昨今よく耳にする直葬であるが、葬儀関係者から聞いた話しでは、可哀そうな事例があると云う。
葬儀関係者が言うには、いつも通りご遺体を病院んで引き取りご遺族と一緒に葬儀場で御通夜、葬儀の段取りと成るはずが、そうでは無く遺体だけを葬儀場に置いて欲しいとの依頼である。
其れでも葬儀場としては構わないのだが、通例ならばご遺族も一緒に葬儀場まで来て一夜くらいはご遺体との最後の別れを惜しむのだが、ご遺族とは病院で別れたきりで心配に成った関係者が遺族に連絡をした返事が、以下の通りである。
そちらで、火葬するまで置いて貰いたい。
火葬の準備が出来たら電話してくれ、火葬場に行く。
ただそれだけ言うと、一方的に電話は切られたそうである。
どんな事情があるのか不明だが、あまりにも可哀そうなので葬儀場の従業員がお金を出し合って花を買い、遺体に供えたそうである。
正に物質としか捉えて居ない「物質的価値観」、典型的な例である。
上記を心霊學的に捉えて考察すれば、以下の結果が考えられるのである。
①葬儀も無しに単に棺桶に入れられ放置された場合には、死者は自らの死を理解出来ず、この世「現界」を彷徨い浮遊霊と成る可能性が高く成仏はし辛いであろう。
②家族の冷たい仕打ちに嘆き悲しみ浮遊霊に成る可能性は、極めて高く成るであろう。
どちらにせよ良い結果に成る事は、無いと考えられるのである。
「葬儀の本質」
葬儀の本質を正しく理解して頂く為に、以下を覚えて置いて貰いたいと考えます。
葬儀は死者との御別れと故人に死を理解させる為の両面があり、大切な儀式と言えるのである。
故人は葬儀の中で様々な人間模様を垣間見て、自らの死を悟るのです。
遺産争いをする親族を見ては、遺産など残さねば良かったと後悔しながらも自らの死を受け入れて居るのである。
其れが葬儀も無しに上記の場面に遭遇すれば、自らの財産を盗られると思い死など受け入れられる訳など無いのである。
葬儀は死者への単なるセレモニー「儀式」だけでは無く、心を納得に導く大切な要素が含まれて居るのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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