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2020年 02月 19日 ( 2 )

餓鬼に関する密教ブログ 3

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仏教に関する言葉の中には、日常生活にも登場する言葉が沢山あります。
しばらく「餓鬼」という言葉が登場するブログを紹介して参りたいと存じます。
餓鬼、よく耳にする言葉ですが、どういうものを指すのでしょうか?

>>餓鬼に関する密教ブログ1
>>餓鬼に関する密教ブログ2

心の調味料

人生の中で食べる行為をしない人は、皆無に等しいですが
本当の意味で美味を味わう事は、少ない《美食ではない》と考えます。

女性の立場に立って考えてみてください。
料理を作るのは当たり前、料理が出来て当然の様に思われているのではないでしょうか?

私は僧侶。料理も当たり前にこなし、全ての家事もこなせます。
私は貧しい家に生まれ育ちましたが、心に残る料理を持って居ります。

小麦粉を水で溶き、団子のようにして作った粗末な料理ですが、母が作ってくれた《すいとん》未だに忘れられません。

そんな思い出は、皆さんお持ちではないでしょうか。
今から考えれば、何故、粗末な料理が美味しかったのか?
貧困でも空腹でもありません。其処には、心の調味料が加えられていたのです。

粗末な材料で子供達に少しでも美味しいものを食べさせたいと思う母の調味料が入っていたのです。
主婦も料理人も変わりありません。
食べる人に、美味しいものを食べて貰いたいと心を込めて作る時其処には、愛があります。
例え一流の料理人が作った料理でも、ただ「ながら的」に作った料理には、何の深みも感じません。
其処にあるのは、虚構の美食。
心を打つ感動は無いでしょう。

また、食する側にも問題があります。美食、飽食を繰り返した結果、心で食する事を出来無くなっているのである。
その結果、感謝も感動も忘却し、ギスギスした人生を送る事に成って居ると考えます。

今、必要なのは、心の調味料ではないでしょうか。
料理に限らず、心の調味料を理解した時、あなたの人生は一変します。

素直に思い出してください。寒さの中で食べたあの味噌汁の味、喉の渇きを癒す為に飲んだ石清水、全て、愛があります。
石清水には自然の愛がある様に、其れらに愛を見だすのは自分であると氣づくはずです。

殺伐とした心には修羅が宿り、卑しい心には餓鬼が宿り愛無き心には鬼畜が宿ります。
全ては、与える者、受ける者の心次第で変わります。
純真な心の時代を思い出して、愛を真から理解し得た時、あなたの人生は変えられます。


尊敬、敬愛

私の若年時代は、しあわせである。

唐手の師匠、剣術の師匠、古武術の師匠に教えを頂き、
父母亡きあとには、法華経の師僧、密教の師僧に教えを賜わり、現在があります。

そして、敬愛する文学者の諸先生方に教えを賜わり、感性の大切さを學ばさせて頂きました。
思えば、各、諸先生方には、尊敬と敬愛の念を禁じ得ません。

拙僧も早、上記の諸先生方の御歳に近づき、回想するも、
人間にとって、尊敬、敬愛の念が如何に大切であるかを再認識して居ります。
文武両道、何方が欠けても、今の自分は、無かったとしみじみと考える今日この頃である。

人間には、波長の法則が付き纏い何人なりと此の法則から逃れる事は、出来ません。
心に尊敬と敬愛の念を持つ者には、師の導きがあり、心に卑しさを持つ者には、餓鬼がまとわりつく、
これは、変えがたい法則のなせる業である。

しあわせを望まぬ者は、無いが、真にしあわせを望むのであれば、先ず、尊敬と敬愛の念を學び持つ事である。
しあわせを実現する事は、容易である。
自身を認める時、しあわせは、駈歩であなたのもとにやって来ます。

しあわせは、追うものでは無く、招き入れるものである。
招き入れ方は、簡単明瞭です。
敬い尊ぶ心を養えば良いのです。


親と子の関係

親は子を育て、子は親に學びを与える。
親子は、共に學び合う同志である。
霊的に言えば、子供が親を選び、生まれて来ます。
《親とは、究極のボランティア》

人生は、學びの為にある事を知る時、貴女の人生は開花します。
物質的価値観から脱却する時、貴女は本当のしあわせを引き寄せることになります。

本当の幸福は、物質では得られません。
物質は得られても、刹那の喜びに過ぎない。
また、直ぐ次の物質に移行し、求め続けている。

そんな欲を持ち続けると、人は人の尊厳を忘却し、餓鬼道に迷い混み、嘘や堕落の下界に堕ち、本当の人生に素晴らしさを失い、死しても欲界に迷い、地獄の餓鬼に成り下がるのである。

