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密教1822 【足るを知る生き方】

足りない、もっと欲しいもっともっと欲しいに、際限は無い。満足も無い、いったいどこまで行けば足りるのか?
人間の欲には、終わりは無いのか、それも目的に依るであろう。
學問を極めたいなどの金銭欲と、物欲は別ものである。
これを同じ観点から論じれば、一生涯不明に終わる事と成るのである。

足るを知るとは段階的満足を知る事であり、現状を的確に把握し、次へと進む事を指すのである。
然るに、一般的には難解な関門であろう。
しかし足るを知を知らぬ場合には、不足が生まれ自らを破滅に導く要因と成り、人生そのものを誤ってしまう起爆剤と化すのである。

例えば、犯罪者などは足るを知ら無い典型的存在である。
常に不平不満を抱き、他を羨み己れと比較対象し不平不満をつのらせる。
其処に安心する心は、存在しないのでまた不平不満を増大させた結果、重大犯罪を現実化させてしまうのである。

【子供達への愛】
親は自らの子供は、かけがいの無い存在であり、宝物であろう。
放任し甘やかし育てた子供には、情が無い。
無機質である。
ことわざに曰く、三つ子の魂百までもである。
三つ子の魂百までの意味は、三歳までに人格や性格は形成され、百歳まで変わらないと言う意味である。
これは如何に學ぶ事が大事であるかを示す教えであり、思慮分別を得た私達にも言える事である。
己が誤りを認められず、自我煩悩のままに生き進めれば最後に得る結末は?

【人は、生きた様に死んで行く】
どんなに優秀で有っても、地位名声を欲しいままにした人であろうが、性根が腐った者の生き方は餓鬼以下であり、死を迎える時にはありのままを曝け出す事に成るのである。
其処に、現世の割引は存在しない。
生きた様に、死ぬだけである。
また死後も同じく、人間には視え無かった真実も霊的世界では明らかに成り、その贖罪も背負う事と成るのである。
足るを知り、己が分を知る事は正に學びであり、成長への糧と成るのである。
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by kongousan-akafudo | 2021-08-13 06:00 | ◎赤不動明王院通信
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