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2019年 11月 22日 ( 3 )

荼枳尼天尊像

赤不動明王院にてお授けしている荼枳尼天尊像でございます。

【香合仏】荼枳尼天尊

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いつもあなたと一緒。
持ち歩ける結界としての、小さな仏さまはいかがですか?

【香合仏さま 詳細】

【材質】柘植の木
【サイズ】6cm
【ご提供価格】1体16,200円
赤不動明王院にて祈祷済み、袋付、送料込み

別売り:香合仏礼拝用スタンド《ヒノキ製》*
一尊を立てることが可能です。
・お値段:2010円(梱包・発送費等込)

ご注文は赤不動明王院お申し込み欄よりお願い致します


荼枳尼天尊ご尊像

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【注文制作】荼枳尼天尊像…剣《木製》~厨子無し 
高さ約26cm
全額前払いにてお支払い頂いた後、1~2週間程度お時間を頂戴致します。
発注が重なって混み合う際には、もう少しお待ちいただくことになりますことをご了承下さいませ。

(開眼供養代、梱包発送費込)
130,000円

ご注文は赤不動明王院お申し込み欄よりお願い致します

荼枳尼天尊ご尊像

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【注文制作】荼枳尼天尊像…眞澄稲荷1/10縮尺サイズ《木製》~厨子無し
全額前払いにてお支払い頂いた後、1~3週間程度お時間を頂戴致します。
発注が重なって混み合う際には、もう少しお待ちいただくことになりますことをご了承下さいませ。

(開眼供養代、梱包発送費込)
400,000円
ご注文は赤不動明王院お申し込み欄よりお願い致します





by kongousan-akafudo | 2019-11-22 15:00 | ★仏像・法具

傲慢とは何か?⑤

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霊的繋がり

人間に一番繋がりが深いのは、犬猫である。

輪廻の法則で言えば、一番が犬。二番が猫である。
様々な歴史的事象を見ても、其れは明らかです。

何故か?
それは、學びの段階でもあるのです。

犬は人に付き、猫は家に着く。と言われる様に、犬は人間になつき、猫は自我に生きて居る様に、ハッキリした差が現れます。
そして、猫は死後、犬に転生する為の修行をします《猫の霊界にて》

生きとし生けるものには、それぞれの段階に応じた霊界が存在します。
人間も例外ではありません。

死後、犯罪者には犯罪に応じた階層があり、同じ様な罪を犯した者同士が反省し、目覚めるまでお互いに罪を犯し続けるのである。
騙し騙され、傷つけ傷つけられ、殺し殺されるカルマが繰り返されるのである。

これが本当の地獄の意味なのである。

この世で傲慢の限りを尽くせば死後は、虐げられ惨めさを味わい、學ぶのである。
宗教的な解釈は理論上の事であり、現実に霊界を教えるものとは考え難い。
言わば、霊的心理は科学であり、これを否定する事は科学を否定する事と同じであると言えよう。

心霊科学の面から言えば後進国であり、その原因は、明治時代の間違った解釈に起因するものである。
過去に日本には、優れた霊能者が多数存在したが、全て弾圧に依り、その姿を消して居る。
今日の日本は、未だオカルトが蔓延り、真剣に學ぶ者は少ない。

学びとは何か?

最高に自分を輝かせる為の、方法論です。
古来より學びを尊び《精神論》が最初に理解しなくては、先に進められないのが密教です。
その次に方法論《加持祈祷》を學び、実践します。
全てを納めるには、長い年月が必要です。

私とて、40数年経た現在でも學びの途中で御座います。

しかし、學びを忘れた時、人は傲慢を覚え、退化するであろう。
私が尊敬する真言密教の重鎮である〇〇先生は、御年九十を迎えられても護摩法を厳修されて居られます。

人々の幸せを祈り、厳修される師の後ろ姿は神々しくもあります。
私も、師僧の様に成れる日を夢見て今日も學びます。

學びは、自由です。
あなたが學びたいと思った時、學びはあなたの側にある。
あなたは、その學びに触れるだけで良いのです。
密教には、様々な段階が用意されています。

在家の學び。
出家の學び。
阿闍梨の學び。

密教の重鎮の師僧でも、學びをおろそかにはしません。
様々な段階に、學びはあります。

悟りもまた、學び。
そして、學びの跡には何があるか?
それを見つける旅人は、あなたなのです。

報恩謝徳

恩に報いることに依り、様々な謝徳を得ると云う事は、古来依り受け継がれて来た美徳であります。

例えば、自分は、御返しが頂きたくてやった事では無いのに、考えもしなかった出来事で幸せな生活を得る事が出来た。
これは、正に報恩謝徳である。

私達は、ともすれば、見返りを望んでしまいますが、我が子に対して、見返りを求めますか?
そう見返りを求める事は、無いでしょう。
正に無償の愛があるからです。

見返りを求めて行う行為は、傲慢であり、物質的価値観と言わざるを得を得ません。
結果を求めず、結果を追わず、常に感謝し生きる人は、幸いである。
その逆に、こうして、ああして、やったのにと考える時、其処には安心どころか、不幸の種が芽生えて居るのである。

一度、不幸の種が芽生えて仕舞えば、尋常一様な事では、刈り取ることは、出来ないのが現実なのです。
この世《現界》に生を成し學びに意欲を燃やして居た時の自分を思い出すことは、容易です。
自分が詰まらない小我を棄て、本来の自分に戻り、素直な心で、自身を認める時、
報恩謝徳の意味を理解出来るのである。

無機質と傲慢

昨今、無機質な人が、増えて居るのは何故か?
犯罪者を観て頂けば解るように、正に無機質そのものが現れています。

その一例、弟を殺し、遺体をバラバラに切断する。

あなたに出来ますか?
私には、出来ません!

