人間は正直に自らの反省を思い浮かべる時、嘘や恥ずかしい事の一つ位は経験して居るのでは無いだろうか?
自分は潔癖であると言う人は、幸福である。
私など、恥ずかしい事だらけである。
強がって居た時代を思えば、恥ずかしい限りである。
人間はどんなに強靭な肉体で有っても、身体の衰えは等しく訪れやがて死する。
生家が金持ちで有っても、何れは貧困に成る。
金が有っても心貧しければ、貧困以下である。
學ぶ事を嫌い自分勝手に生きても死する時、右往左往する様では様になら無い。
健康を誇っても、病いには勝てない。
學びをひけらかし他を見下す時、己が學びの低さを知る事と成る。
人や人生に、差は無い。
全ては平等である事を知る者は、幸いである。
勝ちも負けも無いのが、人生である。
勝ちを強調する者は、哀れである。
苦しみの中にあり、自らを信じ生きる事は最高の學びである。
私の信念は、自分に恥じ無い生き方をする事である。
どんなに虚栄を張ろうが、嘘で固め様が、最後は露呈するのである。
詐欺で贅沢三昧を繰り返し、何十億円を騙し取っても最後は牢獄の中、また露呈して居なくても霊界の審判は何人も逃れる事は出来無いのである。
その時に改心しても、時既に遅しである。
悪人は悪人としての報いを受けねば成らなく、生きて受ける報いの何十倍にも匹敵する罪の償いが、待って居るのである。
この事実を知る者は霊能者と言え様、その霊能者が嘘、偽りを犯した時、更なる罪が待って居るのである。
正に平等である。
正に自分に恥じ無い生き方こそ、望ましいのでは無いだろうか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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