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2019年 11月 26日 ( 2 )

傲慢とは何か?⑨

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飢餓

私が育った昭和三十年代は、貧富の差がまだ激しい時代で、餓死する人が巷にはおりました。

現在では皆無に等しいのですが、その変わりに皆さんもお気付きだと思いますが、心の病いが蔓延しているのも事実です。

それは、心の飢餓が原因です。
無関心から~利己主義~物質的価値観~傲慢~攻撃的性格の現れ。
正に、心の飢餓状態と言えるのではないでしょうか?

これは、誰にでも発症する可能性があります。
自分には、関係無いと思う心は捨てましょう。
関係無い事象など、存在しないのです‼️

全ては、無関心を助長差せる為の、現象と捉える事が貴女を救います。

無関心が全ての元凶です。
無関心で、いられる事などないのだから。

広義では皆、魂の兄弟なのです。
真理を学び、受け入れる時、貴女は悟ります。
自分が魂の存在であることを。

私達は霊的存在

毎日、考えられない事件、事故が発生する。
何故か?皆、死んだら終わり…と考えているからなのです。

先日の新幹線内での事件…全くもって、自分勝手で傲慢な犯行としか、言えない。
様々な人を巻き込み、自分は自爆する…自爆テロと変わりません。

その根底にあるのは、人間死んだら終わりという無知な思想の現れです。


どんな偉い人でも、一般人でも、死に逃げは出来ません。
必ず自分が犯した罪は、カルマ、因縁になり、自分に返ります。

カルマ、因縁とは…自分が犯した罪を反省、完全理解を果たすまで、未来永劫に渡り続きます。
これほど恐ろしい事はありません。
自分で犯した罪を反省する事は出来ますが、完全理解となると、簡単には出来ません。

何故か?答えを教えてくれません。
答えは、何世掛かろうと、自分で見つけなくてはならないのです。
答えを見いだすまで、未来永劫、同じ科目を履修するのである。これがカルマの法則です。

全てに、例外はありません。
ですから私がよく皆さんに申し上げる言葉に、究極の自己責任、蒔いた種は自分で苅る、責任主体、これが霊界の法則です。

この法則から逃れる事は、誰にも出来ません‼️
例え、御仏に仕える身であろうと逃れる事は、出来ません。

全ての法則は、平等に働きます。
現界でいかなる立場であろうと関係ありません。

全ては、大霊の愛なのです。
理解し自分の中に、落とし込む時、答えが見えて来ます。

大霊は、慈悲そのものなのだから。

低級霊の憑依

昨今、低級霊に憑依されている方々を、視ることが増えているのが現実である。

あまり気持ちの良い物ではない低級霊は、様々なかたちで存在します。
一例をあげれば、自殺者が供養もされず、放置されて低級霊に変化する事もあります。

生前に自分勝手な傲慢な人ほど、低級霊に堕ちるケースが増えているのも事実です。
男女の比率で考えた時、あくまで私観ですが、男性の低級霊化が、増大しているのも事実です。


人間は死んでから、霊体に戻りますが、生きている時に、物質的価値観の強い方は、自分が死んでいる事さえも、認めません。
今、私が抱えている案件の中にも、低級霊に憑依されて、普通の生活もままならない方もいます。

低級霊に憑依された場合除霊だけでは、不十分なのです。
今の低級霊を、私が除霊しても、別の低級霊が空家に入る様に、またすぐに、憑依されてしまいます。
それを、全て除霊するには、準備期間を入れて、一カ月間の大仕事になり、
私も一カ月間、他の仕事が出来きない分、依頼者に掛かる負担は、大変です。

憑依される人は、次のような人です。

①傲慢な人

②怠惰な人

③思い遣りのない人

④自分本意な人

⑤残酷な人

⑥人を愛せない人

以上の条件が当てはまる人は要注意が必要です。


憑依を防ぐには、普段からの心掛けが、最も重要なポイントです。
そして、憑依が疑われる様でしたら、先ずは心療内科を受診する事が先決です。

霊能者の出番は、それからでも遅くありません。
先ずは、理性で判断する事が大切です。

波長が呼ぶ

人間には、波長という周波数が存在します。
例えば、ギャンブル狂の人には間違いなく、低級霊が憑依しています!
パチンコ位なら…と、思う方もいらっしゃるかもしれませんが。

今や、パチンコはギャンブルです!
歳老いた母の蓄えまでも奪い、次は、母の保険証書を持ち出し、金を作り、パチンコに興ずる…まさに、狂人です。

しかし、憑依を呼んだのは心の弱さ、傲慢さ、自分勝手、気の弱さ、様々なネガティヴな思いが、低級霊の憑依です。
言わば自業自得ですが、私は、密教僧。
歳老いた母御に頼まれた時、危険な祈祷になりますが敢えて向かいます。こ

れ以上、歳老いた父母に仇成す者を、野放しには出来ません!
自分の意思でギャンブルの誘惑に勝てない者は、憑依と断定出来ます。

ギャンブルは、滅びの道。それを、解って行くのは自由です。
しかし、親、兄弟、家族に依存するギャンブルは破滅。魂の救済もありません。
ギャンブルが好きな方は、おやりなさい。
ただし、人には迷惑を掛けずに、おやりなさい。

例え、病気になり、余命幾ばくも無くなっても人に頼ってはいけない。
それが、ギャンブルを選んだ者の、最後のプライドではないでしょうか?
破滅の道を選ぶには、覚悟を持つ!

