人と生まれ願い事をするのは、当たり前であろう。しかし、願い事しても良い対象も考えて頂きたい。
私は、常々、書き説明して居るが未だ理解に至らない方々の為に再度、説明させて頂きます。
よく仏壇に向かい、様々な願いや不満を語って居る光景を拝見しますが、これはお勧め出来ません。
何故か?
仏壇は御先祖様に対しての礼拝の場であり、お願いをする為にある訳では無いのである。
例えば、あなたが子供から頼まれた事を叶えてあげられない場合、あなたはどうしますか?
叱りますか、諦めろと言いますか?
親なら何としても叶えてやりたいと考えるで有ろうが、無理な場合悲しく成りませんか。
肉体が有っても苦しむのに、肉体も無い魂の存在が物理的な事を願われても苦しいだけで、叶える事など出来無いのである。
一般的に考えられて居るのは、亡くなったら天国に行くから仏に成ったと思うであろうが、亡くなったからと言っても霊界に帰幽しただけで、 高級霊に成ったわけでは、無いのである。
言わば、霊体に帰り休んで居ると言ったほうが、正しいで有ろう。
そんな時に、子孫から様々な願い事をされた場合、してやりたいが出来無い苦しみを与える事に成るのである。
御先祖様一般に言える事は、子孫を愛おしく思わない御先祖は、おりません【特例を除く】。
しかし乍ら、子孫を助けられるほどの霊力を持つ迄には、居たら無いのも事実である。
何故か?
魂は、輪廻転生を繰り返し高級霊と成るのですが、同じ家系内に転生する事は、ほとんどの場合無いのである。
そして、高級霊に成れば成るほど人間界での悩み苦しみには、手を貸さないのである。
それは、私達を育てる為なのである。
例えば、子供のやる事を親が先回りしてやってしまったら、その子の自主性を奪い親が居なければ何も出来無い子に、育ってしまうからである。例えば、守護霊があなたに代わり全ての苦難を解決したとしたら、その人生はあなたの人生では無く、守護霊の人生に成ってしまうのである。人生は様々な苦難を乗り越える事に依り、輝きを増し経験値と成り最終最後に感動に変わるのである。今、生きて居る私達もやがては、先祖の一員に加わる事と成るのです。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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