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密教1298 貧困に學

【貧すれば鈍す】と言う言葉があるが、昔にはこんな言葉もある。
【武士は食わねど高楊枝】幼児に至っては【腹が減ってもしもじゅう無い】上記の言葉は、我慢を表現した言葉である。
然るに現代では辛抱、我慢の教えが遠のいて居る様に考えます。
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自己主張も良いが、度が過ぎれば醜くさえ思える。
日本人は世界で唯一、自分だけを上に見る事が無かった民族であると私は承知して居るが、
昨今の諸事情を考えると、そうでは無くなって思える事がある。
正に謙譲の美徳などと言う言葉は、死語のように思える事が、多々見受けられます。

富む事のみに眼を見張り、貧を罪悪の様に忌み嫌い、學ぼうとしない風潮には、些か危機感を感じるのは、私だけで有ろうか。
どんな状況に有ろうとも、その状況下を考え自らの學びと捉え精進する時、苦は糧と変わりその後の人生に於いて、宝と成るのである。
その逆に刹那的に捉え學ばず怠惰に生きた時、その報いは当然、自分に返って来るのである。
人間はただ歳を重ねれば、人格が上がるものでは無い。
単に歳を重ねただけでは、思慮分別は生まれません。
常識も礼儀作法も、全て學びの基本が有ればこそ生かされ光るものであり、自分勝手な常識などは、唯の我儘が表面化されただけの戯言である。
財や名誉だけで人を判断する事は、軽率の至りである。
貧の中に有っても、學びを深め誇りを重んじる人は、たくさんおいでに成ります。
その逆に僅かばかりの富を鼻にかけ、貧を蔑む者は、心の貧乏人である。
貧しくとも明るく気高く誇りを持って生きる事こそ、人間力を上げる事に繋がるのである。
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南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝

by kongousan-akafudo | 2019-11-27 06:00 | ◎赤不動明王院通信
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