今現在、様々な問題があちらこちらで取り沙汰されております。
しかし、真実を語る者は少ない。

真実なら、書類を黒塗りにする必要は無い。
嘘と混濁は、全て物質的価値観による堕落である。
真実にはばかる必要は、無い。

心に真理を持つ者は、幸いである。
心に偽を持つ者は、哀れである。


死中に活を求める

私の友人は、阪神大震災を経験している一人である。
あの日は地震によって目覚め、灯りが付かない部屋を手探りで出口に向かっていた時、足に激痛が走った。
割れたガラス片を踏んだらしい。
暗くて、何も見え無い。

どれだけ時間が経過したかわからないが、灯りが見えた。
灯りでは無い、炎だ。
後は、無我夢中で逃げた。

彼は単身赴任で被災地にいたが、一人でも必死であったと語る。
私は、被災した彼から學んだ事から、次の物を用意してある。
まず、スリッパ、懐中電灯、ラジオ、保存食、水。

昔からの諺に、備えあれば憂いなし。

正にその通りである。
いつ何時、何が起こるかわからない、その時の備えが必要です。

死中に活を求めるとは、冷静に判断し、理性的に行動する事である。
他を押し退け、自身が助かる道など無い。
愛を忘れ、殺伐と生きる時、人は人に非ず。
餓鬼に堕ちる。


式神と左道

ここでは、サドウ【左道】について書いて参ります。

左道とは、呪屋の事である。

黒護摩を焚き、相手を傷付ける行為は、正に左道、霊界にも帰れず現界を彷徨い、霊界に於いては、地獄界に身を置く者と成るのです。
他人の物に無断で気を込めて、悦に行って居る者も左道に迷い込んだ魔界の餌である。

人のしあわせを妬み、行動する様は、正に餓鬼。
正気の沙汰とは、言い難い。

左道に一旦入らば、快楽に似た感覚を一時は、手にしますが、無用の者と判断された時から地獄の始まりである。

私は、過去に左道に迷い込んだ者を何人も観て来たが、一人としてしあわせに成った者は、居ない。
また、左道を断ち切り、正道を歩むには、並々ならぬ修行が必要なのも事実である。

なまじ能力を過信し、振る舞う時、魔界の罠に嵌まり、左道に走り、最後は、魔界の餌食に成るのがなれの果てである。

こころ当たりのある者は、一日も早く、前非を詫びて御仏の慈悲にすがり、御加護を願って欲しいものである。
また、左道から抜け出し、正道を志す者は、密教の門をたたかれる事をお勧めする。


心の飢餓

今、急速に心の飢餓が進んでいる。
此れは、私達が産んだとも言える。
原因は、無関心で在る。

自分に直接的な影響が起きないと人は、動こうとしない。
反面、少しでも不愉快な事には、異常なまでに反応する。
正に、現代の象徴の様に感じられる。

そのいい例が、すぐキレる、自分に非があるにも関わらず、逆ギレする。

私も遭遇した事がある。
相手が弱く見えた時、更に酷く襲い掛かって来る。
仕方無くかわすが、しつこい馬鹿者には、鉄鎚を喰らわせば尻尾を丸め、泣きが入る。
情け無い輩が居るものである。

私は身体は小柄だが、武芸十八判を納めた身、普通の者では歯が立つまい。

増してや、相手を小柄な爺いと侮るヘナチョコなど、取るに足り無いが、懲らしめてやらねば、普通の人に害を及ぼす怖れがあるので、懲らしめて置いた。
その情け無い醜態は、餓鬼以下である。

正に今の世は、末世末法の世を、彷彿する様な出来事であった。

男足るもの、本来であれば、強きを挫き、弱きを助くる者であるはずが、今日は、この体たらく。
世も末と想う私は、中世の遺物なのだろうか?

