秘密の多い密教は簡単には理解し難いが、其れも情熱と良き師僧に出会える事で解決するが、本物の法具、経典については、中々思うに任せない状況にあるのが、現状で在ろう。
何故か?
実際に法を操れる者が、少ないからである。
そして経典そのものが、手元に無いからである。
法具については、粗悪な物が堂々と取り引きされて居る現状である。
これについては、如何ともし難いのが現状である。
法具選びは素人では難しいが、其れも本物を数多く観て眼を肥すしか無い。
材質は勿論、細工は一流品と粗悪品を並べて見れば一目瞭然だが、中々一般の方では難しいで在ろう。
密教を志す者に取って法具の良し悪しは、重要な問題である。
また良き物に出会うも、縁である。
縁のある無しで、先が大きく変わる事もある。
では、縁とは何か。
縁とは、黙って向こうからやって来るものでは無い。
自ら求め、結ぶものである。

御本尊様も同じで、自然に湧いて出て来る事は無い。
求め探し歩き、ようやく辿り着いた先におわせられる。
また巡り合わせて頂いたのが、御本尊である。
簡単に天から降って来た訳では、無い。
正に御縁である。
拙僧も始めは、五センチにも満た無い不動明王尊と二人三脚で、様々な荒波を乗り越えて参りました。
あれから四十七年、変わらず不動明王尊の信仰に励んでおります。
今では本堂、浴湯の間、密教秘宝展示室、玄関には1メートルを超える不動明王尊像を拝し、また外には、善男善女を護る為に不動明王尊の御堂を建設中である。
正に御縁と正しい信仰は、人生をも変える功徳がある。
四十七年前、乞食の様に東京を出て乞食坊主と揶揄されながらも、不動明王尊を信仰し続けた結果である。
欲も得も生きて居るから、損得勘定に翻弄されるのである。
また本当の信仰とは、損得勘定を超えた所にある事を気付かせて頂けるのが、功徳であり信仰の道である。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
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