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2019年 11月 10日 ( 2 )

音霊に関する密教ブログ

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生体力

当院では、朝から掃除に始まり掃除に暮れる。

生体力とは、身体から迸る力である。
そして、掃除とは生体力の頒布、すなわちオーラマーキングである。

昨今はカタカナ語の影響で、日本語を忘却して居る方達が多く見受けられるが、自国の言葉を忘却する事の恐ろしさを知るべきではないだろうか。

言葉の乱れは國の乱れ。
言葉とは言霊。
音楽、音とは音霊。
生体力とは、生体エネルギーでありオーラなのです。

短略思考に陥りやすい現代、少し振り返って観ませんか?
掃除とは、当たり前にする事。
そして掃除する事により、新たな気持ちで事に臨むが、日本古来の思想であります。

生体力は誰にでもあります。
自覚するか、しないかだけなのです。

今年、私達は試される時を迎えました。
全ては自由。

私の話を信じようが、馬鹿坊主のヨタ話と捉え様があなたの自由です。

私は、私が信じる教義を信じる方々に伝えるだけである。
掃除は、周りを綺麗にするだけでは無く、己が心も浄化に導く、人間だけに許された行為なのである。

理性に始まり理性に暮れる時、あなたは真理を知るであろう。
真理の扉を開くのは、あなたの決断の中にあるのです。

全ては、法則の 成せる技なのである。

密教法具


私の元には毎日のように、弟子や信徒様からの法具購入依頼が殺到しております。

それは、何故か?
京都の伝統法具師さんと私とは、長い付き合いの中で、私の寺には、ほとんど原価に近い値段で運んでくれるお陰なので御座います。

私の寺の法具は、全て響き銅で製作した逸品であります。
それと同じ物を、原価で皆さんに提供しております。

密教法具は音霊の源であり、密教を志す人には必需品であり、念の増幅には、響き銅製で無くては音霊は発生しづらいのです。
従って、密教法具の逸品は響き銅製が最も良い、と伝えられて居るのです。

良い物は一生使えますが、安物は何処か製作が甘く、私は使いません。
それに引き換え、響き銅製の法具は、一度見た者、触れた者の心を引き付ける程の魅力が御座います。

貴方も一度、実物を見ればお分かりになると思います。

浄化を促す 音霊 言霊

浄霊や浄化が出来るのは、能力者《霊能者》だけでは御座いません。
皆さんの身近に有る歌とメロディーで、下手な能力者より凄い浄化力がある事をご存知ですか?

私は、よく歌のコンサートに行きます。
其処での出来事を、ご紹介致します。
今迄に何度となく、観てきた現象です。

それは、ある歌手の方が《花》を熱唱した時の事でした。
当然、客席は明かりが落とされて、ステージにはスポットLightが当たり、華やかです。
歌が佳境を迎えた時、客席からモヤのような煙が上がり始めたのです。

