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密教1619 霊的温故知新③

現代で言える事は、情報の氾濫と情報の正確性とのギャップである。
特に霊的な教えや解釈は多岐に渡り、その性質上確固たる意見のまとまりが無いのも仕方ないのかも知れ無い。
しかし真摯に學ば無ければ、真実はいつまで経っても見えて来ないのも事実である。
不思議思考は、心霊を學ぶ者にとっては愚考に過ぎず、學びの妨げにも成る。
必要なのは、勉学する意欲と理性的判断力である。
學びは、求め無ければ進むものでは無い。
そして、難しいものでも無い。
真理を知りたい、學びたい心から発するのである。
學びに入る切っ掛けは、決して高尚なもので無くても良い。
知りたいから、出発しても良いのである。
疑問を感じたら、その疑問をそのままにせずに疑問を解明すれば良いだけです。
嘘だインチキだのと云う前に、嘘インチキを解明し正せば良いだけでは、無いだろうか。
霊的な事は、例えば嘘偽りを行う者であれば、必ずボロが現れます。
そして嘘偽りがあると思う者には近づかず、間違えて上記の者に会った時には、二度と行かなければ良いのです。
やがて周知され、成り行かなければ消滅するしか無いのだから。
霊的な事を悪用すれば必ずや悪い結果が現れる事は、古来依り立証されて居ります。
善因善果悪因悪果に象徴されるが、事実は小説よりも奇なり、私は過去に様々な事例を観て来た経験で言えば、霊的事を挙げて搾取した者の末路は、哀れの一言に尽きる。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2020-12-16 06:00 | ◎赤不動明王院通信
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