以前に、こんな相談があった。
中古の家を買った直後に妻が死に【原因不明】、遺骨は今も家の一角に置いてある【十年以上】が、息子達も手を合わせるどころか無関心そのもので、遺骨の処理に困って居ると言うのである。
私は即答した。
知り合いの寺で、遺骨を預かってくれるので納骨されては如何ですかと教えたが、一向にその気配すら無い。
そして、五年が経過した。
その家の主人も定年を迎え、毎日ぶらぶらして居る。
久しぶりにその家を視ると、未だ遺骨が埃だらけの状態である。
家は荒れ果て、異様な氣も感じられる。
上記の様な問題は多く、事が事だけに強く勧める事も出来ず、観ているしか出来無いのが現状である。
このまま放置すれば、良い事など在ろう筈も無いが、真剣に相談されれば打つ手は幾らでもあるが、供養心の無い人には説得の方法も無いのである。
上記の場合、不思議な事に家が遺骨のある場所を中心に大きく傾き、修復も難しい状態にある。
主人は意味不明な威嚇行動を繰り返し、近所から嫌われて居ると云う。
正に、霊障そのもので在ろう。
これを改善する事は、不可能である。
何故か?
完全に凝り固まった人を改心させる事は、尋常一様な手段では出来無いからである。

実は供養心と人間性は密接な関係にあり、切り離して考える事は出来無いのである。
何故か?
私達も本来は霊的な存在であり、死は肉体の消滅であり、魂の消滅では無いのである。
従って、死後も意識は生き続け肉体の死後、遺骨に執着する人【霊体】は数え切れないほど居るのが、現状であります。
増して死後の遺骨を粗末にされて居る現状を見た時に、どう思うで在ろうか。
答えは、簡単である。
悲しみ嘆き、果てには怒りと成って粗末にした者に憑依し、その者の人生をも狂わせる結果に繋がるのである。
人間には、情がある。
優しさの現れが供養心であり、その供養心を持って回向に臨めば、如何なる霊も是を受け入れ霊界へと帰幽するのである。
先祖を敬い御仏を尊び、感謝の日々を過ごす時、安心としあわせは自ずと訪れるのである。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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