私は、ステージ演出なのだと思いました。
しかし、それはステージ演出では無く、客席に居る観客に憑依して居た未浄化霊だったのです。

歌の歌詞とメロディーに感動し、自然浄化を果たしたのです。
勿論、歌手の力量もありますが、歌の歌詞とメロディーが感動を与えたのです。

古来より、優れた言霊、音霊には、浄化作用がある事は常識的に伝えられております。
ただ、現代に至っては忘れられた感があります。

しかし真実は、現代の如何なる科学や物理学でも解明できない事象を引き起こします。

魂の歌

スピリチュアルsong。

人には、それぞれの心の中に、リズムを刻んで生きている。
昨今の情勢の中で、疲れ、傷つき、疲れ果てた時、歌の詩を噛み締め聴いて観ては如何でしょうか。

きっと霊界からの癒しのエネルギーを、貴女は感じる事が出来るはずです。
ガタガタする音、なだらかな音、どちらを選ぶも自由。

霊界の音霊、言霊には、美しい響きと綺麗な詩があります。
貴女の魂に、語り掛けるメッセージに氣づくはずです。

日本の言葉

今、日本の言語は壊滅に瀕して居ると考えます。
カタカナ言葉、ヤンキー言葉、《言語の乱れは国の乱れを現します》

昔から言葉には魂が宿る《言霊》と言われて居ります。

また、音にも魂が宿る《音霊》と言われて居ります。

美しい言葉、美しい音、音と言えば音楽を連想されるでしょうが、違います。
河のせせらぎ、波の音、皆優しく響きます。

また、日本人が愛した音、例えば私が好きな水琴の音などは、夏の暑さを和らげる効果があります。

そんな美しい音に囲まれて育った子供たちには、無邪気を感じます。

無邪気、邪気に支配された大人。

語も音も美しいと理解出来なく成った時、人は互いに傷つけ合い、殺し合うであろう。
そうならない為にも、學びが大切です。

學ば無くては、何事も身につけられないのは当たり前の事です。

人間界でいく歳を重ね様が、學びを拒否する者に成長は無い。

私の好きなお婆ちゃんは、学校には行けなかったご自身の境遇を恨む事無く、ご自身で學ばれて居られます。

學びは、自身の宝。

例えば他人に物を貰い、返せと言われれば返すのが道理だが、この世に返せと言われても返さ無くても良いのは、學び。

また返したと言ったところで証しが無いのも、唯一學びだけでは無いでしようか。

音霊、言霊

言葉には、抑揚があります。
同じ言葉でも、攻撃的なイントネーションが加われば、本来の意味とは、掛け離れた言語になることは、皆さんもご存知の通りである。
様々な言語を音階を付けずに使えば、言葉を聴く方の精神状態に依り、受け取り方も様々に変わります。
その逆に、音霊《心を込めた音》を理解し、込める言葉には、説得力が生じます。

正に、日本語《大和言葉》には、音霊、言霊が存在して居るのである。
昨今の日本、言葉は、アメリカにかぶれた《迎合》カタカナ言葉が多く見受けられます。
カタカナ英語とも言える言葉は、海外では、通用しません。
只の無駄言葉では、ないでしょうか?

その逆に日本の良き、大和言葉は、諸外国の知識人《小泉八雲》は、ギリシア人でありながら多大な文学作品を我々に遺してくれました。
正に、日本の文化を正しく理解し私達に教えてくれて居る証明と言えるでしょう。
いにしえの民は、神仏を尊び、隣人を愛し、家族を慈しみ、夫婦敬愛し合い、畑を耕し大切な人生を全うしたのです。

言霊、音霊を今一度、學び返す時代では、ないでしょうか。
そして、自身も見返る時では、ないでしょうか?

カタカナ語

私達には、素晴らしい言語文化が存在します。
しかし、昨今の日本で頻繁に使われるのがカタカナ語であります。

確かに簡単で使い易いが、其処には、間違った解釈に依る障害が生じて居る事を認識して居る人は少ない。
例えば《エゴ》エゴイズム、エゴイスト、エゴイステック、
普通の人は、全て上記の言語を悪く捉えますが、誤りである《興味のある方は、お調べ下さい》。

そして、今の日本には、忘れられた言語が《死語》数多く存在して居ります。
傾向を見ると美しい言語が、ほとんど忘れられて居るのです。
例えば、暮れなずむ、わくらば、数々の美しい言語が消えて居るのです。

言葉の乱れは、国の乱れ。
これは、言霊の乱れにも通ずるのです。
そして音霊にも影響します言霊、音霊の乱れは、やがて人間の意識、思想へも影響を及ぼし、精神構造を大幅に狂わす結果になり兼ねないのが、言葉である。

美しい言葉は、心を育み、汚い言葉は、毒を産みます。
そして、優しい言葉は、愛を産み出します。
我々、日本人は、今一度、原点に戻り大和言葉を見直し、
本来の平和な言語を理解し、自らの中に落とし込む時、日本人である喜びを取り戻せると考えます。

音霊《おとたま》

古来より、《音にも霊が宿る》と、先人先達は知っている。
雅楽、声明、密教法具、木劍加持、太鼓、その他、全て音である《メロディ》が、一定の法則により構成されて居る事がお解り頂けると思う。

言葉の中にも、抑揚と云うイントネーションがあります。
例えば、母の優しい声はやすらぎを与えます。
父の強い声は、身体に芯を通します。

師の声に、耳を傾ける。
これらは、心の音である。

現在では、様々な美しい音は失われ、替わりに、他人を傷つける音が横行しております。
これらは最早、心を喪失したとしか思えません。
他人を、誹謗中傷する事でしか、己れを堅持出来ない人間が増えている事は、皆さんもご存知だと思います。
此れは、美しい音が、消えた証拠である。

