今思えば、私は幼い頃から様々な別れを経験して参りました。両親との別れ、妻子との別れ【全て死別】、正に孤独を味わい切ったと言っても過言では無いであろう。
孤独、孤立、精神的孤独感、肉体的孤立感はいも言われぬ苦しみである。
そして、病魔が加われば極めつけの苦界である。
私は上記を全て経験し味わって参りましたが、ご覧の様に生きて居ります。
何故生きて居るかを問えば、生かされて居るが真理である。
人生の始まりは、生まれる前に【魂の段階】自らが時代、地域、性別、環境、親を決め更に人生の地図までも自らが詳細に決めてから、生まれて来たのである。
言わば、全て自らの意志で決めた事なのである。
それを自分は知らない、選んだ記憶も無い、もっと良い人生が欲しい、こんな筈では無かった、これらは自らの傲慢さの現れである。

記憶に無いのは、当然である。
何故か?
例えば、大事な試験問題を事前に知っていたら、その試験問題の意味すら無くなってしまうからである。
誰しも経験があると思うが、試験前はどんな問題が出題されても大丈夫な様に猛勉強をする様に、全ては學びの一環なのである。
そして試験が終わりほっとしたのも束の間、次の試験が待っている。
学生時代これの繰り返しだった様に、人生も試験の連続である。
但し試験があったればこそ、學び磨かれ成長がある。
それをせずに楽のみに走れば、せっかく得たチャンスを自らが放棄する事に成るのである。
勿体無い事である。
人生の挫折、失敗は悪い事では無い。
経験値を向上させる道なのである。
そして全ての経験を終え、故郷【霊界】に帰ったら懐かしい仲間達が拍手を持って満面の笑みであなたを出迎えてくれるのです。
人生は素晴らしい學びの間、終えれば解る真実、涙も心の汗である。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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