人間には、様々な想念があります。
皆さんは、想念が自らの運命をも左右する事をご存知ですか?
顔で優しさを演じて居ても心の中の想念が卑しく悪意に満ちて居れば、やがて顔は歪み想念のままの姿へと変貌を遂げます。
古い諺【ことわざ】に、目は口程にものを言うとありますが、その通りである。
一例を挙げて説明すれば、犯罪者の眼を観察して居れば簡単に解るであろう。
①詐欺師の目付きは、卑しさに満ち溢れて居る。
②暴力犯の目付きは、腹を空かした獣の目付きである。
③重大犯罪を犯した者の目付きには、反省の色は無い。
④イジメ、誹謗中傷を繰り返す者の目付きは、姑息そのものである。
⑤窃盗犯の目付きは、濁り物欲しさに満ち溢れて居る。
上記の判別法は、誰にでも出来ます。
注意深く観察すれば、簡単に出来ます。
どんな事にでも言える事であるが、先入観を捨て正心を持って観察する時、自ずと見えて来るものである。

想念とは、心の写鏡、他人を落とし入れよう、不幸になれ、妬み嫉みの想念はやがて周り回って、全て自分に返って来るのである。返って来るだけならば自業自得だが、実際には己が放った悪想念は数倍に成って返って来る事を肝に命じて遣るが良かろう。上記を理解して居ないから、悪想念を放つのであり、カルマ【因縁】を積み重ねる結果に落ち入るのである。嫌な事をされたから相手を怨むでは、魂は汚れ悪想念を振り撒いて居る者と同じ階層に堕ちる結果に成り兼ねません。悪想念を振り撒き続ける者は、やがて己が想念の返りで取り返しが付かない結果に成ります。正しく學びを深めて居るあなたには、不向きである。達観し放念する事こそ、最高の良薬です。

環境が許さないのであれば、その環境を手放し新たな道を進めば良いのである。
自分が嫌いなら、観なければ良い。
つまらない注釈も意見も言う必要は、無いのである。
環境は自らの力で、変えられます。
付き合う相手も、自分で選べます。
全ての事は、自分の中で始まり自分の中で起きて居るのだから。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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