先日の事である。
檀家さんの紹介であるご夫婦が、訪ねて参りました。
二十代前半のご夫婦である。
私には、一目で内容が解りました。
憑依である。それもたちの悪い、浮遊霊である。
何故、たちが悪いのかと言えば、除霊される事を察知して私の寺に着く前に離れ、遠くで若夫婦の帰りを待って居るのである。
正に、待ち伏せである。
これを防ぐ事は出来るが、先ずは本人達の了承と自覚を促さねば取り憑いた霊を除霊しても、また他の霊が取り憑くといった状態を繰り返すだけである。
そして彼らが来院したのも、予約も無しの夕刻で私も多忙である為、後日予約してから来る様に言い帰宅して頂きました。
何故、了承と自覚が必要か聡明な読者の皆さんならお解りで在ろう。
心霊スポットと言われる所には、好んで行かない、霊に遊び半分で関わらない、当たり前だがこれは大切な事である。
幾らこちら側が真剣に教えても、遊び半分で上記を繰り返せば当然だが怒りを浴びるのは、当たり前である。
その後、この若夫婦とは音信不通である。
心配に成り霊視したところ、憑依霊に言いくるめられ全く平気な状態である。
これからが、怖いのである。
本人達が改心するまで、様々な不幸が襲い掛かって来る事は分かっているが、本人達が自らの意思で音信不通を選択したので、これ以上は私にもどうしようも無いのである。
霊的無知は時として、不幸を呼び寄せる結果と成る事が多々ある
決して霊を侮り、遊びの対象にしてはいけない。
霊的な事に関わりたいので有れば、真剣に學びを深めてから行う事が肝要である。
自己流や生半可な修行でやれるほど、この世界は甘く無い。
何故か?
始めは良く段々と絡み合った糸の如く、がんじがらめに落ち入って行くのである。
そうなったら、私では助ける事は出来ません。
毎日を明るく笑い声の絶えない家には、悪い事は起きません。

また、悪いものも寄り付け無いのである。
信仰と學びは、自らを磨き周りを照らす光明と成る。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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