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密教1574 心霊体験【両輪】

私達は心と身体の両方が調和されて居るからこそ、正確な判断も可能であるがその調和が崩れた時、人は判断を誤りとんでもない事をする場合がある。
理性で考えれば、簡単に解る事が解らず他人を【罪も無い人】巻き込み、不幸の種を撒き散らす。
または、人間の心があれば出来無い様な事を引き起こす者達、悪鬼羅刹としか思えない者、正に悪魔としか形容し得ない者。
では何故、人間と生まれて上記の様に成ってしまうのか?
それは肉体が欲する欲望のままに、間違った選択をした結果である。
人間の脳は身体の一部分であり、心では有りません。
心とは魂であり、自らの欲望に左右されるものではありません。
欲望は肉体が欲する部分であり、魂が欲して居る訳では無いのです。
衣食住に関わる全ては、肉体が欲する部分であり、魂が欲する部分では無いのである。
厳しい様ですが本当の意味で言えば、魂が欲して居るのは苦難であり、苦難を乗り越え得られる境地である。
苦難を喜ぶ人は居ないで在ろうが、私の経験で言えば苦難は心の栄養である。
涙を流しのたうち慟哭の中にある時、何も考える事は出来ずただ時は過ぎ言いようの無い孤独感が押し寄せて来る。
虚しさと絶望感の中で最後に考えたのが【人は何故生きる】、私は自らにこの題を突きつけ、十年苦しみ考えました。
答えは、學びでした。
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様々な体験と経験を重ねて、最後に得られるのが感動である。今は亡きあの人もこの人も共に歩み共に暮らせたから別れが経験出来たのであり、それが無ければこの悲しみも経験も得られる事は無かったのである。
人間は両輪の上に立ち、バランス良く保ち進むべく舵を取る操縦者である。
良きにつけ悪しきにつけ操縦者は、自分である。
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南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝


by kongousan-akafudo | 2020-10-26 06:00 | ◎赤不動明王院通信
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