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2020年 02月 17日 ( 2 )

餓鬼に関する密教ブログ 1

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仏教に関する言葉の中には、日常生活にも登場する言葉が沢山あります。
今日からしばらく「餓鬼」という言葉が登場するブログを紹介して参りたいと存じます。
餓鬼、よく耳にする言葉ですが、どういうものを指すのでしょうか?

僧侶の勤め

僧侶の仕事は、拝むことではありません。
諭導くことこそが、仕事で御座います。
その為に学び、その為に修行をするのであると、私は想います。

供養は諭し。
祈祷は、御仏と願主との仲介役。
僧侶は、奉仕を本懐とします。

御本尊様の道具に成りきる事に喜びを覚える者と成る事が、私の最大の目的であります。
そして、御本尊様に生かされて居る事の喜びがあるので御座います。

常に学びを求め、現在も學んで居る時、御本尊様の慈悲を頂戴出来る事に涙する自分があります。

私の自論で御座いますが、僧侶である自分は終生道具でありたいと願うので御座います。

批判、中傷、誹謗、は餓鬼の諸行であります。
妬み、嫉み、嫉妬は、畜生の諸行であります。
餓鬼畜生は、浄化、成仏はありません。

今を、一生懸命に生きる事こそ、正に御仏が望まれる事なので御座います。

一生懸命に生きる事に、証しも代償も要りません。
あなたの心に刻まれた、経験と感動が、全てを物語って居るのだから。


倫理観の欠除

今、中国人に次いで、日本人の倫理観も危機にある。

料金を払って安全に廃棄処理した食品が、スーパーや弁当屋の食材になり販売されていた。

何を信じて良いのか?
倫理観は、年齢に比例しません。

金に成れば何でも良い!
正に餓鬼である。
食べられない物を、偽り売る。
正に鬼畜である。

清貧に生きるは、死語のようである。
清貧とは、気高く生きる事であるのです。

恥を知る。

正に、日本人の美徳でした。
分からなければ良い。
分かるはずが無い。
正に、恥を知れ。で、ある。

物質的価値観に基づく思想は、上記のような非常識者を生むのであるのです。
日本人の美徳である、恥を知る思想は、日本人の文化であります。

アメリカかぶれの物質的価値観を持ち続ける時、日本人は日本人に非ず。
美徳を忘れ、現を見る時、日本人は滅びるでしょう。


餓鬼の憑依

餓鬼とは、現界で、煩悩の儘に生きた者が、死後、霊界に帰らず、現界にとどまり、欲望の続きを求めた結果の姿《成れの果て》なのです。
ただ、始末が悪いのが、憑依を繰り返し、普通の人に害をもたらすのです。

その一例が、過食、拒食と云った障害を与える事であるのです。
餓鬼は欲を貪る鬼であり、普通の人が太刀打ち出来る様な者では有りません。
餓鬼には、説教は通じません。
餓鬼を絶つには、調伏法しかありません。
しかし、今の時代、調伏法を真剣に出来る者も、限られて居るのも現状で御座います。

では何故、調伏法が出来ないのか?
それは、調伏法を修して、敗けた場合の被りを恐れての事なのです。


調伏で一例を挙げれば、平将門《将門の乱》が有名です。
伝によれば、高野山から成田山新勝寺に不動明王尊の尊像を運び、平将門、調伏の為に五大明王法を厳修したと聞きます。

五大明王法とは、不動明王尊を頭領とし、護摩壇を五壇配置し修する大法ですが、最大の秘密があります。

ここに書くことは出来ませんが《悪用防止の為》五大明王壇の他、秘密の壇をもう一壇組むのです。
その一壇とは、《秘密です》
その一壇が無ければ、完成しません。

正に調伏法とは、それほど難解であり、普通の僧侶が出来無いのも納得出来ます。
餓鬼を調伏するのに、平将門を調伏したほどの法は必要ありませんが、簡単には出来無いのも事実で御座います。

