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2020年 02月 18日 ( 2 )

餓鬼に関する密教ブログ 2

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仏教に関する言葉の中には、日常生活にも登場する言葉が沢山あります。
しばらく「餓鬼」という言葉が登場するブログを紹介して参りたいと存じます。
餓鬼、よく耳にする言葉ですが、どういうものを指すのでしょうか?

>>餓鬼に関する密教ブログ1

幼稚

様々な事件や疑惑と言った、行動は、全て、心の幼稚さ《魂の低さ》が原因である。

相手が、立場的に反撃、出来ない事を知った上での暴力。
都民の税金を私的に、摘まみ食いする者。

警察官でありながら、犯罪に手を染める者。
会社内で部下をイジメ、自己顕示欲を満たそうとする者。
正に、餓鬼道の極みである。

では、何故、餓鬼道に走るか?
魂年齢が低いのである。

人間には、肉体年齢と魂年齢があります。
現界で肉体年齢を重ねても、唯、我欲に生きた者の魂年齢が上昇する訳では無い。

例えば、年齢が六十を過ぎても、現界で学歴を重ねても、真理を探究せず、眼前の欲に翻弄されて居ては、魂年齢を重ねる事は難しい。
従って、高学歴と高人格は比例しないのである。

例え、読み書きが出来無くとも、重い肉体的差が有ったとしても、魂年齢にはなんら比例するものでは無い。
また、生まれた家が名家であろうと、極貧の家であろうと、魂の年齢には関係が無い。

俯瞰して考えてみれば、極貧の家に生まれて苦労を重ねた方が、魂の年齢を向上させるには良いとも言えるだろう。

人間、物質に囲まれて生きる時、それが当たり前の様に錯覚し、怠惰に成る。
また、恵まれた人間関係に在る時は、優しさを忘れ、甘えがちに成り易いものである。

人間は怠惰に成り易く、學ぶ事を怠り易いものである。

自身を律し、真理を探究する時、紛い物ではない真のしあわせが其処にある事も知らず、もがくのである。
他は、決して自分の思い通りに動くものでは無い。
その逆の方が多いと言えよう。

そんな時には、見なければ良いのです。

手離せば良い。
其れでもダメな時は、一人、旅に出るが良い。

それもダメ、これもダメなら、一人、深山幽谷に入り、己れを見つめる事である。

私達は、大小の差は、有ったとしても、現界に學びを求めて、遣って来た、旅人なのだから。


死に逃げ

昨今の事件の概要を視ると、被疑者死亡《犯人死亡》の事件が多く成って来ました。

此れも、根底にある思想は物質的価値観です。
死ねば、終わり。
何も責められること無く、逃げられると考えた。
自らを、物質としての捉え方の典型である。

どんな非道な事を起しても、何を遣っても死ねば終わりと考え、逃げられると考え、後はどうでも良い。
自分さえ良ければ、の考え方は、正に物質的価値観そのものなのです。

戦後日本は、アメリカ式価値観に依り、経済的な繁栄を遂げた事も事実です。
引き換えに、日本人的精神論を捨てたのも事実である。
金、金、金と追い求め。
今日では、アメリカ的犯罪が蔓延り、全ての人々を危険に晒して居るのも事実である。