女性には優しく、幼きは愛でる、これが私の心情である。

家内にも同様。
然るに家内とあれば、負けるが勝ちも、諸般の男性諸氏には伝え置きます。

強さは魅せる物に非ず、感じるを待てば良い。
男子、質実剛健であれ。
女子よ大和撫子に帰縁、願いたい。

皆様の幸せを、御祈念申し上げます。


疑心暗鬼

人間は弱いもので、稚拙で馬鹿げた意見に翻弄される場合もありますが、
自身の中に強い意志があれば、全く愚観に左右される事はありません。

争えば相手と同じ苦界に降り、相対する事になり、正に疑心暗鬼となります。

精神一到何事か成らざらんを身に落とし込み、俯瞰する時、自らの疑心暗鬼の愚かさに氣づき、失笑するでしょう。

他を誹謗中傷し、自身を正当化する行為は、餓鬼道に等しいのです。
その行為が営利目的の場合、正に餓鬼そのものであります!

人間には、小我、大我、神我の三我が誰にでも存在しますが、三我のいずれかを選択するのも己れの我であります!
ハンムラビ法典に有名なのが、目には目をです。
大我で捉えればそれも良いですが、小我で捉えれば、ただの畜生道と変わりはありません。

今、誹謗中傷やイジメに悩む方々に申し上げます。
正心を持ち、俯瞰しなさい。
御仏は正しい者に味方します。


ベストパートナーとは?

皆さんの求めるベストパートナーとは、どんな方ですか?

①一流企業に勤め高収入
②イケメン、高身長
③持ち家、高額預金者
④医師、弁護士、

その他以上の項目を重視して居る方は、これから私が書くことをご覧にならない事をお勧めします。

物質的価値観を重視する人に、安心立命は理解出来ない事です。
ならば、難しい思想などに入らずに、物質的価値観を追い求めている方が楽でしょう。

私は仕事柄、大勢の方のカウンセリングをして参りました。
経験上言える事は、真に物質的価値観を理解していない方は、必ずと言って良いほど道を誤るということです。

そして、執着心をも捨てる事が出来ず、迷いの中を彷徨うのです。
俯瞰して見れば簡単に解る事が、物質的価値観を持つ人には、苦しく難解な題材なのです。

人の判断は、物質ではなく心根です。
どんなに美形であろうと、財を持とうと、人間性が卑しければ価値に値しません。

貧しくとも、美形でなくとも、優しく相手を気遣い、
富める時も病める時も、相手を気遣って静かに生きる時にこそ真の人間力が培われます。

美にこだわれば老いを醜悪と嫌い、様々な施術に終始し、人生の學びから遠ざかります。
富に執着すれば、餓鬼道に堕ちるでしょう。

慎ましく生き、學びを極めれば、御仏を現じます。
男性であれ女性であれ、真のベストパートナーを望むのであれば、先ずは相手を気遣う心を養うべきなのです。


生き方の改善

今回は、具体的に、開運を考え、語ります。

以下は、実例です。

実業家である〇〇氏は、生まれつき、腰から下の機能障害を抱え、
子供の頃からイジメにあい、決して、しあわせな子供では、ありませんでした。
しかし、優しい性格だった彼は、成人し、美しい女性に恋をした。
彼女は、容姿とは正反対な悪女だった。

そして、彼は、自身が得た金品を、彼女に捧げ続けた。
しかし、そんな事が、長く続くわけもない。
やがて破局。
その時、彼女が言った言葉が、彼を一変させた。

『貴方みたいな醜い男が女にモテるわけが無いでしょ!』

彼は、その言葉にショックを受け、その後の彼の人生は、金の為なら何でもやる。
何をやっても良いに変わり、最後は、悪徳金融のボスに成ります。

そして、金を返せない相手には、臓器売買を迫り、金を返せない女性には、売春を迫り、金の為なら悪事の限りを尽くした。

最後には、訳のわからない、拝金宗教まで作り、金に執着し投獄。

最後は、身体中に悪性の病巣に侵された身体で、金に執着を燃やしたのである。

本来なら、それほどの才能を他に発揮し、精進すれば、素晴らしい偉業を成し遂げていたで有ろう。
才能を、金と云う魔性に、身も心も毒され、人生を誤った方向に向けてしまったのである。

今、彼の霊体は、浄化も出来ずに、現界を彷徨い、同じ様な低俗な魂に憑依を繰り返し、餓鬼の形相で、次の標的を物色している。

もう、彼の魂を救うことは出来ない。
何故か?今の日本には、彼と境遇は違っても、男女問わず、金に執着する者達が満ち溢れて、
彼の様な低俗な魂の憑依を、許しているからである。

