明治期に出現した霊能者、長尾郁子、高橋貞子、御船千鶴子、いずれの方も霊的無知に晒されて、不遇な人生を送られました。
御三方を語る時、一般的にはどうしてもオカルトチックに捉えられがちだが、心霊科学の観点から言えば当時の科学者が心霊學を知らなすぎ、又は心霊に対して無知過ぎたのである。
有名な透視実験の際に、鉛管をすり替えたのは科学者側のある人物である。
この人物は、どうしても認めたくなかったのである。
しかし、その行為が後に日本に於ける心霊學そのものを排除し、日本の心霊學を世界的遅れへと導いたのである。
現在でも、オカルトと捉える人が多い風潮を作り上げた元凶である。
御三方以前にも優れた霊能者は居たが、科学的立証を試み協力したのは、御三方以外に類を見ない。
私は僧侶を務め乍ら心霊學を研究して来た上で言える事は、経典こそ心霊學の集大成であると考えるものである。
何故か?
経典には、仏教説話と実践編の二つがある。
一般には仏教説話が知られて居るが、実践編は専門僧侶か阿闍梨以上で無くては目にする事も伝法も受けられないのが事実である。
しかし乍ら、此処にも心霊學排除の壁がある。
何故か。
独特な偏重主義が、存在して居るのである。
何故、偏重主義が存在するかと言えば、独特な秘密主義と伝統が邪魔をして心霊學を認める事が出来無いからである。
皆さんも、ご一緒に考えて下さい。
神仏を心霊無しに語り、理解出来ますか?
神社仏閣で施す祈祷を心霊無しに言うならば、何が根拠に成るのか?
正に、霊界そのものであります。
認めると認め無いでは、表裏ほど違いがある事をお解り頂けると考えます。
一昔前までは読み書きが出来無い人もたくさんおられましたが、現代に於いて読み書きが出来無い人は皆無で在ろう。
従って學ぶ氣さえあれば、どなたでも真実を知る事が出来るのに何故知ろうとしないのかが、私には疑問である。
長文に成るので、次回に繋ぎます。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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