死んだら楽になれるとか、終わりと考えて居る人が未だにおられるので、これを書きます。
人間には、あらかじめ自らが決めて来た寿命があります。
寿命とは、何か?
寿命は、學びの時間である。
例えば若くして亡くなる方も居れば、高齢で亡くなる方も於いでに成り様々ですが、皆一様に決めて来られたのである。
【事故死、自殺、他殺は別の機会にお話しさせて頂くので、今回は割愛する事とします。】
何故、人生が學びなのか?
辛い悲しい事に涙し、怒り悔しい、後悔と反省には様々な感情が交錯する。
上記の想いは肉体があるから學べる題材であり、試練なのである。
魂の存在に帰れば苦の感情に揺れる必要も無く、平穏そのものである。
但し、それは寿命と云う。
この世の學びを果たした上での事で、何も學ばず怠惰の中で終わった者は再度履修する事に成るので、誤解してはいけません。
それどころか再度の履修の方が辛く厳しい事を、付け加えて置きます。
あなたは今より、厳しい人生を望みますか?
望む人は、皆無であろう。
厳密に言えば、今世でやり残した課題を自らが望み履修しに降りて来ると言った方が、正しいのである。
自らの勝手で死を左右する行為は死に逃げであり、決して許される事では無いのである。
辛く苦しい世の中であっても、その状況がいつまでも続く訳では無く、必ず救いは現れます。
投げやりに成るのは早計であり、間違えである。
幸せは、寝て居ては来ない。
自らの足で歩き自らの意志で、築くものである。
あなたには、その力が宿って居る。
自らの力を信じて進む時あなたを覆って居た暗雲は晴れ、光明が待って居るのです。
自分は駄目だとか、自分は運から見放されたなどは幻想である。
己が分を知り力強く生きる事こそ、今の人生を活かす事であり、次に繋ぐバトンを作り上げる事なのである。
後ろ向きでは未来は見えず転倒するだけであり、前進を自ら放棄して居るのである。
今世を暗黒蔵として生きるか、光明蔵として生きるかは、あなたが決める事なのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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