死んだら終わり、は日本人思想には無かったのです。

神仏を尊び、死後の世界を考え、學び、精神性を大切にして来たのが、大和民族であり日本人なのです。

私の子供の頃は、悪い事をすれば地獄に堕ち、閻魔大王の裁きがあると教えられて育ちました。
また、悪い事をすれば、お天道様が観ていると教えられました。

自分に恥無い生き方をしろと、言われたものです。

それに引き換え現代は、金、金、金と、金を得る為なら、何でもありの様に。
政治家、企業、嘘と堕落の、オンパレード。
正に、餓鬼界の亡者である。

私は、言います。
心ある方々は、自身を俯瞰し、學んで下さい。
必ず、解るはずです。

今、學ばなければ、大変な事態が来ることを。
それから學ぶも、學ばぬも、全ては自由です。

しかし、一言申し上げます。

人間は、死んでも死な無い!
悪事を働き、現界から、逃げられたと想うのも自由。

しかし、真実は、一つである。
決して、死に逃げは、出来ません。


あの時、あの場所で

8年前、私は依頼を受け、広島の原爆ドームが見える場所にいた。
ある御宅での、供養会である。

関係者が集まる中で、しめやかに開始。
読経に続き、施餓鬼供養。
護摩炉に供養を込めて、一氣加勢に焚き上げ修了。

その後、広島市内を案内して頂き、観光気分になろうとした時…視た光景は、一面瓦礫に覆われた、焼け野原だった。
その場は、何食わぬ顔で過ごし、早めにホテルに案内して戴いた。

実は、同伴者がいたので、早く一人になりたかったのです。
ようやく一人になった私は、話し掛けました。

「お嬢ちゃんは、誰を探しているの?オジさんが呼んであげるから、言ってごらん…」

ポツリと「おかあさん…」

私は、頷き印を組み、母親を召喚した。

この母子は、生き別れになっていた…
空襲の夜、逃げ惑う人混みに揉まれ、別れ別れになった…
数日後、あの悪魔の爆弾により、母子は瞬時に消滅してしまった…
瞬時に消滅するような、強い衝撃波的なエネルギーを浴びて亡くなった場合…
生きているのか、死んだのかが、霊的に認知し難く、彷徨うケースが多いのです。

幼子は、3歳…
本来なら母にすがり甘えている歳である。

誠に不憫…召喚した母と幼子を結び、慈悲の光で包み、霊界の御使者に委ねた。

母子は、手を繋ぎ、御使者と共に霊界へと昇天して行きました。

私の眼には、涙が…

数十年前、長崎の旅で、バスガイドさんが歌い、教えてくれた歌を思い出し、また涙…

誠に泣き虫な爺いである。
以下は、その時の歌詞である。
「20年前の夏の日に、私は、長崎で死んだ…その時3つの女の子、何時までたっても、3つなの」


密教塾

私は迷いました。
密教塾の一端をここで語るべきか否かを。

しかし、現状の日本がここまで荒廃して来たのを見て、語ります。

今の日本は、カルマの渦の中にある。
関係無い人を誹謗中傷し、悦に至る餓鬼《亡者》
最早人間の皮を被った、死人である。

理性のカケラも無い輩が闇を闊歩して居る現状は、尋常では考えられません!
この現状を只の言論の自由と思う人達が居るとしたら、日本は遅かれ早かれ破滅するであろう。

何故か?
正常な判断基準を失って居るからである!

60を過ぎた爺いが、ボケた頭で考えても解る事が分からない者は、正に餓鬼以下と言わざるを得ない。


密教

世界には、様々な教えが存在し、修行法も様々に存在しますが、共通の認識は、神仏を尊ぶ文化である。

歪められ歪曲される時、其処には、神仏は、存在し無い。
神仏は、活かしても殺す行為を否定します。

また、我だけを信じよ、我だけが神である、などとは、言わない。
我だけを信じ崇めよと言う神仏は低級霊に思考を奪われた人間だけである。

人類の歴史上最も、残虐で、愚かな出来事は、宗教戦争である。
どの宗教を信じ様が、どの神仏を信じ様が全て自由である。
他の人が信じるものを誹謗中傷する必要も暇も私には無い。
私は、自分が信じる道を行くだけである。

私の寺は、単立寺院でありどんな制約も受け無い。
また、信徒、信者の勧誘もして居ない。
来る者は拒まず、去る者は追わずが基本理念である。

人の欲は、食う食える、稼ぐ儲かるに始まるが、食にこだわらず、可もなく不可もなしに生きる時、欲など、どうでも良く成る。

自分が居ることに氣づくで有ろう。
食にこだわろうと衣にこだわろうと、住にこだわろうと、消費する量などたかが知れたものである。

象でも自分の量を知っている、どんな動物でも自分の量を超えて欲することは、無い。
本当のしあわせとは、量を知り、わきまえ満足を知る事にある。

餓鬼に堕ちた亡者には、未来永劫足るを知るまで、苦しみが続くのである。


欲望

人間は、様々な歴史を重ねて来たが、未だ解決出来無い問題を抱えて居る。

自らの保身と欲望の為にミサイルを発射したり、他国を威圧したり、欲望にまみれた餓鬼そのものである。

やがて、その欲望は他国を巻き込んだ時、どんな事態が起こるか、皆さんは、想像した事がお有りでしょうか?
とどまるところを知ら無い欲望と云う闇は、私達に脅威と成り、覆い被さる様に迫りつつある。

