昨今、神社仏閣の賽銭泥棒が多発して居るが、呆れると云うより憐れに思える。
何故か?
その後の人生がどう成るか、私には視えるからである。
神社仏閣の賽銭は通常、その日の内に回収されほとんど残って居ないのである。
回収後に賽銭箱に入るお金は、少額であろう。
その少額を盗むあさましい行為であり、神仏への冒涜である。
金額の多い少ないは、問題では無い。
盗む犯す行為が、後の人生を大きく左右する事を知って貰いたいのである。
他の犯罪も同じだが、犯した罪は当然償わなければならないが、霊的償いは後から来る事を知る者は少ない。
考えただけで怖ろしく成る事が、返って来るのである。
私はその実例を、幾度と無く見て参りました。
ある者は発狂し、ある者は苦しみの中で息絶え、ある者は、、、、として果てたのである。
何故、助けられなかったのか、助け無かったのかに疑問を感じて居る人に一言、拒否する者、反省無き者を救う手立てがあるのなら、自らやられては如何であろうか。
言うは易し行いは難し、反省無き者を救う事はどんな法力を持ってしても不可能である。
正に自業自得であり、己が犯した罪を死後も償わねばならないのが法則である。
真の償いとは真の反省を持ってしか、償う事は出来無いのであります。
殺せば殺され、奪えば奪われ、欺けば欺かれ、気づかねば未来永劫に渡り繰り返す結果と成る。
自由とは正しく生きる事であり、我儘や身勝手に生きても良い事では無い。
我儘や身勝手は魂を穢し、己が人生を暗雲立ち込める境涯に落とし込み、己が苦しみを呼んで居るのである。
改め改心する事に、早遅は無い。
御仏の大慈悲は、全ての者に平等であります。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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