今、大勢の方々が不安を抱え、苦難に耐えておられると考えます。私に出来る事は、皆様の家内安全を御仏にお願いする事であります。
但し、皆様にお願いが有ります。
流言飛語に惑わされず、事を見極め慌てず騒がず冷静沈着に行動する事が、求められて居るのです。
先ずは、やる事の優先順位を定め行動する事が早道であり、無駄が無い行動と言えます。誰しも経験がお有りでしょうが、慌てたりデマに踊らされたり先を考えずにした結果、失敗に終わる正に徒労に帰すである。
私達の生活一般について考えても同じ事が言えるのでは、無いでしょうか?落ち着いて考え判断していれば、良かった事も多々あります。
【我は木偶なり操られて動く也】
私達は、それぞれの中で思考を繰り返し良しとした時に行動する事が良策であり、雰囲気に踊らされ動く時、我を失い木偶と成り兼ね無いのである。
最終的な判断を下すのは、個々であり踊らされてはいけない。
例え判断が遅れ自分に取って不利益が生じたとしても、それは経験値と成りその後の人生の指針に繋がる有益な學びなのである。
損得勘定のみに固執し生きる時、人は本来の意味、目的を見失い物質的価値観に翻弄され、氣付いた頃には最終日で有ったでは、
寂しくも悲しい結末では無いだろうか?。
私は、墓に行くとよく見かける光景があります。それは、死者が墓の中に入ろうとして居る姿である。正に生前の先入観が、そうさせて居るのである。
私が弟子や信徒さんに常々、教えて居る事に、仏壇は礼拝所、お墓は面会所と言う意味は、亡くなってから迷わない様に言って居る事である。
人間は死ねば肉体を離れ幽体に戻り、速やかに幽界【霊界】に帰幽する事を指して教えて居るのである。
本当の自由とは、肉体を離れ魂の存在に帰った時なのである。
この題材は誤解を招き易いので次回、密教1381で詳しく説明したいと考えます。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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