正々堂々、現在では正に死語だと思う。
何故か?
正々堂々の意味を知って居れば、イジメや誹謗中傷の様な卑怯者の行為は、起きない筈だからである。
昨今の相談依頼で多いのが、イジメや誹謗中傷に悩む方々の悲痛な叫びである。
私は姑息で卑怯な者が、何よりも嫌いである。
姿が見えないから安心、自分の所在が知られ無ければ参加する。
正に、卑怯姑息である。
私は、そんな者を許さない。
場合によっては、あらゆる方法を講じる事を辞さない。
何故、人が人を傷つける事が、辞められ無いのか?
それは自らが、幸せでは無いからである。
幸せな人は、意地悪をしない。
幸せでは無いから、人を傷つけるのである。
しかしこれが余計に、不幸を引き寄せて居るのである。
それに氣付き反省し謝罪すればまだ間に合うのであるが、氣付ず続ければ確実に更なる深みにハマる事に成り、氣付いた時には取り返しが付かない結果に成るのである。
その昔、自らの不幸は彼奴らの所為だと邪推し大量殺人を犯し、犯行後自殺した犯人を視ると解った事が多々ある。
【詳細は、密教塾にて発表する。】
他の無差別殺人にも、類似点が多々見受けられるのである。
正に、魔の方程式と言えるで在ろう。
本人は氣付かない内に、向かって居たのである。
小さな過ちを放置して続ければ、やがて取り返しのつかない大きな過ちを犯してしまう結果に成るのである。
私は自らが不満に感じた事を徹底的に分析して、その種が何処から来たのか、何故不満を感じたのかを俯瞰して考え、答えを導き出す事にして居る。
結果は、簡単である。
全ての事象は、自らの中で始まり自らの中で終わるのである。
つまらない事は放念し、自らの中に蓄積する必要も無い事なのである。
嫌な人が居れば、絶交すれば良い。
嫌な環境ならば自ら手放し、離れれば良いだけである。
其処に執着する必要も、無いのである。
人間は平等であり、幸不幸も平等に訪れる事象である。
他人の幸せが妬ましい羨ましいと考えるのであれば、他人の不幸も羨ましいと真剣に捉える事である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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