それは、何故か?
まだ、理性が働いているからです。
無機質なものには、それが無いのです。
あるのは、そこにある現実だけで、感性も理性も無い。
傲慢さしか、無いのである。

機械と同じで、其処にある善悪も理性も情愛も無く、ただ処理する機械なのです。
例えば、良い人が機械を使っているから、機械がその人を機械の中に巻き込まないですか?
逆に、悪い人が使っているから巻き込みますか?

機械は、全て同じである。
無機質に作業をするだけである。
無機質な人間は、自分に都合の悪い者を排除したと云う感情しか無いのです。

イジメも同じである。

自分に都合の悪い者を、排除して居る感覚なのです。
その根底にあるのは、傲慢さである。

全て自分の都合で考え、行動し、意に反する者を排除しようとする利己的感情こそ、傲慢であり無機質なのです。
では、何故そんな感情が芽生えるか?

まだ、人間に成って浅い魂だからである。《魂年齢の低さ》

では、どうしたら良いか?
學びである。
學ぶ事は、楽ではありません。
楽な學びなど存在しません。
《楽な學びがあるとするならば、それは、學びではなく、遊びであると知るべきである》

楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。

私が主催する密教塾は、學びは自由である。
しかし、學ぶ者と、そうで無い者の差は歴然と出て来ます。

學びとは、他の人に強要されるものではありません。
自らが、心に落とし込み、俯瞰を繰り返し、成長するのである。

日常の傲慢

昨今の離婚に関する事象を、見て考えて下さい。

当たり前が、当たり前ではない?
私の描いていた事とは違う。
全ては、自身の理想か現実のギャップによる争いである《男女共に》

理想を求めて、結婚してはいけません。
結婚とは男女の學び合いであり、完成形では無いのです。
完成を求めるならば、結婚などせず、一人でひたすら磨くべきです。《最高の早道である》

他に求めても、得られるものではない。
また、求めて、理想ではなくともそれが現界の摂理なのである。

自身が持っていない事を他に求める行為は、依存であり傲慢である。
皆さんに、私が真言宗、天台宗の各老師、大徳より、教えて頂いた事は人間の能力に大差は無い。
あるのは、努力値だけである。と言う事です。

私は、しあわせ者です。
様々な苦難も、私への課題だったと知った時、全ての謎が解け、新たな道が開かれました。

人間が、悲劇のヒロインを演じているうちは、何の道も開かれません。
俯瞰し、學ぶ時、初めて道が開かれます。
不思議や怪奇に、弄ばれてはいけません。
真に學ぶ時、天はあなたに御役目を与えます。

人事を尽くして天命を待つ

人と産まれ、様々な人生を歩んで様々な事象に遭遇し、困難に立ち向かう時、どうしてもダメな時があります。
しかし、絶望してはいけません。
最後まで諦めず、努力を続けなさい。

努力して努力して、やれる事が無くなった時、御仏に委ねなさい。
それが、人事を尽くして天命を待つと言う事です。

そして、結果を待ち受け入れなさい。
必ずや、答えが生まれます。

その時の結果に、振り回されてはいけません。
本当の結果とは、その後に現れます。

私は、様々な事象を経験し、受け入れて来ました。

ある時は、悲しみに慟哭し。
ある時は、放心し。
ある時は、自ら死を覚悟し、現在があるのです。

人間には、絶望の淵から這い上がる力が備わっているのです。
自身を信じ、進む時、必ず道は開かれます。

人生に、無駄は無い。
失敗と思う心は傲慢であり、自身が思う結果ばかりでは、學ぶ事は出来ません。
失敗を重ね、経験に変えていく事こそ學びなのです。

そして、歳老いて帰幽する時、経験を感動に転換し、土産と成すのである。




by kongousan-akafudo | 2019-11-22 12:00 | └私たちの暮らし

密教1293 魔物返し

今回は、誰にでも簡単に出来る魔物返しをお教えします。
専門的な事は明かす事は出来ませんが、古来より語り継がれた方法に鏡を使い、禍いを防ぐ法をご紹介します。
まずは、鏡を用意して下さい。
大きさは自由、高額低額も問いません。
鏡面を入り口に向けて、置くだけです。
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尚、上記の事についての質問には、お答えしません。
実行するもせぬも、自由だからである。

鏡の歴史は、古く数千年も前から人類の様々な歴史と共に発達し、各分野で使われて来ました。
祭具として、神具、仏具として発展し現在に至ります。
その昔、鏡は大変高価な物で誰でも簡単に入手出来る物では、無かったのである。
今でも特殊な物は、高価であり増してや秘法に用いる鏡は全て専門職の手で作られるので、言うまでも無い。
鏡は自らも写すが、霊をも写しその姿を知らしめる効果もあります。

例えば、怒っている時や怨みに燃えて居る時の顔を想像して下さい。
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それを鏡に写した時、平常心で観られますか?
これが、答えである。
霊も、同じである。
己れの本当の姿を観た現実は、変わらないのである。
霊は鏡に写るのか?写ります。
肉眼では観られない物でも水面には写るように、全て本当の姿を写し出します。
どんな美男美女でも本物の鏡の前に立てば、その時の姿が写し出されるのと同じである。
明鏡止水の如く、その姿には現在が写し出されるのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝

by kongousan-akafudo | 2019-11-22 06:00 | ◎赤不動明王院通信