生まれてから死に至るまでに人間は、様々な苦を味わうで有ろうが全ては自分を磨く磨き砂なのである。苦を好きな者は、皆無で有ろう。しかし好むと好まざるに関わらず訪れる苦労苦難、何故、自分が私がと思う人も少なく無いで有ろう。
病気、怪我、貧富、生活苦と様々な状況の中で我慢と諦めに身を置き、こんな人生ならいらないと思うかも知れません。
しかし耐えてこそ、磨かれるのも真実である。
諦めや絶望からは、解決も學びも得られません。【御仏は私達に耐えられ無い試練は、御与えに成りません】
仮に若い頃は、苦労を知らず年老いて苦労苦難を味わった場合、絶望に支配され選択してはいけない道を選択する場合が、多々あります。
その逆に若い頃から、様々な苦労苦難に遭遇し乍らも耐えて生きて来た人は、強い。
何故ならば、免疫でも抗体でも無い人間力が、その人を支え導いた結果と言えよう。
貧困に始まり肉親の死、様々な苦難に遭うも泣きながらのたうたうちまわり涙をぬぐい生きる時、魂は磨かれ人間力は飛躍的に成長を遂げ、
學びを模索する様に成ります。
學びとは、求め様としなければ求められず、自然に湧いて来るものでは無い。 私の場合は、肉親の死が學びえの引き金で有った。
何故生まれ何故生きるに疑問を感じ、その後の私は答えを求め彷徨い、諸先生の指導を受け現在に至る。
それとて平坦な道では、無かった。
そして現在、六十の坂を越えまた新たな試練を経験して居るが、これも學びである。最近私が思う事は、自分の半生を振り返り自分はしあわせ者だと思う事である。私に苦労苦難の試練が与えられ無かったら、ろくな人間には成っていなかっただろうと思う【笑】
答えは、簡単である。 人間は生きた様に、死んで行くである。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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