現在、今迄に無いほどの未浄化霊が増えて居る事を、皆さんはご存知無いであろう。
病気、事件、事故、自殺と様々な死が繰り返されて居る現在、巷には霊と成った人が溢れて居ると言っても過言では無い。
人間はいつかは死を迎えるが、それも寿命を全うしての死ならば學んで居なくとも大丈夫であると言えるが、それ以外の死は納得が無い分、迷い苦しみが終わる事無くついて廻るのである。
では何故、納得が無ければ駄目なのか?
皆さんも、ご一緒にお考え下さい。
例えば、あなたが見ず知らずの人に危害を加えられた場合に、警察に被害届を出して相手が逮捕されただけで納得に至りますか?
その後、警察に犯人の犯行動機を説明されてたら、納得して犯人を許しますか?
諦めるしか無いと思い、自らを納得させるしか無いはずである。
それが出来るのは、智慧と理性を持ち合わせて居るからである。
しかし智慧と理性は、単に生きて居るだけでは身に付くものでは無い。
確固たる意思を持ち、自ら學ばねば得られるものでは無い。
増してや死後の世界の學びは、遊び半分やご都合主義の上に胡座をかいて居ては、到底解る筈も無いであろう。
【霊界の言霊、人間界の學びは己が魂を磨く修行場である】
もし過去に亡くなられた方々の大部分が學びに目覚めて居たら、この世に悪と怠惰は存在し得なかったであろう。
然るに現在の状況は、如何であろう。
疫病、犯罪、政治家の腐敗ニュースにいとまが無い現実を私達が望んで居るだろうか?
私達に今、求められて居るのは無関心では無く、直視し己れを振り返り反省し學びを極める事である。
學びとは、難しい事では無い。
慈愛と理性の両立である。
憑依など、恐れては行けません。
憑依霊は、真剣に學びを極め様とする人に取り憑く事は出来ません。
何故取り憑く事が出来無いかは、あなたが學べば必然的に判明する事である。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主
永作優三輝
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