛けず、他を喜びに満たして得たお金は活きたお金です。

もう、お金に振り回され、間違った開運を望む事から卒業しましょう。

私達が現界の學びを終えて霊界に帰る時《帰幽》する時、持って行けるものは、沢山の経験から得た感動と言うお土産なのです。

感動と言うお土産は、私達を送り出してくれた霊界の仲間が、最高に喜ぶお土産なのです。
経験を重ね、より多くの感動を味わいましょう。
感動こそ最高の宝物なのです。


金銭

お金にまつわる悩みは、昨今、増加の一途を辿っている。

お金はあれば便利だが、お金を追い求め血まなこに成る時、人は己れを見失い、お金に翻弄され人生をも誤る結果に成る。

稼ぐ事は良いことであるが、お金に執着心を持つとお金に使われる事になる。
お金は使い方で、生き金か死に金かに分かれる。

私の経験をお話しすれば、ご先祖様や仏様に使ったお金は不思議と返ってくる。
但し返って来ることを前提に行うなら、使わ無い事をお勧めします。
心の伴わない行為は、無意味である。

以下は過去の事例である。


あるご婦人からの相談で、御刀供養をした時の話である。
実家を取り壊す時に、二振りの日本刀を発見しどうしたら良いか?
相談に来られたので、二通りの方法を提案しました。

錆びだらけの刀をそのまま朽ち果てさせて土に返す方法と、

研師に研いで貰い、一家の護り刀として蘇らせ子々孫々まで大切に祀る方法である。
朽ち果てさせる方法は簡単だが、先祖の想いもそれで終わることになります。

もう一つの方法は、お金は掛かるが、ご先祖様が遺された意志を大切にお詣りする方法である。
この方法は大変だが、確実に変わります。

ご家族が相談して、研師にお願いする事に成った。

そして研ぎ上がった護り刀は、生き返り安置する者を守ります。

私は数多く御刀供養を手がけて来たが、研師に研いで貰いお祀りされた方々の家は繁栄して居ります。

正にご先祖様の為に使ったお金は、生きた使い方の事例である。

御刀は何処の家にもある物ではありません。

しかし御刀がある事には、必ず意味がある事を考えれば解るはずである。

心の打ち水

暑い日が続いております。

昭和30年代には、道路はまだ土であり、雨が降ればぬかるみ、晴天が続けば埃が舞い上がり、春になれば雑草が芽吹き生い茂る。

其処には、優しさが有りました。
今の様な、殺伐さはありません。

当院の盂蘭盆会も終了し、穏やかな朝です。
しかし、猛暑は続いています。

正に殺人的猛暑ですが、人間の心にも猛暑が続いております。
オリンピックの光の影では、様々な悪事が連日繰り返され、平穏な日々はありません。《報道が小さいだけ》

今、本当に必要なのは、一人、一人に心の打ち水と考えます。
自分を冷静に見つめ、本来の優しさを取り戻し、この殺伐とした状況を冷やすには、心に打ち水をして考える。

自分は、何をするべきか?
何を考え、反省すべきは反省し、他に優しく、自身を俯瞰出来る人に戻ることである。

人間が本来の自分を見失い、ヒートアップすれば、しあわせは遠ざかり、様々なトラブルが押し寄せます。

今、お金に纏わるトラブルが、急増して居ります。
お金は、追うものでは無く稼ぐ物。
真面目に働き、その対価がお金である。

濡れ手に泡、棚から牡丹餅など幻であり、存在しません‼️
例えあったとしても、その物《お金》は、誰かの財布から消えた物であり、物は勝手には増殖しません。

本当にしあわせを望むなら、學ぶことから始めて下さい。
學ぶことはあなたを豊かにし、學んだことはあなたの宝に成ります。
學びは、唯一あなたを裏切りません。

経験を感動に変えられる自分に成った時、最高の幸福があなたに訪れます。
學び無くして、真のしあわせを知る事は難しい。
學びはあなたを助け、あなたをしあわせに導く真理なのだから。

お金などに振り回される人生から脱却し、心に打ち水が出来る人に成って下さい。

電波、霊波

非常に同じ様な性質を持っています。
現在は、電波の氾濫状態と言っても過言ではありません。

合わせて、霊波も氾濫しています。
お金が欲しい、お金の為なら分からなけば大丈夫…
その場だけ逃げれば大丈夫…
全て逃げられません。


お金を稼ぐことは、悪いことではありません!
真面目に働き、どんどん稼いで下さい。
楽しく、使って下さい。


神仏を敬い、先祖を敬い、親に孝行、自分を大切にして生きる時、必ずしあわせは訪れます。
全て貴方の考え方と、行動に比例します。
しあわせは、貴方が引き寄せるご褒美ではないでしょうか?


by kongousan-akafudo | 2019-03-19 12:00 | └私たちの暮らし

仏壇に関する密教ブログ

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今日は、ご先祖さまの礼拝所である仏壇について書かれた記事を特集致します。
どうぞご覧くださいませ。


撥遣作法

仏壇を買い替える時。
古い墓を五輪塔に建て替える時。
密教では、撥遣作法に従い供養法を厳修します。

お仏壇なら、古い仏壇に感謝の念を込めて御供養差せて頂きます。
仏壇は、ご先祖様と私達を結ぶ面会所。
まずご先祖様に、面会所が新しくなる事を伝えて、古い仏壇に引導を渡します。
そして、新しく購入したお仏壇にお移り頂く賜わりの供養法。
開眼供養法を厳修します。

ご先祖様方は、次回からは喜んで面会所としてのお仏壇においでになられます。
古い墓から五輪塔、供養塔にお移りになられる事は最大の喜びであり、子孫が先祖を敬う最高の行為であります。

私も、幾度となく撥遣作法、開眼供養をさせて頂きましたが、墓の新設は心が和みます。
逆に、無縁墓を観る度、心が痛み、世の無情を禁じ得ません。

様々事情があっての事と察しますが、出来得る事なら、子々孫々に至るまでご先祖様の回向をお続けされる事をお勧め申し上げます。

今、生きている貴方…
我が家は分家だから関係ない…
解らないと思っている方々は、もう一度考えて頂きたい。

貴方が生きているという事は、どんなに少なくとも千人以上のご先祖様がおられるのです。
ご先祖様をないがしろにして、我が身は立ちません。

今一度、振りかえり、見つめ直す事により、貴方はご先祖様の御加護を知る事が出来ます。

ご先祖様は、誰より貴方のしあわせを願い、繁栄の手助けをして下さっているのです。

目覚めて下さい…
貴方は護られている事に。

貴方が辛い時、貴方が悲しい時、貴方が苦しみの中にいる時、片時も離れず、貴方を見守っているのは貴方のご先祖様なのです。

そして、貴方がしあわせになった時…
貴方以上に喜び、祝福して下さっているご先祖様がいる事を忘れないで下さい。

貴方は、ご先祖様の代表なのだから。

撥遣作法

撥遣《ハッケン》とは、仏壇や仏像の魂を抜き、お帰り頂く為の作法です。
私が頼まれて行く場合は一般の方が多いですが、その中には悲しい物語もありました。

これは、何処にでも起こり得る実話です。

今回の依頼は、空き家のお祓いと仏壇の撥遣である。

私の寺から近いので、作法前に下見がてら来て見ると、確かに空き家だが住んでいる…
住人がいる…
それも長年住み慣れた方である。

私にはこれで解った。
住人は、この家の元主である。

お婆さんは、この家が大好きだった。

亡くなったご主人と力を合わせて、買ったマイホーム…
お爺さんとの思い出…
子育て時代の思い出…
お爺さんを涙で見送ったあの日…
様々な思い出の籠もった家。

お婆さんは、痴呆症を患い亡くなった。

痴呆症を患い、亡くなった方の中には、ご自分がまだ生きていると錯覚している方々がいるのも事実であります。
お婆さんは、この家で生前と変わらない生活を送っているのです。

私は、強く決意を固めました。
必ず成仏させてみせる…と。

そして撥遣作法の日、ある特殊な密教法具を久々に使う事にした。
この法具は、一般には知られていない法具である。

私は何としても、お爺さんの待つ霊界にお婆さんを届けなくてはならない。

私は、当日、一歩一歩…と帆を進める様に、現場に向かいました。
到着すると、親族と関係者が出迎えてくれました。

早速、仏壇の撥遣作法を始めた。
仏壇はすんなりと進み、仏具店の方々に梱包と搬出作業をお願いして、いよいよ浄霊である。
親族や関係者の方には、知らせず僧侶としての私の独断である。

法具で邪気を祓い、読経と観想で説得…
最後は、優しいお爺さんを召喚した…
二人は全てを受け入れ、仲良く霊界に還って行きました。

人は、理解する者、理解出来る者…
愛の力は永遠に不滅です。

厨子の意味

昔、聖徳太子が一家に一仏の教えを確立され、
一般家庭に仏壇が置かれる様に成った話しは、あまりにも有名な話しです。

聖徳太子の玉虫の厨子は国宝ですが、
今では、信仰の形態も様変わりしたように見受けられます。
今回は厨子についてお話ししたいと思います。

厨子とは祀り所である、其処に大小の決め事は無い

ただひたすらに祈る為にある。
一例を挙げれば、ある貧しい人が自分が静かに祈りを捧げる為に
小さな仏像を手に入れました。

始めは、紙で箱を作り其処に安置しました。
仕事を終え、一人静かに手を合わせて居ました。

そのうち仕事も良くなり、お金も少しは余裕が出て来ました。

其処で考えたのが、このままでは仏様が可哀想だ、しかし自分の家は小さい、
とても仏壇などは置けない…其処で考えたのが御厨子である。

仏壇屋さんに頼み今、自分に出来る最良の御厨子を作って貰い、
其処に仏像を安置しまた毎日、祈りを捧げました。


それから暫くして良縁に恵まれ、今では、家族むつまじく、
朝な夕な、家族で御厨子の中に鎮座する仏様を拝み、
今も平穏な毎日を過ごして御いでに成ります。

撥遣と開眼

撥遣《魂抜き》開眼《入魂》
私は、今迄に、多くの仏像と仏壇の撥遣、開眼供養を手掛けてきました。
今日は、その中の一例を挙げて、心霊世界を皆さんに解って頂きたいと思います。


仏壇と護り本尊

或る御宅から、仏壇を買ったので浄化と開眼供養をして欲しいと頼まれ、御宅に伺い、全ての供養が終って帰ろうとした時の事でした。
表で、或る人に呼び留められた《ご近所の方である》
自分の家でも、最近仏壇を買ったので、開眼供養をして欲しいとの事。

御宅に伺うと、絢爛豪華な仏壇が有りました。
早速、仕度を整え、開眼供養に入ろうとすると、妙な違和感を覚えました。

扉を開けると、一体の仏像が安置されておりました。
家人に聴くと、仏壇が高価だったので、仏像までは買えなかったとの事でした。《仏壇店》

息子さんが、オークションサイトで見栄えの良い仏像を落札したのです。
違和感を覚えた原因は、仏像でした。

その仏像には、前の持ち主の思い入れが強く、とても撥遣を一日で終えられるほど、簡単なものでは無い。
《この仏像の前の持ち主は、既にこの世の人では無く、持ち主の死後売却された物がオークションに出品されて居たのです》

