この度、姫宇賀神尊【純銀】完成に伴い霊示を賜わり、宇賀神歓喜天像の製作に着手致しました。
歓喜とは理趣経に曰く、男女の交わりに於いて安心と喜び、力を沸き立たせる愛の具現化である。
その象徴が、歓喜仏であります。
明治以降【廃仏毀釈後】、新たなる歓喜仏の製作は私が知る限り初めてであろう。
これもひとえに霊界の御協力、御本尊赤不動明王尊の御加護に依るものと知り、感謝と益々の精進を誓うものであります。
想えば四十七年前、父母の菩提を弔う為、出家したあの頃、在家から出家した私には帰る寺も無しあても無しの唯の僧侶でした。
それが御本尊様と御縁を頂き、今では立派な寺として成長させて頂け、増してや秘仏【純銀製】を六体も製作させて頂きました。
この度は、宇賀神尊の歓喜天像を製作させて頂く栄誉を賜わりました事は、正に最高の境涯であります。
今後も秘仏復元に努力を重ね、忘れ去られた経典を掘り起こし、多くの方々に密教の素晴らしさを知って頂き、生きる意義を皆さんに満喫して頂きたいと考えます。
秘仏は異形であるが、故に一般の方には解釈、理解は難しく、親しむまでには至り難いが、秘仏の御姿は私達に様々な事を教えて居るのである。
人間はある意味、傲慢な生き物だと私は思う。
何故か?
全て自らを対象として当て嵌め、比較対象するところがあり、受け入れるか受け入れられ無いかを判断するところである。
例えば、宇宙を論じて居るテレビ番組では、未だ宇宙人が居る居ないの話しをして居るが、正に傲慢である。
地球だけが万物の象徴のように考えるから、稚拙で傲慢な考え方がまことしやかに語られるのである。
視野を大きく持ち視る時、今迄に視る事が出来なかった事が、視えて来る時もある。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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