自殺は、どんな事があろうとしてはいけない。
何故ならば、何の解決にもなら無いばかりか、筆舌に尽くし難い事態を自らが招く事に成るからである。
私は常々言って居るが、死んでも終わる訳では無いのです。
その逆に、自殺する前より遥かに苦しい事態に自ら望んで、飛び込む事に成るからである。
私は知っている、自殺後の悲哀を。
仕事柄だけでは無く私的にも、また僧侶として数々の自殺霊の供養もして来た経験からも言える事である。
人間界の苦しみは魂を磨く磨き砂であり、耐えられない苦しみを御仏は御与えに成りません。
私とて慟哭し血の涙も流して参りましたが、言える事は耐えられ無い試練は、無いと云う事である。
自殺する前に、知って於いて頂きたい。
死は終わりでは無く、始まりだと云う事を。
【以下体験談】
私の元には自殺された方の御遺族が、相談に来られる事が多々あります。
どんな事が、有ったのか、何故自殺してしまったのか、今はどうして居るのか、様々であります。
自殺は、どんな方法でされても大罪と成りその後、数百年も苦しみに耐え無ければならないのである。
【例外もあり】私が供養した自殺霊は、死後数十年も同じ場所でうずくまって居た方々も居りました。
若くして自殺を早まった霊などは、実家に帰りたくてバスに乗るのですが、途中で元の場所に引き戻される事を繰り返して居る霊も居りました。
何度も何度も繰り返し帰ろうとするのですが帰れない、当然の事なのである。
当たり前である。
嫌で出た者が帰りたいと思っても、報いが邪魔をして帰る事は不可能なのである。
中には死んだ瞬間の姿のままで、立ちすくむ霊も少なくありません。
電車に飛び込み死んだ霊体、高所から飛び降り自殺をした霊体、薬物や練炭で自殺した霊体と様々だが、一環して言える事は、慰霊、浄霊を完璧にしなければ死んだ時のままの姿で居る事が多いのである。
何故か?
それは、死を理解していない証拠である。
人間は死を迎えた時から肉体を脱ぎ捨て霊体に戻りますが、自殺の様に無理矢理死した場合、死んでも意識がある事に戸惑い肉体があると錯覚するからである。
従って、死した時の姿で居るのである。
正に、哀れな姿であります。
自殺は無謀な選択であり、自殺に依る死に安らぎは無いのである。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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