2018年 07月 31日 ( 2 )

危険運転に関する密教ブログ~後編

d0359990_09130215.jpg

■魔の刻

誰でも経験があると思いますが一度ある事は、二度、三度とあった事。
良い事で有れば歓迎だが、良くない事が続いた時、あなたならどうしますか?

①気にせず過ごす。
②一日、嫌な気持ちで過ごす。
③用心して早めに家に帰り、静かに過ごす。

これは、③が正解である。

昔から間を外す《魔を外す》なのである。

意地を張り通すなら、好きな様にやれば良い。

但し、それに寄って人生を無茶苦茶にした事例を私は沢山見て来ました。

例えば《実話である》私が、君は一週間以内に事故《自動車》を起こすから、一週間は自分の運転に細心の注意を払うか、運転自体を自粛しなさい。
と、注意したことがある。

そうしたところ、裏で嘲笑っていたのである。

彼は3日後に事故を起こし、大変な償いをする事になったと親御さんから聞かされた。

その他、行ってはいけないパワースポットに行った事例。
他の者が落として行った物に憑依され、その後の人生を無茶苦茶にされた女性達。
私は、パワースポットは性が合えば安全だが、合わない事もある、と再三再四、言い続けて居る。
が、未だにパワースポットに無防備な状態で行く人が後を立たない現実に、警鐘を鳴らして居る。

簡単なものは、簡単な結果しか得られ無いのである。
真摯に修行を重ね、向き合う時に解るで在ろう。

いい加減な、怖いもの見たさは辞めましょう。

パワーなどと言うカタカナ言語を捨て去り、日本語の持つ言霊を真摯に學ぶ時、理解出来ます。

あなたは、何方を選びますか?

■不確かな自信

私は大丈夫、自分だけは平気、安全、正に不確かな自信では無いだろうか。

昨今の情勢を見る時、僅かな油断が元で、取り返しが付かない事態を招いて居る様である。

昔の言葉に、油断禁物があるが、正に、その通りである。

先日、所用で出かけた時、進行方向の信号が青になり、歩を進め様とした時逆方向から、赤信号を無視して、車が飛び出して来た。
私は、何事にも一瞬、間を置くので、事故に遭わなくて良かったが
普通は、前方の信号が青なら、進みます。当然の事である。

しかしあなたならどうされますか?
あの赤信号で当然の様に、走り去った車《運転手》は、日常でも同じ事を、繰り返しているで有ろう。

反省も秩序も無い者である。私は顔も覚えて居るが、敢えて言及はしないが、必ず後悔する事になるのである。

昨今、老若男女問わず、道徳心の欠如が見受けられます。
いつあなたが被害者になっても、不思議では、無いのです。
私は、大丈夫と言った不確かな自信は、自身を危うくします。
自分を護り、家族を護る為にも、不確かな自信は、捨て去ることをお勧めします。

悲劇は、繰り返されます。學ば無くては、反省は、生まれません。
どうせ學ぶのであれば、悲劇から學ぶ依り、明るく楽しく學ぶ事を私は、推奨します。


■密教と躾

密教と躾は、相関関係にあると言っても差し支えないほどに密接な関係がある。

例えば、いい加減な事を成せばいい加減な結果しか生じ無い様に、常に真剣勝負の気構えを持たねばならない。
増してや、依頼人があり、加持祈祷と成れば当たり前の事である。

躾とは、常に己れを律し、御本尊の道具として、何時なんどき、に於いても出仕出来る様にして置くのも、道具としての役目であり躾であります。

一般的に言えば、整理整頓礼儀作法の事ですが、現在では、此れが出来て居る人は少ない。

電車に乗るのも我先に、降りるも我先に、見苦しい限りである。
そんなに急ぐなら、家を早く出れば良いだけである。

車の運転も同じこと。
中には、見苦しいを通り越え、浅ましいのも増えて居る。
誠に嘆かわしい有様。
そんな輩は、密教の門を叩く事も、私は許しません。

密教は最後の砦。
この意味はいつかお話し致します。
暫時お待ち下さい。

皆さんがしあわせに包まれます事を、御祈念申し上げます。

■死の自覚

友人がオートバイ事故で死んだ。
両足を切断する怪我を負って。

彼は、無謀な運転をする性格では無い。

しかし、警察の調べでは
単独事故でブレーキ痕も無い。
何故、壁に激突するような、スピードを出したのか?
友人達は、全員首を傾げた。

その時、一人の友達があのオートバイが、原因かもしれないと言い出した。
彼がオートバイを買った時、たまたま彼の家の前を通りかかってオートバイの話しに成った。

彼が新車だと言うので、高いだろうと聞くも半額以下だと?

変に思い聞いてみると、遺品だと言う。
何でも知り合いの息子さんがオートバイが好きで、病気が治ったら乗る為に買った物で、しかし乗る前に亡くなった。
其処で彼が買ったのだと言う。

私は、葬式の帰り道、事故現場に行ってみた。
やはり居た二人共、自分達の家の方角を見ている。

二人共、私に憑依させるのは、危険なので応援を頼むことにした。
一人は僧侶、一人は運転手、私を含めて3人。

私は友人を憑依させ、僧侶にはオートバイの元の持主を憑依させる事に成功。

まず最初に、友人に自分の葬式を理解させ浄化。

大変だったのが残った一人。
彼の家に行き、両親に説明して理解を求め、其れから彼の説得である。

彼は自分の死を認めたがらないが、彼の両親が涙ながらに説得すると漸く自分の死を認め、浄化して霊界に旅立ました。


[PR]
by kongousan-akafudo | 2018-07-31 12:00 | └私たちの暮らし

密教839 死に立ち会う

e0392772_21413374.jpg


私は、自分の家族だけでも計5回、死に立ち会って来た。
他の事例を数えれば、普通では考えられ無い数である。
悲しみの渦中、家族の慟哭、そして直ぐに金銭的な現実が迫り来ます。

今日は、皆さんに知って頂きたい事を、お伝えしたいと考え、事例をを交え書いて参ります。


死の事例【自殺】

自殺に於いて、最も苦しむのは本人である!
その次が家族である。
家族の苦しみは、次の項目がある。

本人【自殺者】を失った喪失感。
金銭的問題は最後に襲って来る。

e0392772_21434494.jpg


まず、病院への支払い【検視料、最低10万円】
葬儀代、これは個別に差があります。
そして、埋葬費。
貯金は瞬く間に無くなります。

その後、香典を頂いて居れば香典返し。
それから、初七日法要があり、四十九日、百日と法要があり、納骨。
お金が湯水の如く飛んで行きます。

その間、故人【自殺者】は、事の次第を見続けるのである。
その苦しみは、後悔などと言う生易しいものではない!

中でも、電車に飛び込んだ自殺は大変な事後処理が待って居る。

私はあらゆるケースを知って居るが、どれ一つとっても簡単に処理できるケースはない。
言わば、良い事など何もないのが自殺である。

e0392772_21462292.jpg

人間は、死に急がなくても時が来れば確実に死にます。
自殺をどうしても選びたい方は、草原で寝転んで下さい。
幾日も、何も食べず、ただ寝転んで下さい。
そうすれば、解ります。

自殺とは、愚かしい事だと。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝





[PR]
by kongousan-akafudo | 2018-07-31 06:00 | ◎赤不動明王院通信