私は取り敢えず、仏像を白和紙と白布にて封印したが、これだけでは不充分な事は承知の上である。
《この仏像を撥遣するには、かなりの日数が必要な事を、家人に説明する事にした。》

この仏像を撥遣するには、寺に持ち帰り、《説得》する事から始め、浄化し、開眼供養をするしかないと説明をしました。

その家人は、『それなら費用がかかるので、このままで良い。』と言われるので、仏壇の供養を済ませて帰路に着きました。

それから三日後、寺に電話が入りました。

息子さんが原因不明の高熱を出し、起きる事も出来ないと言うので、行くことにした《医師の診察済み》
やはりあの仏像である。

家人の了解の上、寺にて懇ろに供養し、その後荼毘に伏した。
それから、間も無く息子さんも回復し、元気である。

いくら安くても、素人が手を出してはいけません。
簡単に出来るものではありません。

便利で安価なものには裏がある事を覚えておくことが、如何に大切か學んで欲しいものです。

厨子

厨子とは、仏壇を指します。
聖徳太子が玉虫の厨子を創建し、日本に広められたのが始まりです。

今日は、仏壇にまつわる私の経験談をお話し致します。

あるお宅で、異変が続くのでお祓いをして欲しいと依頼を受け、そのお宅に行った時の事です。
そのお宅では仏壇が無かったのですが、中古で良い物が安くあったので購入を決めたそうです。

いわゆるサイトで、出どころが解らない品物です。

その仏壇には、前の持ち主の怨霊が宿っていたのです。
私の物を返せ。と訴え、物への執着が剥き出しである。

こうなった場合、説得は不可能です。
私は、霊界に使者を頼み、送り返すしか方法は無く、送り返しました。

この場合、送り返された者は苦しむことになりますが、仕方がありません。

その後、仏壇は専門の炉で荼毘に伏しました。

皆さんには、仏にまつわる物は絶対に中古は避けることをお勧め致します。
いくら安くても、因縁まで買う必要は無いのでしょうか?

仏壇の話し

仏壇は古来、聖徳太子が信仰を広める為に考案した一家一仏思想が始まりである。
現在では仏教神道と分かれて居るが、元は同じなのです。

その証拠に、法隆寺は聖徳宗であり、様相は、教に酷似して居るが、僧侶の服装は白衣に袴の神道色が濃い物に成っている。

仏壇は、聖徳太子伝来の玉蟲の厨子が始まりと言われて居ります。
仏壇は礼拝所、お墓は面会所です。
お墓に忙しくて行けない方々は、仏壇に礼拝する事でご先祖様と意思の疎通を計る事が出来ます。

私のところはお墓も遠方にあり仏壇も無いが、ご先祖様に気持ちを伝えたい、礼拝がしたい方々は念持仏を持たれる事をお勧めします。
念持仏の場合は、仏壇と違う所は礼拝は、もちろん密かな願いを託す事が出来ます。

但し、念持仏だからと言って何でも良い訳ではありません。
素人の方では、到底無理な仏が居る事も事実です。

中には、一度拝んだら一生涯、拝む事を強要するものも存在します。
それから絶対に手を出してはいけないのが、中古の仏像です。

本当の撥遣作法が成されて居ない場合があります。

それと、呪いが目的でひつらえた仏像に手を出して、人生をメチャクチャにされた事例もあります。

仏像は、仏師が精魂を傾けて製作し、僧侶が開眼供養してこその念持仏で御座います。

素人判断は、危険を呼び込む事があります。
呉々も御用心ください。

撥遣と浄霊

昨日は、或るお宅の仏壇を撥遣しました。
いわゆる魂を抜く祈祷ですが、それだけでは終らない結果に成りました。

浄霊供養に発展して、3時の祈祷に成りました。

しかし、嬉しいのが霊体が納得して、霊界からの御使者と帰えられる時に、納得した安心感から見せてくれる表情は、素晴らしい微笑みです。

本来の姿を取り戻し、故郷の霊界に帰幽する彼らはしあわせです。
物質的価値観に翻弄されて自分を見失い、魔界の手先にされて居る事すら氣づいてい無い人は哀れである。

霊体に戻った時に氣づいてくれれば良いのですが、まず97パーセント氣づきません。

3パーセントの方は、法力僧や本物の霊能者の方々の御尽力のおかげで改心し、霊界に帰幽します。
が、後の霊は浮遊したままの状態です。

そして、人に憑依し、悪事を重ねていきます。
その様子は、バクテリアが増殖するのと同じように、次ぎから次ぎと増えて居るのが現状です。

少数の法力僧や本物の霊能者の手に余る数です。

今の日本は、霊的無法地帯です。
霊的真理、霊的真実を学ぶ事は、確かに大変だと思います。
が、あなたが救世主に成らなければ、近い将来、日本は暗黒に包まれる事になり兼ねません。

日本が暗黒に包まれる事は、あなたの身に確実に影響を及ぼすでしょう。
其の時に慌てても、遅いと思いませんか?

今、学ぶ事が自分を救い、あなたの大切な人を救い、やがては地球を救う事に繋がるのです。

密教塾では、此処では、書けない真実を書いて居ます。
何故、此処では、かないか?

それは、過去に私の記事を模倣して犯罪を犯し、罪も無い人々を悲しませた輩が居たからです。

密教塾では、入塾して頂く時に私は霊視します。
其の方が光の系譜である事を祈りながら、密教塾では皆さんの入塾をお待ちして居ります。

一カ月の費用は三千円です。
それ以上は、請求して居りませんから御安心下さい。

供養法

供養法は、様々な方法が語られています。

私が提唱する法は、僧侶としての法と、霊的面から見たことを書いていきます。

①電子線香、電気ロウソクは止めた方が良い。
②仏壇は、奇抜な物はあまり勧められない。
③高い金額の物が良い訳ではありません。
④仏壇に仏像を安置する時には、開眼供養をしてから安置して下さい。
⑤供物は気持ちでお供えする物で、これでなくてはいけないという事はありません。
⑥全ては、貴方の優しい供養心があれば、様々な事にとらわれる事はありません。

人が人を共に養う。
これが供養法であり、供養心なのである。




by kongousan-akafudo | 2019-03-16 12:00 | └私たちの暮らし

肝試し・墓荒しに関する密教ブログ

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■祟り

昨今、聖域を穢す者が増えて居るが、これは、最低の自殺行為である。
私は聖域を穢した者の末路を見てきた。

以下は、体験談である《実話》

その人は、無神論者を気取って居ただけなら何の問題も無かった。
が、仲間たちと歩いて居た時、酒に酔って居たのだろう。
『祟るなら祟って見ろ』
そう言って、在ろう事かお地蔵様に放尿し、高笑いした。

それだけで辞めて置けばまだしも、事あるごとに、様々な石仏や、神社仏閣の建物を見れば毒づき、『祟れるものなら祟って見ろ』と言っていたそうである。

ある夏の日に、仲間たちが肝試しをやると言うので、参加して其処に有った石仏の頭を蹴った。
石仏の頭は折れ、転がった。

異変は7日後に始まった。

幻聴、幻覚に悩まされて、家族が精神科に入院させたが半月ほどで退院。
そして、今度は総合病院に入院した。
癌である。

治療も虚しく、全身に癌が転移して苦しみ抜いて亡くなった。

神仏を信じようが、信じまいが自由である。
嫌なら、無視すれば良いだけである。
関わる必要も無い。
昨今では多くの方々が、事あるごとに、評論家のように、様々な事に批判する風潮がある。
しかし、面白半分の批判は、やがて自分に返って来る可能性を秘めて居る事を覚えておいて貰いたい。

嫌なら、嫌いなら、見なければ良い、関わらなければ良いだけである。
愛の裏返しは、無関心である様に。

■パワースポット

昨今、テレビ、マスコミその他でパワースポットが人気らしいですね。

パワーがある神様は礼儀が非常に難しく、お願い事を聞いて頂ける確率も低いのです。
また、運良く願いが叶った暁には、御礼参りを忘れたら大変な事に成ります。
御参りはしても大丈夫ですが、お願い事は無闇やたらにしない事をお勧めします。

愚僧の庵に相談に来た、ご両親の悲痛な訴え❗️

息子さんは17歳のヤンキーを気取る坊やで、手を焼く存在でした。
夏の暑い夜にある事件を起こしたのが、この子の人生を根底から崩しました。

始めは夏の肝だめしで、仲間が集まり無人の寺と、石仏を触って帰って来る。
そんなたわいもない事でした。

相談者の息子さんが中頃に一人で廻った時、仲間がイタズラで幽霊の真似をして脅かすと、息子さんは慌てて逃げた。
其れを見て仲間が笑います。
強がり屋の息子さんは、仲間の持っていたバットで、事も有ろうに石仏の頭を打っていき、何体かの首が折れた!

その後、警察の調べで、犯人で有る息子さんは、逮捕補導された。
両親が破損した石仏を専門家に依頼して修復、示談に成り、家に帰って来た。

しかし、その夜に異変が始まりました。

息子さんが急に暴れたかと思うと、怯え泣きだすの繰り返し。
専門病院にも通い、医師も原因が解らないと言う。

困った両親が、愚僧の庵に来た時には、息子さんは寝たきり。
医師からも見放され、目を開けた状態である。

目が乾くと失明する危険があるので、お母さんが眼薬を点眼している。

愚僧が一言、「何て酷い事をしたのだ」と言うと、両親がそうですね…と言う。
愚僧が、「違います、息子さんが酷い事をしたのだと言ったのです!」

私には、視えて居ました…「許さん!お前のした事を許さん!」


私は、壇を組む事を決断しました。

此の儘では、最悪な結末が訪れる事は必定。
何とかそれだけは、避けたい。

しかし壇を組むには費用がかかる!
高野山から供物を取り寄せ、献華蝋燭が和蝋燭、一本一万円、その他…である!

ご両親は、今迄に息子さんの為に生活を詰めて支払いをされて来た方。
事が解るだけに辛い。

私は僧侶、明日から食べる物が無くとも其れも修行。
壇を組み…護摩供養開始。

しばらくして、声が!
「差し許す、なれどこの者が犯せし事、償うは必定!」

今、少しずつは回復して居りますが、青春はありません。

一夜の軽はずみな行動が人生を狂わせ、家族をも巻き込む事に成ります。

呉々も責任ある行動を、心がけて行きたいですね。

■霊スポットについて

夏に騒いで、また来年の夏に騒ぐ?
私達も死ねば立派な霊体です!

例えば貴方が死んで霊体に戻り、何もして居ないのに怖がられ、ワーキャー騒がれ、面白がられ、罵倒されたらどうしますか?

