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密教1605 死後の実態

信じるも信じざるも、真実は一つである。
私は仕事柄、死者と関わる事が多い。
例えば自殺、孤独死、様々であるが、しかし死を知らない。
死を実感出来無い人が、余りにも多い事にある。
危機感を覚える。
葬儀の場では、死者が参列者になって居る場面も多々ある。【遺族と一緒に参列者を迎えて居る】
また棺桶に座り、怒って居る場面もある。
【俺は私は生きて居るのに、何をやっているんだと云う様に】
そんな時、法力を有して居る僧侶なら対処は出来るが元々、霊魂の存在を否定して居る僧侶の場合は、葬儀次第に依り進め終わるだけである。
従って、死者本人も自覚無しに次へと行くだけで終わり、普段に戻り生活しようとするのである。
【誰にも認知して貰えない苦しみの中で、死でも生でも無い時を過ごす事に成るのである】
一番辛く苦しいのは、死んだ故人である。
その後、自発的に死を理解する者も居るが、多くは長く苦しい境涯を味わう事と成るのであります。
此れが普通の人が亡くなられたので有れば、まだ様々なお救いを期待する事は出来ますが、犯罪者の場合は別である。
反省無き犯罪者の死後は、魔の自由が待って居る。【憑依する浮遊霊】
同じ様な心を持つ者に憑依し、犯罪を繰り返し犯し、己が満足を得られるまで延々と続けるのである。
言わば負の連鎖と言え様、これを断ち切る事は容易では無いが、可能である。
私達一人一人が、正しく學び理解を深める事に依り、負の連鎖は断ち切れるのである。
簡単に言えば、一杯のバケツの中に泥水があると想像して下さい。
其処に綺麗な一滴の水が入り、また一滴と入り続ける事に依りバケツの水は浄化され、やがて清水に変わって行くのであります。
先ずは自ら清水と成る事が、急務であると私は考えます。
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南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2020-12-01 06:00 | ◎赤不動明王院通信
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