人気ブログランキング | 話題のタグを見る
<< 密教1962 【込める年】 密教1960 【身を滅ぼす想念】 >>

密教1961 【吾を磨くには吾を於いて他に無し】

人間は生まれた瞬間から吾を磨く旅の始まりであり、其れに背き生きても報いは必ず訪れるのである。
今回は硬い言い回しで始めたが、心ある方なら御理解頂けるものと考え、話しを進めて参ります。

例えば、日本刀を作る刀匠【刀鍛冶】は今も尚、自らの信じる刀作り【作刀】に精魂を込めて、日夜、修行の日々に明け暮れて居るのである。
その姿は正に、吾を磨くである。
現代に於いて日本刀は美術品であり、剣の道に携わって居ない人には、無用の長物かも知れ無い物である。
しかしあの美しさと凛とした姿形は、この道に居る者で無くとも魅了されるものがある。
鋼、芯がね、おろし金の三種の鉄を絶妙な技術を持って鍛え上げる技術は、正に芸術家の領域である。
当院にも真剣が二十五振りあるが、何れも寺宝と呼ぶに相応しい逸品揃いである。
どんな生業や世界に在ろうが、精一杯に努力して居る人のオーラ【後光】は輝き、死に際しても潔く卑怯未練のカケラも見受けられ無い。
正に、潔しである。

【何故、未練、執着が残るのか】
答えは、明瞭である。
人生の不完全燃焼が、原因である。
込めて生きた者に、不完全燃焼は無い。
正に生き切ったであり、思い残す事は無いが人生の完全燃焼である。
上記の場合には、魂は霊界に於いて完了した者として依り高い次元に押し上げられ、永遠の安堵の領域へと昇華して行くのである。
その逆に今世を怠惰や犯罪に身を置き、死を迎えた者のその後は言うまでも無いが、悲惨の極みを覚悟する必要がある。

一言、具体的に言えば、次の通りである。
次の世は、この世の悲惨を極めた境涯を味わい尽くす事と成る。
その内容を明かす事は、拙僧には容易い事だが敢えて割愛する。
何故か?
その身で味わえば、真から理解出来る日が来るからである。
どんな素晴らしい學びで在ろうが、本人が學ぶ氣が無ければ無駄な事だからである。
真に學びたいと想う方々は拙僧の友であり、學ぶ事に遅かったは無いので安心して下さい。
あなたが真から學びたいと思った瞬間が、悟りに至る道である。
密教1961 【吾を磨くには吾を於いて他に無し】_e0392772_21284232.jpeg
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
ご相談、御祈祷、授与品等のご案内
ご相談、御祈祷、授与品等につきましては、以下をご覧ください。
お申込みフォームも以下にございます。

≪以下は下記からもお申込みいだだけます
赤不動明王院ホームページのご案内
当院のホームページが完成しました。
こちらも是非ご覧ください。
・赤不動明王院ホームページはこちら

赤不動明王院無料会員サイト公開しました
当院の密教学舎の一つである無料会員サイトを公開しました。
より學びを深めたい方はご登録下さい。
・赤不動明王院無料会員サイトはこちら

≪霊的真理の學び(姉妹ブログ)を公開中
姉妹ブログの霊的真理の學びを公開中
より學びを深めたい方はご登録下さい。

≪信徒会サイト・護持会サイトについて
信徒会会員、護持会会員の方のためのサイトを作成しました。
※各会員に配布済みのパスワードを入力して下さい。

※新たに信徒会、護持会に入会を希望される皆様へ。
入会申し込みフォームを作成しました。
入会希望の方は以下のフォームからお申込みをお願いいたします。



by kongousan-akafudo | 2022-01-05 06:00 | ◎赤不動明王院通信
<< 密教1962 【込める年】 密教1960 【身を滅ぼす想念】 >>