此れからお話しする事は全て事実ですが、事の性質上、名前、職業、地名は伏せさせて頂きます。

その男性は全くの無神論者で、霊も神仏おも馬鹿にする有様!
無神論者でも何でも自由にすれば良いが、馬鹿にして罵倒し、果ては出先で見つけた石仏を足蹴にして小便まで掛ける始末。

仲間内では、て囃されたが、余りの奇行が重なって仲間も嫌気がさし、友達も寄り付かなくなる始末。
果ては病気にかかり、病院に行くも風邪と診断されて、暫くすると回復して、
また病気にの繰り返し。

堪り兼ねた男の両親が知り合いを辿り、愚僧の相談室に訪ねて来られたのが二月中頃でした。
男性は痩せ細り、妙に腹だけが突き出た感じの体型でした。

両親が言うには、元はガッチリした体型で筋肉質だったそうです。

男性に何か心当たりの事は、無いか尋ねると、両親に向かい、だから来たく無いと言ったんだ!
と、怒り出す始末。

流石に愚僧も呆れた。
それならば最初から来なければ良かろう!と一喝、お帰り願った。

後日、両親だけがおいでに成り、全てを話してくれました。

病気に成る二三日前に、近所の稲荷杜の狐の石像に小便と唾をかけたそうである。
その他も数々の事を成して来た事を聴き、やはりと思った。
餓鬼である。
餓鬼が男に憑依して居るのです!

放っておけば、男の命も、両親、兄弟の命も、取られる事は、間違いあるまいと思い、施餓鬼供養と不動護摩を厳修する事に。
そう両親に告げ、日時を決め準備に入りました。

施餓鬼供養、当日の朝、両親兄弟が参列するも男の姿が無い。
両親に尋ねると、昨晩奇声を発し、そのまま意識不明になり、入院したそうである。

仕方ないので、本人不在で厳修する事に成った。
供養が終わり、ご両親から話しを聞くと、男は意識不明に成る直前に、「この怨み思い知れ」と言って奇声を発し、奇声がこの世の声とは思えない声だったそうです。

その日は、お札と御守りを渡して皆、帰路についた。
後日、男の父親が一人で来て、入院して居るが、医師から告げられた事が多臓器不全。
全く原因が分からず、不思議なのが、二十歳前半なのに内臓が高齢者の様に衰えて居て手の施しようが無い。と言う事でした。

愚かな行為が餓鬼を呼び、憑依され、人格も奪われ朽ちるとは。

この問題は、自己責任以前の行為だが、余り餓鬼が出る様な場所には近づかないが無難では無いでしょうか?
全ては自己責任です。

被る、 障り

同じ様な意味ですが、どんな神仏でも絶対にけなしたり傷付けてはいけない。
例え、イタズラでも大変な事態を招く結果になります。

私の過去の祈祷事例から、一つ挙げてお話しします。

ある有名人の方に頼まれて、その御宅に伺い驚きました。
門を入る前から只ならない気配を感じ、私は秘かに印を組み我が身を覆い、屋敷の中に入って行きました。

すると離れから、異様な気配を感じます。
尋ねると、この屋敷の跡継ぎの御長男が居る所なのである。

今回の祈祷を受けるのが、その御長男なのです。
別室に案内され、事情を聴いて納得しました。

御長男は、無神論者でワガママな性格。
どんな心霊スポットでも平気で、逆に罵倒し、供養のものも蹴散らす始末である。
私は内心、今日は大変な加持祈祷になることを覚悟せざるを得無かった…

御長男の居る離れに通され、まずはカウンセリングを開始した。

するとご本人の口から、事実が話され始めた…
彼は、旅行が好きで日本中を回った時に、イタズラ半分で、お地蔵様の顔につばをしたり、挙げ句の果ては、放尿まで…

そして言った言葉が「祟れるなら祟ってみろ」

その後、原因不明の高熱とできものが…
祟り、障り、被る…が原因だと思い…また知る者もいない。
私は、この時点で知っていた…

原因が複数の祟りだと。
従って一度や二度の加持祈祷で、全てが祓えるとは思っていない。

ただ、どんな集団であっても、ボスが居るはずである。
このケースを最小限の状態に、納める方法は、他に無い…

私はボスと折衷する事にした。
印を組みボスとの交渉に入った…
ボスの正体を、ここに書くことは出来ないが、力の強い自然霊とお考え下さい。

これは、簡単にはいかない事は、解っている。
しかし、ここでやめれば本人は、おろか一族の者も、彼に関係した者もただでは済まない。

事は、そこまで切迫していたのである。

本人は自業自得であるが、一族と関係者までもを被害に合わせる訳にはいかない。

私は、秘策を使う事にした…
それは、祟神となった者達の本宮の大霊に、お願いする他は無いと考えた。

例えば、稲荷なら伏見大社、豊川稲荷という具合に、彼が汚した神々の本宮に使者を飛ばして謝罪供養をするのである。

大変な費用と労力を費やし、行う事になった。

私は、彼に汚した場所を全て思い出させ、使者を派遣した。
彼には、3日間の堂入りを命じ、一歩足りとも外に出る事を禁じた。

私は総指揮をとり、使者からの連絡を待つ間、護摩行に入った。

2日目も順調に供養が進み、3日目の深夜…私の元に知らせが入った。

彼が在ろう事か脱走…つまりつまり夜遊びに行ったのである。
信じられない愚行である。

私は、祈祷を続けた…
そして夜が明け、皆は、無事に乗り切れた。

それからしばらくして、警察からの電話で、全員が愕然とした。

彼が死んだのだ。
ドブ川の中で、汚物まみれの姿になり…

みなさん、神仏を信じ無くとも大丈夫です。
信じたくなければ、信じなければ良いのです。
そのかわり関わる必要もなければ、穢す必要も無いのです。

彼は、自分がした事を、最後に自分が味わう事になったのです。

■悪意の代償

心霊スポットで肝試しのつもりか慰霊の為に供えられていた千羽鶴を踏みにじり、

中にあった茶碗や斎器を面白半分に壊して、警察に逮捕された数名の若者達。

私は、彼らが釈放された後が心配である。

何故か。
この中で、恐怖に身よじりながら死んで逝った人達が、死後もこんな目にあわされて黙って見て居るだろうか?
警察では簡単に済んでも、その後の彼らの運命は…。


一例を挙げれば、私がまだ寺に奉職して居た頃、ある若者が上記の若者達と同じ様な事をして、

警察から釈放され一カ月位たった頃から、言動、行為に異常さが現れ、

怖れたご両親が祈祷を頼みにお出でに成りました。


しかし、その時は手遅れでした。
奇声をあげて暴れる息子を、ご両親と親類の方が抑えたが無理でした。
それから、入院《精神科病院》

一人息子を入院させたご両親は、その後離婚し、家は衰退して没落。
その後の事は分かりませんが、哀れな結果でした。

他にも同類の事がありました。

其れは野球のバットで、村にある地蔵尊の首を一体残らず頭を叩き壊し逮捕された事件です。
釈放後、錯乱して強制入院に成った若者。

日本中で数えればまだあるでしょうが、決してやってはいけない。

人間界の罪は償えても、償え無い罪もあるのです。

ましてや遊び半分、またイライラして居たからなど理由に成りません。
眼に見え無い力は確実に働きます。
神社仏閣に油や液体で穢した者も同じである。

国籍や宗教が違っても、結果は必ず訪れます。
嫌いなら、近づかなければ良いだけ。
見たくなければ見なければ良いだけである。
敵対する必要も、壊す必要も無いのです。

人間は、言葉や武力で敵対する者に反撃を解るようにします。

しかし、一番恐いのは眼に見え無いものの無言の反撃である。

■暴挙

現在の日本国内でも、様々な冒瀆行為が行われて居るが《神社仏閣を穢す行為》今日ニュースを見て

嘆かわしい行為を知った。

沖縄で若者数名が遺跡を壊し逮捕された。
正に、若者では無く馬鹿者である。

沖縄タイムス+プラス ニュース2017年9月16日 13:09

チビチリガマ損壊:「肝試し」と容疑少年ら 警察、政治的動機「全くない」

72年前の沖縄戦で「集団自決(強制集団死)」が起き、85人が犠牲になった読谷村波平のチビチリガマが荒らされ、本島中部に住む少年4人が器物損壊容疑で逮捕された事件で、一部の少年がガマへ入った理由を「肝試し」とし、10日の夜明け後に現場を訪れたと供述していることが16日、分かった。
政治的な動機の有無について嘉手納署は「現在のところ全くない」としている。
「肝試し」が器物損壊の行為につながった経緯を慎重に調べている。
同署によると、逮捕された4人はバイクで現場を訪れ、棒などを使って損壊行為に及んだと供述。
4人以外に少年数人が現場に居合わせ、犯行を制止したとの供述もある。

被害報道のあった13日以降に、「チビチリガマを荒らした少年がいる」との情報提供を端緒に少年を特定した。
少年らがチビチリガマの歴史的背景について認識があったかどうかは分かっていない。
同署によると、4人は友人関係で「やったことは間違いありません」と容疑を認めているという。
逮捕容疑は5日正午ごろから12日午前11時ごろまでの間、チビチリガマの看板2枚や額1枚、千羽鶴4束を損壊した疑い。
壕の中にある瓶や陶器などの損壊については遺族会が近く被害届を提出する予定。


昨今、様々な所で冒瀆行為が横行して居るのは、魂年齢の低下が急速に進行して居る証拠なのである。
暴挙、暴言、冒瀆は、最大の恥晒しとしか言え無い。
どんな理由を付け加えようが、厚顔無恥な行為である。

神社仏閣を穢す行為、墓を荒らす行為、先祖を否定する事、全てが自分を否定する事なのである。
自分だけが良ければいいは、駄々っ子以下の考え方と云わざるを得ない。
以上の者達の末路は哀れである。

心霊學を真剣に學んで居る人なら、拙僧が言わんとして居る事がお判り頂けるであろう。


人間界は、罪の償い《刑務所、懲役》を終えれば自由の身に成れる期限が設けられて居るが、

霊的な償いは、そんなに生易しいものでは無い。

此処では言及を避けるが《模倣し、不安を煽る者を排除する為に》心霊學は、オカルト思考で學べるほど稚拙では無い。

科学的見地からも、分析出来る能力智力が要求されるからである。
心霊學を學べば、私が言って居る事がお判り頂けると考えます。

尊び敬うことの大切が失われた時、〇〇は始動します。
〇〇は何であるかは、お考え下さい。

またキチガイ坊主の戯言とお笑いになるのも自由である。

常々書いて居りますが、全ての人は自由である。
しかし自由には責任が伴うことを忘れてはなら無い。

■魔窟

私は若い頃、外国で三年間を過ごし帰国しました。
そして両親の死後、僧侶に成りました。

現在に至るまで、様々な土地を見て来た経験上、断言できることがあります。
それは、魔窟の存在である。
魔窟は、世界中至るところにある。《日本にも》

特に被害に遭いやすいのが、日本人である。
それは、何故か?
神仏の国、日本である。
しかし、本当の意味で霊的真理を知る者は少ないからである。

世界に比べ、日本の霊的真理の認知度は低い。
言わば、百年遅れているのです。

此処では、日本の何処に魔窟が存在するか明かす事は出来ないが、確かに存在する事は断言します。
不用意に近づけば、確実に被ります。
被れば人格に変異を来たし、《自身では、気付かない》最悪の場合、犯罪を犯すであろう。
また、自殺に陥る場合もある。

一例を挙げれば、肝試し《遊びのつもり》で行った場所が魔窟だった場合、 確実に被り、その後、最悪な事態に成った例を私は知っている。

今から、5年前の丁度今頃である。
依頼を受け行ってみると、明らかに被りでありました。

十八才の女性が、まるで中年女性にしか見えない変貌である。《写真で確認済》
祈祷を施し、その場は落ち着いたが、私が《3日間、外出してはいけないと。》親にも念押ししたにも関わらず、その子は、《大丈夫。》と勘違いし、またしても、友達と遊びに行きました。

しかし、二度と家に帰る事はありませんでした。
《自殺したのです》
友達の話だと、笑いながら橋から飛び降りたそうである…。

アパートの一室に居る自縛霊も注意が必要です。

■行ってはいけない場所

私達の周りには、行ってはいけない場所がある事を皆さんはご存知ですか?

