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密教1315 情けと書いて情と読む

昨今、人間の情について考える事が多々ある.
人殺しは過去に幾らでもあるが、子殺しの実態は過去に類を見ないほど多いのは、何故か。
それは人間的に未発達な者が、親に成った結果である。
本来の人間ならば、親は子の為なら死ねるのである!
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子は親を慕い、親の為ならば自らを顧み無いほどに、大切な存在なのである。
動物でも、親は子を守る為なら命懸けで闘い、子は親が窮地にあらば身を持って闘うこれが情愛である。
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然るに、我が子を撮るに足ら無い理由で死に追いやる所業は、畜生にも劣る行為である。
人間は歳を経たなら経た成りに分別を心得、自分以外の人及び他に優しくあってこそ、成長の証である。
人間であれば男女問わず、上記に自信が無い解らないと考えるならば、私はお勧めします。
一人で生き、孤高を目指す事を!
孤独を嫌い恐れる人は多いが、孤高即ち気高く一人を生きる。
他を傷つけ自分も傷つくなら私は、孤高の人生を選びます。
他と関われば当然に様々な事象と出会い、自我を抑えねばならない事に遭遇するのは当たり前の結果である。
それを怨み自我を抑えられず暴走するなれば、最早その者は人間にありて人間にあらず、人は様々な経験を積む事で學び魂を磨くのである。
愛しても愛される保証は無く、施しても施される保証などは無い。

では何故、人は人と関わる事を望むのか?
本能である。
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そして、本能を理解し超えた所に學が存在するからである。
誰にでもやがて訪れる死は、逃れる事の出来無い現実である。
なれば正面から向き合い答えを求め學ぶ事こそ、生きる気概に繋がるのである。
怨み妬みを他に向けても所詮、堂々巡りであり迷い道である。
人は何故生まれ、何故生きるのか?
全ての答えは、自分の中にあるのです。
學びましょう。
自らのしあわせの為に。

by kongousan-akafudo | 2019-12-14 06:00 | ◎赤不動明王院通信
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