本当の優しさとは、突き放す時は突き放し自覚させる事にある。求められるままに与える事は、甘えを助長させるだけで為にならない場合が多々ある。
親として子供が可愛く無い親は居ない【鬼畜は除く】。
私は実の子を二人亡くした経験があるが、地獄であった慟哭し血涙を流した。
今日現在、子供の事で悩み苦しみ、どうにも出来ない渦中にある親御さんも少なく無いで有ろう。
なるべく触れず、当たり障りの無い様にして居る事もあるで有ろうが、将来を考える時にそれで良いのだろうか?
子供は、少年〜青年〜中年に移り変わり、親も中年〜老年期に成り収入は激減し頼りの年金も怪しい流れの中、
上記の様な事を続けるには、無理が生じて来る。
何処かで眼を覚まし、現実を直視せねばなりません。
一日伸ばし一年伸ばしをして居る内に、年は流れやがて悪夢の様な時を迎える事に成る前に、互いのしあわせを考え勇気を持って突き放す事も、
必要では無いでしょうか。
誰でも嫌な事には触れたく無いのは、当然で有ろう。
しかし先送りは、結果を危うくする要素を含んでいる事を忘れてはいけない。
自分達だけでは出来無い事も、様々な智慧を借り向かう時、必ず光明が見えて来ます。
【依存と甘え】どんなに強い人でも弱さはあるが、極端な依存や甘えは無い。
何故か?自分がやらねばが、先に立つからである。私の経験で言えばどんなに悲しい時でも、苦しい時でも最後は己れが立たなければ、立つ事は出来無い。
他人が、起こしてくれるのを指をくわえて待って良いのは、赤子の頃だけである。慈悲の心とは、見守り共に耐え成長を願う心にある。親と言う字は、高い木の上に立ち見ると書く様に、ただひたすら見守り続ける事にあるのです。木の上から牡丹餅を与える事では、無い。 欲すれば与え、与え続けられれば良いが始まりが有れば終わりがある様に、いつかは終わりが来る。
その時に貰い癖のついた者は、どう成るか。
私が説明せずとも、お解り頂けると考えます。
現代の様々な事象を視る時、豊かさの反動を感じるのは、私だけでしようか?
皆さんも、お解りだと思います。
この現実を他人事と解釈する時、現実の事象は襲って来るのである。
視るか背けるか全ての選択は、与えられた自由なのだから。
南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院
院主 永作優三輝
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