例えば、廃墟となった病院跡などは、面白がって肝試しの場によく使われますが、絶対にやっては行けません。
最も危険な区域が、事件現場である。

其処には強い想念が残り、その想念により浮遊するものが引き寄せられて来るのである。
あなたが、他人から存在を認められずに、ただ遊びの如く扱われていたのなら、あなたは平常に居られますか?

其処に棲む、霊的存在も同じです。
遊びで、霊をオモチャにしてはいけません。
生きていようが、死んで霊体に戻ろうが、意識は生きている時と何ら変わらないのです。

変わったのは、肉体が有るか無いかだけの事なのです。
其れを理解出来ていれば、上記の様な事は出来ません。

私は、何度もブログに書き、教えて来ました。

學ぶか學ばざるか?
全ては、自由です。

日本は霊的後進国ですが、自身まで霊的無知になる必要はないと氣づいて下さい。
學びは、あなたの近くにあるのだから。

■霊的侮辱

今日、大阪で何者かが四百基に及ぶ墓や菩薩像を破壊した事件が発生しました!
犯人は、最大で最高の罪を犯しました。
警察が犯人を特定するのは時間の問題ですが、そんな事より恐ろしいのが因縁である!

忘れられ、無縁となった墓石に宿る因縁霊。
静かにしていようと思っていた者まで、起こしてしまった行為!

これは、私でも鎮める事は難しい。

墓荒らしは、絶対にやってはいけない。
何故か。
本人は、当たり前に因縁を被るが、家族にまで及ぶ因縁を作る事に成るからである。

今回の墓荒らしは、夏場の憂さ晴らし。
最低な行為である。

墓荒らしをした者達に、未来は無い。
当然の報いである。

しかし、痛ましいのは家族、親類縁者である。
当人は当然であるが、親類縁者にまで不幸が及ぶのが墓荒らしである!

正に、愚の骨頂である。
私は長年、加持祈祷を生業に生きて来た。
その経験上で言えば、全ては悲惨な結果に終わって居る。

次回は、墓荒らしをした者達のその後を実話で紹介して参ります。

■墓を侮辱した者

あの事件は、今から20数年前にある地方で発生した。
その日も夏の暑い日であった。

朝、職員が掃除の為に墓地に入った瞬間、職員は自身の眼を疑った。
地蔵尊の首が全て飛んでいたのです。

警察の調べで、バットで殴った事が判明した。
地蔵尊は、別名地獄菩薩と言い、亡者を助ける為に、唯一地獄に降りて行かれる御仏なのです。

犯人は、間もなく逮捕されました!
その時から数年後、私が奉職する寺に年老いたご夫婦が相談に来られました。

孫が数年前に事件を起こしてから、孫の両親は原因不明な病いに倒れた。
その後、父は死亡、母は自殺。
家は離散状態で、孫は精神病院に入院して居ると言うのである。

私は霊視を試みて、全ての真相を知りました。

彼は仲間内で、『自分には怖いものなど無い。従って神も仏も偶像だ』と、仲間達に強がって見せたかったのである。

強がるなら、他に幾らでも方法はある。
しかし、一番やってはいけない愚行を選択してしまったのである。

その後、彼は入院先の病院で亡くなりました。
私にも、助けられるものと助けられ無いものがあります。

では、何故そんな事が後を絶たないのか?

次回、霊的侮辱【総論】で解明して参ります。

■霊的侮辱【総論】

人は、現界に生を成した時点で、前世の記憶を全て忘却します。

それは、自分が何を學び、何を解消しなくてはいけないかを知って居ては、學びにならないからである。
例えば、前世で罪を犯し、その贖罪を現世でする為には、自分が心から反省する必要があるからである。
それがカルマ、因縁解消【因縁解脱】なのである。

犯罪を簡単に犯す者は、何も反省の無い者達なのである。

そして、最大に犯してはならない罪が、霊的侮辱である。
これを犯す事は、全ての因縁を被る事に繋がり、未来永劫、解消する事は難しい。
何故ならば、浮遊する未浄化霊の因縁までも背負う事を自らが望み、犯した事に成るからである。

自分だけの因縁ならば、解消【解脱】の道もある。
しかし無数の因縁を被る時、もはや解脱の道は険しい。

何故か。死しても、霊界には帰れないからである。

それは、霊界が拒否するのではなく、無数の未浄化霊の意志により、現界を彷徨う霊と成るからである。
智慧無くば愚行を犯し、理性無くば殺人を犯し、反省無くば未来永劫、血の海に泳ぐ。

私達は本来霊的存在である事を知り、自身の課題である人生を全うする事で、カルマは解消されて行くのである。

しかし、愚行、犯罪に走る者には反省などと言う意識はない。
何故ならば、反省出来るほどの知性理性があれば、犯罪に染まる事はないからである。
【死んで驚いた。は不幸である】



by kongousan-akafudo | 2019-03-15 12:00 | └私たちの暮らし

彼岸に関する密教ブログ特集

お彼岸に寄せて綴られた密教ブログの過去記事を特集致しました。

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先祖供養

御先祖様を供養するのは、自分自身を供養する事と何ら変わりありません。
供養とは、亡くなった方々だけにする事ではないのです。

供養とは、感謝、報恩を、繋がる道。
過去が無ければ、現在も無い。
現在が無ければ、未来も無い。
先祖が無ければ、自分も存在し無いのです。

今を感謝する事は、未来に向けた貯金。心の積み立て《貯金》なのです。

そして、御先祖様を彼岸供養させて頂く事は、自分を現界に送り出してくれた方々に感謝を捧げることなのです。

当院では春彼岸供養会にあたり、新しく三界萬霊位牌を安置致しました。
本日、三界萬霊位牌の開眼法要を営み、春彼岸供養会に向けた準備に入ります。

春彼岸供養会には供養護摩供を謹修させて頂き、合わせて密教の秘法を修して施餓鬼供養も厳修致します。
御本尊赤不動明王尊の利剣を用いて修法し、もう一つの秘法では、摩利支天の利剣を用いて修法を致します。

御先祖様を敬い、神仏を尊ぶ生き方は、あなたを必ず護ります。
人は、一人で生きるにあらず。

節目 《ふしめ》

今年の春彼岸は、色々な意味で節目と成るでしょう。

捉え方は様々でしょうが、全ては學びなのです。
此処では、何があるか、どう成るか?言及は致しません。

皆さんが、どう捉えるか?で変わります。
変えるのは、皆さん自身なのです。

信仰心を持って生きるも、自我で生きるも、選択は自由なのです。

但し、自由と云う言葉の裏返しを考えて下さい。
自由には責任が伴い、原因は結果を生み出します。

原因の無い結果は存在しません。
結果に満足出来なくとも、全ての事象は自己責任と捉える方と、自分は運が無いという捉え方とでは、必然的に未来の事象に変化をきたします。

全ては、自由と云う選択肢にあるのでは無いでしょうか?

私は、春彼岸供養会に込めます。
皆さんが、明るく爽やかな心で人生を學ばれる事を念じ、御供養させて頂きます。

供養とは

今日から、春季彼岸法要会。
謹んで、御供養申し上げます。

供養とは心でするものであり、形では御座いません。
形にこだわり、本質を忘れる時、それはセレモニーに過ぎないのです。

母が手に、アカギレを作りながらも作ってくれたおにぎり。
父が、泥と汗にまみれて働いて居た姿を思い出す時、私は自然と手が合わさります。

皆さんも、境遇は違えども、たくさんの思いがあるでしょう。
その思いから合わせた手が、本当の供養心なのです。

感謝の念、感謝の心で合わせる手が供養なのです。

今日から彼岸。
御先祖様に感謝を込めて、合掌しては如何でしょうか。

功徳

今日は、彼岸御中日で御座います。
私も午前に皆様の御先祖供養を謹修してから、その後に御先祖様の墓参りに行って参ります。
御先祖様の供養をさせて頂くことは、大変な功徳を積むことに成るので御座います。

私達が今日あるのも、全て御先祖様があったればこそ、なのです。
御先祖様に感謝して、皆様も一日過ごしては如何でしょうか。

御先祖様を供養する事は、自分を供養する事に繋がります。
供養は功徳を積み、明日への架け橋にも成ります。

長い人生、一日くらいは御先祖様を想い供養、功徳を積んでは如何でしょうか。

良い人生の節目になることと、存じ上げます。

彼岸明け

込めに込めた彼岸供養、其処には、新たな出会いが御座いました。

様々な悩みと苦悩を抱え乍らも、拙僧を頼り、日本各地から遥々訪ねて来られた方々は、一様に沈痛な面持ちでした。

しかし、どの方にも素晴らしい霊団がご一緒なのです。
一例を挙げれば、医師《ドクター》には、力強い指導霊様が本人の學びを推奨し、私に教えてやって欲しいと言われました。
また、会社の若き経営者の方には、その方のお母様が寄り添い、身体を気遣う様にと言われておいででした。
私から視ても、素晴らしい霊団です。

では、何故彼らは苦悩するのでしょうか?
それは、學びを深めなさいと言う、霊界からのメッセージなのです。

彼岸の日に私の寺を訪れ、悩みを打ち明け、帰りには晴れ晴れとした姿を見て、私は安堵致しました。

彼らの前途は、學びを深める事により、明るい未来が待って居る事を確信します。
彼岸は霊供養だけでは無く、現界に生きる私達にも、素晴らしい供養を授けてくれたのであります。

私は、これからも込めて参ります。
一人でも多くの方々が學びを深め、本当のしあわせとは何かを実感して頂ける事を祈り、彼岸明けを迎えたいと想います。

供養心

自分がこの現界に生を受けるまでには、計算上、千人以上の御先祖様が居なければ自身の存在は無い事になります。

良きにつけても、不満だらけでも、生を受けた事には意味があるのです。
その意味も解らずに不平不満を抱き続けていれば、良い結果など得られる訳が無いのです。
言わば、自身が負の種を蒔いて居る様なものである。



その逆に、私の知る人達は御先祖様に敬意をはらい、彼岸と聴けば供養を申し込まれる誠に信仰心の厚い方々です。


追善供養は、御先祖が霊界で御受け取りに成られる最良の御供養です。


ある方が相談に来られ、『供養をお願いしたいのですが、お支払いするお金が有りません。
出来れば御寺の掃除をさせて頂き供養に変えることは出来ないでしょうか?』
とお話しされました。


『寺の掃除は、大丈夫です。
そのお気持ちがあれば、毎日、仕事の行き帰りに、道に打ち捨てられたゴミを拾い、

その行いを御先祖様の供養に当てなさい』と私は教えました。

それから3年後、素晴らしい御縁を頂き、今では何不自由無い生活を送って居られますが、相変わらずゴミ拾いを続けて居られます。


正に隠徳を積まれた結果であります。

人は一人で生きるにあらず。
眼に見え無い大勢の先祖に見守られ、この世《現界》を生きて居るのである。
こちらが其れに目覚めた時、様々な護りが働きます。

神仏を尊び、御先祖様を敬う時、私達は護られます。

秋彼岸の季節

暑さ寒さも彼岸までと昔の方々は言われておられました。
今年の秋彼岸は、9月20日〜9月26日で御座います。


今、私達が様々な経験、良い事も良く無い事も経験できるのは素晴らしい事なのです。

御先祖様が居ない人間など存在しません。
居るとしたら悪魔でしょう《笑》

しかし、昨今は御先祖など関係無い《自分は次男、三男、嫁に出たから私に関係無い》と云う方々が多い様である。
御先祖様を関係無いと云う人は、何処から来たのでしょう。
かぐや姫の様に竹から産まれたのでしょうか?
そんな馬鹿な事はありません。
皆等しく親から生まれ、現界に生きて居るのである。

なれば御先祖様を関係無いと云うことは、自分も関係無いのである。

では何故、関係無いと云うのか?