欲望は、私達の中にも存在しますが、自身を律する事で、解決します。
しかし、巨大な力《権力》を有した時、元々、餓鬼畜生の素量を前面に押し出した時、人間は、人間では、居られないのである。

欲望は、大なり小なり、誰にでもある。
昨今、日本の犯罪も欲にまみれた結果、重大犯罪に結び付いて居ます。

今、必要なのは、一人一人が自らに置き換えて考える時では、無いでしょうか。
最早、対岸の火事を眺めるが如しでは、無い事を自覚し、自分の出来る努力が必要だと考えます。


死に逃げ

様々な犯罪を犯し《テロも含め》自殺する犯人。
人を殺し、自分は自殺に逃げる。
火炎瓶を投げ、大勢の人を傷つけ自殺する犯人。
好きな人を殺し、自殺し逃げる犯人。

正に、身勝手、極まりない犯行。
其処にあるのは、幼稚な逃げである。

簡単に言えば、怒られる事が怖くて逃げ出す悪餓鬼そのもの。
同情も慈愛も必要無し。
悪魔の所業である。

人間は、我が身で犯した事を反省し、成長する。
成長を拒み、悪戯に逃げる時、成長も発展も無い。

死ねば逃げられる。

私は、ハッキリ断言致します。
絶対に、死に逃げは出来無いと。

どんな高尚な理論を唱え様と、他を傷つけ、他を殺せば、只の犯罪者である。

戦争も同じである。
個人が行えば、犯罪者。
国家が行えば、戦争。
馬鹿げた理屈である。

但し、戦争の場合の違いは、命令され戦争に駆り出された人には救いの手が差し伸べられますが、戦争首謀者達には未来永劫、安心も救いも存在しません。
あるのは、未来永劫に続く苦しみと、自戒、反省の未来である。
霊界の法則に、取りこぼしはありません。

《信じるか信じ無いかは、全て自由意思です。》

本当の法則を知る時、凡人は震え、犯罪者は、恐怖に震え上がるであろう。

何故か?

全ての生きとし生けるものは、死に逃げは出来無いのである。


願意

昔から続くのが、願掛けである。
人間の力ではどうしょうも無い事を、神仏に頼り、願意を託す人が後を絶ちません。
しかし、一番肝心なのが御礼詣りであるのです。

此処で一例を挙げれば、大きな願いが叶い、それ以上に欲を増大させた時、今までの願いは水泡に帰し、全ては前以下の状態に成ることがあります。
人間の欲は果てし無く続き、その先に待つ物は破滅である。

足る事を知る。
人間は、足る事を忘れた時、我欲に走り滅びの笛を吹く。
一旦、吹いた笛の音は止む事は無い。

同じ欲でも、知識欲は人間を向上させます。
探究心を持ち、學び続ける時、人は開花します。
霊界の摂理を學び続ける時、人は真理を知り、争うことの愚かさを知るのです。

飽食は餓鬼道であり、人の道では無い。
足る事を知り、先祖を敬い、御仏を尊ぶ時、人は真理に導かれ、本当の幸せを感じ、知る事になる。
無償の愛こそ人を救い、人を育て、霊格は向上し、自身も救われる事に繋がるのである。


犯罪

昨今、眼を耳を疑う様な犯罪が頻発して居るが、此の現象は、正に魂の劣化としか思えない鬼畜の所業である。

罪もない人が傷付けられ、殺害される。
犯人は捕らえられても、心身耗弱だの責任能力の有無などが取り沙汰され、
被害者の無念さは、余り表面には語られて居ない様に思われる。

