世の中は常に新しきものを求め、流動し古きものは忘却される事を私は悪いとは言わないが、古き良きものまで忘れる必要は無いと考えます。
新しき事【物】は、発展と向上を目指し作り上げられるで在ろうが、意味も分からず飛びつく様では唯の新しいもの好きに過ぎない。
日本には、諸外国に類を観ない素晴らしい物や文化歴史がある。
そして愚かな過去も、経験して居るのである。
平和な日々は、誰もが望むで在ろう。
そして平和を維持して行くのも、私達一人一人の責務である。
ただ楽しい面白いだけでは何の意味も発展も無い今、必要なのは古きものも知り新しきものに転化して行く、岐路では無いだろうか?
私の身近な事を例に挙げれば、法具仏具である。
当院では数十年前の法具を使って居るが、新品同様に光輝いて居る。
何故か?
使えば磨くを、繰り返して来たからである。
そして新しい物も買い求めるが、気づいた事に現代の物に粗悪品が多い事である。
数十年前の法具も仏具も比較対象してみれば解るが、昔の物は丁寧に拵えてある。
そして重厚感が、感じられるのである。
正に、職人技が伺える逸品である。
古い物が全て良いとは言わないが、新しいから良いとも言い難い。
但し骨董の仏像や類似した物に、素人が手を出さない方が良い。
何故か?
撥遣【魂抜き】は、素人では難しいからである。
物には、使って居た人の思いが籠り易いからである。
くれぐれも、お気を付け下さい。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