それは、金銭欲から発せられる物質的価値観の現われである。
供養《供えて養う》を知らない無知から来るものである。
父母に感謝、御先祖様に感謝、生きる事に感謝、出来る境涯にある人は先祖供を忘れません。


供養の種類
仏教の経典に説かれているおもな供養の種類

◎二種供養(香華・飲食などの財物を供養する利供養と,教説のごとく修行して衆生を利益する法供養)

◎三種供養(香華・飲食を捧げる利供養

◎讃嘆恭敬(さんだんくぎよう)する敬供養

◎仏法を受けとめて修行する行供養)

◎四事供養(飲食,衣服,臥具,湯薬)

◎密教の五供養(塗香,華,焼香,飲食,灯明)

◎六種供養(閼伽(あか)(水),塗香,華,焼香,飲食,灯明)

◎十種供養(華,香,瓔珞(ようらく),末香,塗香,焼香,繒蓋幢幡(そうがいどうばん),衣服,妓楽,合掌)

また密教では身と口と心の三業供養も説かれる。

世界大百科事典より


その逆に、不平不満を日常の言葉に表す者はしあわせでは無いのです。


しあわせな人は、優しく大らかです。
しあわせな人は怒りません。
しあわせな人はイジメをし無い。
しあわせな人は武力を行使せず。

人間は、御先祖様を敬い神仏を尊ぶ時、必ず変わります。

あなたがあなた自体を変化させてしあわせに成る道が、最高の早道である事を一日も早く氣づく時である。

施餓鬼会

施餓鬼とは、本来サンスクリット語であります。
古代中国で訳経され、日本には弘法大師空海が渡来し、密教僧の手により修されたのが始まりです。

現在は、真宗を除く各宗派で盂蘭盆会として修されておりますが、本来は、常時修されるのが施餓鬼供養です。
地獄に堕ちた亡者は餓鬼となり、食べようとすれば炎に変わり、また、水を飲もうとすれば溶岩に変わり、何も口にする事は出来ず、あのような浅ましい姿と成り、地獄を這いずり、飢えと渇きに苛まれ苦しみ喘ぐ。

餓鬼に供物を与えて改心させ、再度人間に生まれ変わらせ、修行させる為に行うのが施餓鬼供養会なのです。

当院では、秋彼岸供養会を、9月19日〜25日まで行います。

先祖の回向《追善供養》には、施餓鬼供養が一番良いとされております。
今回の供養にも、施餓鬼供養を行います。
先祖の居ない方は存在しません。

私の家は、分家なので。
仏壇が無いので。
本家が行っているので。
などと、言われる方がおられます。

では、あなたは、誰なのでしょうか?
供養する心に、本家も分家も、仏壇の有無も関係ありません。

大切なのは、心なのです。

感謝の心は、千里の道を瞬時に駆け、彼岸に到ります。
生きる事に、感謝。
生かされている事に、感謝。
今ある事に、感謝。
今日ある事に、感謝。

全てに、感謝が出来る様に成った時、本当の彼岸が実感出来るのです。
あなたも、秋彼岸の一時、感謝を込めては、如何でしょうか。

彼岸

当院では、今日から秋彼岸供養会を始めます。
読経、礼拝、護摩、施餓鬼と、7日間御供養申し上げます。

今回は特に、施餓鬼供養には重点を置いて居ります。
昨今の事件、事故を観察すれば誰にでも解ることです。

正に人間の所業では、考えられない状況である。
このまま放置すれば、間違いなく日本もアメリカ並みに治安秩序の無い国に成るでしょう。

しかし、それは見て見ぬふりをした結果なのです。

今一度、考えてください。
何をどうするべきなのか?
このままで良いのか?

考え、行動する事こそ、今日を生き明日を生きる事になる。
そして、未来を変える事に繋がるのです。


何もしなければ、悪化しても、好転はあり得えません。
努力する事こそ、明日を生きる事に繋がるのです。
蒔かぬ種は、生えません。

全ては、其処に到達します。
しあわせも同じ事です。
何もせず、ただ黙していても、しあわせは訪れません。

棚からボタモチは無い。
百歩譲って、棚からボタモチが有ったならば気を付けてください。
それは、次の前兆なのである。


by kongousan-akafudo | 2019-03-14 12:00 | └私たちの暮らし

追善供養に関する密教ブログ

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■供養心

自分がこの現界に生を受けるまでには、計算上、千人以上の御先祖様が居なければ自身の存在は無い事になります。

良きにつけても、不満だらけでも、生を受けた事には意味があるのです。
その意味も解らずに不平不満を抱き続けていれば、良い結果など得られる訳が無いのです。
言わば、自身が負の種を蒔いて居る様なものである。



その逆に、私の知る人達は御先祖様に敬意をはらい、彼岸と聴けば供養を申し込まれる誠に信仰心の厚い方々です。


追善供養は、御先祖が霊界で御受け取りに成られる最良の御供養です。


ある方が相談に来られ、『供養をお願いしたいのですが、お支払いするお金が有りません。
出来れば御寺の掃除をさせて頂き供養に変えることは出来ないでしょうか?』
とお話しされました。


『寺の掃除は、大丈夫です。
そのお気持ちがあれば、毎日、仕事の行き帰りに、道に打ち捨てられたゴミを拾い、

その行いを御先祖様の供養に当てなさい』と私は教えました。

それから3年後、素晴らしい御縁を頂き、今では何不自由無い生活を送って居られますが、相変わらずゴミ拾いを続けて居られます。


正に隠徳を積まれた結果であります。

人は一人で生きるにあらず。
眼に見え無い大勢の先祖に見守られ、この世《現界》を生きて居るのである。
こちらが其れに目覚めた時、様々な護りが働きます。

神仏を尊び、御先祖様を敬う時、私達は護られます。

■施餓鬼会

施餓鬼とは、本来サンスクリット語であります。
古代中国で訳経され、日本には弘法大師空海が渡来し、密教僧の手により修されたのが始まりです。

現在は、真宗を除く各宗派で盂蘭盆会として修されておりますが、本来は、常時修されるのが施餓鬼供養です。
地獄に堕ちた亡者は餓鬼となり、食べようとすれば炎に変わり、また、水を飲もうとすれば溶岩に変わり、何も口にする事は出来ず、あのような浅ましい姿と成り、地獄を這いずり、飢えと渇きに苛まれ苦しみ喘ぐ。

餓鬼に供物を与えて改心させ、再度人間に生まれ変わらせ、修行させる為に行うのが施餓鬼供養会なのです。

当院では、秋彼岸供養会を、9月19日〜25日まで行います。

先祖の回向《追善供養》には、施餓鬼供養が一番良いとされております。
今回の供養にも、施餓鬼供養を行います。
先祖の居ない方は存在しません。

私の家は、分家なので。
仏壇が無いので。
本家が行っているので。
などと、言われる方がおられます。

では、あなたは、誰なのでしょうか?
供養する心に、本家も分家も、仏壇の有無も関係ありません。

大切なのは、心なのです。

感謝の心は、千里の道を瞬時に駆け、彼岸に到ります。
生きる事に、感謝。
生かされている事に、感謝。
今ある事に、感謝。
今日ある事に、感謝。

全てに、感謝が出来る様に成った時、本当の彼岸が実感出来るのです。
あなたも、秋彼岸の一時、感謝を込めては、如何でしようか。

■追善供養

釈迦の弟子の一人が、釈迦に尋ねました。

「昨日の夢に、今は亡き父母が現れ、今、自分達は地獄で毎日昼夜を分かたず、針の山、血の池、鬼による鋸挽き、焼けた鉛を呑まされたり、大きな蜂に刺されたり、様々な責め苦に、苦しんでおります。父母を地獄の苦しみから救うには、如何したら良いのでしょうか?」

釈迦は、言いました。

「100人の僧侶に布施をし、100人の僧侶に、回向をして貰いなさい。そうすれば、必ず救われる。」

人は、知らず知らに罪を犯し、カルマを重ねているので、人には施し、つまり布施、回向とは、祈り…
釈迦は100人の僧侶になぞらえましたが、釈迦の教えは、多くの人に分かち合い、愛に目覚める時…現界も平和を保ち、愛ある世界になるとお説きになられたのです。


追善供養は、生きている者の勤め…
故人の為に、手を合わせ、偲ぶ心に愛あふるる。

■先祖供養

皆さんは、何故先祖供養が必要か 御存知ですか?

