人間にとって言葉は意志の疎通を図る上で便利なものであるが、昨今 心無い言葉に傷付き場合に寄っては、取り返しが付かない事態を引き起こす事がある。では何故、心無い言葉を発するのか答えは簡単である.言葉を内の中で反芻も咀嚼もせず、思いつきで言葉を垂れ流しているに過ぎないからである。
しかし言葉には、霊が宿ります【言霊】。
良い言葉には良い影響が、連なり心無い言葉は口から毒を吐いて居るのと同じ事なのである。
その毒を吐き続ければ、やがて自らが吐いた毒で自滅するのである。
恐ろしい輪廻である。
しかしその結果を知ろうが知らずまいが、結果は変わらない。
己れが吐き続けた毒氣は、身体を蝕み心をも歪めて取り返しが付かない事態へと誘われるのである。
知って居ればやらなかったと思う人には、未だ救いが用意されて居るがそんな馬鹿げた事を信じられるかと言う者は、続けるが良かろう。
何が起こるか、己が身で試す事に成るからである。
私が手術を受ける為に入院した時、中年の看護師が私に言った言葉が、正に毒言で有った。 【悪性腫瘍で入院された永作さんですね】私は我が耳を疑った。
患者に向かって看護師が、言う言葉では無い。
もし私では無く気弱な人であれば、その言葉に絶望して居たで有ろう。
私の病名は大腸癌と肝臓癌である事は知って居たが、良い気持ちの言葉では無い。
私は僧侶で霊能者であるから生死の事は達観して居るが、医療に携わる者の気遣いの無さは、致命的である。
人間の言葉はともすれば、殺人的な威力をも持って居る。
口が滑ったでは、済まされ無い事もある。【口は禍いの元】
何気なく言った言葉が、人を苦しめる結果にも繋がるのである。
自分を特定出来無いから何を書いても良いと考えて居る者達も、上記と同じ穴のムジナである。
言葉、言霊は、他を活かすもので無くてはただの毒言であり、報いは上記に様に実行されるのである。
南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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