私達も考えましょう。
愛の無い音を発しては、居ないか?
他を傷つけては、居ないか?
考えれば、様々に反省出来るはずです。

私達は人間であり、人間とは理性を持つ者。
愛を育み、優しさを分かち合う時、真の平和が訪れます。

音霊と楽器

昔、チベットに行った時に譲られた物は、人骨で作られた祈祷用の祭具と法具であります。

今では、人骨で作られ物は国外に持ち出すことは禁止されています。

①銀で装飾された祈祷用祭具の頭蓋骨。
②カパーラ、銀で装飾された、頭蓋骨の聖杯。
③頭蓋骨を二人分を、合わせて、皮を張った、デンデン太鼓。
④大腿骨の笛、骨そのものに穴を開け音がする様にしてあります。


その他にも多数有りましたが、現在は然るべき所に寄贈しました。

実際に使用した時には、正に降霊用の楽器そのものでした。

今、あの楽器を演奏する氣にはなれません。
正に、音霊でした。

日本にも様々な楽器が存在しますが、本来は、神を鎮めるために演奏したのが始まりでした。

現代では未だ、霊体を信じない人がいるうちは、本当の意味での音霊が復活する事はないような氣が致します。

石笛

鎮魂帰神法《古神道の霊降術》に使われたのが、石笛である。
今から約五千年前に使われていた神器で、現在、芸術の域に達した、石笛奏者も少なくない《楽器》である。

私の友人も奏者の一人で、各地の聖地で奉上して、美しい音色を響かせて居ります。
音は、音霊に繋がり、美しい音色は、疲弊した心を癒す効果もあり古くから、各方面で音《楽器》は、重要視されて居ります。

但し、其れも、正しく伝えられた場合に限ります。
全ての事象に裏表がある様に、其れを使う者の心次第とも言えます。

密教にも様々な音《楽器》が存在して居ります。

音は、使い方次第で、様々に変化し、聴く者の心を引き付けます。
音は、間違った使い方をずれば、人を害する事にも成り兼ねません。

全ては、正心を持って臨む時、癒しと浄化に繋がります。
あなたは、どんな音を選ばれますか。



by kongousan-akafudo | 2019-11-10 12:00 | └私たちの暮らし

密教1281 殺人事件は何故やまぬ

殺人事件の犯人は、逮捕されると様々な言い訳をするが犯人の心底にあるのは、一言で言えば命を物と考え軽視して居ると断言する。
例えば、交際中の相手を口論の末に殺害する行為や強盗殺人、様々な口実で殺人に至った者の心を視ると殆んどの者達が持つ価値観は、
自分本位、自分勝手、物質的価値観に支配された者達である。
本気で命を考え慈しむ心があれば、例え虫でも簡単には殺せ無いであろう。
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他の命を奪う権利は、誰にも無い!
これが出来無いのであれば、生まれて来る資格も無いのである。

他を平気で殺害する者は、最早、人間とは言い難い魔物の類いである。
人間を悪の道に誘う動機は、普通人では考えられ無い穿った思考が、原因だと考えられる。
皆、生まれる時は、優しい母の胎内に宿り、何も出来ず母の慈愛によって育ち独立して行くのである。
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従って、始めからの悪人は存在しないと思う。
では何故、悪人は存在するのか?
反省の無い考え方と物質本意が拭えず、身体だけ成長したからである。
それに上記の者達には、信仰心は無いと言える。
何故なら信仰心とは、敬い尊ぶ事から始まるからであり、心に背く様な事は恐れが強く出来無いからである。
霊など居ない、神仏など無い、見せれるものなら出してみろと言うのが、関の山で有ろう。

ところが科学の力は、それを立証出来るまで発達したのである。
現に当院の防犯用の監視カメラには、時たま無数の霊体が写り込んで居るのである。
原因は、分かって居るが公表する事は個人に関わる事なので、割愛する。【信用出来る公的機関の方も確認済みである】
最早、一般的に信用するもしないも、関係のない時代なのである。
認めるか霊的無知で居るかは、全て自由意思である。
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南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝

by kongousan-akafudo | 2019-11-10 06:00 | ◎赤不動明王院通信