それは何故か?
日本では、心霊科学自体が本気で研究されて居ないからである。

それから、詐欺の横行も心霊科学で言えば、餓鬼の仕業である。
人からお金を集め、実現不可能な事をさも出来るが如く語り《旅行を斡旋》出来なくなれば破産する。
許される事ではない。数え上げればきりがないほどの犯罪の横行は、魂の劣化としか思えないほどである。

人間は死んだら終わり。の思想が原因の一つであり、これを指して物質的価値観と云うのである。
真剣に學ぶことは容易ではないかも知れ無いが、現状が続けば近い将来は、推して知るべしと成るであろう。


施餓鬼会

施餓鬼とは、本来サンスクリット語であります。
古代中国で訳経され、日本には弘法大師空海が渡来し、密教僧の手により修されたのが始まりです。

現在は、真宗を除く各宗派で盂蘭盆会として修されておりますが、本来は、常時修されるのが施餓鬼供養です。
地獄に堕ちた亡者は餓鬼となり、食べようとすれば炎に変わり、また、水を飲もうとすれば溶岩に変わり、何も口にする事は出来ず、あのような浅ましい姿と成り、地獄を這いずり、飢えと渇きに苛まれ苦しみ喘ぐ。

餓鬼に供物を与えて改心させ、再度人間に生まれ変わらせ、修行させる為に行うのが施餓鬼供養会なのです。

当院では、秋彼岸供養会を、9月19日〜25日まで行います。

先祖の回向《追善供養》には、施餓鬼供養が一番良いとされております。
今回の供養にも、施餓鬼供養を行います。
先祖の居ない方は存在しません。

私の家は、分家なので。
仏壇が無いので。
本家が行っているので。
などと、言われる方がおられます。

では、あなたは、誰なのでしょうか?
供養する心に、本家も分家も、仏壇の有無も関係ありません。

大切なのは、心なのです。

感謝の心は、千里の道を瞬時に駆け、彼岸に到ります。
生きる事に、感謝。
生かされている事に、感謝。
今ある事に、感謝。
今日ある事に、感謝。

全てに、感謝が出来る様に成った時、本当の彼岸が実感出来るのです。
あなたも、秋彼岸の一時、感謝を込めては、如何でしようか。



by kongousan-akafudo | 2020-02-18 12:00 | ├密教の世界

密教1363 衝動的行動の結果

感情の赴くままに行動を起こした場合、ろくな結果にはならない事を皆さんならお解りで有ろう。
喜怒哀楽、どの感情に支配されても良く無い。
何故ならば支配される事事態、理性が働いて居ないからである。
【喜】浮かれて羽目を外す行為。
【怒】怒りの衝動に任せた行為。
【哀】哀しみの主人公に成り己れを見失う行為。
【楽】怠惰に身を任せ學びを忘れ有頂天に振る舞う行為。

フランスの哲学者パスカルは、人間は考える葦であると教えて居る様に、植物の葦は凄い速さで成長します。
人間は様々な経験と學びを得る事で、凄い速さで成長するのである。
その逆に、衝動と感情の赴くままに生きる者に成長は、無いと言えるで有ろう。
密教1363 衝動的行動の結果_e0392772_21522100.jpg
酷い場合、善悪の区別も付かない者も少なく無い。
悪事を犯し逮捕されても、己れの保身に走り被害者や被害者家族の気持ちを踏みにじる、馬鹿者も居るほどである。
衝動と感情の赴くままに生きる事が、如何に愚かで人生の無駄遣いであるか、賢明な皆さんならお解り頂けよう。

感情は抑えるものでは無く、制御し身の學びと知りその後の人生の糧とするものである。
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今世の我が身は、今世にて終わりだが魂は、未来永劫生き続ける。
言わば今の自分は、魂の歴史上、大切な一主人公なのである。
魂の歴史に汚点を残すか、輝かしい記録を刻むかは、全て一人ひとりの双肩に掛かって居るのである。
賜わり与えられた人生を、大切にしたいものである。
密教1363 衝動的行動の結果_e0392772_21571423.jpg

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝

by kongousan-akafudo | 2020-02-18 06:00 | ◎赤不動明王院通信