その日私は、葬儀の依頼を受けある御宅に来て居た。故人は八十歳の刀自【御婆さん】。
早速、故人の為に引導法に入り剃髪の儀に入った時、死顔を見て、何故かしっくりしなかった意味がハッキリ解りました。今迄に数々の葬儀を頼まれて執り行わせて頂き、様々な経験を積んで参りました。
その経験上で言えば、死顔で全てが読み取れると言っても過言ではありません。
この時の刀自の顔には、悔しさが満面に現れて居たので諭す為の経典を選び、供養をさせて頂きました。
このまま葬儀を終了する事は、簡単である。
しかし故人の悔しさは、尋常一様では無くこのまま葬儀終了では、余りにも哀れである。
されど葬儀には、段取りと時間の制約がある。
私は、思い切って通夜に弔問客が居なく成った時を見計らい、遺族と話しをする事にしたのである。
私は、遺族に単刀直入に言った。
故人は、拭い切れないほどの悔しさをお持ちです。
このままでは、成仏など無理と考えます。
この場には、私と御遺族しか居りません。
御心あたりがあればお話し下さい【一同が顔を見合わせる】と言ったが、誰も言わない。
私は、言った。
皆さんが言えないのであれば、故人の代弁を私がさせて頂きますが宜しいでしょうか?
故人は病いに倒れるまで、七十八年間亡きご主人の世話や子供達の将来を考え自分の事には一切、お金も使わず長男が家を買う時など、
数百万円の資金を用立て孫が進学するからお金を貸してくれと言われれば出し、ご主人と苦労の末に建てた家も家族の為に手放し苦労の連続であった。
そして病いを患い、寝たきり状態になれば家族の家をたらい回しにされ、嫌みと厄介者扱い。
自分は、何の為に生きて来たのか【涙】。そして葬儀、家族の話題は僅かに残った遺産を巡り陰で言い争い、自分の育て方が悪かった、生まれて来なかった方が良かった。
子供達を怨む気持ちは、無い。嫁を孫を怨む気持ちは、無い。
しかしこのやり切れない気持ちのままでは、死に切れ無い悔しい。
人間は死んだら何も分からない、死んだら終わり、死んだら意識も何も無いと信じて居る方々は、それをお信じ下さい。
私は、敢えて信じて下さいとは言いません。
続きは、次回お話し致します。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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