金は、便利な道具であり、あれば嬉しい。
しかし、金に振り回され、どちらが道具だか?分からない人生は、人間の尊厳をも破壊する兵器である。

私達の人生は、デコレーションケーキであり、飾り付けも、味も、自分で選び、作り上げるもの。
穢れ、腐臭を放つケーキなど望まない。

人生は、何時でも改善できる。
強い意志と理性を身に着け、神仏を尊び、先祖を敬う時、あなたの人生は、必ず改善できるのです。


開運祈願

開運は、皆さんの望まれる事と思います。
しかし、本当の意味で、開運を成し遂げるには、まず、自身のルーツを知り、過去、現在を正し、未来に繋げる努力が必要であるのです。

では、ルーツとは何か?
霊的な意味で言えば、自身を霊的観点に置き変え考える時、気づくはずである。

今のあなたが生まれる以前の前世が過去世であり、前世で起きた、起こした事が、カルマであり、因縁なのである。
その因縁を俯瞰し、改めなければ、真の開運には、繋がりません。

今のあなたが生まれるまでには、千人を超える先祖が存在します。《数学的にも明らかです》
私は、分家だから。私は、弟、妹だから関係無い。とか、無神論者だから関係ない。は、開運にも関係無いのである。

私の持論は、嫌なら、信じる必要もない。
嫌なら、拝む必要もない。
嫌なら、眼を背ければ良い。
神社仏閣を穢し、破壊すれば、その後の人生は、悲惨を極めるのである。
嫌なら、見ざる言わざる聞かざる三猿主義で良い。
他人を誹謗中傷する行為も、上記と同じ結果に成る事は、言うまでも無い。

本当の開運を望むのであれば、尊ぶ心、敬う心を養い、理性的に生きる事である。
自分さえ良ければ、自分の周りさえ良ければ、それらは、餓鬼と同じ階層の亡者に等しい。

本当の意味での開運は、神仏を尊び、先祖を敬う時、カルマは消滅し、新たな道が開けるのである。
いとも簡単な道であり、正にシンプルなのが、開運法である。

銭、金に振り回され、右往左往する様子は、餓鬼の始まりと言えよう。
人間に生まれた尊厳を誇りと捉え、自身に恥じない生き方こそ、開運ではないだろうか。



by kongousan-akafudo | 2020-02-19 12:00 | ├密教の世界

密教1364 言葉

人間にとって意思の疎通に欠かせない言葉【言語】、国、地域が異なれば当然、言葉も変わり文化も変わるが変わらないのが、言葉の使い方である。
敬い尊ぶ言葉、優しく包む言葉には愛が宿り、美しい言霊と成る。
その逆に人を傷付ける言葉、誹謗中傷する言葉には愛は無い、悪言は発した瞬間から毒と成り、やがて取り返しのつかない結果を我が身が被る事に繋がるのである。
今迄に幾度となく書き続けてきた題材だが、世に悪言が尽きぬ限り上記の題材は、人間に取って大切な教えの一つなのである。
言葉は、言霊、良きにつけ悪しきにつけ、全て我が身に返って来るのである。
悪言は、口から毒を吐く事であり、悪言を吐き続ければ悪霊の憑依を望む者と成る。
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此れを嘘、偽りとしか解釈出来ぬ者は、続けるが良い。
誤りと氣付いた時は、真に反省し我が身に許しを請うのである。
我が身があるのは、霊界に居る兄弟仲間達が送り出してくれたおかげなのだから、自分は代表選手である。
リレーは一人では出来無い様に今世の人生は、あなたが代表選手なのである。
但しこのリレーには、一等、二等の区別は無い。
有るのは、どれだけの経験を積んだか學びを深めたかで有る。
今世の人生を満了し霊界に帰幽する時、あなたが積み上げた経験と學びは、感動に変わり宝と成りあなたを送り出してくれた多くの仲間たちへの
最良の土産【みやげ】と成るのである。
ありがとう、ごめんなさい、いただきます、ごちそうさま、命の言葉はあなたの人生を輝かせ、あなたを導きます。
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改めるに、遅きは無い。
學ぶに、早きも遅きも無い。
氣付いた瞬間から、始まるのである。
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南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝

by kongousan-akafudo | 2020-02-19 06:00 | ◎赤不動明王院通信