皆さんには、くれぐれもご用心して頂きたいと存じます。
まずは、怪しい事には関わらない事です。

自分の波長を上げて下さい。

波長を上げる事に依り、ツマラナイ事には巻き込まれません。
巻き込まれても、波長を上げる努力をして居れば、必ず救いの手が差し伸べられ、妖の手から貴女を救います。

私の記事を読んでくださって居る方々には、波長を上げる事はお解りだと思います。

昨今、魑魅魍魎が闊歩しておりますれば、くれぐれも御自身の心と身体をご自愛下さいます様、お願い申し上げます。


先祖供養

御先祖様を供養するのは、自分自身を供養する事と何ら変わりありません。
供養とは、亡くなった方々だけにする事ではないのです。

供養とは、感謝、報恩を、繋がる道。
過去が無ければ、現在も無い。
現在が無ければ、未来も無い。
先祖が無ければ、自分も存在し無いのです。

今を感謝する事は、未来に向けた貯金。心の積み立て《貯金》なのです。

そして、御先祖様を彼岸供養させて頂く事は、自分を現界に送り出してくれた方々に感謝を捧げることなのです。

当院では春彼岸供養会にあたり、新しく三界萬霊位牌を安置致しました。
本日、三界萬霊位牌の開眼法要を営み、春彼岸供養会に向けた準備に入ります。

春彼岸供養会には供養護摩供を謹修させて頂き、合わせて密教の秘法を修して施餓鬼供養も厳修致します。
御本尊赤不動明王尊の利剣を用いて修法し、もう一つの秘法では、摩利支天の利剣を用いて修法を致します。

御先祖様を敬い、神仏を尊ぶ生き方は、あなたを必ず護ります。
人は、一人で生きるにあらず。


想う心

親御さんが病気になって喜ぶ子供は居ない。

喜ぶとしたら魔族である。

親は子を想い、子は親を想う。
正に天地神明。
天に唾をすれば己れに帰り、親に唾すればいつか自分も唾される立場になります。

本当の親は子に道徳を説き、ある時は鬼のように叱り、ある時は菩薩のように慈愛に満ちて子を導きます。
親は子の鏡。
堕落した姿を良しとすれば、子は見習い堕落するのは当たり前です。

武士は食わねど高楊枝の境涯を教えれば、子は我慢を學び、守銭奴たる姿を見せれば餓鬼を良しとします。
正に親は子の鏡、育てたように育ちます。

また我々も同じ事が言ます。

それは、生きたように死ぬのです。
他を苦しめて勝手気儘に生きれば、生きたように死ぬのは当たり前。

信仰心厚く、貧しい乍らも神仏を尊んで生きた方は、安心立命の境涯に至るは必定。
現界だけが全てと捉え、霊的ものを否定し続ければ、死後は現界を彷徨います。

全ては自己選択であり、自己責任なのです。
何も分からなければ、自己の中で學ぶ事は幾らでも出来ます。

現代は、取捨選択の自由は誰にでもあります。

但し、耳ざわりの良い事だけを受け入れ、取捨選択を誤れば道は大きくズレます。

想う心は、様々な事を氣づかせてくれます。
しかし、自身が甘い道を選んで忘れた時、津波のように押し寄せます。


法則

全ての実相の中には秩序と規律がありますが、例えば秩序も規律をも無視して行えば、結果は言わずとも明白である。


例を挙げれば、家庭内が無秩序であれば崩壊するように、社会も無秩序であれば無法地帯に成り下がります。
今、世界に欠けて居るのは秩序である。

自国が核兵器を持ちたいから他国を威嚇する。
援助が欲しいから威嚇する、正に餓鬼国家である。
ミサイルマン、老いぼれ大統領も大差無いと考えます。

日本では勝手に解散選挙が行われ、国民不在状態の状況は正に無秩序では無いでしょうか?

本当の秩序とは、自身が律する事から始まるのである。
生身の人間、間違える事もあります。

しかし、間違えを認め理解することで、その人は間違え無く成長します。
認めず進める事は、傲慢の海に沈むが如しである。

水は高きから低くきに流れ、地球は規則ただしく自転する事で私達は生きられます。
それらを全て当たり前に捉える時、そこには學びは発生しません。

当たり前の中には學びは存在しない。
当たり前の中には、傲慢しか存在出来ないのです。
従って、思いやり、優しさ、敬う、尊ぶ、氣づき、全て幻と成り下がります。

時には振り返り、自分を自分が分析し俯瞰すれば、誰にでも解ります。

生きる為の反省が、學びに繋がる事に氣づくはずです。

難しい事ではありません。
自分自身に素直になるだけ。
美しい物を美しいと感じ、素晴らしい事を認める感性である。


厚顔無恥

厚顔無恥とは、詐欺師の総評である。
他人が苦心惨憺して完成させた物を、自分が創始したかの如く見せかけ、他を欺き、利益のみを飽食する行為は餓鬼道也。

自分は、労せずして奪う。
正に、餓鬼。
畜生の類いである。

人間界《現界》の罪は、免れても、霊界には浄玻璃の鏡が存在します。
スピリチュアリズムの表記ではアカッシックレコードと言い、現界での自身が犯した事は全て記録されています。