密教の先祖供養は御先祖様が、出来なかった善行を、子孫が代わって行う行為、すなわち追善供養が非常に大切なのです。

善行と言っても現世的な、ボランティアも大切ですが、
密教では護摩法で、餓鬼界の亡者に、皆さんの御先祖様が布施をしたして、御供養申し上げます。

餓鬼界の亡者は、食べ物も、呑み物も、口にする事が出来ません。
それを、不動明王尊の御力を借りて、地獄の亡者である、餓鬼に布施をするわけです。

餓鬼は、その慈悲、すなわち皆さんの御先祖様からの、供物、供養を受け、自分の悪業を反省して、一段上の階層に、解脱するのです。
その徳が、皆さんの御先祖様、引いては、皆さんの徳と成るわけです。

餓鬼は、反省して、解脱するわけですが、その光景は涙を流し、供物を口にし、甘露の法雨を浴びて、正に、天界の慈悲を味わうのです。そして、餓鬼の姿から脱し、元の人間の姿に戻り、輪廻転生の修行に、入ることが出来るのです。

餓鬼界に居る時は、口にする物は、全て炎に変わり、食する事が出来ません。
皆さんの、御先祖を敬う供養が追善供養に成り、餓鬼をも改心させる事になる、誠に有り難い御供養なのです。

よく供養は、何々の日が良いとかいう知ったかぶる方がいますが、そんな事はありません。
皆さんが、先祖供養を想い立たれた時こそ、吉日です。

■追善供養

御先祖様の中には、浮かばれない方々もおいでになります。

例えば、生前に全く死後を信じない方々。
肉体だけが人生で、肉体が終われば全てが終わると信じている方々。
お金があれば、何でも思いのまま出来ると思う方々。

…以上の要素を持って亡くなられた方々は、殆ど迷い、彷徨います。

お墓に行けば、解ります。
墓石の中に、入ろうとする方々の多い事。
諦めて、墓石に腰掛けている方々…

実に多いのです。

遺族が墓石にすがって泣いていれば、余計に成仏の妨げになります。
一日も早く、故郷である霊界に、還して上げられる人は貴女です。

貴女が主体です。
僧侶は本来、脇役であり、主体である貴女をサポートするのが本道です。

しかし、サポートしたくとも、主体がなければサポート役の私達にはどうする事も出来ません。
全ての段取りは、私達がサポートできます。

貴女が主体である事に目覚めて、御先祖様を供養される事が一番の回向になります。

それが、本当の意味での追善供養で御座います。






by kongousan-akafudo | 2019-03-13 12:00 | └私たちの暮らし

先祖供養に関する密教ブログ~後編

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■先祖供養

皆さんは、何故先祖供養が必要か 御存知ですか?

密教の先祖供養は御先祖様が、出来なかった善行を、子孫が代わって行う行為、すなわち追善供養が非常に大切なのです。

善行と言っても現世的な、ボランティアも大切ですが、
密教では護摩法で、餓鬼界の亡者に、皆さんの御先祖様が布施をしたして、御供養申し上げます。

餓鬼界の亡者は、食べ物も、呑み物も、口にする事が出来ません。
それを、不動明王尊の御力を借りて、地獄の亡者である、餓鬼に布施をするわけです。

餓鬼は、その慈悲、すなわち皆さんの御先祖様からの、供物、供養を受け、自分の悪業を反省して、一段上の階層に、解脱するのです。
その徳が、皆さんの御先祖様、引いては、皆さんの徳と成るわけです。

餓鬼は、反省して、解脱するわけですが、その光景は涙を流し、供物を口にし、甘露の法雨を浴びて、正に、天界の慈悲を味わうのです。そして、餓鬼の姿から脱し、元の人間の姿に戻り、輪廻転生の修行に、入ることが出来るのです。

餓鬼界に居る時は、口にする物は、全て炎に変わり、食する事が出来ません。
皆さんの、御先祖を敬う供養が追善供養に成り、餓鬼をも改心させる事になる、誠に有り難い御供養なのです。

よく供養は、何々の日が良いとかいう知ったかぶる方がいますが、そんな事はありません。
皆さんが、先祖供養を想い立たれた時こそ、吉日です。

■先祖供養の大事

私達が忘れがちなのが、先祖供養である。
今、私達が存在して居るのは、親が居て、御先祖様が居たからなのです。

数学的見地から観ても、私達が個々に存在出来るのは、千人以上の先祖が居たからです。
その先祖を忘れ《親も含めて》唯、一人で大人に成れた訳ではありません。

よく、開運を願う人がおられますが、先祖をないがしろにして開運など無い事を知って頂きたい!

例えば、あなたが誠心誠意尽くした人が、あなたを忘れて自分が一番と豪語し、傍若無人に振る舞いました。
やがて運尽きて苦界に彷徨い、怨みの中に喘ぐとき、あなたは救いますか?
本気で反省した者には救いの手を差し伸べるかも知れませんが、生半可な者に差し伸べますか?

その逆に、普段から仏を尊び、先祖を敬う者が窮地に陥った時、あなたが先祖なら黙って居られますか。

■写経

写経は、現在では誰でもご存知の仏教に馴染む方法として深く世に浸透しておりますが、意識を変えて行なえば功徳を積むことにも成るのです。
先祖供養の為に枚数を決めて書き上げたら、寺院に納め供養して頂く方法など様々にあります。

そのほかに、以外と皆さんがご存知無い、写経より功徳を積むことが出来る写仏があります。
例えば、自分の願い事を決めて決めた数を写仏する法や、寺院で開眼供養をして頂き、寺に納める方法もあります。

■灯籠供養

古来依り、神社仏閣に灯籠を奉納する事は、最良の供養と成り現在でも、有名寺院では、灯籠の奉納が行われております。
然るに高額な為、断念せざるを得無い方々もおられるのが現実であります。
そんなご意見を伺い、当院では、誰でも手が届く安価で灯籠の奉納を御受けする事に成りました。

釈迦の教えにもありますが、灯火を捧げる事は、古来より最良な供養とされて居ます。
増してや御本尊様の御前にて焚かれる灯火は、霊験あらたかな炎であり、最良の供養とされて居ます。
先祖供養、開運祈願、病気平癒、諸願成就、水子供養、その他諸々の願いが成就すると言われる。

当院では、一度奉納されますと永代に御供養申し上げます。





by kongousan-akafudo | 2019-03-12 12:00 | └私たちの暮らし

先祖供養に関する密教ブログ~前編

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■霊的真理

今日は、よく聞かれる質問にお答えしたいと思います。

① Q 自分で先祖供養するには如何したら良いか?
A 寺社にお願いするのが最良ですが、事情があり出来ない方は、御自分でされても大丈夫です。

供養はしたい---させて頂く心が大切なのであり、思い立った時に供養は始まっております。
* 先祖供養したいという、貴方の心は、霊界に届いております。御安心下さい。

② Q 何故、僧侶や神官が必要なのか?
A 専門家であり、技術者でもあるのです。
(たまにそうでない方もお見えになりますが)
沙門----即ち、シャーマンなのであります。
*シャーマンとは、超能力のある呪術者の事。
祈祷師、霊媒師などで、古くは、占い、医療、人々の身近な相談役や神との連絡役を務めていました。

私は生涯、一沙門を目指しておりますが、未だ未熟と自覚しております。

持論で御座いますが、完成した者などあり得ません。
何故なら、完成しているのであれば、現界に存在する必要は無いのです。
もし、完成しているのなら、貴方が全てを悟った時点で、即死していなければならない事になるのです。

現界は学びの場、決して楽をする処ではありません。
様々な苦難を乗り越え、傷つき、汚れ、涙した、経験を、最後に、感動に変え、故郷の霊界に還るのです。

還る時は、来る時と同じ様に裸であります。
しかし、来る時と違う事が一点御座います。
それは、肉体を持たなければ成し得ない、経験というものです。

故郷である霊界に還る時---
経験を感動に変え、霊界にいる仲間への最良の土産とする為に、私達は様々な経験をしているのです。

人生に無駄はありません。
無駄な経験も存在しません。
恥ずかしいと思う経験も無駄ではありません。

貴方も、貴女も、傷付く心を癒す為にも学びましょう。

善も悪も、学ばなくては本当の意味での終点はないのです。

■先祖供養の功徳

ご先祖様は、何時もあなたの事を見守って居られます。
子孫を見守り、暖かく応援している姿はまさに子を想う親そのものです。

私は、カウンセリングの中で、相談者の方々の守護霊や先祖霊にお会いする事が多々あります。
皆さん子孫を想い、見守っておいでになられます。

しかし例外もあります。

私の寺に予約も無しにおいでになられて開口一番、仕事も家庭も上手くいかない、原因を霊視して欲しい…といってこられた方がありました。

礼儀を知らない人だな~とは想いながらも、答えようとした時…
その方の先祖霊が放って置いて欲しい…と言うのである。
相談者の先祖霊は、ワガママで努力もせず、遺産を使い、遊んでいる者など、助けないで欲しい…と言うのです。

私は、そのまま伝えました…
相談者は、激怒して帰りました。

それから一度もお会いして居ませんが、結末は知っています。

神仏を敬う方々は、必ずご先祖様を大切にされておられます。
結果、御護りが強固になり、家族円満、家内安全に繋がるのです。

今、私のもとに、何件もお墓についての依頼が御座います。
そのどれも、ご先祖様を敬う方々が、新しくお墓を五輪塔を建立する為の撥遣と、開眼供養の依頼です。
心暖まる御依頼にいつになく、張り切る私です。

今、悩み、苦しむ貴方…
必ずご先祖様が道を御示し下さいます。

今の悩みは貴方の為になる学びと捉え、精進して下さい。
ご先祖様は、貴方を見放したりしません。

今の貴方がやるべき事は、日々是端正。
反省すべきは素直に反省し、努力を怠らず、家族との対話を大切にして下さい。

そうする事により、必ず問題は解決に向けて始動します。

全ては、必然…
奢り、傲慢な所には、解決は生まれません。
それどころか、生まれる物は悪の種なのです。

■先祖供養

御先祖様を供養するのは、自分自身を供養する事と何ら変わりありません。
供養とは、亡くなった方々だけにする事ではないのです。

供養とは感謝、報恩に繋がる道。
過去が無ければ、現在も無い。
現在が無ければ、未来も無い。
先祖が無ければ、自分も存在し無いのです。

今を感謝する事は、未来に向けた貯金。
心の積み立て《貯金》なのです。

そして、御先祖様を彼岸供養させて頂く事は、自分を現界に送り出してくれた方々に感謝を捧げることなのです。

当院では春彼岸供養会にあたり、新しく三界萬霊位牌を安置致しました。
本日、三界萬霊位牌の開眼法要を営み、春彼岸供養会に向けた準備に入ります。

春彼岸供養会には供養護摩供を謹修させて頂き、合わせて密教の秘法を修して施餓鬼供養も厳修致します。
御本尊赤不動明王尊の利剣を用いて修法し、もう一つの秘法では、摩利支天の利剣を用いて修法を致します。

御先祖様を敬い、神仏を尊ぶ生き方は、あなたを必ず護ります。
人は、一人で生きるにあらず。

■功徳

今日は、彼岸御中日で御座います。
私も午前に皆様の御先祖供養を謹修してから、その後に御先祖様の墓参りに行って参ります。
御先祖様の供養をさせて頂くことは、大変な功徳を積むことに成るので御座います。

私達が今日あるのも、全て御先祖様があったればこそ、なのです。
御先祖様に感謝して、皆様も一日過ごしては如何でしょうか。

御先祖様を供養する事は、自分を供養する事に繋がります。
供養は功徳を積み、明日への架け橋にも成ります。

長い人生、一日くらいは御先祖様を想い供養、功徳を積んでは如何でしょうか。

良い人生の節目になることと、存じ上げます。

■先祖供養

昨今の風潮を視て居ると、正にアメリカ式、物質的思想が伺える。
金欲しさの犯罪が日本でも横行して居る。

金属バットで後ろから殴り、金品を奪うだけで無く命までも奪った22歳の犯罪者。
正に外道である。

これは、ひとえに信仰心の欠如が物語る餓鬼、修羅、畜生、の姿である。
金の為なら何でもやる詐欺などは、年寄りを騙し金を奪い盗る畜生。
金の為なら人殺しでもやる餓鬼、修羅。
まるでアメリカの貧民街である。

