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2019年 11月 06日 ( 2 )

危険運転に関する密教ブログ~前編

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■憑依の増加

先般、無謀運転で罪も無い人を死に追いやった犯人の映像を見た。

犯人は、幾度となくあくびを繰り返し、果てには笑う始末。
全く罪の意識が無いと言えよう。

では、あの態度、あの意識は何処から来るのか。
普通の人には理解出来ないで有ろう。
正に傍若無人な振る舞いは、一般の方が理解出来ないのが当然である。

二人の尊い命を死に追いやった責任は、万死に値する!
この犯人を普通に刑に服させてはいけない。


徹底的に反省させ教育しなければ、死後、現界を彷徨い悪霊と成り、同じ要素を有する者に憑依し、悪事の限りを尽くすであろう。

霊的見解で言えば、犯人の死後も霊的捕縛が必要と考えます。
そうしなければ、再度同じ様な事件に苦しむ人が増える可能性が大である。

日本は、未だ霊的後進国。
もうそろそろ心霊科学を取り入れ、科学の眼で解明する努力が必要と私は言い続けて居る。

この記事を読まれた方々だけでも、霊的視野を広げて頂きたいと考えます。
不思議に走らず、理性と智慧の眼で観て頂けば誰にでも理解の出来る学問なのです。


当院では密教塾をはじめ、講座での講義も行なって居ります。

學ぶことは自身の宝と成ります。
學ぶ者、學ばざる者の差は、いつの日か顕著になる日が訪れます。

學びを深めて、より良い生涯を送られる事を心より御祈念申し上げます。

■犯罪は繰り返された

またもや、車を追い越された事に腹を立て5キロも追い回し、

最後は信号待ちの時に鉄パイプを持ち出して、車を壊し現行犯逮捕された犯人が居る。
これは最早、狂人である!

私が前回の記事で、犯罪は繰り返されると言ったばかりである。
それから間もなく犯罪が繰り返された事に、怒りを禁じ得ない!

私は敢えて警鐘を鳴らします。
皆さん、出来れば霊的結界を自身で張って下さい。

結界の張り方は素人でも出来ます。
但し此処では書きません。
何故かと言えば、模倣と悪用を避ける為である。

様々な犯罪者予備軍が横行する今の日本では、そうせざる得ない事をご理解願いたい。
軍事的危機も大変な事だが、身近な犯罪者に対しての防衛が急務であると私は考えます。

私は以前から申し上げて居ります。

自身も大切ですが、もしあなたの愛する人が理不尽な犯罪者の手によって命の危機があるとしたら、あなたは護り抜けますか?

私は武術家ですが、私が側に居ない時の為に、家族には霊的結界を二重三重に張ってあります。
大切な人を護れるのは、あなたしか居ないのである。

■想像力の欠如

高速道路で車を止めてケンカを売る。
それがどんな結果を生むか、考え無くとも普通の思考力を持ち合わせて居れば、簡単に解るはずである!
そして幼い子供を残し死んだ両親。

多くの人達の人生を狂わした結果をどう償う?
償いきれるわけが無い!

一時の感情に溺れた結果は、大惨事を残した。
正に想像力の欠如である。
普通に放念し理性で抑えて居れば、防げた事である。

昨今、想像力の欠如としか思え無い事で発生する事件、事故は増加の一途を辿って居る。
最早、異常事態としか言え無い現状を、皆さんはどうお考えですか?

私は、魂の劣化と考えます。
抑えきれない感情はケモノと同じである。

人間には理性と知性があるはずだが、結果は理性も知性も感じられ無いのが今回の事件である。
北朝鮮の狂人と何ら変わりが無い。

他に波及する問題をも無視して、自身の怒りの感情のみに生きる馬鹿者である。

想像力の欠如は魂の劣化を呼び、やがて、他を巻き込んで悲惨な結末を迎える事に成るで在ろう。

■引き寄せる

倖も不幸も、引き寄せるのは自分なのです。


今、政治家の不祥事が彼方此方で見受けられますが、全て自分が蒔いたタネであり、当然の結果である。

蒔かぬ種は生えぬ、の例えの如く、種が発芽しただけである。
質の悪さはこの上無い。

先日、曲がり角で歩行者と自転車の事故を目撃した。
歩行者は救急車で搬送され、自転車の運転者は警察に、正に出会い頭の事故である。
自転車の女性は携帯電話を使用していた。
歩行者も携帯電話を使用していた。
正に蒔かぬ種は生えぬである。

楽しい事は、安全な場所で楽しめば、双方共に大変な事など起きなかったのです。


では、何故起きたのか?
私だけは僕だけは、大丈夫だと云う甘えがあの事故を引き寄せたのです。

この先、慰謝料、治療費、示談金が発生します。
自転車保険に入っていれば、まだ救われますが、無保険の場合個人負担である。

その後の人生は暗いものに成り、人生そのものが嫌に成るほどである。

しあわせを引き寄せるには、普段から行動に注意を払い、敬う心、尊ぶ心を身につけて生活する事が何より必要である。

粗暴な言動は不幸の元凶を呼び、自分勝手な行動は破滅を呼び寄せることに繋がります。

■増大するカルマ《因縁》

犯罪を犯し逮捕、服役し、その後釈放された者には、民事に依る損害賠償が課せられるが、保証人である親も賠償金を払わないケースがほとんどである。
これは、恐ろしいカルマを積む事になる。《反省の無い犯罪者の末路は、哀れである》

