昨今の鬼ブームは、微笑ましく私も嫌いでは無いが、鬼の由来にも眼を向けて貰いたいと考えます。
実際に鬼は居たのかと言えば、容姿で言えばありました。
私は過去に幾度となく、鬼の頭蓋骨を見て参りました。
あれはホルモンの異常で、頭蓋骨に角状にカルシウムが伸びたので在ろう事は、推測出来る。
しかし現代の様に医学が発達していれば、鬼と言う概念は生まれ無かったで在ろう。
他と違うだけで差別された彼等は、人里離れた山中に潜み生きるしか無かったのである。
そして、見つかれば異形の者として追い詰められ、悲しみの中で滅ばざるを得なかったので在ろう。
現代でもこの病気はあるが、外科的処置に依り世に知られる事は無い。
現代でも節分の行事として残る豆まきは、追儺の鬼が由来である。
【宮中の行事】
古くの人間は他の者を犠牲にして、自らの身代わりにする風習が有った。
此れは無知の極みであり、百害あって一利なしである。
今、巷で行われて居る行為こそ、追儺の鬼の現代版を見る様である。
弱い者が集まり依り弱い者を獲物とし、礫を投げる【誹謗中傷は見えない礫である】正に醜い追儺の鬼の続きである。
勧善懲悪も良いが、間違えれば害毒と成る事を知らねば、古代の追儺の鬼の再来と言わざるを得ない。
私は、現代のイジメ誹謗中傷の現実を観るに付け、思う事がある。
正に勧善懲悪を隠れ蓑にした、追儺の鬼現象では無いかと思う。

私達人間で、この世に生を受け誤ちを犯した事が無い人は、皆無で在ろう。
大なり小なり、誤ちを犯しすのが人間である。
完全無欠な者は、居ない。
何故ならば、完全無欠ならばこの世に生まれる必要が無いからである。
間違えを責める【攻める】のでは無く、足りない部分を補い合える社会であれば、現界は正に浄化された世に成り天国として生まれ変わるのである。
真のしあわせは、其処にある。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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