今迄は余り表面には出て来なかったが、来年は恐ろしい様々なものが噴き出すで在ろう。
それは、信仰心の衰退が招いた結果とも言える。

昔は、年寄りをいたわり敬愛していたが、昨今では位牌に手を合わせる家も少なく成って居る。
これは、日本古来の護りが薄れた結果である。
崇める事無ければ、護られる事も無い。

当たり前のことですが、こちら側が折衷せねば振り返って頂ける訳が無いのである。
神仏も同じである。
こちらの都合ばかりでお願いしても、聴いてくれる訳が無いのである。朝に夕な手を合わせる事が、そんなに難しい事だろうか?
全てを自分の都合で考えるアメリカ思想には、日本の風土は適して居ないと私は考える。

■真剣勝負

密教の加持祈祷は、真剣勝負である。
己が身を削り、ひたすら成就を願う。

自分を他に置き、虚しくして祈る時、成就の道が開かれるのである。

今日私は、先祖供養の為、ある霊園にて供養法を修しました。
最後に、霊園の守護尊に祈りを捧げる為、その霊園の守護尊である観世音菩薩像に読経していた時、それは起こりました。
霊的浮遊現象である。

観世音菩薩像が建っている場所の左横は、崖でした。
私が読経している時に、左の崖に二人の婦人が立ち、私に向かい意識を向けるのである。
《成仏法を実践出来る者を探しているのである》

では、何故この様な事が起こるのか?
それは、全て物質的価値観が最大の原因なのです。

死して死なず。

墓石を管理料未納により撤去され、無縁と成りやがて彷徨う。
正に、現代の象徴の様な現象である。

昔は、墓石を撤去する時には供養の法を修しました。
墓石に宿った仏様の魂を抜き取る際に、必要となってくる供養 でもあります。

しかし現代は、それとて無駄な様です。
業者が撤去し、無縁仏として積み上げる。

正に、物質至上主義そのものである。
全ては、心を無くした結果なのである。





by kongousan-akafudo | 2019-03-11 12:00 | └私たちの暮らし

障害とは何か?

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■隠蔽と虚偽

今から数年前、ある母子の悲痛な相談を受け、実質的に動かざるを得ない事になり、ある学校《高校》に出向いた。

以下はその時の経緯と結果である。

まだ冬の寒い日のことである。
電話で相談の申し込みを受け、日時を決めてお会いする事に成った。

そして面談。

お母さんが開口一番。
『先生、この子をイジメから助けて下さい』

お母さんは涙。
落ち着いて頂く為に沈黙の後、温かいお茶を飲んで頂き、相談を再開しました。

お子さんはダウン症で、本人は知らなかったが今回の問題で親子で話し会ったとの事である。

以下イジメの内容

登校すると、決まって数人の生徒が『お前の顔、鏡で見た事ある』
するとクラス全体が笑う。
『お前、教科書読める』

様々なイジメが繰り返されて居る事を担任の教師も知って居る。
しかし見て見ぬ振りである。

お母さんは学校側に実情を訴えたが、そんな事実は確認出来無いの一点張りでラチが明かない。

我が子が障害を種にイジメに遭って居る事を知った時、自分を責めた。
《自分が普通に産んで上げられなかったのは自分の罪》

私はお母さんに言いました。
此処で祈祷するのは良いですが、この件は根本的な解決策を考えましょう。

私はお母さんと一緒に学校に行き、校長、教頭、学年主任の先生と会議室で話し合いました。

その時の学校側は事実を認めません。
私は学校関係者しか知らない事実を羅列して追求した。
様々な事を挙げた時、教頭が証拠が無いと言うので、教頭しか知らない事実を暴露し、詰め寄った。
そのとき、校長が一言。申し訳ありませんと謝罪。

学校の問題として解決すると明言して、その場からありとあらゆる手段を提案され、実行に移されました。

そして担任の教師も知って居たことを認めて謝罪し、それからこの学校ではイジメが撲滅された。

今では有名進学校に数えられる様になりました。


障害とは立派な個性であり、なんら恥じる事も何も必要ありません。
また個人が正しく生きる事に他が揶揄する必要も権利も無い。
私は今後も実質的に動かなくてはいけない時は動きます。
全ての人が安心して生きられる様に、今日も御祈念申し上げます。

■障害

私は、障害、障害者と言う事は、間違いだと考えます。
身体が不自由な方が居たら、私達、健康な者が手を貸せば良い。
共に助け合い、分かち合い、共に生きる。

障害は、障害に非ず。
個性なのです。

全ての人が同じ考え、全ての人が同じ身体。
全ての人が、同じである必要は無いのです。

個々に違う顔、違う身体、違う考え方。
それが個性であり、差別も区別も必要無いのです。
そもそも、同じである必要は無い。

全てを同じに考えるのは、ファシズム、ファシストであり、共に相手を尊重する、社会構造が無い事自体が異常としか思え無いのです。


強い人もいれば、弱い人も居る。
優しい人もいれば、意地悪な人も居る。

様々に個々の人生を歩み、最後は、例外無く帰幽するのである、《死んで霊界に帰る事》

どんなお金持ち、政治家、医師、法律家、宗教家。
例外無く、帰るのです。

唯、違うのは一点だけである。

現界で侵した事は、法則に従って受けるのです!

私達は、平等なのです。
身体が不自由な方は帰幽すれば自由に動き周り、傲慢を謳歌した者は…。

■立場を利用した暴力

昨今、パワーハラスメントが後を絶たないのは何故か?
会社の上司のパワハラ!
様々な場所でのパワハラ!

私の寺には、パワハラに苦しむ人の相談が、後を絶たない。
特に酷いのが、男女問わず、職場でのパワハラである。

生活の為に働かざるを得ないのは皆同等だが、昨今、立場を利用した暴力、パワハラが、異常なほど急増して居る。

一例を挙げさせて頂きます。

私の寺に、一人の女性が相談に訪れました。
話しを聞いてみると、会社の上司に依るパワハラ《イジメ》問題である。

彼女は、母子二人で生きる為に、事務職で朝早くから夜遅くまで働く、真面目な方である。
しかし、会社の支店長に、事あるごとに威圧的な態度を取られ、精神的に参ってしまい、私の寺にやって来たのです。

私は霊視し、事の真意を確かめ、結論を出しました。
引きなさいと《退職》

何故か?
彼女が、その会社にいれば、命の危険があるのです。
それは、会社の支店長が原因で彼女は病いに倒れ、悲惨な結末が私には視えたのである。

私は、強く退職を勧めました。
引くことも、勇気であると。

その後、彼女は良い男性と結ばれ、今は人生を満喫して居る。

世に、某会社の支店長の様な人はたくさん居るが、氣をつけるが良い。
自身が落としめた事象は、己れに三倍から十倍に成り、まるでブーメランのように襲い掛かって来る。

その日が、来るのは、速い。

■傲慢の心

人間に生まれ出た者に、完璧な者はいません。

何故か?

完璧では無いから現界に生を受け、人生と言う學びを与えられ、社会と言う学校で學び、家庭と言う教室があるのです。
そして、様々な環境、様々な容姿、様々な能力が与えられ、人生と言う大きな學びの中に居るのです。

私は、何の能力も無い。
私は、容姿も好く無い。
私は、財力も無い。

そう感じ、想う心は、ある意味傲慢なのです。

あなたには、他に無い力が必ずあります。
言い換えれば、あなたしか無い力に氣づいて居ないだけなのです。

私は今日、ある生徒と会い、再認識をしました。
その生徒には、俗に言う障害があります。

しかし、その障害の陰には、素晴らしい能力が隠されて居たのです。

私が常々言うように、障害は個性であるのです。
その強い個性の裏には、素晴らしい能力が秘められているのです。

私は、再認識しました。
私の残る人生の、御役目はこれだと。

私は、今迄以上に、人間の秘められた能力の開発と発掘に全身全霊を込め、活動する事を此処に宣言します。

■魂の行方

大変な事件が、日本各地で頻発して居る。

正に修羅場。
罪も無い老婆が暴力に依り重症、障害者施設で惨殺事件!
此れは、異常事態と云う他は無い。

犯人はいずれ死刑に成るであろうが、犠牲者は帰りません。
犠牲者の方々の冥福を祈ります。

事件後、必ず犯人の精神状態が云々されるが、異常な犯罪を起こした者が正常な訳が無いのである。
正に異常者。
根底に何があるのかが、重要な点であります。

私は、魂レベルが重要と考える。

魂のレベルは、生き方に重要な作用を起こします。
本人が自覚し、學ぶ時、確実に成長して行きます。

その反対に、學ばず、ただ自己顕示を繰り返せば、魂は汚れ、退化します。
犯罪者が反省せず、刑の執行を受けた時、《死刑》どう成るか?

肉体は滅びるが、魂は野放しに成り、同じような魂レベルの者に憑依し、悪事が繰り返すのである。
此れを、信じようが信じまいが自由ですが、確実に現在進行して居るのです。

その証拠に、近年の異常犯罪の増加が見られる事は、皆さんもご存知のはずです。
そして、その闇は、確実に広がりを見せております。
いつ自分に降り掛かって来ても、おかしく無いのです。

私は、宗教をやりなさいとは言いません。
正しい信仰心を持つ事を、勧めて居るのです。

信仰心は、誰でも持つ事が出来ます。
お金も要りません。
必要なのは、真摯に學ぶ心と、學ぶ為の行動力だけなのです。

では、どうやって學ぶか?
理性的に判断すれば良いのです。
妥協せず、探し求める時、必ず導きの力が働きます。
自身の中に、引きこもって居ては、學びも解決の糸口も現れません。

一歩を踏み出すのは、あなたなのです。

■障害とは 何か?

自分と違うから変、おかしい、様々な捉え方がある。
私は、ある集まりで激怒した事がありました。

それは、ある女性教師が発達障害の子供を指して《発達君》と表現したのです。
愛称のつもりだったのであろうが、これでは《 障害君 》と言っても同じ事だと言う事を理解していない。
だから、《 発達君 》という言葉が出るのである。
障害のあるお子さんをお持ちの方が、聞いたら悲しまれます。

想像力の欠除が、今の日本の現状なのです。

私は、常々言っております。
人間に、障害などと言う事は無いと。
あるとしたら、それは上から目線の傲慢さが産む錯覚である。
《障害は、立派な個性である》

個性と認知する時、どんな人間にも、個性は存在し、ことさらに障害などと問題視する必要など無い。
問題視するのは、傲慢である。

自分は、普通だから。
うちの子は、普通だから。

では、何を指して、普通と言い切れるのか?

もし、自分の子がイジメに参加していたら、イジメをする子供が普通ですか?
私は、その子は心が病んでいる。と判断します。

早稲田大に入り、女性に酒を飲ませて強姦に及ぶ若者《馬鹿者》
そんな輩が普通ですか?
これこそ、理性のかけらも無い暴徒である。

様々なデモに参加し、イデオロギーを振りかざし、騒乱を利用して略奪を繰り返す者が五体満足な者ですか?