その機能は、スーパーコンピュータを遥かに凌ぐ性能です。
この事は、世界の霊能者が認めて居る事実であります。

お疑いの方は、自身で心霊科学書を紐解いて頂けば、私が言う事が事実である事がお解り頂けます。

私は、自信を持って明言します。
厚顔無恥な行為は、身の破滅であると…。


奥義

私は、当年63歳になりますが、ようやく奥義とは何かを理解し得た気がします。

密教の奥義は、安心立命するところに即身成仏が成立するのであるのです。
簡単に言えば、安心を得る事が無く苦しみの中にいれば、學びは絶え、苦界と成ります。

また、苦界から救う手段が加持祈祷力であり、苦しみから救う手段でもあるのです。
例えば、腹痛を病む人に食べ物を勧めても意味が無く、頭痛に喘ぐ人に思想哲学を説いても、無用の長物。

必要なのは、まず痛みを癒す事。

痛みは人を変え、人格をも変貌させます。
《精神も同じ作用と考える》

密教の秘法は、腹痛、頭痛を癒す事と同じなのです。
様々な苦界から、救い上げる為の方法論であり、妙薬と私は信じます。

精神と肉体は歯車と同じ。
片方が誤作動を起こせば、正常な働きは出来ません。

また、欲も同じである。
ある程度の欲は學びを欲し、欲が過ぎれば餓鬼と成る。

全ては、両輪が円滑に作動し、作用する事に寄り可動します。
欲を過度に否定しては學びを嫌い、欲を肯定し欲すれば學びを失います。

全ては程々に、喜びを感じ過ぎれば我欲を呼び、破滅を呼びます。

分かち合う時、本当の奥義が其処にあるのではないでしょうか?

私達は、本来霊的存在であり、霊界の法則の中に生かされて居るのです。
密教は、霊界の法則の中に有ると考えます。


祈り

人は祈りの中に身を置く時、安らぎを覚えます。

何故、人間は祈りの中にある時に安らぎを覚えるのか?
其れは、人の中に仏性があるからです。

本来、どんな人であっても仏性を持っていますが、それに氣付かず終わる人も少なくありません。

仏性(ぶっしょう)とは
仏の性質・本性のことで、主に『涅槃経』で説かれる大乗仏教独特の教理である。
覚性(かくしょう)とも訳される。
また『法華経』では、仏種(ぶっしゅ)「仏に成る種」、『勝鬘経』では、如来蔵(にょらいぞう)などと、さまざまな表現がされるが、基本的に仏性と同じ意義である。

仏教では、この仏性を開発(かいほつ)し自由自在に発揮することで、煩悩が残された状態であっても全ての苦しみに煩わされることなく、また他の衆生の苦しみをも救っていける境涯を開くことができるとされる。
この仏性が顕現し有効に活用されている状態を成仏と呼び、仏法修行の究極の目的とされている。


≪三因仏性≫

『大般涅槃経』獅子吼(ししく)菩薩品(ぼさつほん)に説かれるものを智顗が整合し確立した、成仏のための3つの要素を三因仏性という。

正因仏性(しょういんぶっしょう) - 本性としてもとから具わっている仏性のこと
了因仏性(りょういんぶっしょう) - 仏性を照らし出す智慧や、その智慧によって 発露(ほつろ)した仏性のこと
縁因仏性(えんいんぶっしょう) - 智慧として発露するための縁となる善なる行いのこと


Wikipediaより



六道が有るように《六道輪廻》様々な経験を積み重ね、人間として成長します。

祈りは魂を磨き、悪事は魂を穢します。
魂を磨く事に専念して行動を考え、理性に生きる時、人は優しくなれます。

その逆に悪に喜び、悪心に支配される時、人は人でありながら人では無くなります。
騙す事を喜び、奪うことに快感を覚え繰り返すうちに、魂は穢れ、もう後戻りは出来無い。

その原因を作り上げたのは自分であり、他の誰でも無いのである。


六道(ろくどう、りくどう)とは
仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の苦しみに満ちた世界のこと。

・天道
天道は天人が住まう世界である。
天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされる。
また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれる。
しかしながら煩悩から解き放たれておらず、仏教に出会うこともないため解脱も出来ない。
天人が死を迎えるときは5つの変化が現れる。これを五衰(天人五衰)と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎む。

・人間道
人間道は人間が住む世界である。
四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされる。
また、唯一自力で仏教に出会える世界であり、解脱し仏になりうるという救いもある。

