密教は、庶民の味方である。古来より庶民を鑑み、様々な法を伝承し続けて来た。
密教に解決出来無い事は無いと、私は信じて止まない。
悩み苦しみは、形態は異なろうが同じだと解釈するが故である。
時代がどんな変化変貌を遂げ様が、悩み苦しみの本質は変わらないからである。
何故、本質が変わら無いと断言出来るのか?
それは人間が、欲を捨て切れ無いからである。
どんな争いも全て、欲から発して居るからである。
人間が真に欲を理解し脱却した時、現界は天国【パラダイス】に変わるであろう。しかし乍ら、現行の人間界は欲を本当に理解して居るとは言い難いのが、現状である。密教の救いが不必要に成るにはまだまだ時間が必要と考えます。
真の密教は、庶民の味方である。
決して、富裕層だけを優遇するものでは無い【貧者の一灯】。
貧しさの中に有りても信仰心を育み生きる尊さ、人間は貧富の差で計れるほど薄くは無いのである。生まれた生家環境は學びの一端であり、その者の価値を決めるものでは無い。言わば境遇を學ぶ為に、生家環境があるのです。
それを勘違いした者達が學ばず、己が場所に固執し操る事が害毒を撒き散らして居るのである。
例えば、国の要に成る家に生を受けやがて国家元首に成った者が、国民のしあわせも考えず戦争の武器の購入や開発に国民の税金財産を費やした場合、
その国はやがて滅びの過程を辿るのである。
密教には、呪殺法もあります。
全ての法は修する者が、馬鹿ならば馬鹿に帰するのである。
理性と智慧が必要不可欠であり、その答えは真の學びの中に存在するのである。
私は今後も密教の布教と理解を求めて行く為に、粉骨砕身努力して参ります。
學びに入られる方々は、全て私の友である。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-28737691"
hx-vals='{"url":"https:\/\/akafudoumyououin.exblog.jp\/28737691\/","__csrf_value":"1c225e2f680ee8911591cf10f5ed48cd950da7cc793fecc6751a17553107d44fb251b6cfc5b9ea8194e782f0f5c92f88d64cb29dd34555ea7f8e879e81a18fbc"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">