ダウン症でありながらも、書家と成り活躍している少女は、清い心を書に表し、観る者に感動を与えております。
天才絵師、山下清画伯の絵を再現出来ますか?
批評出来ますか?
本来、全ての人は、兄弟であり、共に學び合い、助け合う仲間なのです。

障害者など存在しません。
障害は個性であり、勇気ある魂なのである。
障害者と思う者こそ、傲慢な心の障害者ではないでしょうか。

分かち合い、助け合う時、調和に包まれた、慈愛の世界が生まれるのである。


■何故、混迷するのか?

日本が何故、混迷するのか?
全ては、欧米式物質的価値観に由来するのである。

価値、価値に追われ、心を失い、物質的価値観こそ真理と錯覚して来た我々に、最大の問題があるのである。
心を軽視し、物質に生きた時代はありました。

しかし今、餓死する人は皆無と言える日本に於いて必要なのは、古き良き時代の思想であると、私は考えます。
然るに、今の状況は救い難いものがある。

全てが価値で始まり、全てが価値で判断される世の中を、あなたは正常な状態と考えますか?

正常と考える時、あなたは私とは違う世界の住人である。
中国では、懐妊すると、遺伝子検査をする人が多くいます。
それは、障害を持つ子供を産みたくないから、殺すのである。
この根底にあるのが、物質的価値観である。

正常でないものは、不良品であると云う考え方の表れである。

では、何故、魂が宿るとか?
考えて下さい。
それも救い、學びなのです。

我々が學びを拒否し、忘れ去る時、人類は亡びます。

■生き方の改善

前回、開運について触れましたが、今回は、具体的に、開運を考え、語ります。

以下は、実例です。

実業家である〇〇氏は、生まれつき、腰から下の機能障害を抱え、
子供の頃からイジメにあい、決して、しあわせな子供では、ありませんでした。
しかし、優しい性格だった彼は、成人し、美しい女性に恋をした。
彼女は、容姿とは正反対な悪女だった。

そして、彼は、自身が得た金品を、彼女に捧げ続けた。
しかし、そんな事が、長く続くわけもない。
やがて破局。
その時、彼女が言った言葉が、彼を一変させた。

『貴方みたいな醜い男が女にモテるわけが無いでしょ!』

彼は、その言葉にショックを受け、その後の彼の人生は、金の為なら何でもやる。
何をやっても良いに変わり、最後は、悪徳金融のボスに成ります。

そして、金を返せない相手には、臓器売買を迫り、金を返せない女性には、売春を迫り、金の為なら悪事の限りを尽くした。

最後には、訳のわからない、拝金宗教まで作り、金に執着し投獄。

最後は、身体中に悪性の病巣に侵された身体で、金に執着を燃やしたのである。

本来なら、それほどの才能を他に発揮し、精進すれば、素晴らしい偉業を成し遂げていたで有ろう。
才能を、金と云う魔性に、身も心も毒され、人生を誤った方向に向けてしまったのである。

今、彼の霊体は、浄化も出来ずに、現界を彷徨い、同じ様な低俗な魂に憑依を繰り返し、餓鬼の形相で、次の標的を物色している。

もう、彼の魂を救うことは出来ない。
何故か?今の日本には、彼と境遇は違っても、男女問わず、金に執着する者達が満ち溢れて、
彼の様な低俗な魂の憑依を、許しているからである。

金は、便利な道具であり、あれば嬉しい。
しかし、金に振り回され、どちらが道具だか?分からない人生は、人間の尊厳をも破壊する兵器である。

私達の人生は、デコレーションケーキであり、飾り付けも、味も、自分で選び、作り上げるもの。
穢れ、腐臭を放つケーキなど望まない。

人生は、何時でも改善できる。
強い意志と理性を身に着け、神仏を尊び、先祖を敬う時、あなたの人生は、必ず改善できるのです。

■障害は個性

例えば、ダウン症の少女が書家と成り、素晴らしい作品を生み出し私達に感動を与えてくれます。

水泳に至っては、迫力ある泳ぎで感動を与えてくれる少女が
オリンピック《パラリンピック》に向けて素晴らしい泳ぎで私達を魅了してくれます。

様々な世界で活躍する個性派を、皆が応援、交流し優しい心で生きる時、其処には、平和の二文字が生まれます。

本当の意味での個性は、ワガママや怠惰、傲慢の中からは、生まれません。
私達が個性を理解して応援と協力をしなければ、せっかく芽生えた個性を枯らせかねません。
個性派達は、私達に様々な氣づきを教えてくれます。

氣づきとは、真摯に受け止めなければ、生涯、知ること無く、人生を終える事になるでしょう。
謙虚にならなければ、見るに終わり、學びにも繋がりません。

個性派の方々は、霊的に言えば、勇気がある魂なのです。
私達は、互いに助け合い、學び合う時、本当の學びに出会うことが出来るのである。





by kongousan-akafudo | 2018-12-07 12:00 | └私たちの暮らし

菩薩行に関する密教ブログ

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感涙

私は今日、感動に涙しました。

以前から仏具師さんにお願いし、現在製作中の宇賀神様と聖天尊様の八角厨子の完成を前に、ある方から、二尊の厨子の製作費用に充てて下さいと多額の寄進を頂戴致しました。

正に、菩薩行。
其の方の事を書きたいのですが、ご迷惑をお掛けしてはいけないので伏せ置きます。
私は、有難さに涙しました。
実は、資金が困窮して居たのです。

誰にも言わず、老骨に鞭打ち働いて居りますが、中々、資金には到達出来ずに居た矢先の出来事。
有難さに、ただ涙です。

私は、確信します。
私の信仰は、正しかったと。

お金だけの事では、ありません。
何故ならば、私は資金が困窮して居る事を誰にも告げて居なかったのです。

私は幼い頃から貧しさを味わい、貧しい事は苦になりません。

しかし、老仏具師さんの温かい心に支えられて製作して頂いて居ります。
仏具師さんも金具にもこだわり、金具も彫金師に注文をして下さったので、必ずや素晴らしい八角厨子に成る事でしょう。

全ては、御仏のお計らいと感涙する毎日で御座います。

菩薩行

私は、東京で生まれ育った浅草の街が大好きで、浅草寺の境内は私も遊び場であった。
昭和三十年代は、未だ貧しさに溢れていた。
戦傷兵《傷痍軍人》が片足で街角に立ちハーモニカを吹き、僅かなお金を貰い、その日を生きていた。
浅草寺の境内には、乞食《ホームレス》が溢れて居りました。

その中でも、端に一人で静かに座って居る老婆が何故か気になりパンを買って老婆に声をかけパンを差し出しました。
老婆は、喜びましたが、食べません。子供だった私は、訳を聴きました、老婆は、ゆっくり話してくれました。

坊ちゃんありがとう、このパンは後で三人で食べるよ《老婆の周りには、誰も居ない》。
おばあちゃん周りには、誰も居ないよ、と言うと、息子とお父さんは、此処に居るよと言い、防空頭巾で作った袋を出して言いました。
その袋の中身は、息子さんとご主人の遺骨が入って居たのです。

おばあちゃんは、語りました。あの戦争は、地獄だった、多くの罪も無い人が虫ケラのように殺され
老婆の息子さんとご主人は、老婆の目の前で、焼夷弾の直撃を受け
息子さんをかばいお父さんも黒焦げに成り、果てました。

お婆さんは、言いました。自分で死ぬのは、簡単な事。
死んだ家族の分まで自分は、一緒に生きると。
どんなに恥ずかしくても、雨に濡れ、泥にまみれて道端で寝ても、何時も三人で居られる。
いつか観音さまが迎えに来てくれるまで、三人で生きて行くとあの日、決めたんだよと言う老婆の眼には、涙が溢れて居りました。


生きるとは、ある意味、過酷ですしかし、生きる事に意味があるのです。
この世に生まれ、滅せぬものは、ありません。
なれば滅するその日まで、精一杯に生きる事こそ、勤めであり、御役目だと私は、信じます。

尊厳

様々に尊厳について語られておりますが、本当の意味で尊厳を考える時、最近の考えかたは自己主張になっては、いないでしょうか?

自己の尊厳だけではなく、相手の尊厳を認め尊重する事によって自分の尊厳をも認められます。

自己主張に固執し、主張する時、其処には傲慢の意思が働き、見失うことになるのです。
自己主張の文化はアメリカ特有の思想であり、日本人の文化にはそぐいません。

日本には、素晴らしい思想文化《謙譲の美徳》があります。
まずは他を尊重し、相手を立てることによって自分も立つのが日本人の思想です。

・・・
島根県益田市久々茂町の国道191号で、集団登校で横断歩道を渡っていた市立豊川小学校の児童の列に飲酒運転の軽トラックが突っ込み、ボランティアで通学を見守っていた近くの三原董充さん(73)が全身を強く打ち、翌日病院で死亡した。
三原さんは33年前、小学2年だった下校中の次女(当時7歳)を交通事故で亡くし、子どもたちの事故を防ぐため見守り活動を続けていた。

事故現場近くの女性は「車に気付いた三原さんが、男の子を突き飛ばしてかばったと聞いた。身をていして男の子を守ったようだ」と話した。
三原さんの長女摩弓さんは「二度と娘と同じ思いをしてほしくないと思い、ずっとボランティアを続けてきたのだろう」と話し、
悔しさをにじませた。

《毎日新聞2017.01.31記事》

・・・

先般、登校中の子供達を護って自らが犠牲になり亡くなられた方がいらしゃいます。
正に尊厳を最後まで護り抜いた英雄であり、菩薩行であります。
この方の様な人が、正に日本人の鏡として賞賛されるべきです。

私はこの英雄の死に敬意を払い、御冥福をお祈り申し上げております。
願わくば、英雄の遺された行為を後世に伝え、自らを犠牲にして他を護り、救う事が日本人の美徳と解釈する人々が増える事を望みます。

意見と學び

私は、四十三年前に両親と死別しました。
20歳の時でした。

今、想うに《親の意見と茄子の花は、千に一つの無駄は無い》人を想い、発する言葉には、どんな厳しい言葉で有っても愛があります。
その逆に、愛の無い言葉には、《誹謗、中傷、妬み、嫉み、憎悪、》物資的価値観を裏付けする利己主義が存在するのである。

時として、言葉は人《他人》を育て成長を促し、激励します。
しかし現代は、揚げ足をとる事がまるで文化の様に成っています。

失言を責める依りも、改めさせる親の愛、《殺す依り、活かす》
正に、愛が無ければ出来無い事である《菩薩行》。

私達の親は、正に菩薩行を教えてくれた恩人であります。
今、私達に与えられた課題は、育てる事である。
育てずに成長は、無い。

私も含めて、人間は、未熟な存在である。
しかし未熟だからこそ、生まれてこられたのです。
全てを達観し、答えを出せる人間なら、生まれて来る必要も無い(解脱)のである。

人は、學びを受け入れる時、其処には、あなただけの愛が存在するのま事実であります。
個性も學び、同じ人生など無い事を知る時、本当の自分が理解出来るのである。
当院は、そんな貴方を待っています。



by kongousan-akafudo | 2018-12-06 12:00 | └私たちの暮らし