人間は誰しも死を理解して、天に帰るとは限らない。
生きて居る時から人間は死んだら終わりと考えて居る人ほど、死を理解し難いものである。
以下は無神論者で、死後など無いと周りの人に豪語していた人の家で起きた怪異な出来事である。
その家では家族が亡くなり、一人残った息子が家を売りに出し買った人が異変に気づき、私に祈祷を依頼して来た事から解った事である。
依頼者の証言
①誰も居ない筈の風呂場で、風呂に入って居る音がする【家族全員がその音を聴いて居る】始めは気のせいだと言って居た父親も、気味が悪く成ったと言う。
②台所で鍋が落ちた音がしたので見に行くが、鍋も何も落ちて居ない。
③夜中に呻き声の様な声がした後、廊下を擦り足で歩く様な音がする。
④部屋に置いてある観葉植物の葉が、窓も開けて居ないのに揺れ動く。
⑤飼い猫が、あらぬ方向を睨み威嚇した直後に眼を傷つけられたとしか思えない傷を負い、動物病院に連れて行った。
これだけでは無いが、キリが無いので私が祈祷に行った時の様子をお話ししよう。
確かに前の住人三人が居るが、その他にも居る。
引き寄せられた、浮遊霊である。
私は、説得を始めた。
あなた方はもう死んで居るので、この家に留まる事は迷惑に成ると説いたが、頑として死んだ事を認め無い。
この手の事は、予想の範囲内である。
出来得る事なら自ら死を認め、行くべき所に落ち着いて貰いたいのが本意である。
さもなければ無理矢理にでも帰す事に成り、それでは余りにも不憫と考えたからである。
しかし幾ら説得を試みても、聴く様子も無い。
仕方が無い、可哀想だが使者を呼びきつい世界に行って貰うしか無い。
この世にこのままとどまれば、やがて手の付けられない状態に成ってしまう依り今、行く方がしあわせであると判断したからである。
使者が来た以上、逆らう事は出来無い。
死は、誰にでも訪れる。
生前に學ぶべきは、學んでおきたいものである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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