この世の罪はこの世で反省し、償う方が、何倍も何十倍も楽なのです。
反省せずに逃げ切れたと思う者は、大馬鹿者である。

実例を挙げて紹介したいが、あまりにも生々しく酷いので、書くことは控えます。
言える事は、自身が犯した罪に数十倍の苦しみと苦痛を味わう事になるからです。

そして、加担した親も仲間も、同じカルマを背負う事になるのである。
人間界の考え方では、理不尽と思うかも知れません。
しかし、霊的真理から検証すれば、当然と言えるのです。

私の車には、ドライブレコーダーを搭載してあります。
先日、仕事で運転中、信号待ちをして進行方向の信号が青になった時、心の声が《行くな》と叫んだ。《見通しの悪い交叉点で》

私が一拍待った時、赤信号で交叉点に進入した車と青信号で進行した車が衝突した。
明らかに、赤信号で交叉点に進入した車が悪いのは当たり前である。

しかし、赤信号で進入した車の運転手は、嘘を言うのが昨今では多いのです。

当たり前が、当たり前に通らない時代。
常識が、常識で認知されない世間。

あなたは、どうしますか?
嘘つきの横行する時代。

カルマを積み重ねる者達が増大している事実を、直視する勇気を持って物事に当たらなくては、何時自分が、被害者になるか解らない時代なのです。

子供のカバンに、ボイスレコーダーを忍ばせるくらいの用心が必要な時代なのです。
教師も教育委員会も、自己保身に走り、本質など見て見ぬ振りである。

愛する者を守るのは、あなたしかいないのです。
悲劇が繰り返される前に、防ぐ事も愛なのです。

言った、言わない。
やった、やらない。
あやふやな状況は、嘘つきを繁殖させます。
悲しい時代ですが、それが物質的価値観を選んだ私達全員のカルマでもあるのです。

■人間関係

昨今の人間関係は正に希薄であり、殺伐としている様に私には感じられますが、皆さんはどう感じておられますか?
他人を目の敵の如く、失敗を上げへつらい、またはパワハラと言った様な下品な行為は、正に畜生道に堕ちた亡者の所業である。

そして極め付けは、餓鬼道に堕ちたが如く欲しがり、金の魔力に自身を見失う現象が見受けられるのも事実である。
そして、自身の能力低下をも予見していながら自動車を運転し、罪も無い人を犠牲にし、家族をも地獄に巻き込む老人ドライバーは、學んだ人間の取る行為ではない。
自身を律する事も、學びです。

私も運転しますが、自らの運転が危ういと《自他》が思う時は、潔く免許証は返納します。
クルマは一歩間違えば凶器であり、戦車にも成り得るのであるのです。

若い者もその点は、同じです。
酒を飲み運転する事は犯罪であり、大馬鹿者である。
それから、薬物《違法ドラック、麻薬》の使用は、人間失格の極みである。


by kongousan-akafudo | 2019-11-06 12:00 | └私たちの暮らし

密教1277 醜い心と行動

何故に同じ人間に生を受け、醜い行動をする人間が、未だ居るのか?
人類創生以来、人間は様々な誤ちを犯し、誤ちを繰り返し誤ちの中から學び現在に至るが、未だ大小を問わず誤ちを繰り返すのか?
それは、反省が無いからである。
己が我を優先し他を誹謗中傷する心こそ、醜さの極みである!。
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他が嫌いなら見なければ良い、関わらなければ良いだけである。
攻撃する必要も反撃する必要も、無いのである【攻撃、反撃は、返し返される事を覚悟せよ】。

何故、解らないのか?
それは、自身が傲慢だからである。
自分は正しい、自分は自分はの繰り返しが、自分を駄目にして居る事に氣づいて居ない結果である。
犯罪者の大多数はこれの繰り返しである様に、己が醜さを認め様としない結果、再犯を繰り返すのである。
誹謗中傷、イジメ、犯罪を繰り返す者は、傲慢であり反省無き者達てある。
しかし何処かで舵を切らなければ、未来永劫闇暮らしである。
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それも本人が望んで居るなら、それも致し方無いが、全ては原因無くして結果は無い。
善因善果、悪因悪果の法則から逃れる事は、出来無いのである。
全ては、自由である。
しかし自由の真実の意味を知る者は、少ない。
何故か?
物質的価値観を優先するあまり、心と魂を置き去りにして来たのが原因である。
己れを醜いと認知、出来た者は正常である。
認知する事も嫌い己れを除外する時、己れの正体を見誤るのである。
正すは、我にあり反省に身を置く時、真実は示される。
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by kongousan-akafudo | 2019-11-06 06:00 | ◎赤不動明王院通信