治癒力

傷つき、病にかかった時は、医師の治療が必要です。

心の底の傷は、病院では治りません。
様々に変化する人の心は、薬や外的治療では治りません。
放置すれば悪化し、自ら、自爆のスイッチを入れて仕舞うケースが急増しています。

愛の裏返しは、無関心。
例えば好きな彼が貴女の事を無視して自分の事だけを優先させる人なら、貴女は如何しますか?
自分勝手に愛はありません。
自分勝手は、傲慢の証しです。

愛が冷めたという言葉を聞きますが、それは始めから愛ではありません。
愛に名を借りた錯覚です。


人が人を愛する時、献身が芽生え、利他愛に成長します。
利他愛とは、自分を勘定に入れず、ただひたすらに愛する事です。
自分を主張し、相手に押し付ける行為は、愛ではなく、稚拙なワガママに過ぎません。

受け入れる愛、愛し愛されることは、最高な形だと言えるでしょう。
しかし、恵まれた愛だけではない事を学んでください。

最愛の人が逝き、自分が遺る。
遺された貴女なら、どうしますか?

遺る、遺されたのではありません。
貴女には、先に逝った最愛の人がやれなかった、やり残した心のお役目があるのです。
それが、利他愛です‼️

自分を勘定に入れず、他を愛し続ける時、貴女は知るはずです。
究極の愛を知る者を。

いよいよ始動

当院所蔵の経典群が、解読班の精鋭によって現代語訳に解読される時が来ました。
当院所蔵の経典群は全て300年以上前の貴重な資料であり、門外不出の資料ですが、密教の普及の為に全て公にします。
そして、真剣に密教を學びたい人々の為に役立てます。

最早、一部の人間が威張り散らし、有耶無耶な内に煙に巻いて居る時代は終わったのであります。
弘法大師空海が渡来して広めた密教を、誰でも學べる時代なのである。

昔の人は、まず読み書きが出来る人が少なかったので、必然的に経典を解読、理解出来なかっただけであり、古語を現代文と訳を付ければ、誰でも理解可能なのである。

越法だの、馬鹿げた迷信によって他見を免れた時代の遺物では無い、本物の経典を私は世に出します。
当院の資料《経典群》は、博物館の学芸員が見れば本物だと分かるものばかりである!
監修などせずに、原文と現代文をそのまま載せます。

後は、皆さんの向学心の有無だけである。
もちろん、向学心がある方々には、私が直接指導をします。

但し、不思議好みの方や、商売目的の方はご遠慮下さい。

真剣に密教を學びたい人々の為に、今回から始める事にしたのであります。
人間は學ぶ事に依り成長し、學びを実践する事によって解脱も可能になります。

机上の空論を大言壮語する輩は、私の寺には必要無いのであります。

真摯に學びを深めたい方々は、今から私の刎頚の友である。



by kongousan-akafudo | 2019-11-26 12:00 | └私たちの暮らし

密教1297 慈悲

本当の優しさとは、突き放す時は突き放し自覚させる事にある。
求められるままに与える事は、甘えを助長させるだけで為にならない場合が多々ある。
親として子供が可愛く無い親は居ない【鬼畜は除く】。
私は実の子を二人亡くした経験があるが、地獄であった慟哭し血涙を流した。
今日現在、子供の事で悩み苦しみ、どうにも出来ない渦中にある親御さんも少なく無いで有ろう。
なるべく触れず、当たり障りの無い様にして居る事もあるで有ろうが、将来を考える時にそれで良いのだろうか?

子供は、少年〜青年〜中年に移り変わり、親も中年〜老年期に成り収入は激減し頼りの年金も怪しい流れの中、
上記の様な事を続けるには、無理が生じて来る。
何処かで眼を覚まし、現実を直視せねばなりません。
一日伸ばし一年伸ばしをして居る内に、年は流れやがて悪夢の様な時を迎える事に成る前に、互いのしあわせを考え勇気を持って突き放す事も、
必要では無いでしょうか。
誰でも嫌な事には触れたく無いのは、当然で有ろう。
しかし先送りは、結果を危うくする要素を含んでいる事を忘れてはいけない。
自分達だけでは出来無い事も、様々な智慧を借り向かう時、必ず光明が見えて来ます。

【依存と甘え】どんなに強い人でも弱さはあるが、極端な依存や甘えは無い。
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何故か?
自分がやらねばが、先に立つからである。
私の経験で言えばどんなに悲しい時でも、苦しい時でも最後は己れが立たなければ、立つ事は出来無い。
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他人が、起こしてくれるのを指をくわえて待って良いのは、赤子の頃だけである。
慈悲の心とは、見守り共に耐え成長を願う心にある。
親と言う字は、高い木の上に立ち見ると書く様に、ただひたすら見守り続ける事にあるのです。
木の上から牡丹餅を与える事では、無い。
欲すれば与え、与え続けられれば良いが始まりが有れば終わりがある様に、いつかは終わりが来る。
その時に貰い癖のついた者は、どう成るか。
私が説明せずとも、お解り頂けると考えます。
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現代の様々な事象を視る時、豊かさの反動を感じるのは、私だけでしようか?
皆さんも、お解りだと思います。
この現実を他人事と解釈する時、現実の事象は襲って来るのである。
視るか背けるか全ての選択は、与えられた自由なのだから。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝

by kongousan-akafudo | 2019-11-26 06:00 | ◎赤不動明王院通信