・修羅道
修羅道は阿修羅の住まう世界である。
修羅は終始戦い、争うとされる。
苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界である。

・畜生道
畜生道は牛馬など畜生の世界である。
ほとんど本能ばかりで生きており、使役されるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされる。
他から畜養(蓄養)されるもの、すなわち畜生である。

・餓鬼道
餓鬼道は餓鬼の世界である。
餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされる。他人を慮らなかったために餓鬼になった例がある。
旧暦7月15日の施餓鬼はこの餓鬼を救うために行われる。

・地獄道
地獄道は罪を償わせるための世界である。

Wikipediaより


人間は、肉体のある内は中々悟れ無いが、肉体は仮の姿であり本質は魂である、と悟ることで人生は大きく変化します。

死んでしまえば終わりだとお考えの方は、そのままお通り下さい。

生きるとは何か?
死とは何か?
とお考えの方は、私の友である。

如何に生き、如何に學ぶか。
これが人生の命題なのです。

光陰矢の如し。
長い人生と思った時、後ろを振り返ってみればわかります。
過ぎた過去は短く、未来は誰にもわから無い。

わからないから、寸暇を惜しんで學ぶのです。

解っていることを再度學ぶのは復習。
わからないから、學びを進め深める事が大切なのです。

私達は自由であり、學ぶも學ばざるも自由である。
選択をするのは、あなた自身しかないこれが自由選択である。



心の行き違い

今、様々な事象に、苦悩する方々が急増して居ります。

男女関係の縺れ、仕事場での人間関係。
夫婦間の縺れ、家族間の断絶。
学校での人間関係、と様々に、悩み、苦しむ方々が急増して居る。

一番の原因は、心の行き違いが要因と成り、発生して居るのが現状です。
では、何故、心の行き違いが起こるのか?

一言で表せば、心の底にある物質的価値観の台頭にあるのです。
損得に始まり、損得に終始するとき、そこにあるのは、全て物質的価値観に翻弄された人間の姿なのです。

私は、常々申し上げて居る様に、物質的価値観は最終的には自身をも滅ぼす思想なのです。

簡単に言えば、あのアイドル殺傷事件の犯人の考え方は、正に物質的価値観に溺れた結末であります。
自分勝手に思い込んで犯行に及ぶ。
相手の気持ちなど、全く意に返さず、ただ、自身の不満を一方的に行使する。

これこそ、物質的価値観そのものである。

心ある方々は、この現象に氣づいて、頂きたい。
物質的価値観の本質は、単に物質の授受にあるのでは無い。

心をも物質化し、錯覚する時、そこにあるのは、心を失い物質的価値観に溺れた、餓鬼の姿ではないだろうか。



by kongousan-akafudo | 2020-02-17 12:00 | ├密教の世界

密教1362 能力

人間が本来持って居る能力は、素晴らしい。
しかし乍ら、その能力を活かせないのも現状である。
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私が山岳修行をして居たころに知り合った山の人は、優れた知恵と能力を持った人であった。
山で暮らすには、尋常一様な知識では、生きて行けない現実がある。
天候を読む事は必須条件であり、その他、山の地理は自分の足で知り知恵で下山する、その知識と能力は、特筆すべきものがある。

一例を挙げれば、木の切り株を見て方角を知り、葉の繁りで方角を判断する。
また、水の滴りで下山する。
様々な知識知恵、能力が無くば山中の暮らしはおぼつかないのである。
山は春夏秋冬、四季折々に姿を変え恵をもたらしてくれるが毒虫、毒を持った動物も獣も居る。
その中で共存するには、解毒の薬草、山菜に至るまで幅広い経験と知識知恵が、必要なのである。
私がお世話になった方々は、天候を読む力には驚いた。
二時間後には雨が降る、明日は雪が降る全てを予知して居るのである。人間の能力は、真剣に研ぎ澄ませば驚くほどの力を発揮するのである。
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密教の世界でも、同じ事が言える。
極限に己れを置き修行を重ねる時、其処に観応が生じ様々な能力が開花するのである。
寒いと言っては暖をとり、暑いと言っては涼を求めて居ては、得られる訳も無いのである。
山で暮らす人々も、海を相手に生計を立てて居る方々も、生易しいものでは無い。
正に、自然との調和が有ってこその生き方である。
全てを通して言える事は、選ぶのは自分であり、やり通すのも自分である。
能力とは努力の産物であり、霊界からの応援そのものである。
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南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝

by kongousan-akafudo | 2020-02-17 06:00 | ◎赤不動明王院通信