あの遺骨を荼毘に伏し納骨堂に安置する時、私は例の能力を使い霊に話し掛け聴いてみた。
何故あの場所に、埋められて居たのですか?
良ければ、お聞かせ下さい。
実は旅の途中で殺され、お金を奪われ埋められてから石を置かれ、その後は現在まで石の下で苦しんで来たのです。
今回、石も退かされ供養もして貰ったので、帰ります。
そして、迎えの方と一緒にお帰りに成られました。
【その後に起きた現象】
あの頭痛で苦しんで居た長男に、霊的能力が授かったのである。
しかし、これが行けなかった。
当初はまだ、驚きと戸惑いに翻弄されて居たが、慣れて来るとその能力を金儲けに使い始め、真面目に働く事もしなく成って一年が過ぎた頃、類は友を呼ぶと言うのでしようか、仲間が集まり結局、良からぬ事に進んでしまうのである。
得た能力を更なる修行の糧とする成れば、彼は日本有数の霊能者として様々な活躍をしたで在ろうが、決して褒める事が出来無い事に能力を使ってしまった。
彼の行く先は、暗雲漂う人生に成って終うのである。
その後の彼は、家は離散、自らも借金に追われ行く方知れず【行方不明】である。
霊能は全て、霊界からの使命を帯びた授かりものである。
それを私利私欲の為に乱用すれば、生きたまま地獄を味わうのは当然の結果である。

霊的な事は、全て遊びで出来るものでは無い。
増してや我欲に捉われ実行すれば、良い結果など有ろう筈も無いのである。
触らぬ神に祟りなし、普通に生きれば人間の幸不幸の数は同じであり、平等である。
但し霊的な事を悪用すれば、恐ろしい事が返って来るのは当然の結果と言えるのである。
私事で言えば霊能がある為に、苦しみが倍加して感じた事も多々あります。
幾度と無く、こんな能力が無ければここまで苦しむ事は無かったと、考えた事も有りました。
平凡な人生の中にこそ、しあわせがあると私は考えます。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主
永作優三輝
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