前回に引き続き、お話しして参ります。
人間が死後、霊界に行くのは自由意思であり、強制では無いのです。
従って現界で悪事を働き反省もして居ない穢れた魂は、霊界に行く事を拒み、現界に留まろうとするのである。
【広義狭義はあるがこれを説明するには、膨大な字数を必要とするので割愛します。】
霊界は寛大だが、いつかは捕縛され霊界に連れ戻され犯した罪の償いをする事に成るのであるが、時間の流れが違う霊界と現界には差異があるのである。
例えば、現界の一年が霊界では一日位である様に、時間の流れが異なって居るのである。
其処で必要とされる存在が、現界に降りて来られた神仏なのである。
悪霊は神仏を最も恐れ逃げ惑うが、昨今の現状は神仏がおわせられない神社仏閣が、増えて居るのです。
御神氣が消えた場所が、増えて居るのである。
確かめ方も様々にあるが、一般的に解り易い法がある。
同氣法であるが詳細は模倣、悪用を防ぐために割愛します。
何故、神社仏閣から御神氣が失われるのか、それは欲望が災いして居るのである。
本来、信仰とは煩悩、欲界から離れ、人間としての魂を磨く為に存在し、悪霊消滅を祈願する為にいわく因縁がある場所に建立されたのが、神社仏閣なのであります。
然るに、神仏を軽んじ己が我欲を訴え助長しては、当然ではあるが神仏もお帰りに成るのは当然であろう。
國乱れる時、疫病蔓延し民衆貧困に喘ぐとあるが、正に今の状態を指して居ると考える。
今こそ真の信仰に立ち戻り、神仏の御加護を取り戻す時と考えます。
生者必滅会者定離、本来に立ち戻り智慧を備え理性を育み真の信仰に辿り着く時、全ての不安は掻き消え安心立命の境涯が得られるのである。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