霊界に宝を積む行為は、誰にでも可能である。代表的な行為は、己が利より他の利を考え実践する行為である。
身近で言えば、年老いた親を大切にお世話させて頂く行為である。
言わば恩返しですが、それとてままならない昨今の家庭事情は解りますが、最低限の徳を積む行為でもあるのです。見捨てれば見捨てられ、邪魔にすれば邪魔にされる当然の事である。私は皆さんにマザーテレサや鑑真和上の様に成りなさいとは、言いません。何故ならば、御二方は聖人だからであります。
辛く厳しい道であっても、一歩を踏み出せば一歩近づき振り返れば歩いた道の深遠さに驚くほどで有ろう。
善行は、霊界に宝を積む行為である。
その逆に地獄への特急権も存在する地獄の階層の多さは、天国の比では無い。何故か?
悪事に走る者の動機は様々であり、同様の者を収監する地獄も千差万別に成らざるを得ないのである。
仏教的に言えば、八大地獄、八熱地獄、八寒地獄に代表されるが現代の犯罪形態は、上記の地獄を持ってしても償い切れないと考える次第である。
人間は生まれ成長する過程で、知恵を得ると同時に狡猾さも覚える。
此処で云う知恵と私が常々使う智慧とは、言い方、読み方は同じでも根本的に異質のものである。
【智慧を得て理性と成す】
智慧とは、知恵を昇華させて初めて得る境地である。
霊界に宝を積むには、先ず智慧を理解し実践する事をお勧め致します。
地獄の特急権は不必要であり、得る必要など無い。
人間は皆、母の胎内より出でし頃は、無垢の存在であり笑顔は天使の様である。
間違えたのは、己れの傲慢さが根幹にあり、改め無かった結果である。
善を行う事に恥じらいや戸惑いは、不必要である。
また善を行うに、遅きは無い事を知るべし。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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